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タイトルRe^6: 日々雑感
投稿日: 2007/05/05(Sat) 15:51
投稿者荒間 宗太郎
Subject:謹賀新年
From:北の狼  /Date:2007/01/02 00:28
No:5167
本年も宜しくお願いします。

とはいえ、私のほうはやはりしばらくマトモな投稿はできそうにはありませんが。
多忙な状況にかられながらつくづく感じるのが、日本の官僚組織・制度のお粗末さです。現在の私の忙しさは、所謂「地域医療の崩壊」≒「大学医局制度の崩壊」からくるものですが、より根源的には、厚生労働省による近年の(1900年代後半あたりからはじまった)一連の医療制度改革に起因するものです。

官僚というと、「保身」の代名詞のような存在です。
しかし、この「保身」という言葉には注意が必要で、日本の官僚はやる時は結構 active に斬新な政策を立案もし推進もする存在です。例えば、外務官僚は結構活発にしかも独自に活動したりしますし・・・北朝鮮相手に交渉した田中均なんかもその一例ですし・・・、いまの厚生省の医療制度改革もそうです。それにもかかわらず官僚が「保身」の権化と称されるのは、改革を強力に推し進める一方で、改革や政策が失敗しても、その責任を一切とることがないからです。官僚は「行政法」を熟知し精通しており、この点(=「保身」)においては類稀れな「優秀さ」を発揮して微塵も抜かりがないわけです。
憲法上、国民には役人・官僚の罷免権が認められてはいるのですが、具体的な方法や手順が法律として明文化されない限り絵に描いた餅でしかありません(憲法改正を想起してください)。しかし、法律をつくるのはもっぱら当の官僚ですし、議員が独自に立法しようにも、官僚の協力がなければ自民党でも法案化が困難というのが実情ですが(もちろん、「官僚罷免」の法案化には、官僚は全組織をあげて抵抗してくるでしょう)。

ここで、責任を一切とらなくとも何故それが正当化されうるのかというと、ひとつには、官僚には”<お上>は間違わない(無謬論)”という(遅くとも明治時代に形成された)伝統的なドグマがあるからです。
有名な話ですが、かつては、消防車が公務中(出動中)に人身事故を起こしても責任は問われませんでした。なぜなら、公務中の消防車は<お上>に属し、”<お上>は間違わない”のであるから、人身事故が生じても相手が悪いのであり<お上>の責任を問うことはできない・・・・単純にいうと、こういうことになります。まあ、いまの中国の官僚天国を想起していただければ実感がわくでしょう。日本の場合、官僚といえども、今は、さすがにそこまで酷くはないですが、体質という点では50歩100歩と言ってよいでしょう。
社会保険庁に象徴されるように、官僚・役人が何百億円、何兆円損をさせようとも責任をとることはまずありません。しかし、例えば国民が税金を「滞納」でもしようものなら、容赦なく追徴をくらうわけですが、これはまさに「<お上>無謬論」の裏返しですね。こういったドグマに基いて官僚らが利権構造を築き上げ湯水のようにお金を浪費した結果として、現在の国の膨大な借金が生じているともいえます。

実は、このような「<お上>無謬論」に従来の国立大学医学部付属病院も構造的に立脚していたわけで、かつて大学病院を舞台として「<お上>無謬論」に起因すると思われる(上の消防車の例に優るとも劣らない)数々の逸話が生じていたことは、皆さんご存知でしょう。厚生労働省による医療制度改革について、この点(<お上>としての大学付属病院・医局の弱体化)に関しては(大学病院に勤務し、したがって医局に属する)私も肯定的に評価しています。

一連の医療制度改革は、医療費の抑制は言うに及ばず、新研修医制度の導入、電子カルテ化の推進、DPC導入、大病院指向の是正、大病院の紹介率アップによる機能特化、療養医療・介護医療制度、等からなりますが、私個人の欲得抜きにして見ても、成功したもの、成功しそうなものはあまりないという印象ですね。逆に失敗が明らかになったもの、間違いなく失敗すると断言できるものは数多くあげることができます。
まあ、外交政策、年金制度、少子化対策、男女共同参画、等を想起してみれば、日本の官僚というのがいかに無能で、かつ無責任であるか、即座に判断できるわけで、厚生労働省もその例外ではないということです。

かようなことを考え、憤慨もし、楽しみもし、実は充実感を覚えながら仕事をしております。
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Subject:謹賀新年
From:キルドンム@実家  /Date:2007/01/03 01:18
No:5168
 今日大阪に戻って参りました。
 今年も昨年同様、御教導の程宜しくお願いいたします。
 こちらもしばらく公私ともに忙しく、あまり投稿はできないかも知れませんが・・・。
 以下は年賀状に附した拙詠。

>百敷の結のみやの松が枝も春を迎へて慶びつるかな

 なお、ウチの附属の教員から聞いたところでは幸いにも、偶然が作用して(笑)単位未履修は免れ得たとのことです。
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Subject:あけおめ、ことよろ。
From:苹@泥酔  /Date:2007/01/04 02:53
No:5170
 ↑呪文みたいな語感ゆえに却って「嫌いになれなくなる」のを、今更ながら意外と思う苹であった。こんなのを賀状用のハンコに刻ったら人格を疑われるかもな。本来なら満白になる筈の方寸にひょろひょろと浮かぶ「安計於女己止与呂」…新婚の人に「繁華」絡みの詩を揮毫して贈りたくなる気分と少しは似てるかも?
 …あれは(帯によると)94年の秋だった。リクエスト復刊で書店に並んだ岩波文庫『玉台新詠集』下巻P.43の劉遵「繁華應令」を見て以来十有余年、「繁華」と云えば男色…のイメージがネットリ絡み付いて頭から離れない(ここで私は某動物園の熊の様に頭を抱える)。そのせいで「繁華街」の語を迂闊に使えなくなった苹が居る。(以下「料理の鉄人」司会口調で)さあキルドンム様よ、デートの誘いで「繁華街」の語を使う時、せめて御令閨様の前では心許して、思う存分薄気味悪く微笑んでみるがいい!(以上の妄言は「ところで式はもう済んだ?」の近況報告催促かもよ?)
 荒間様の御多忙はどっちの筋かな。管理か実務か批判活動かそれ以外か、気にならないと云えば嘘になる。あたしゃ正直なところ、「もしや卒中か何かで入院中?」との疑いを持っていた(ゴメンナサイ)。久々の北の狼様のも、やっぱ読み応えがあっていいな(♪)。
 なにはともあれ、あけおめことよろ(…と書いてるうち正月三日を過ぎてしもた…orz)。

(余談)
 蘭様のサイトを読んだ(この場を借りて、あけおめことよろ)。「お習字の先生」との推定では事実無根かつ「余計な色が付く」から(細部のニュアンスについては神奈川「史の会」板=支援板を参照されたし↓)、この点は取り敢えず「単なる書字文化ヲタ」とでもして置く方が実像に近くなるのではないかと。あと〜当時、西尾先生のに私の稿が影響した痕跡は感じられなかったけどなあ(その後の2006.9.28日録には感じられたけど、この時はサイードの知識人観を引用・紹介しただけ)。でも、旧管理団時代以来の執拗な投稿で西尾先生が「裏を取る気になった」のなら、それはそれで有難い事でやんす(旧管理団の投稿場所提供にもあらためて感謝)。
http://f35.aaa.livedoor.jp/%7Emasa/c-board358sp2c/c-board358sp2c/c-board.cgi
 また〜国語畑・書字畑側の観点から見て、歴史教科書畑の「つくる会」が国語教科書に本格着手する前に分裂したのをどう捉えてよいか分からない。こちらは今なお、相も変わらず観察してばかり居る最中だし。
http://www.kyoiku-saisei.jp/cgi-bin/auto/mh_load.php?mode=43
 実際、「再生機構」側には気懸かりな寄稿があるのでござる(↑)。例えば第三段階の「ハ)漢字の読み書き同時学習と、筆順・止め・はねなどの細部にこだはる指導の弊害」には大いに疑問あるネ。筆順は大事あるネ。筆順指導なき平仮名指導は後々、歴史性の否定に直結する経験的な隙間を「実用の淵」で深々と温存する事になるのだぁ(引用参照↓)。現に、嘗て「な」「も」「や」「ら」等々の筆順を間違えて覚えた生徒は仮名の草略性を理解するのが困難だったし、漢字と仮名の接続を歴史的に体感する上でも彼らは高校入学前の準備が明らかに不足していた。この点が「ホ)古典学習軽視の弊害」項目と矛盾するのは云うまでもない(私が五、六年前に支援板で触れた石井式漢字学習への疑義は、上記の通り〜土屋氏の寄稿に今でもそのまま当て嵌まる)。

(参考引用)
佐伯胖・佐々木正人編『アクティブ・マインド』(東京大学出版会)P.214より。
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> 図7-1に示した事例は、五歳児がなぐり書きを擬似的に「読む」事例である。この「文章」のテーマは「呪文」であり、「呪文についての聖なることば」を読んでいる。このテーマは多分本やテレビからの引用であろうが、それぞれの文字の指差しかたと一音一音を区切って読む読み方は明らかにふだんの話しぶりとは違っている。それは、まさに文字使用の場をつくり出している。
> 場面をつくることはプレリテラシーの段階に特有なのではない。難しい漢字を想起しようとするとき、われわれは中空や手のひらに何か書いてみることが多い。佐々木はこれを「空書行動」と名付け、漢字の想起と学習過程で能動的な役割を果たすことを明らかにした。「空書」を過度の反復が生んだ随伴的な、単なるシンボルの形のなぞりと片付けることはできないだろう。「空書」は一定の順序で筆を進めるという出来事の再現を通して漢字の想起を援助するものであり、つまりそれは道具をもって紙に向かうという場面を「先行的に」つくり出す一種のアクション文字法なのではないか。
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Subject:おみびき、ことよろ
From:キルドンム@実家  /Date:2007/01/05 20:42
No:5172
 「可憐周小童、微笑摘蘭叢・・・(以下自粛)」ですか。ウーム・・・。『玉台新詠』は今向こうに置いてきて(あるいは、向こうからこちらに送り返した分の本が今朝届いたので、その中にあるかも知れませんが、いずれにせよ開けて探す気力なし)手元にないので、『先秦漢魏南北朝詩』で読み返しましたが、まああまり近づきたくはない世界というべきでしょうね(こういうことを言っている奴が一旦ハマり出すと怖いのでしょうが。そういえば、路でものすごい美少年を見かけて思わず振り返った経験が・・・)。
 『玉台新詠』中のこの手の作品は上記のものと「越人歌」(もっとも、これには女性説もある由。そこから、昔大阪には「船饅頭」というのがあったそうだとか、『ARIA』とかいう漫画を聯想せざるを得なく・・・。何言っているのだ)とを記憶していましたが、『先秦漢魏南北朝詩』を見ると、呉均の「詠少年詩」というのもあったようですね。
 「繁華應令」というからには、「繁華詩」というのを梁朝の皇族のどなたかが作られた筈。もう少し調べてみます。
 挙式を八日に控え、今実家で忙しいのか、それとも暇なのかわからない毎日を過ごしています。昨日は学部時代の友人(勿論、男性)と梅田で会い、二人で寂れかけた「繁華」街を・・・^^;
 と、あまり家内(入籍はすませました)に見せられないような話はこのくらいにして、ナントか再生機構とやらのことを少し。12月17日の岐阜でのシンポの後も職場の掲示板にビラは張られており、結局仕事納めまで八木氏のご面相を出勤日には必ず拝みつづける羽目となりました(理由も判明いたしました。ウチの偉い人がパネリストとして参加されていたそうです。となると批判は控えた方が良いのかも)。件のシンポには所用があり小生は行けませんでしたが、代わりに組合の同志が聞きに行ってくれたので、学期明け次第詳細な報告をいただく手筈になっております。まあ、本○寺勢力とも結びついていることがわかった(と書いてまたあらぬ邪推をされても困りますが^^;)だけでも大きな成果といえましょうが、いずれ八木氏とも直接対峙する日も遠くないでしょう。ぬは、ぬは、ぬはは・・・(高笑いをしながら舞台より退場)。

追記:蘭さんはご自身だけが「早く『江戸のダイナミズム』を!」と言いつづけてこられたと仰られていますが、小生も同様のことを言ってきた筈です。もっとも、こちらは他の「色々なこと」から眼をそらさせようとしてではなく、ああいうことに先生の貴重なお時間がとられることを本当に心配申し上げていたからなのですが。
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