mirror mirror

 「…んっ…はぁ……」
ギシ、ギシ……と、ベッドの軋む音。大胆に開かれたしなやかな両脚が、びくんと震えた。
 「くっ……ぅん、拓磨っ……」
 「デジル」
ギシッ、ギッ……。カーテン越しに街灯が差し込む程度の薄暗い部屋。ベッドの上には、自身に覆い被さっている男の背にしっかりと両腕を回し、眉を顰め快楽に耐える青年の姿があった。
 「拓磨、イイッ、もっと……!」
乞われるままに、男の律動が速くなる。時に突き上げる角度を変え、攻める位置を変えながら、青年──デジルの熱欲を追い上げていく。
 「やっ、ぁあ……んんっ」
 「デジル……そろそろ…っ……」
拓磨、と呼ばれた男が耳元で囁き、デジルが小さく頷いた。
 「あぅ、…っはぁ、あぁっ…拓磨、拓磨ぁあーーーーっっ!!」
 「くぅっ……!」

 嵐の後のように静まり返る室内──時折吐息とデジルの小さな啼き声が零れ落ちていたが、やがてそれも収まっていった。

 「大丈夫か?」
ようやく呼吸が整った頃、心配げな恋人のそんな問い掛けに、デジルが悪戯っぽく微笑った。
 「全然大丈夫じゃない。久し振りだからって、ちょっと張り切り過ぎだろ拓磨」
 「そ、そういう訳じゃ……」
否定もしきれず僅かに頬を赤らめる拓磨に、デジルがさも可笑しそうにクスクスと笑みを漏らす。
 「デジル!」
 「冗談だよ冗談。それに、俺も…欲しかったし」
唇にちゅ…と触れるだけのキスをくれて、デジルが嬉しそうに表情を緩めた。つられて微笑んだ拓磨の顔が、次の瞬間また少し曇った。
 「久し振り、か……ここのところ、また随分と忙しかったしな」
独り言のようにそう言って、ついつい漏らす溜め息。その唇に、今度はデジルの指先が触れる。
 「溜め息なんか吐いてちゃダメだって」
 「分かってる」

 刑事として同じ部署に配属されてからこういう関係になるまでに、あまり時間は掛からなかった。だが、仕事では常に行動を共にしているとは言っても、ふたりきりで過ごす時間は限られてくる。夜が明ければ明日もまた、休む間も無く走り回らなくてはならない。事件は待ってくれないからだ。

 「まったく、何だって毎日毎日こう事件が起きるんだか」
 「仕方がないだろ、分かっててこういう仕事を選んだんだから。それに、刑事になってなかったら、あんたとも出逢えてなかった」
言いながらデジルが、拓磨を仰向けにさせて、その上に跨る。
 「おい…」
 「まだイケるだろ?」
再び、唇が触れ合う。離れる瞬間、デジルの舌が拓磨の唇をちろりと舐めていった。
 「好きだなあお前も……大丈夫じゃないとか言ってたのは、どこのどいつだ?」
 「何言ってるんだよ、自分だって嫌いじゃないクセに」
クスクス、と声を潜めて笑い合った後、デジルが腰を浮かせ、そのまま拓磨の上へゆっくりと落としていく。
 「ん…んんっ、拓磨……気持ち、いい?」
 「ああ……凄い」
クチュリ、クチュ……と音を立てながら、デジルが腰をうねらせる。熱く甘く蕩けていく吐息。
 「ホントは、こんな事、してないで、休んだ方が、いいんだけどなっ」
 「そんなの、無理だろ…んっ、ふっ……、っ!?」
拓磨が突然腰を突き上げ、その衝撃にデジルの身体が跳ねた。
 「やっ…ダメ、拓磨っ……あぁんっ」
朝までにはもう少し時間がある。今だけはこうして、ふたりで…ふたりきりで……。
 「愛してるよ、デジル」
 「拓磨、俺も…愛してる」

 朝倉が脱獄した、という連絡が入ったのは、夕方近くなってからだった。どうやら管轄内の倉庫街に逃げ込んだらしい。
 無差別に8人を殺害し、5人に重軽傷を負わせた罪で服役中の超危険人物が相手とあって、現場周辺まで車を走らせるふたりの表情も硬い。脱獄を手引きした者が居るらしいのだが、それが誰かも現状ではまだ判っていない。
 「最初の犠牲者って、確か『道を歩いていて肩をぶつけられた』とかって…」
 「そいつを殺したら少し気分が晴れたから、次から次へと…ってな。迷惑過ぎる話だぜ」
公判中にも反省の色さえ見せず、裁判官や検事達の心象も著しく悪い上に、収容先でも問題ばかり起こしていたらしい。あまり関わりたくはない相手ではあったが、当然のことながらそうも言っていられない。

 現場では既に捜索が始まっていたが、まだ朝倉は発見出来ていなかった。デジルと拓磨も、現場の指示でそれぞれに散っていく。
 倉庫街のすぐ脇には、海。その水面に映る空の色はだんだんと濃く深くなり、辺りは夕闇に包まれつつあった。

 現場に到着してから小1時間ほど経った頃。デジルは建ち並ぶ倉庫の間をひとり歩いていた。
 目的の人物には今だあたらない。このまま夜になってしまえば、この広大な敷地の中、更に捜索は難しくなるだろう。ダメだと解ってはいても、気持ちは焦る。
 その時。
 「………?」
ふと見上げた倉庫の2階の窓に、スッ…と白っぽい影が横切るのが見えた気がした。
 まさか……。
 考えるよりも先に、デジルは走り出していた。ひとりで追うのは危険だと一瞬思いはしたが、もしもそれが朝倉ならば、連絡を取っている余裕など無い。
 倉庫の入り口に辿り着く。銃を手に、息さえ殺して中の様子を窺う。1階に人の気配は無かった。とりあえず2階へ──デジルは音を立てぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりと階段を上り始めた。

 そして、踊り場を折り返した辺りで。
 ふら。
 「何……、っ!?」
突然、視界が歪んだ。頭がくらくらとして身体を支えきれなくなり、デジルはすぐ横の壁に寄りかかると、ズルズルと崩れ落ちた。
 眩暈を覚えるのは、実はこれが初めてのことではない。ここのところ少し疲れ気味だからだろうと、あまり気にもしていなかった。だがここまで足元がふらつくのは初めてだった。こんな時に……そう思っても遅過ぎる。こめかみを押さえるが、治まる様子がない。
 「う……」
見る間に目の前が暗くなっていく。上階から近付いてくる足音が聞こえるが、頭が重く、もうそちらへ目を向ける事が出来ない。
 「……なんだ、具合が悪そうだなあ刑事さんよ」
聞き覚えのないそんな声が降ってきたような気がした。だがデジルは、そのまま意識を失った。

 じゃら……。
 鎖が触れ合う小さな音。
 「目が覚めたか?」
あまり嗅いだ事のない、香のような匂いがする。途端にデジルの脳が目覚めた。
 「っ!?」
身体を起こそうとするが、両腕の自由が利かない。ハッとして目をやると、両手首が頭の上で建物の内壁を這う配水管のひとつに固定されてしまっていた。
 「朝倉…!?」
 「自分の持ってた手錠で繋がれるってのは、どんな気分だ?」
唇を噛むデジルを見て、男がクックッと喉の奥で笑う。射るような視線。白地の蛇柄というなんとも派手なジャケットを纏った、すらりと伸びた長身。まだ若い──多分デジルよりも歳は下だろう。しかし、狂気に彩られたその瞳の奥には、深く昏い闇が広がっていた。
 この男が……。全身に緊張が走る。
 「…俺を、どうするつもりだ」
掠れたその声に、朝倉がまた笑った。
 「どうしようとオレの勝手だ」
目を細めてデジルの身体を眺めていた朝倉が、音も立てず彼に近付いた。衣服に焚き染められているものか、香の匂いが強くなる。
 「っ!!」
あごを捉えられたかと思うと、屈み込んできた朝倉の唇が、デジルのそれに重なった。突然の事に抵抗を忘れたデジルの歯列を割り、朝倉の舌がやすやすと口腔へ侵入を果たす。震える舌に朝倉のそれがねっとりと絡み付いて、デジルの呼吸が乱される。
 「ん…っふ…」
白檀のような和香の匂いが鼻腔をくすぐる。嫌な香りではなかった。危険を感じながらも、何故かデジルには突っぱねる事が出来ない。
 じゃらじゃら……唇が離れると、デジルは朝倉に腕を引かれるまま立ち上がり、壁の方へと身体を向けさせられた。
 後ろから伸びてきた朝倉の手が、背広の前を割って、ワイシャツの布地越しにデジルの胸を這う。ナイフを握り人を刺したとも思えない細い指が、突起に触れ、それを摘み上げる。デジルがピクッと小さく反応した。
 「アンタ、オトコにこういう事されるの、嫌じゃない方だろ」
 「く……」
 「むしろ好きってやつか」
いつの間にか朝倉が取り出したナイフが、シャツの合わせ目に当てられる。冷たい刃先がデジルの胸から腹にかけて踊り、シャツの前は簡単に開いた。勿論肌には傷ひとつ付いていない。
 「止め、ろ……」
勿論静止など聞かずに潜り込んできた無遠慮な手が、デジルの胸に直に触れた。その滑らかな肌触りに、朝倉が小さく感嘆の声を上げる。
 「いいねえ、刑事にしておくのが勿体無いぜ?」
 「何を…」
 「男妾にでもなった方が、似合ってるんじゃねえのか?」
ナイフの刃よりも更に冷たく、まるで氷のような朝倉の手……その指先が胸を辿り、突起をくすぐり、官能の波を送り込んでくる。
 「ぅ……朝倉、やめ……んっ!」
尻に押し付けられた朝倉の腰の辺りが、熱くなってきているのが判る。熱い吐息を耳元に感じ、デジルの身体がぶるりと大きく震えた。
 ベルトのバックルを外し、ジッパーを降ろす音が、暗い室内にやけに大きく響く。スラックスが引きずり下ろされ、両脚を割り開かれた。裸に剥かれた尻を包むその手は、まだ冷たい。窪みを撫で下ろした指が隙間に落ちてきたかと思うと、入り口をほぐすように撫で始めた。
 「は、ぁ…あ、朝倉……っ…」
 「自分が捕まえるハズの犯罪者に犯されるってのも、なかなかいいシチュエーションだと思わないか、ええ?刑事さんよ」
 「く……っ」
手とは正反対に熱い朝倉のそれがゆっくりと後ろに押し当てられ、先端がずるりと中へ入ってくる。乱暴な動きで突き上げられながら、デジルの身体はあっと言う間に朝倉を受け入れてしまった。
 「熱い、な……凄ぇ」
 「朝、倉……ぁっ…ぅん……!」
崩れ落ちてしまわないようその腰を支えながら、朝倉がゆっくりと抽送を開始した。デジルの両手が、配水管に絡み付いた手錠を握り締める。
 「やっ…あ、く……ふ、ぅ…んぁあっ」
あってはならない状況がそうさせるのか、身体の奥から沸き起こる快楽を貪るように、デジルが自らも腰をくねらせ始める。朝倉に対する憎悪も嫌悪感も湧いてこないのが不思議だと考える余裕すらも無く、彼はその行為に没頭していった。
 「あっ、はぁっ……くぅうっ……!」
 「イイぜ…ほら、もっと強請ってみせろ」
そう言うなり、朝倉が抽送の速度を上げる。律動に合わせてしごき上げられ、デジルのそれもすでに限界まで張り詰めていた。零れる先走りが朝倉の指に絡み付き、いやらしい音を立てている。
 「はぅっ…あ、もう……く、ふぅ…っ…」
 「そろそろ、イクぜ……っ!」
宣言通り、朝倉がこれが最後とばかりに激しく腰を叩きつける。肉と肉のぶつかり合う音が、静かな倉庫内に響き渡る。
 「あっ、あっ、はんっ…ぅ、ん……っ、くぅ────っ!!!」
朝倉が放出したものが、デジルの最奥を叩く。それを感じながら、デジルもまた、己の昂ぶりを解放していた。

 カチリ、と撃鉄を起こす音が、耳元に聞こえた。まだ呼吸も整っていない。いや、それ以前に、デジルの両手はいまだ拘束されたままで、抵抗など出来る筈もない。
 ああ、俺はこの男に殺されるのか………何故か、それが当然の事のように思われた。我知らず、身体が震える──恐怖のためではなかった。それは、歓喜……?
 だが。
 朝倉の動きが、それきり止まった。顔を上げると、入り口の方を睨み付けているのが視界に入る。
 「王子様の登場ってやつか。遅ぇんだよまったく」
呆れたようにそんなことを言い放ち、ふん、と鼻先で笑う。朝倉はデジルに一瞥をくれると、つまらなさそうに拳銃を放り投げ、入り口とは反対側にある窓の方へと足早に歩いていった。
 「ま、待て、朝倉っ……」
 「待てと言われて待つバカは居ねぇだろ。あばよ刑事さん」
そう言い残し、朝倉は身を翻して窓の外へと消えていった。
 待て、行く前に、俺を───
 叫び声を押し殺したデジルの耳に、金属の階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。先ほど朝倉が睨んでいた入り口に目をやる。
 「…、!!?? デジル…っ……!!!」
他ならぬ拓磨の姿が、そこにあった。
 「デジル……っ!」
 「俺の事はいいから、早く朝倉を!! あの窓から外へ……」
一瞬窓を見た拓磨の視線が、再びデジルへと戻る。
 「拓磨!!」
 「少し離れてろ」
言われるまま、腕を出来る限り伸ばして配水管から頭を離す。鈍い銃声が響き、両腕が自由になった。手錠の鎖は見事に焼き切れていた。
 「すぐに戻る」
そのまま拓磨は窓へと走り寄り、外の様子を確認すると、先刻の朝倉同様外へと飛び出していく。
 「く…朝、倉……」
ぎりぎりと締め付けられるように胸が痛んだ。その理由はデジル自身にも解らない。少なくとも拓磨を裏切り、朝倉に身を任せてしまったことに対する後悔などではなかった。

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