狂気の檻

 闇の中で、金属の鎖が冷たい光を放つ。
 その輝きを、男は静かに見つめている。
 ジャラリ。
 静まり返った部屋に、それが立てる低い音だけが響く。声も立てずに男が微笑った……自らの想像に、うっとりとした表情で。

 『PM10:54』
 無機質なデジタル時計の表示がそう告げる。
 窓の外は漆黒の闇に閉ざされ、空気には僅かに雨の気配が感じられた。

 コツコツ…と廊下から聞こえてくる、規則正しい靴音。男には、その主が誰であるのか、とっくに判っている。この数ヶ月の間、毎晩のように聞いて、耳に馴染んだその音。

 ───デジル。
 初めて見た時から、自分の心を捕らえて離さない、あの空色をした瞳……生命を賭してでも護りたいと思わせるほどの、あの鮮やかな微笑み。
 今はその全てが、男のものだった。彼は、そう確信していた。
 靴音が、部屋の前で止まる。軽いノックの音。
 「ケイジ、居る?」

 テーブルの上には、ほとんど空に近くなったブランデーのボトルと、氷の入ったグラスが無造作に置かれている。ソファがキシ、と小さく軋んだ。
 「…ん…ケイジ……」
重なった唇の端から零れる、デジルの熱い吐息…何度も繰り返す口付け。ここまでは、いつも通り。
 「ベッドへ……」
促すデジルの瞳は、淫らな欲情に濡れていた。これから自分の身に何が起きようとしているのかも知らずに。ケイジと呼ばれた男は、フ、と笑って頷いた。

 何の前触れも無く、稲妻が夜の闇を切り裂く。一瞬遅れて雷鳴が轟き、落ちた場所が近い事を知らせている。程無く、激しい雨音が聞こえてきた。三度目に稲妻が走った瞬間、ベッドサイドの薄いライトが音も無く消えた。
 「停電? ま、関係無いけど」
窓の外に目をやって何気なく呟いたデジルだったが、再び走った稲妻の光に照らされたケイジの表情に、いつもと違う『何か』を感じて、目が離せなくなった。その瞳に潜むのは、僅かな……狂気…?
 「ケイジ…何……?」
彼の問いかけに答えようとはせず、ケイジはただ、唇の端だけで微笑った。たじろぐデジルを意に介さず、突然彼の視界を奪う。
 「!?」
どこに隠し持っていたのか、滑らかなサテンの黒い布で目隠しをされたデジルは、驚きに声を震わせた。
 「何するんだよケイジ、悪い冗談は…!」
デジルの抗議は届かぬものか、ケイジが彼の両手首を左手でぐい、と掴む。
 「止めろ、離せ…」
ジャラリ、と重たい音がした。シャツの上からでも判る、冷たい金属の感触…デジルの鼓動が激しくなっていく。───鎖…?
 反射的に腕を振り解こうとするが、ケイジの力は思いの外強く、簡単に離してはくれない。ベルトのような物の感触を、頭上でベッドに押し付けられた手首に感じる。シュル…と音がして、両手首をひとまとめにしたそれが締められた。
 嫌な汗が、額に滲んでくる。ケイジがその汗に貼りついた前髪を指で払うと、たったそれだけでデジルはビクンと大きく身体を震わせる。想像していた通りの反応に、彼は満足そうに笑った。不安げなデジルの吐息を絡め取るようにして、彼の唇を奪う。
 「…やっ……」
嫌がるデジルを無視して、ケイジは貪るようなキスを繰り返す。続いて耳元、首筋…ケイジの唇が触れる度に、自由の利かないデジルの両手に力が入る。再びジャラ、と音がして、今度は首に、ベルトの感触を感じた。
 「……何を……した…?」
ケイジは答えない。雷光で暗闇に浮かび上がるデジルの姿に、狂気を秘めた眼が見入っていた。
 目隠しをされたデジルの両手首と首を、銀の鎖で繋がれた黒い革のベルトが拘束している。デジル本人は知りようも無いが、服を着たままだというのに、その姿はひどく淫らで、艶かしい。ゾクリと背筋を走る欲情に、我知らずケイジは身体を震わせる。その右手には、いつの間にかナイフが握られていた。
 鋭い刃が、デジルのシャツのボタンを留めている糸を、ひとつひとつ丁寧に切っていく。刃が肌に触れる度に、その冷たさにデジルがピク…と反応する。全て切り終えると、ケイジはそのシャツの前をそっとはだけさせる。恐怖の為か、それとも欲情の為か、うっすらと汗の浮かんだデジルの胸は、淡い桜色に染まっていた。指の腹で突起を撫で上げると、ビクンッ、と大きく反応が返ってくる。何も見えない分刺激に敏感になっているデジルの身体は、ケイジを更に喜ばせた。舌で、指で、そして唇でその突起に触れては、いちいち反応を確認する。
 「…あっ」
デジルの呼吸が荒くなっていく。その様子に、ケイジがそれを口に含んで、強く吸い上げた。
 「やっ…ぁ、ケイジ…これを……外せ…よ」
 「嫌だね」
慣れている筈のザラリとした舌の感触が、いつも以上に熱く感じられる。もう一方の乳首も指で責められ、その行為だけでデジルはイッてしまいそうになっていた。そしてケイジの唇は、彼の身体を胸から腹へ、ゆっくりと降りていく。
 デジルの耳に、雷鳴と激しい雨音の中で、ケイジが生唾を飲み込むゴクリという音だけがはっきりと聞こえた。ベルトのバックルをはずす感覚の後、ジッパーが静かに下ろされていくのが分かる。
 「ケイジ…」
名前を呼ぶ声が震えている。ジーンズの中をまさぐるその手に抵抗して両脚を閉じようとしたが、一瞬遅く、ケイジに弱みを握られ力を奪われてしまった。
 「ケイジ…っ!」
閉じようとしたデジルの左脚を片手で制し、内股を撫でる。もう一方の手の指が、熱くなり始めたデジルのそれに絡み付き、まるでギターを奏でる流麗な動きで、その熱欲を引き出していく。いつしかデジルは自ら大きく脚を開いて、その動きに酔いしれた。
 「…はぁっ、あ…あ……いや…だ、ケイジ……」
朱に染まる頬、流れ落ちる汗。自身を弄ぶケイジの両手に、縛られたままの両手を添えたデジルが、もっと激しく、と請求する。
 「…あぁ…っ、や…ぁ、は…んっ、ああ───!!」
ぶるぶると身体を震わせて、デジルが欲情の炎を吐き出す。ケイジは躊躇もせずにそれを飲み込むと、こぼれた残滓さえも美味しそうに舐めとっていった。

 「…ケイジ……」
まだ呼吸も整わないうちに、デジルはベッドの上で四つん這いにさせられていた。途中で触れたケイジのそれは、ジーンズの布地を通してでも判る程、既に熱く猛っていた。それなのに彼は、まだその凶器をデジルの中に挿入しようとはしない。
 「んっ……」
後ろから首筋に舌を這わされたデジルが、小さく震えた。その彼の耳元で、小さく唸る妖しい機械音がする。デジルの心に、不安が…いや、はっきりと恐怖心が沸き起こる。
 「ケイジ…?」
背中に彼の唇を感じ、またデジルはビクンと身体を震わせる。唇が離れると、今度は背筋に、うねうねとしたあきらかに人のものではない蠢きを感じた。それは弱まったり強まったりしながら、少しずつ尻の方へと向かっていく。
 「…ケイ、ジ…」
ケイジの手がデジルの両脚を開かせる。強引に尻をこじ開けられたかと思うと、何度もケイジ自身を受け入れてきた秘所に、その蠢く先端が押し付けられた。
 「やっ……!!」
デジルの腰が、逃れようと揺れる。ケイジはそれを許さず、手にした太いバイブレーターの先で、意地悪く秘所の回りをなぞる。
 「…んっ…ぁあ……」
尻から太腿のラインを何度も辿り、入れかけては止め、デジルの恐怖の中の期待を焦らす。いつの間にかデジルは、自分からその蠢きを誘うように、腰を震わせていた。
 そして、その蠢きが肌を離れ、デジルがホッと息をついた、瞬間。
 「あぁ───っ!!」
突然、本当に唐突に、ケイジがそれをデジルの秘所にねじ込んだ。痛みがデジルの全身を襲う。だがそれも、徐々に凄まじい快感へと変わっていく。デジルは自分の秘所を犯すその蠢きの正体を、はっきりと認識した。
 「くっ…あん、あ…ぅ」
初めて受け入れたバイブレーターが与える快楽に、切ない溜め息を吐きながら悶えるデジルを見ると、ケイジはそのスイッチを弱から強へと切り替えた。
 「いやぁ…っ!!」
デジルの尻が、ぐっと引き締まる。それはまた彼の中に、新たな快感を引き起こす。
 「はぁっ、ん…いや……ケイジ、もう…あ……っ」
ひとり乱れ続けるデジルの姿に、ケイジは満足げな笑みを浮かべている。
 窓の外ではまだ嵐が続いていた。

 責められ続け、疲れきったデジルは、力無くベッドにうつ伏せになっていた。まだ目隠しも手かせも解かれてはいない。顔だけ横に向けて大きく息をしながら、デジルは全身でケイジの様子を窺っていた。
 シャツが床に脱ぎ捨てられる音、ベルトのバックルをはずし、ジーンズのジッパーを下ろす音……激しい雨の音に混じって聞こえてくる僅かな音も、デジルは聞き逃さなかった。ケイジがゆっくりと近づいてくる。髪を撫でる柔らかな感触。そっと肩に触れる唇。デジルには見えないケイジの表情は…だが、その穏やかな行動とは裏腹に、ぞっとするような冷たい笑顔だった。
 「ケイジ…」
繋がれたままのデジルの両手首を、ケイジの手が愛しげに撫でる。外されるのを期待してデジルが長い溜め息をつく。
 「あっ…ケイジ!?」
シーツと身体の隙間に差し入れられたケイジの右手が、萎えたデジル自身をまさぐる。身体を強張らせて嫌がるデジルの反応も、今のケイジにとっては催淫剤程度にしかならない。
 「…ぁ…やめ…て……んっ」
繰り返す拒絶の言葉に反して、デジルの身体は進んでその指を求めるようになっていく。ケイジの手がそれを撫でやすいように腰を浮かし、あまつさえ自らその腰を大きく揺らす。再び尻がこじ開けられ、今度は熱いケイジ自身をそこに感じた。
 「…はぁ…ケイジ…」
その喘ぎ声を耳で味わいながら、ケイジにはデジルの中の恐怖が甘い媚へと変わっていくのが判る。瞳の奥に悦楽の笑みを浮かべ、ケイジがその危険な凶器をデジルの奥深くへと沈めていく。
 「ぅ…ああ……っ!」
バイブレーターの時よりも激しい痛みに、伏せたデジルの喉が反り返る。繋がれている両手を、掌に爪が食い込むほど強く握り締める。
 「いや…っ、ケイ…ジ……ケイジ…っ」
悶え、乱れる、淫靡な肢体。滴り落ちる汗が、その身体のラインをいっそう艶かしいものに見せている。
 「…っ、く…ふ、ぅん…んっ…」
デジル自身の先端に爪を立て、くびれをなぞり、袋を指ではじく。そうしている間にも、ケイジの固く膨らんだものは、もっと奥へ進もうと乱暴に突き上げてくる。
 「…───っ!!」
デジルが、声にならない悲鳴を上げる。犯されているというこの状況が、慣れた行為を別の快楽へと変えていく。喘ぎと溜め息を交互に吐き出しながら、デジルは身体が自分のものではなくなっていく気がしていた。
 「…やぁん…あっ……あぁ…!」
動く度に、首と両手首を繋いでいる鎖が低い音を立てる。ケイジの腰がいっそう激しく叩きつけられて、デジルは自分の中へと、熱い炎が注ぎ込まれるのを感じた。

 仰向けにされたデジルは、意識が朦朧としたまま、貪欲なケイジの舌が身体に纏わりつくのを黙って受け入れていた。疲れ果ててもう止めて欲しいと思っているのに、身体は敏感に反応して感じてしまう。直前にふたりで飲んだ、あのブランデーのせいかもしれなかった。
 ケイジの舌が、デジル自身の先端に触れる。付け根までを丹念に舐め下ろし、時折硬い歯で軽くそれを噛む。どうしようもなく淫らに揺れる腰を、唇からこぼれる熱い喘ぎや溜め息を、どうやっても止める事が出来ない。滲み出た先走りの熱い液とケイジの唾液が混ざり合い、自身をねっとりと包み込んでいる。
 「…っ、や…っ…!」
ケイジの指が、付け根をきつく締め上げる。限界まで急速に昇り詰めたデジルのそれは、ケイジの口の中で弾けた。
 息が上がった状態のデジルの両脚を肩に乗せ、ケイジは深く腰を落として、もう一度デジルの秘所を自らの楔で一気に貫いた。
 「ぁああ───っ!!」
甲高い悲鳴に、雷鳴が重なった。激しさに呼吸も忘れ、背中を反らせてそれに耐える。酸素を求めて開いた唇を、またもケイジが貪る。デジルの苦痛に歪む表情に、彼は残酷な笑みを浮かべた。
 もはやデジルには、自分が感じているものが何であるのか、判らなくなってきていた。快感も痛みも、悦びも、苦しさも…全てが絡み合い、デジルは声にならない悲鳴を上げ続けていた。
 後ろから犯した時よりも更に激しく、ケイジの身体がデジルの深いところを求めて浮き沈みする。唇だけでは飽き足らず、耳たぶにも、ベルトが納まったままの首筋にも、鎖骨にも、その全てに口付け、舌を這わせる。開き切ったデジルの両脚は肩からはずれ、今はケイジの身体を離すまいとして絡み付いている。ケイジ自身をくわえ込んだそこはデジルの意思とは無関係に、食い千切らんばかりにそれをきつく締め付ける。
 「…デジル…っ!」
名前を呼ばれたような気がした。だが、正確には聞き取れない。ケイジの身体がデジルの上でガクガクと震え、デジルは身体の奥の方で、ケイジの二度目の炎が弾けるのを感じた───

 けだるさの中で、デジルが目を覚ました。雷も雨もいつの間にか止んでいて、滴が滴り落ちる澄んだ音だけが聞こえてくる。
 重い身体を無理矢理起こし、部屋の中を見回すが、ケイジは居ない。両手首と首を繋いでいた鎖も外されている。そう言えば、視界を覆っていた黒い布も解かれていた。
 「…つ……っ」
思わず押さえた腰の痛みや、身体中に残された陵辱の痕が、昨晩のそれが嘘でも夢でもない事を物語っている。下半身に纏わりつく、ケイジの気配も……。
 ガチャ、と音を立てて、ベッドルームのドアが開いた。ハッとして身構えるデジルに、ケイジはいつも通りの表情でそこに立っていた。
 「おはようデジル、何構えてるんだ?」
その飄々とした態度に、デジルの頬がかっと熱くなる。
 「バッ……お前昨日の夜俺に何したか判ってんのかよ!?」
一気に捲し立て、肩で息をしているデジルに、ケイジは事も無げに笑った。
 「快(よ)かっただろ?」
頬どころか耳まで真っ赤に染めたデジルに、意地悪くケイジが続ける。
 「俺も二回もイッちまったけど、お前なんて……」
ニヤニヤしながら指折り数えるケイジに、デジルは思わず枕を投げつけた。ケイジはそれを軽々と受け止める。
 「このっ……スケベジジイ!!
 「また忘れた頃に犯ってやるよ」
珍しく声を上げて笑いながら部屋を出て行くケイジに、デジルもつられて苦笑する。

 だがデジルは気付いてはいなかった。ケイジの瞳の奥には、まだなお狂気が潜んでいる事に。

das Ende

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