骨身にこたえる

【漢字】骨身にこたえる
【読み】ほねみこたえる
【意味】骨までしみるように強く感じる。痛感する。
【例文1】独り身は病気になると骨身にこたえるんだよな~。
【例文2】クリスマスシーズンになると独り身は骨身にこたえる。
【例文3】徹夜の作業は骨身にこたえる。

骨身にこたえるをテーマにした記事

骨身にこたえる辛さでしたが良い体験をしました

私の住んでいる所から少し離れた場所に、大雨が降りました。
その地域は大きな被害を被り、住人が途方に暮れていると言うニュースを見たのです。
災害復興の為のボランティアを募り始め、私は近くという事もありいてもたってもいられなかったので、ボランティアに参加しました。
ボランティアの作業は、家の中に入り込んでしまった泥を外に運び出すというものです。
泥は床下の狭い所にも入り込んでいて、何度も腰をかがめて、隅っこの泥まで運び出しました。
外は夏の強い日差しが私たちボランティアたちを苦しめ、汗をこれでもかとかいて作業を進めました。
家の中の泥を運び出した後は、泥で使えなくなった家財道具を外に運び出す作業でした。
家中に泥だらけでしたので、使える家財道具はほとんどなく、運び出した家財道具はごみ捨て場行きとなりました。
これで一段落着いたので、私たちボランティアは撤収しました。
最後に家主に深々と頭を下げられ、「ありがとうございました」と何度も言ってもらえました。
災害復興のボランティアは骨身にこたえる辛い作業でしたが、人の為に役立てたという喜びを得る事が出来、とても良い体験となりました。

長い人生の中で骨身にこたえる経験

骨身にこたえる体験を人に聞くと結構みなさん良く覚えているものです。それが例え幼少のころであろうが大人になってから自分の身に起こった体験であろうがどうして人は良く覚えているのか不思議に思うことがあります。自分は不幸だと思っている人でも必ず大小かかわらずラッキーと人生の中で思った経験はあるはずなのに、なぜこんなに人は辛い出来事のほうを良く覚えているんでしょうか。以前に読んだ記事ではアドレナリンが出る体験のほうが脳によく刻まれるとか、その出来事が自分の中でまだ未解決だから何度も思い出して忘れないようにしているとかいろいろありましたが、なんだかそんな言葉では片付けられない体験だと思います。例えば同じひどく叱られた体験があったとして、ひとつは
子供の頃いたずらをして親にひどく叱られたのと、もう一つは大人になってミスを上司に叱られたとします。子供のころの叱られた経験は飲みながら「そういえば昔…」なんて笑いながら話せますが、後者のほうはなんとなくそんな感じにはなれません。子供の頃は自分が子供だったから仕方がないという完了の出来事に対して、後者はミスはミスだけどあれは理由があってと、と自分の中で納得がいかないんですよね。両方ともよく骨身にこたえる経験であったはずなのに本当に人間って不思議です。そんな経験をスパッと忘れてしまう方法があったらいいなと思います。

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