労を惜しまない

【漢字】労を惜しまない
【読み】ろうをおしまない
【意味】苦労を嫌だと思わず、一生懸命になる。
【例文1】彼女は労を惜しまず勉強したから、首席で卒業した。
【例文2】家族のためなら労を惜しまない。
【例文3】レギュラーの座を勝ち取るため労を惜しまない。

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努力に労を惜しまない

今大学生で、高校からしていたスポーツでハンドボールをしています。高校の時に初心者だったので中学時代からハンドボールをしていた人には、技術のスタートが違いました。中学校からしていた経験者は初めから1軍に出ていたので羨ましいなと思って自分も負けないように頑張ろうと燃えました。
初心者だったので、人一倍の努力が必要だったので、毎日練習が終わった後も自主練で技術を磨いていました。自主練は他の人もしていたので家でも筋トレを欠かさず毎日しました。私の高校時代のハンドボール部の部員は50人くらいいて試合でコートに立つには相当の努力が必要だったからです。毎日コツコツしていった結果、私は、高校2年生から試合で出られるようになりました。大学になってもその努力したことは自分の糧になっていて、大学でもスタートメンバーとして出場しています。私は人と同じだけ努力をしても人を追い越すことは才能がない限り難しいと思います。だから、私はどんなにキツいことでも、人よりも2倍、3倍と労を惜しまないで努力をすることが大切だと思います。すぐには結果は出なくとも自ずと結果がついてきます。今、スポーツで悩んでいる方は人の倍、労を惜しまないという気持ちで自分に厳しくして努力しましょう。

労を惜しまない、という「労」とは何か?

見返りや将来性のないものをその行き止まりまで見に行くのか、それとも途中で見切りをつけるのか、或いは端からあきらめてスタートラインにさえ立たないのか。
多様な生き方が求められる現代において、導き出す選択は、どの道を進もうが戻ろうがすべて自己責任なのである。
人は誰だって好んで苦労はしたくないだろう。面倒なことほど避けて通りたいのが本音だ。
「労を惜しまない」というコトバがある。苦労することを厭わずに、熱心に取り組むこと。またはそのさま。という意味だ。
先ほども記したような現代の考え方には、もう、そぐわないのかもしれない。「そんな精神論、流行らないよ」「結果が全てさ」と、後ろ指をさされて嗤われるかもしれない。
しかし、そのような時代だからこそ、このマイノリティに押しやられた古くさいボロボロの解れかけたコトバが光り輝き、仕事やプライベートにおける様々な人間関係を、より充実させるための何かヒントになる、本質のようなものが隠されている気がしてならないのだ。
時には、思いやりや優しさのようなものであり、また、時には、熱意や情熱のようなものでもある。
これくらいでいいだろ?こんなものでいいだろ?そこに出来上がったのは、これくらいで、こんなものだ。
労を惜しまない、という「労」とは、今、この時代を生きる上でチャンスをつかむための、クオリティの高いコトバ・表現に思えるから不思議だ。

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