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タイトルわかって!隊長さん旅行記
投稿日: 2004/07/15(Thu) 09:40
投稿者万歳山椒魚(旧BBS)
URLhttp://www8.tok2.com/home2/aramar88/
「わかって!」の隊長さんの旅行記

 投稿者:管理人転載 投稿日:2003/11/03(Mon) 14:18 No.13

この随筆はi勝手支部内・若手サイトの「わかって!」掲示板に投稿されていたものです。
内容の質・面白味ともに水準が高かったので、[うぇっぶだいありぃ]に転載し保管します。

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/Sub:144] 京都に中西先生を訪ねて
                 / 万歳山椒魚@隊長 / Date:2003/06/23 11:20

 中西輝政先生の講演会を拝聴するため京都に行った。学生の貧乏旅行だから、東京から京都へと辿りつくためには東海道本線の鈍行を乗り継いでいかねばならなかった。青春18切符が発行される季節ではまだないので普通乗車券を買っての文字どおり小さな旅。レールを踏む車輪の心地よいリズムに耳を傾けながら本を読み、久々にゆったりとした時間を満喫できたのだが、隣り合わせたご老人がおっしゃるに「昔はもっとゆったりしていた」とのこと。昔の時間はどれだけゆったり流れていたのだろう。そんなことを考えながら、何度も思い出したのは夏目漱石『三四郎』の一節だった。

……九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるので……

汽車の針路は三四郎とは正反対だが、静岡を過ぎたあたりからだろうか、古都に近付くにつれ女の色が白くなっていくのは本当だと実感。京大阪を過ぎるとまた黒くなっていくのかしらん。さまざまなことを思いめぐらし、車窓から見える景色を楽しんでいるうちに、名古屋の手前あたりから暗くなってしまったものだから、せっかくの鈍行の旅はとたんに退屈なものになってしまった。目が疲れていたので本を読む気にもなれず、かといって話し相手もいない。ぼうっとしているまにも汽車は進んでいき、大垣に到着したのは夜の10時近くだった。ここまでくればひと安心と明日合流する予定の某氏に電話で連絡をいれる。京都に近付く心境を嬉々として岩田君に伝えたのもここ大垣だった。大垣から米原に向かい、そこで乗り換えれば、あとは京都に着くばかり。日付けも変わった午前零時11分、万歳山椒魚はついに上洛した。9時間と少し、かかった。

会場の商工会議所に着いたのは、その日の午後2時30分であった。午後3時、予定通りに開演した。以下は講演会の骨子である。

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歴史観という問題は日本の再生どころか生存に関わる問題です。したがって教科書の採択は、非常に大事な選択であります。

さて、21世紀は戦後の終わりであり、何より20世紀の終わりを画する世紀です。常識が全部変わってきています。今が歴史の分かれ道なのです。なのに、日本はまったく逆の方向に向かおうとしています。そこで、世界の見方、本来の歴史の見方について考えねばなりません。

歴史観とは現在と将来に関わる問題であり、一番大切なのは「真実」を見る目であります。ちなみにイラク戦争の真の問題とは、「20世紀が終わった」ということであります。今回の戦争におけるアメリカの決断が示していることは、「自衛戦争であれば国連決議の有無に関わらず正統」であるということです。大事なことは、自衛戦争であるということが正統性の根拠になりうるということです。

ところで、自衛戦争であると判断するのは一体誰なのでしょうか。歴史における政治的文脈において考えてみたいと思います。1928年にパリ不戦条約が締結されました。世にいうケロッグ・ブリアン条約であります。これは、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄を訴えています。つまり、自衛戦争に関しては問題にされていないのです。東京裁判において、日本が訴追された根拠はこのパリ不戦条約でしたが、日本側弁護団は、日本の行動は「自衛戦争」であると反論したのです。結局受け入れられませんでしたが、しかしケロッグはこう申しておるのですよ。「自衛戦争であるかどうかの判断基準は各主権国家が決めることだ」と。これが今に至るまで国際社会の根本構造、国際社会の常識であります。多くの日本人が誤解していますが、国連は「話し合い」の場に過ぎません。国連憲章は集団自衛権について言及していますが、この自衛権の範囲についてはそれぞれの国の政治判断に任されているのです。今回のイラク戦は大東亜戦争の解釈にも大きな影響を及ぼすことになるでしょう。

イラク戦は善悪の戦争ではありません。国連が絶対的善を体現していないことを知らねばなりません。21世紀はこれまでは違う世紀になります。グローバリゼーションと言われていますが、アメリカも日本もみな一国主義、国益を優先することになるでしょう。小泉首相という方は経済政策に関してはまったく駄目で早く辞めていただきたいのですが(笑)、これまでの対アメリカ発言に関して言えば、21世紀を先取りしているという点で評価できます。

20世紀は1901年に始まったのではありません。1914年あるいは1917年に始まったのです。1914年は第一次大戦勃発の年。1917年は革命の始まった年です。つまり、20世紀は大戦争と革命の世紀だったのです。

20世紀にはふたつの世界大戦がありました。第一次大戦では2500万から3000万人もの人が、第二次大戦では6000万人が亡くなりました。ふたつの世界大戦の後には冷戦がありましたが、米ソの直接対決はなかったものの各地で代理戦争が頻発し結局4000万人が亡くなったといわれています。冷戦は一種の世界大戦であり、いわば第三次世界大戦だったのです。この第三次世界大戦に日本は無関係を決め込みました。

また20世紀はカルトを人々が信じ世界史を動かしてきた時代でもありました。世界中の実に多くの人々が共産主義に影響を受けたのです。さて、共産主義の恐ろしさは、その戦略論の卓抜さにあります。レーニン主義の戦略論には非常にしたたかなものがあるのです。これはつまり、中国や朝鮮の外交を甘く見てはいけないということです。彼らの老練さには確かに古来からの権謀術数の伝統が認められますが、それだけではないのです。そして、この社会主義というものに日本人の多くが影響を受けてきたのです。

問題は、それに対し保守がどんどん妥協したことでした。昭和21年2月、外務省の庭でのことです。ホイットニーとケージスが吉田茂らにこう語ったといいます。「(空を見上げて)太陽の暖かさは原子エネルギーの恩恵ですね」。そして丁度そのとき、B25爆撃機が皇居の真上を飛んでいったのです。彼らの言わんとしていることは馬鹿でない限り理解できるでしょう。つまり、「アメリカの作った憲法をのまなきゃ皇室の存続が危ないよ」と暗に脅しをかけているのであります。天皇制の護持が当時の日本人にとって大前提でした。ですから、1条と9条には交換取引が存在するということを知らねばなりません(※註:「戦争放棄の条文をのむから国体護持の条文を入れてくれ」という日本の要求と、「国体護持の条文を入れてやるから戦争放棄の条文を入れろよ」というアメリカの要求の交換)。したがって日本は憲法をのむことになる。

しかしこれが当時の日本国民のいつわらざる真情であったのでしょう。当時はその日暮らしが精一杯でとても憲法どころじゃなかった。憲法に関してはまったく議論がなされず、国会は皇室の存続という項目があるだけで憲法を承認したのです。しかし、大事なことは、当時の誰もが事後改正を期していたということです。ですが後になって憲法改正を妨害した人物がいます。それが吉田です。芦田や鳩山を、自分にかつて逆らったという、いわゆる永田町の論理でつぶしたのです。彼の功罪は相半ばするのでしょうね。功は経済政策に関するもので、吉田学校の池田勇人をはじめとする人間が日本の経済を成長させた。しかし、吉田茂の功の部分を呑気に論じる時代は終わったのです。経済成長の要素は「国民の総合力」であります。「国民の総合力」とはつまり、国家の完結した力、民族的意識、民族的自立のことでありましょう。日本は戦後に大きな成長を遂げたにも関わらず、かような成長の原因を考えませんでした。かくして日本人は今になって大きく出遅れることになったのです。「国民の総合力」を踏まえた上で、技術を結び付けるのが21世紀の経済の基本条件となっています。小泉内閣のしているような、単なるシステムの改革が成長につながるわけがないのです。

グローバリゼーションは終わるでしょう。近代国家は、そんな簡単に崩れるほど弱くはありません。国際会議を見れば分かるように、グローバル・スタンダードが進む世界において各国がそれぞれのスタンダードを押し付けようと必死です。19世紀半ばにヨーロッパ各国が拒否したのは、アダム・スミスの価値観にのっとり世界に進出するイギリスのグローバル・スタンダードでした。彼らはイギリスに抗して一国経済を主張します。この時期の著名な学者には、ドイツのフリードリヒ・リスト、アメリカのアレクサンダー・ハミルトンらが挙げられます。余談になりますが、一国経済を主張するハミルトンがアメリカ人であるということからも分かる通り、「アメリカくらい一国経済の国もない」という声も現に聞かれるのです。アメリカはもともと入国管理が非常に厳しく、これは何も9・11に始まったことではないのです。話を戻しましょう。イギリスの推し進めてきたグローバリゼーションは、20世紀初頭、だいたい20年代から30年代までに終わってきている。そして、それ以降の世界は「グローバリゼーション→反グローバリゼーション→再グローバリゼーション」という周期で動いていきます。そして、レーガン・サッチャー時代に再び始まったグローバリゼーションが、今終わりつつあるのです。イラク戦争がこの現状を象徴しています。

注意せねばならないのは、アメリカはおろかヨーロッパも一国主義の立場を採っているということです。主にフランスとドイツがアメリカに強く反対したのは、彼らの中にふたつの懸念があったからです。ひとつは、アメリカの強大化がEU統一を邪魔するのではないかという懸念。もうひとつは、イラク戦をてこにアメリカがEUに対する影響力を強めるのではないかという懸念です。その一方で、アメリカのイラク攻撃を支持したヨーロッパ有志連合の顔ぶれを見てみると、これが非常に面白い。イギリス、スペイン、イタリア、オランダ、スウェーデンですが、特にイタリア、オランダ、スウェーデンの参加が面白いのです。彼らはあることに悩んでいるのですが、それが実は「ドイツとフランスによるEUの独占」なのです。彼らは独仏にEUを牛耳られるのは嫌なのです。今回のイラク攻撃に支持を表明したのは、アメリカを引き入れることでEUにおける独仏の影響力を弱めようとする意図が、彼らの中にあったからなのです。

(つづく)


/Subject:145] 京都に中西先生を訪ねて その2
                  /万歳山椒魚@隊長 /Date:2003/06/24 11:26

「韓信の股くぐり(※註:韓信は劉邦の部下で漢の天下統一に貢献した人物。まだ彼が貧しかった頃、淮陰の市中で若者の侮辱に耐え、その股をくぐったという逸話にちなむ。)」という言葉が、上に述べた3ヶ国の姿勢に最もよくあてはまるのではないでしょうか。彼らは独仏の力を弱めるためにアメリカの力を借りようとしているのです。独仏がアメリカの進出に困っているのは、そのためなんですね。アメリカの勢力伸長に困る国は、独仏のみならず、これからもたくさん出てくると思われます。アメリカの予測によれば、2020年までに、中国は経済のみならず政治、安全保障における姿勢を強めるであろうとのこと、これに関してはケ小平もはっきりとその意志を発言しています。ロシアもいずれ超大国になりアメリカとの距離を置こうとしています。このような設計図を描く中国やロシアにとって、アメリカの拡大は好ましく見えるはずがありません。

東アジア情勢に話を進めていきたいと思います。中国の様子を見るに、ご承知のこととは思いますが、アメリカは中国と台湾の双方を牽制しています。すなわち、中国に対しては「武力行使するな」と言い、台湾には「下手に独立の動きを見せて不用意に中国を刺激するな」と言っているのです。昨今の北朝鮮問題にしても、これをアジアの動向の一部分として見ることが求められています。

21世紀アジアは「アメリカよさようなら、中国よこんにちは」という流れになるかもしれません。現に、韓国の主な貿易相手国はアメリカから中国へと移っています。アメリカより中国に留学する若者も増えているといいます。しかしながら、日本は、中国の覇権を認めるわけにはまいりません。日本人は聖徳太子以来、対中対等外交を行ってきたという歴史を有していますし、日本が中国圏の国でないことは、心せねばなりません。

ここで、中国人の性質について触れておきましょう。彼らは数字、事実、法よりも人間の道徳すなわち心を重んじます。これは裏を返せば、人間の道徳があれば数字、事実、法なんかどうでもいいんだと思う国が中国だということです。ひるがえって日本人は事実や法を重んじます。中国人は日本人のかような性格に文句をつけますが、これはむしろ褒め言葉と受け取ったほうが適切でしょう(笑)。日本のほうが、西欧近代に比較的近いといえるかもしれません。政治が事実に優先するという中国人の考えをなんというか。「政治主義」というのです。日中戦争で日本が中国に与えた被害は、最初のうちは死者1000万人、被害総額500億ドルとされていましたが、これは次第に上方修正されていきます。田中内閣のとき、主としてODAに対する期待からですが、死者は2200万人、被害総額は1000億ドルにまで膨れ上がりました。そして中国が高度成長を迎え、早稲田に江沢民が来たとき、彼は死者3500万人、被害総額5600億ドルと発言しました。しかし、この数字には統計がありません。歴史的証拠も存在しません。が、中国にとっては、数字、事実、法なんかどうでもいいのです。そして、かような中国の主張に異議を唱えても、返ってくるのは「(そのような意見は)日中友好の対極に傷をつける」という決まり文句ばかり。中国の古典である『春秋』の左氏伝を読むと中国人の価値観がよく分かります。この本は、ある人物が嘘をついていたということを暴いています。しかし、暴いたからといってその嘘を否定するわけではありません。堂々とその嘘を肯定しているのです。すなわち嘘は道徳であると。これが歴史の書き方なのだと。この本は中国人の価値観を道徳律として示しているのですね。ですから、中国人が約束を破るようなことがあったら、気にせず「ああ、またか」と思うことが肝要かと思います。

韓国人についても触れておきましょう。さきごろ日本海の呼称をめぐって少しゴタゴタがありました。そもそも日本海という呼称は西洋人が付けた名称であって、日本人は何の関与もしていないのです。が、韓国はいちゃもんをつけてきました。私はこの出来事を見て「ああ、韓国の勇み足だな」と思いました。韓国は、とりあえず何か言ってみる、ということをします。とりあえず何か言ってみると、何の証拠も根拠もないはずなのに、何故だか日本は、反論してこないどころか謝ってくる。どうしてだか分からないが、とりあえず言ってみると利益があるので、とにかく文句をつけてみる。韓国人にはかような「だめもと精神」というのが存在するのです。竹島問題も似たようなものでしょう。なぜマスコミは大事な情報を伝えようとしないのでしょうか。日本のマスコミはうっすらと薄いベールに包まれています。

さて、そろそろ話を大枠に戻そうと思います。21世紀の世界情勢において、各国家は “back to the basic” すなわち基本に返ろうとしています。基本とはすなわち、西洋に端を発する「力と国益」のふたつであります。国際協調がまったくの嘘っぱちであるとは私は考えませんが、ただし、国際協調は先に述べた「力と国益」を前提とした2次的要因であって、その上にかかる外皮のようなものであると考えます。最近の出来事を見るに、どれも大規模な戦争には発展しなかったものの、各国が比較的簡単にレベルの低い軍事力を行使する時代がやってまいりました。


/Subject:146] 京都に中西先生を訪ねて その3(おわり)
                 /万歳山椒魚@隊長 /Date:2003/06/24 14:12

「(拉致されて)最初は抵抗したが、招待所で反日映画ばかり見せられるうちに、自分も北朝鮮のために協力しようという気持ちが生じた」

上の発言は蓮池薫さんによるものですが、非常に大事なことを示しています。人質が次第に犯人に同情するようになることをストックホルム症状といいますが、それよりも何よりも、歴史教育の恐ろしさを示しているからです。

いったい歴史観とは何ぞや。この問いかけに答えることは、根底に正しい国家観を持つことにも、日本の自画像を把握することにもつながってきますから大事です。蓮池薫さんのお兄さん、透さんが記者会見において次のような発言をされました。

「日本国民が拉致されたのだからメディアは北朝鮮に対し『返せ』といって当然ではなかったのか」

透さんが示されたことは、すなわち『我らは同じ船に乗る運命共同体である』と考え『同胞意識』を持つという国家観です。

米中朝の会議に日本と韓国は参加できませんでしたが、今回はそれでよかったと思います。いま米中には深い対立があります。アメリカ政府内に「北朝鮮を生かしているのは中国だ」という声があるからです。そして中国はというと、8月の小泉訪朝を示唆しています。ある北京の御用学者が『日中接近と外交革命』なる論文を先ごろものしましたが、その中に「対日接近外交こそ中国の進むべき道である」という主張があるのです。気になるのは「外交革命」という用語ですが、現代史において、それは2回ありました。1回目は英仏を孤立させた独ソ不可侵条約、2回目はソ連を孤立させたキッシンジャー米中協調です。すなわち、中国は3回目の外交革命をやろうとしているのです。日本と結んでアメリカを孤立させようという点に彼らの狙いはあるのです。小泉首相の参拝は、前倒しされましたが、とにかく参拝したという事実を残した点で、私がこれを評価しているのは以上の理由からなのです。

国民意識の「底流」が大きく動いています。しかし日本の現状は、中枢に行けば行くほど現実とかけ離れていて、幕末の日本を彷彿とさせます。(京都に住んでいる)私の目から見れば、東京に行けば行くほど「春風駘蕩」です。地方分権のための三位一体が言われていますが、それより、分解しつつある日本本体のほうが優先すべき問題ではないかと思うのです。とにかく、権力中枢に近いほど危機感の質が違ってくる。そして、指導者の危機はなにかといえば、彼らに歴史観が欠如しているということです。

根底のところで、歴史は絶えず変化してやまないものですが、人間は歴史から学ばねばなりません。そのためには歴史書を選ばなければならず、そして歴史を身に染み込ませるようにせねばならないのです。その際に考えねばならないことは、今の価値観から見れば「とうてい変わりそうにない」と思うことも突然変わることがある、ということです。ですから、現在の価値観を未来に投影するようなことは慎まねばなりません。かような歴史観を「直線史観」「進歩史観」というのです。例えば、少子高齢化が問題になっていますが、これに関しては出生率がある時期を境に劇的に変化したことがこれまで何度もありました。(歴史予測に対して)歴史が勝ったのです。ですから、少子化の長期予測は必ず外れています。なぜなら、歴史のトレンドとは常に断層的に変化するものだからです。

歴史を断層的に変化させた代表的な人物にド・ゴールが挙げられます。1950年代も終わりに近づく頃、納税拒否騒動がフランスで起きました。この事件に代表されるように、当時のフランスは義務が看過され権利ばかりが主張される世の中でした。教育も家族も解体されつつあり、殺伐とした社会だったのです。ここでド・ゴールは立ち上がり、憲法の全廃を主張します。そして全廃が達成されなければ「俺はもう政界に出ない」と発言して、憲法全廃を押し通したのです。結果として、これがフランスの現在の独自外交を可能ならしめている。これが政治家の指導力というものですが、面白いのは、同時期に国民の中からも「左傾化した国家」に対する反発が出てきたということです。中でも、保守派が「家族の価値」の復権を強調することによって、左の人間も右に動いたということでした。この流れの中でフランスは核武装し、不思議と経済も出生率も伸びたのです。繰り返しますが、歴史予測が外れるのは歴史が断層的に変化するからです。サッチャーやレーガンの改革は一見して経済改革ですが、実際に取り組んできたのは家族の復権など、価値の見直しだったのです。

悲観的になっている日本人に対して主張したいことは、「歴史は変わる」ということです。そして何より大事なことは、(自分たちで)「歴史を変える」のだという意志を持つことです。歴史は繰り返します、深い意味で。なぜなら、歴史の主人公が人間だからです。「満つれば欠くる」の大きな趨勢を読むことが大事です。歴史を動かすのは人間の「心」であって「物」ではないのです。

最後に、大事にせねばならない3つのバランスについて述べたいと思います。

1、心と物のバランス

歴史を動かすのは人間の「心」であって「物」ではないとは、先ほども申し上げましたし、ヨーロッパの政治改革がシステムではなく「家族」などの価値を扱ったことも、すでに述べたとおりです。反対に言えば、この国の活力が「物」に傾斜してしまったので、かえって何も生まれなくなってしまった。これが日本の現状ではないでしょうか。

2、進歩と伝統のバランス

伝統を堂々と主張できる価値観が今後は大切になっていきます。「古い」ことが「悪い」となってしまったのが、戦後の日本でした。

3、個人と共同体のバランス

この日本において最小の共同体は「家族」です。「家族」の価値を再確認しなければいけません。教育改革の話をしましたが、これは今の子供のためだけにあるのではなく、未来の子供のため、そして大人のためにもあるです。

世界がEnd of Globalisation した時が21世紀の始まりです。これまでの日本は、すべてモノ、制度、構造で考えてきたから間違ってきたのです。まずは価値観の転換を行わなければ改革は意味がないのです。何より、価値観の転換は、予算がかからないじゃありませんか。左の人間が右に移り始めたという先ほどのフランスの事例を踏まえて、やはり誰の体にもストンとくる言葉があるのだということを最後に協調して、お話を終わります(拍手喝采)。

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拍手は先生が会場を退出なさるまで鳴り止まなかった。僕が感銘を受けたのは、中西先生がちっとも「憂国」していないということだ。先生は、将来の日本を考えるにあたって何が大切か、明確なヴィジョンをきちんと示してくださった。何より重要なことは、国際政治史の文脈における21世紀日本の位置を示しつつ、我々が「歴史を変える」のだという、保守の主体性の在り方を提示してくださったからだ。保守の主体性に関する議論は、今までの保守論壇では、ありそうでない議論だった。保守の主体性。これは、おそらく何十年間という長きにわたって異端扱いされてきた保守論壇が、忘れてはいないにせよ、なかば諦めかけていた観念ではないか。保守論壇の、左を取り込むダイナミズムという観点は、実に新鮮であった。僕はぶるっと震えた。はるばる京都まで来たかいがあったと思った。小林よしのり氏は中西先生に「歴史を学べ」と言った。僕はこの台詞を忘れないでおこうと思う。

集まった人々は大体200人ぐらいだったろうか。もっといたかもしれない。講演会の後、総じてみんないい表情をしておられた。中には、スポーツで心地よい汗をかいた後のような、いくぶん上気した顔色の方も見受けられた。つくる会京都支部の方も、みなさんとても明るい顔で、控え室に満ちていた笑顔と元気が印象的であった。これみな中西先生の人徳である。

(おわり)


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