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タイトルRe: 「国民の文明史」について
投稿日: 2004/12/25(Sat) 17:22
投稿者キルドンム (山椒庵)
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[849] >M78様へ 投稿者:キルドンム 投稿日:2004/03/22(Mon) 17:55

 『国民の文明史』評、拝読申し上げております。今後、主力を「応援板」等に移そうと思っておりますが、こちらの方も決して見捨てるつもりはありませんから、何卒御安心を。
 小生は、学生時代(学部・院)一応「哲学」専攻ということになっていましたが、確かに(狭義の)これについて論じるのは、非常にやりにくさを感じます(というより、さっぱりわからない)。仕方がないので、「哲学」という言葉を「思想史」と読み替えて、「思想史も歴史のうち」と開き直っておりました/おりますが、その意味では貴殿のなされているのも決して哲学とは無縁ではないと拝察致しますが、いかがでしょうか?
 貴稿への感想は、後でまとめて申し上げますが、取り敢えずひとつだけ。「日本文明がはたして中華文明と並ぶ大文明かどうか」といったことについては貴殿と同意見ですが、「蒙古文明、朝鮮文明、ベトナム文明」という呼称自体にやや違和感を覚えます。文明と文化という言葉の使い分けが論者によっては曖昧な傾向があるようですが、その点どうお思いですか(『国民の歴史』では、はっきりとした言い方はしていないものの、事実上の区別はなされているようです)。
 すぐに御返事を頂かなくても結構です。「〈文明史〉評」の完成、頑張って下さい。

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[850] 日本文明=「神道文明」か? 投稿者:M78 投稿日:2004/03/23(Tue) 15:34

キルドンムさんへ。

中西輝政氏は、「国民の文明史」の第二章で述べていますね。
<文明は歴史を著述する単位。三つの歴史への見方。一、人間の精神、その集合体が歴史を動かす主要な契機である。二、文明に着目して歴史を論じることの意義は、進歩や発展が見られるべきものである。文明論とは、歴史の進歩の趨勢を明らかにする点にあるという進歩主義的な見方。三、文明の進歩には、普遍的な流れがありうる。>とした上で、中西氏は普遍文明はないという最近に考え方に、同意している。
<文明とは、歴史を動かす単位。ヨーロッパという地域が、文明でもあり、筋の通った歴史が書ける最大の単位である。文明体の内的構造について。政治と経済、社会の動き、それらを下から支えている文化、芸術、宗教、思想、哲学。そのさらに底に精神とか文明の魂の次元がある。>

わたしは、第一章でハンチントンの主要文明。「西欧キリスト教文明、ロシア正教、イスラム、ヒンズー、中華、日本、中南米ラテンアメリカ」を見た時、中南米が唐突な感じがした。また、アフリカ大陸について、独自の文明がない、あるいは抹殺されたのが気になった。そして、これは結局、宗教的分類だと思った。ローマ帝国が東西に分裂し、西からは西欧キリスト教文明が興り、東からはギリシア正教、ロシア正教が興った。そして、中東からアフリカ北岸、中央アジア、インドネシアまで、イスラム教が広がり、インドはイスラム教に対抗してヒンズー教を特徴とする。中国は、オリジナルなものとして儒教、そして道教を持ち、インドから仏教を取り入れ、中国化した。日本については、中国の影響を受け、儒、道、仏が伝来したのだが、日本風に換骨奪胎され、おおもとに「神道」なるわけのわからないものがある。特に、WW2の日米戦争では、国家神道なるイデオロギーで、国民を集約した。そう考えると、日本文明が独立したように考えられる。わたしは、それならユダヤ教を信仰するイスラエルも、一国で一文明なのではないかと申請したい。また、仏教徒のわたしにとっては、中学生の時、世界の三大宗教、キリスト教、イスラム教、仏教と習ったので、チベット、スリランカ、タイなどを仏教文明と呼べないか?という不満もある。一つ付け加えれば、西欧キリスト文明をカトリックとプロテスタントにわけるべきではないかという気もする。

中西氏は、本の中で、ヨーロッパとアジアの違いについて、アジア各国の国境線は、中国北部を除いて、ずっと固定されており、東南アジアでも、隣国と言葉が大きく違うし、独自の文字が使われていて、互いに交流できない。西欧は、同じアルファベットを使い、言語的にも非常に近いと述べている。そうとすれば、言語、文字の共通性が大事とも考えられる。すると、日本の仮名は、もとは漢字だとしても、表音文字であるから、漢字とはまったく異なるものになっている。韓国には、ハングル文字がある。蒙古、女真、契丹などにも独自の文字があったのではなかったかと、記憶しているのだが。また、ベトナムなどにも独自の文字があるようだし。そう考えると、中華文明の周辺文明である中、小文明として、日本、朝鮮、蒙古、ベトナムなどを一国、一小文明として考えられのではないかと思ったのである。日本については、中文明くらいかなと考えている。
日本がスリランカ等とともに、仏教文明をなすようになるのが、わたしの理想、妄想なのだが。わたしが、日本文明を、一つの大文明と位置づけたくないという、その心理は、日本文明=神の国、日本が「神道文明」であるという論理をそこに感じとってしまうからである。わたしとしては、日本=仏教国、仏教文明の一員であって欲しいという、はかなき望みを持っているのである。

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[851] 日本文明=習合文明? 投稿者:マイケランジェロ 投稿日:2004/03/23(Tue) 16:38

>M78さま。以前お話ししましたけど私の家系は神道です。「神道」って「お祭り」を行うんですよ。そして江戸時代は「朱子学」が官学でした。これは時代時代によって違うと思いますが,仏教の時代があったことは間違いないと思います。そして「神仏習合」時代。

私は日本文明は「習合文明」だと思います。この中には「神道」「仏教」「儒教」場合によっては「キリスト教」。問題は他国から入った宗教を「十分に自分たちのものにしているかどうか」だと思います。

ところで話は変わりますが,「i日録感想房」で西尾先生の言葉じりを捉えて「経済学の教科書を読んで下さい。」という投稿がありました。度胸のある人ですよね。半分ジョーク混じりに投稿しておきましたが,M78さまも「経済論」を投稿してはいかがですか?

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[853] 国民の文明史、その六 投稿者:M78 投稿日:2004/03/24(Wed) 00:30

第三章 日本文明史に見る「超システム」現象

<山本の日本「周辺文明」論
山本の論。「ロシア文明と日本文明は、それぞれビザンツと隋唐以後の中国文明の周辺文明として出発した。完全な脱却をとげたならば、大文明になったのだが、そうとも言いきれない。その後、ロシア、日本とも、西洋文明の周辺文明に転落した。」
バグビーの論。「日本文明は、中国の基礎的制度の多くを欠いていたのだから、中国文明の一部ではない。中国から書法や芸術様式や仏教の中国的形態を借用してきたのだから、中国文明の周辺文明をなしている。前世紀には、西欧からの広範囲な借用も行なわれた。それにもかかわらず、日本文明は、大文明に似ている。」
日本には、「宗教としての儒教」はなかった。男系の相続社会をつくらなかったことは、朝鮮・ベトナムと比べ、日本文明と中国文明の本質的な距離の遠さを示すもの。>

日本では確かに、宗教としての儒教ではなく、為政者、武士の規範としての儒学として、換骨奪胎されたのかもしれない。神道は、仏教、道教、儒教、キリスト教などを、換骨奪胎のやり方で受け入れた。神仏習合などで、一柱の神として仏教を消化しようとしたのかもしれない。儒教は、哲学、あるいは道徳として、道教は占い、陰陽道として、受け入れたのかもしれない。一神教であるキリスト教の排他性は、換骨奪胎と激しく矛盾するので、日本の社会は拒絶しているのかもしれない。韓国でキリスト教が、非常に広く受け入れられているのと対照的であるが、おそらくその違いは、神道の存在だろう。

<「菊と刀」は占領政策の産物。文明史的観点を欠いた日本特殊論。西洋文化は普遍的であり、日本文化は非常に特異な文化であるかを言い立てる。>

わたしにも、どうしても西洋文化を普遍的にとらえがちな欠点がある。しかし、宗教、道徳、日本精神については、神道に絶対者がいない事に関連する、西洋にも、東洋にも見られない特殊な精神上の問題が、日本には存在すると思う。それは、世界でも類を見ない特殊性だと思う。

<日本文明の二つの契機。
日本人は、現状に満足すると、行動力を失い、イモビリズムに陥るという特質がある。世の中が平和で満ち足りた縄文的な時代においては、日本人は和の文化を重んじ、共生を志向し、集団制が高まる。対決的ではない、母系的な「女性的な」価値というものが、社会の主流になる。しかし、日本文明にはもう一つの大きな要素がある。日本文明史には、歴史が一変して、大きく再生してゆく時がある。これこそが、弥生化の契機である。>

日本史の停滞期を、縄文化と言い、変革期を弥生化というのは、誤解を生じやすい表現だと思うので、わたしは反対したい。縄文都市からも、いさかい、戦闘を示唆する遺構が出てきており、必ずしも平和な時代一辺倒ではなかったということが、わかり始めている。まだ、母性的な日本と、父性的な日本の方が、ましなように思う。

<一万年近くも縄文時代が続く。その後、わずか数百年の間に、水田稲作を中心とする弥生文化が、一気に広まった。そのことから、一万年近くもじっと同じ事をしている「縄文的なるもの」と、わずかな期間に物事を激変させる「弥生的なるもの」という、二つの本質が交錯している。>

わたしは、縄文時代として、あまりにも長い期間が考えられているが、それは単に、研究が進んでいないために、石器人、狩猟生活の縄文人が、弥生時代直前まで、ほぼ変化なしに続いていたという偏見をもたらしただけで、おそらく縄文時代の終わりまでには、栽培を中心とする「農業」が始まり、狩猟から定住に変化し、縄文都市を建設していったと思う。なにしろ、紀元前の中国では、秦が統一帝国をつくったり、日本と思われる島へ、仙人を求めて探検隊を出したりしているのだから、そのころの日本に、石器人、狩猟民族だけがいたとは、到底思えない。また、弥生時代の大変革は、弥生人の大移動、流入である。縄文人はいわば、中南米のインディオであり、弥生人は侵入してきたスペイン人であるか、縄文人と侵入者の混血人種である。先住民=縄文人はおそらく南方系のモンゴロイドであり、侵入した弥生人は北方系のモンゴロイドであったので、混血しても中南米の混血民族ほどの大きな外観上の変化はなかったのかもしれない。したがって、縄文的なものとは、南方モンゴロイド的なもの、アイヌ、琉球的なものであり、弥生的なものとは、北方モンゴロイド的なもの、北部九州、関西的なものだと思う。

<「爛熟と停滞」から「瞬発的な適応」へ
平安期や江戸中期以降の停滞。たおやめぶり、やさしさの日本は縄文的。危機が到来すると、「天皇」が表に出てきて、ますらおぶり、弥生的なものへ転機がくる。>

天皇家は、元々は「弥生的な」ものであったろう。江戸の停滞を破ったのは、外圧と薩摩(縄文的)、長州(弥生的)の下級武士であり、明治天皇は、ある意味「神輿」だった。平安期の停滞を破ったのは、関東武士(縄文的)であったのではないか?わたしの「弥生、縄文」と中西氏のそれとは、まったく異なる使われ方をされている。日本の特徴として、振り子を振り切るという事があると思う。振り子がある方向へ振れ始めると、極限まで振れて、そこで停滞する。たいてい、外圧がかかり、突然逆方向へ振れ始める。そうすると、真ん中の中庸をあっという間に通り過ぎ、反対の極限まで振れて、そこで停滞する。これが、停滞と瞬発的適応ではないだろうか?明治維新での和から洋への振れ方、敗戦後の愛国から反体制への振れ方などに、日本の特徴を感じる。

<日本の文明力の源ー「換骨奪胎のシステム」
日本文明は、外来の文化や文明要素に対して、他の文明のような、強い「対峙性」を示さない。その代わり、外のものを入れるときに、日本の文化構造にあった形で変換してしまう。古代には、中国から律令制を入れたが、科挙、宦官などは、取り入れなかった。>

これも日本の特徴であり、非常に日本独特のものであろう。わたしは、そこに神仏習合などで、他宗教を変換して取り込む、「神道」的方式が、日本人には染み付いている(いた?)のかもしれない。

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[854] 長江文明人=弥生人 投稿者:M78 投稿日:2004/03/24(Wed) 00:43

マイケランジェロさんへ。
習合文明=神道だと、私は思います。神仏習合の仏教は、真の仏教ではなく、一柱の神として「仏」を参拝する「神道」だと思います。本来の意味での「日本的な」仏教とは、鎌倉仏教の諸派だと思います。

尊野ジョーイさんへ。
高市さんには、またがんばってもらって、ぜひとも次回は当選してほしいですね。そのためには、カルト宗教を母体とする政党と、袂をわかつしかないでしょう。

韓国には、自らの古代史をねつ造して、素晴らしいものにしようという陰謀があるようだ。また、韓国は昔、日本へ中国からの文物を伝えてやったなどの歴史認識を広めようとしている。そこで、ふと気づいたのだが、現在の韓国人のルーツは、古代にはどこにあったのかという事である。現イラク国民は、北部にトルコ系、東部などにペルシア系(イラン系)がいるようだが、今イラクに住んでいる人たちの祖先が、チグリス・ユーフラテス古代文明が勃興した時、今と同じところに住んでいて、その文明を担ったとは、とうてい思えない。民族、文明の交差点である中東では、民族が完全に入れ替わっていると思われる。朝鮮半島は、日本への通り道、渡り廊下であり、次から次へと北方からの民族、中国大陸からの民族がやって来ては、民族の入れ替わりが起きている可能性が高い。つまり、古代日本が文物を教わった、古代「半島人」と、今朝鮮半島に住んでいる民族が、同じであるという証拠はないのではないか?わたしは、現朝鮮民族は、北方の遊牧民が南下して来て、先住民を殺すか、南へ、日本へ追い出し、居座ったものではないかと思っている。日本の縄文遺跡が、原日本人、先住民の遺跡であるように、南部朝鮮の遺跡は、日本に渡来して来た、今の朝鮮民族から追い出された人たちがつくったものではないのか?青春出版社、安田喜憲著「古代日本のルーツ、長江文明の謎」などを読むと、弥生人と古代中国の長江人(漢民族ではなく、苗族などの少数民族)の文化、食物、高床式の建物などがよく似ており、中国から長江人が直接、日本、九州へやって来て、弥生文化を広めたのではないかと考えられる。また、朝鮮半島南部にも長江人が、同様に移住しており、北部九州と半島南部は、一つの弥生文化圏であった可能性が高い。すると、その後のいろいろな文物の渡来も、中国から半島南部の長江人(いわゆる倭人)へ、そして日本列島に住んでいる弥生人(長江人)=倭人へと、長江人ネットワークによって、伝来して来たとは考えられないであろうか。そして、半島南部の長江人は、半島北部からの進攻により、殺されたり、日本へ大挙して逃げ込んだりした。大和朝廷が、任那を重要視したのも、同じ倭人、長江人だったからではないか?その仮説に立てば、現韓国人=北方の遊牧民、現日本人=長江人(弥生人)を主とする混血民族であり、前者は古代において、後者を半島から駆逐する事で、今の半島に住み着く事ができた。日本人と韓国人は、古代よりの因縁浅からぬ敵同士ということになる。

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[855] 習合文明=神道,やっぱりそうかなあ。 投稿者:マイケランジェロ 投稿日:2004/03/25(Thu) 03:11

>M78さま。こんばんは。

そうですね。よくよく考えてみると「神道」自体が神道中心の習合体と考える方が普通かな。仏教に関して私は知識不足なんですが,現在を考えると生前は「神道(お祭り)」
,死・死後は「仏教(供養)」の構図が一般的ではないでしょうか?

一般の家庭でも「神棚」があって「仏壇」があるのは珍しくないでしょう。

>本来の意味での「日本的な」仏教とは、鎌倉仏教の諸派だと思います。
このことに関してはお時間を下さい。調べておきます。

さて韓国・日本のルーツに関する考察は興味深いですね。なんせ「文明史」研究をされていますからね。縄文人は関東以北,長江人は九州以北ということですね。そして騎馬民族が朝鮮半島を支配。もし苗族が現存していたら,DNA鑑定で証明できますね。

私にはまだよく分からないのですが,「シルクロード」が東ローマ帝国と中央アジア・中華文明・朝鮮半島・日本あるいは西洋文明をつなぐ鍵だと認識しております。

ところで今「i日録感想房」にケイジアン軍団(2人)ですれど,よく言えば「純粋」悪く言えば「自己陶酔型」で,おそらく大学生だと思うんですけど,「テキストのケインズ理論を長々書いてくる人がいるんですよ。」それでタイトルは「みんな経済学の教科書を読んでいるんですか?」ですって。私もM78さまもたこのすさまも,「まず現状の日本経済に何が必要か」という共通の視点がありましたが,この人達は「そのような目的意識なし」に「近代経済学」をダラダラ書くんですよね。分かる人にはこの人達何が言いたいんだろう?分からない人には混乱をもたらしているんですよね。

さすがに管理人さんも再三の注意をして最後には「出入り禁止」になりました。

しかし「山椒庵」は表の「うえっぶ庵」のとなりにおいてほしいなあ。(個人的希望)。

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[856] インフレ実験はネバダでやれ 投稿者:M78 投稿日:2004/03/26(Fri) 23:52

>死・死後は「仏教(供養)」の構図が一般的ではないでしょうか?

そうです。それが葬式仏教に堕落した姿です。しかし、インドで生まれたときの仏教は、先祖供養などまったくしなかった。中国を経由し、日本に伝来して、死後や先祖供養の役目だけに、「封印」されてしまった。
わたしの思想には、亡くなった祖父の影響が強いのですが、祖父は織田信長を最大の仏敵だと決めつけていました。子どもの頃のわたしには、わからなかったのですが、今はわかります。織田信長は、天下布武のために、イエズス会を利用しようとして、キリスト教の布教を認めていたのですが、結局仲違いした。自分以上の権威をなくすために、一向一揆の残滅、比叡山の焼き討ちを行ない、日本に栄えた仏教文明を滅ぼそうとした。もし本能寺の変がなければ、信長は将軍以上のものを望み、決して自分以上の最高権威者、天皇をそのままにせずに、天皇を廃位して、自らが天皇に代わって、新たな帝位に即いたと想像する。そして、日本の帝王として、朝鮮、中国に侵攻しただろう。
信長によって、たたき殺された仏教は、徳川幕府により剥製にされた。キリシタン追放、キリスト教禁止のため、そして日本の農民を把握するために、人別帳をつくり、寺などが管理するようにした。そして、葬式は檀那寺であげるようにして、宗派の固定とともに、布教が事実上無効になるという非宗教団体的な状況に固定した。
明治以降は、国威高揚のために天皇を中心とする神道が用いられ、国家神道が「新たに」作り上げられた。廃仏毀釈により、仏教は迫害された。近世の日本は、封建時代と反対の方向、脱仏教化の流れがずっと続いていると見るべきだろう。

>一般の家庭でも「神棚」があって「仏壇」があるのは珍しくないでしょう。

そうです。それが日本の常識であり、世界の非常識です。海外では、キリスト教の十字架と、イスラム教の祭壇が、同居する事は考えられません。また、多神教の国では、いろんな神様をいろんな場所、時に祭ります。したがって、日本人も八百万の神の一柱として、仏をとらえています。しかも、仏壇とは、いわばご先祖様を祭る祭壇であり、深く考えれば仏像はなくてもよく、ご先祖様がいればいいのです。日本人は、仏壇の仏像を拝んでいるのではなく、自分のご先祖様を拝んでいるのです。しかし、仏教の教えは、そういう考え方とはもともと異なるのですから、その行為は仏教を信仰しているものとは言えません。わたしの祖父は、「神棚」と「仏壇」の両方がある家は、神道も仏教も、本当には信じていない家だと言っていました。わたしの実家には、神棚は存在しません。将来、自宅を建てても、神棚を祭る気はありません。

>苗族が現存していたら,DNA鑑定で証明できますね。

苗族は、現存します。混血している可能性は高いのですが。DNA鑑定については、聞いた事がありません。是非すべきですね。

>「シルクロード」が東ローマ帝国と中央アジア・中華文明・朝鮮半島・日本あるいは西洋文明をつなぐ鍵だと認識しております。

シルクロードの北方にある「ステップ・ロード」も重要です。モンゴル人がヨーロッパまで進攻した道です。ローマや中国がシルクロードしか通れなかったのは、ステップロードは遊牧民、騎馬民族に占拠されていたからだと思います。

>「i日録感想房」にケイジアン軍団(2人)

わたしも、スティグリッツを読んだ後は、インフレターゲットを支持していましたが、クー理論では、バランスシート不況下では、金融政策は無効。ヘリコプターマネーで、インフレは起こらない。インフレ期待は、実際にインフレにならないと、だれも本当に期待しない。そして、インフレ期待が出なければ、インフレは起こらない。という矛盾する状況になるとのことです。クー氏は、インフレターゲット論者を、マネタリストと呼んで、批判しています。馬鹿馬鹿しく、危険な「実験」は、日本ではなく、ネバダの砂漠でやれと。

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[857] 国民の文明史、その七 投稿者:M78 投稿日:2004/03/27(Sat) 15:47

第四章 縄文と弥生の日本文明史
<日本列島では、約一万年にわたって縄文時代が続いた後、稲作を始め、「鏡、剣、霊」に霊的なものを感得し、古神道と呼ばれる、今日に続く日本の神信仰ができあがってゆく。>

山や巨石などの自然を信仰したのは、「縄文的」な信仰なのか?それとも、「弥生的」なものなのか?この文から言うと、自然そのものを神としたのは、縄文的で、鏡、剣、玉などを信仰するのは、弥生的となるのだろう。神社を建てるようになった「神社神道」では、鏡などを祭るので、弥生的な神から直接出て来た可能性が高い。私が想像するに、大きな岩、樹木などを祭る神社の由来を調べると、国つ神の系列が多いのではないだろうか。天津神の系統は、鏡などが主で、大きな自然物信仰の歴史がないのではないだろうか?
神道派、民族派は、簡単に太古の昔から神道が続いているように話すが、神の信仰の断絶、意味が変わってしまったなどで、実際には続いていないと、わたしは思う。天皇崇拝の国家神道と、山や岩などの自然物をあがめる自然神道が、どうつながるのか、わたしにはよくわからない。時代時代の信仰対象をすべて「神」と名付けてしまうので、「神」への信仰が連綿と続いているように見えるのだが、神の対象、神の意味がまったく変わってしまっているのではないか。(キリスト教の「主」も神と訳してしまう)

<弥生時代については、戦後の日本では、大陸から一挙に大量の異民族が、列島に侵入してきたとか、騎馬民族征服説などがあった。それらは、日本古代日本史に関わる正統派の史観に対する「アンチの情念」だけに発するものだった。>

戦後の歴史学者は、左翼に占領され、反皇国史観が前提である事は認めるが、科学的な考古学の進歩まで否定するのは、いかがなものか。縄文人骨と弥生人骨の特徴の違いをどう説明するのか?縄文人とアイヌ、琉球人の共通性、弥生人と関西、北部九州の現代日本人との特徴の一致は、どう説明するのか?遺伝子を用いた研究で、日本人内でも遺伝子の多様性があり、それには地域性ある。南北に遠く離れたアイヌと琉球人が近く、関西、北部九州を中心とした同心円上に、徐々に遺伝子の特徴が変化してくるという研究結果は、縄文人が広く住んでいたところへ、弥生人が九州北部から入ってきて、関西まで勢力を伸ばしたため、縄文系の人たちは、南北へ追いやられた。と考えるのが一番素直である。それに反論するのであれば、やはり科学的に行なうべきであり、左翼の言う事は信用できないというのでは、何の説明にもならない。弥生時代にどこからか、九州北部に大量に流入した異民族こそが、先住民であるアイヌや琉球人を日本の端っこに追いやった、われわれ自身の先祖である。特に大阪生まれの中西氏は、弥生人の系統を強く受け継いでいると思われる。

<中国大陸が強大な王朝権力によって統一され、膨張的な趨勢を見せるとき、日本文明史は覚醒的な画期を迎え、中国大陸の秩序が崩壊ないし停滞期には、日本も停滞する。>

この考え方は、事実かどうかはわからないが、非常に面白い説である。しかし、この仮説から言えば、日本は政治的には、中国の辺縁で、大きな影響を受けていたという事を意味し、日本文明の独立性には、あまりつながらないのではないか。

<聖徳太子の諸改革の中で、「仏教立国」の選択と、中華帝国に対する「対等外交の国是」の確立が、画期的なものである。強大な隋帝国に、リスクをはらんだ「対等外交」の宣言をする背景に、「仏教立国」という中華文明を越えた東アジア世界の「グローバルスタンダード」を掲げることで、対中対等という立場が可能になった。>

仏教立国は、外交のためだけではない重要なことだが、少なくとも聖徳太子の仏教受け入れには、著者はあまり批判的ではないようだ。

<東アジアでただ一国、中華帝国と政治的に対等であることを近代に至るまで国是としたことは、日本文明史においても大きなファクターとなるとともに、日本人の世界観・アジア観に大きな影響を及ばした。>

これは不思議なことだが、日本にとって非常に大事なことだろう。しかし、中国側はそんなことを認めたとは、思っていないにちがいない。

<天皇が、国家(政治)、宗教、文化という「三つの歴史を動かす力」のすべての結節になっている。やはり宗教的権威が保たれているからこそ、文化的存在としての活力が不断に発揮され、政治権力の再生につながる。>

あくまでも、日本の宗教的中心を天皇にしないと気がすまないのか??民族派は古代の天皇の復活を目指しているのだろう。わたしが希望するのは、宗教では政教分離により、信教の自由を守ること、政治では、天皇は立憲君主として、権威を代表することで、実務には影響を及ぼさないこと、文化的には親しまれ続ける存在であることである。

<江戸文明が、健全な日本文明の特徴を具備していたかは、儒学を見れば明らかである。江戸時代に日本独自の発展を見た儒学は、武士を形づくってゆく原理となったのだが、中国の儒教を、日本人が「換骨奪胎」してつくりあげたものであった。武士道の成立こそ、江戸文明史の本当に重要な貢献だった。>

中西氏は、結局武士道を賛美して、日本人の根本精神としているのではないか。したがって、平安時代のような、女性的、貴族的な時代は、だめだと決めつけ、男性的で、武士的な時代を良い時代だと、判定しているように思う。

<武士という変革を担う主体が準備され、国学や水戸学などの文明力のチャンネルも用意された。>

大阪生まれの中西氏が、武家政権として、関東の鎌倉幕府、江戸幕府を褒め、関西の平家や室町幕府をくさすのは、どういうわけだろうと不思議に思った。わたしの想像だが、中西史観とは、すなわち江戸時代の「国学」、「水戸学」の史観そのものではなかろうか。江戸期の国学、水戸藩での水戸学では、江戸幕府、徳川家を悪く言うはずはない。そして、江戸の一つ前の室町幕府は悪く、家康が手本とした鎌倉幕府は良く、鎌倉の前の平家は悪く言う。徳川家自体が、信長と同様、源氏の末裔と僭称していることも、江戸時代に源氏を理想化し、平家を悪く言う原因だったのかもしれない(秀吉は平家と僭称)。

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[869] 国民の文明史、その八 投稿者:M78 投稿日:2004/04/04(Sun) 01:15

第五章 日本文明が揺らぐとき
<明治日本は天皇中心国家体制に再び転換して世界と向き合った。世界観の激変と列強の力への恐れから、日本人の文明的アイデンティティに関わる部分を少しずつ揺らしはじめてゆく。維新直後の極端な欧化主義や「文明開化」のイデオロギー化の傾向。明治の指導者層は、「文明の平衡感覚」に心を砕いた。文明開化に向けて一直線に突っ走ろうとした政府・文部省は、近代主義、啓蒙主義の「欧化」路線を進めようとした。その教育には、二つの必須のものが欠けていた。一つは、道徳すなわち「徳育の大切さ」であり、もう一つは「社会や国家」にまったく言及していない点である。伝統の破壊と新技芸の導入のみに走りすぎている現状に、天皇自ら警鐘を鳴らした。日本の魂を失うことをよしとせず、「和魂洋才」でやっていこうという状況への対応は、日本文明の本質をつかんだものだった。明治の精神はこうして生まれた。>

現在のアメリカの経済、社会制度を盲目的に取り入れようという現状に、よく似ている。巷間言われているように、現在は明治の開国、WW2の敗戦に続く、第三の開国なのかもしれない。わたしの主張は、日本の経済システムをアメリカ式にしたり、逆に政治システムを戦前に戻したりすることではなく、日本人の精神の崩壊が、一番の危機、問題点であり、そのためには教育こそ本当に立て直す必要があるものだということだ。なかでも、学校での道徳教育と家庭、私学での宗教教育が、もっとも足りないものだと思う。

<日露戦争後の「時代の閉塞感の現状」。目標喪失による一種の虚脱状態=精神の空白感。「明治」という文明的平衡感覚の支えが終焉を迎え、そうした重しのない大正という時代へと変わり、「魂の漂流」は、その喪失意識を、抑制のない欧化によって振り捨てようとした。明治の元老たちが、国家経営の根幹のノウ・ハウを、次の世代に受け渡さなかった。二代目世代の「坊ちゃん世代」は、明治期の日本に対して、きわめて批判的である。文明論的視野から具体的な対案を示すことなく、ただ現状を批判する、「大正タイプ」の知識人。>

わたしは、以前より「戦後教育世代」亡国論を、皆に嫌われながら、あちこちに書き込んでいるが、明治維新を主導した江戸時代生まれの「サムライ」と、その次の世代の「大正インテリ」の関係は、戦前教育を受けた昭和ヒトケタ世代と、戦後教育の申し子、「団塊世代」の関係に似ている。やはり、平成に入ってから、戦前教育世代が日本のトップから去り、戦後教育世代がそれにとって代わり、日本を動かすという状態になった。それと同時に、日本がおかしくなってしまった。

<大正から昭和にかけて日本の知識人青年の間に絶大な影響を及ぼした阿部次郎の、西欧的な理想主義と教養主義のバイブルとなる「人格主義」が、平成の青年たちにとって、まったく見向きもされない書物となった事実を、我々はどう評価すればいいのか。>

わたしは、現代の若者の日本的な精神がきわめて弱まり、日本的教養が失われれば、和と洋の葛藤は起きないと思う。「和魂洋才」を目指すから、葛藤が起きるのであって、「洋魂洋才」が完成すれば、何の摩擦も感じない。欧米を憧れることもなければ、日本を卑下することもない。そういう人間は、「バナナ」と言う。表面はイエローだが、中身は「白」である。

<亀井勝一郎は、近代の日本史は知性の悲劇の歴史であるとして、その原因を伝統(神道、仏教、儒学、国学)の喪失のあと、空白を埋めるのに、まったく土壌を異にする思想を、次々と取捨選択してきた事に見いだしている。「明治のプロテスタンティズム、大正のヒューマニズム、昭和のコミュニズム」>

日本人は、西欧文明の根幹、キリスト教を結局受け入れなかった。今の若者の「洋魂」は、その面で見れば、まがい物、偽物である。真の「和魂」を捨て、得たものがまがい物の「洋魂」なのである。

<日本はつねに天皇を中心とした神の国だった
少なくとも平安時代以後、日本が天皇を中心とした神の国であるという日本人の意識は文明の平衡感覚の支えでありつづけ、まったく揺るぎなかった。もちろんそれは狭義の国家としての日本の政治システムや、仏教伝来後の日本人の宗教活動において、つねに全てを貫徹する支配的なものでありつづけたわけではない。ただ武家の幕府政治が始まり、神仏習合が進んだ中世そして近世を通じ、制度や部分的文化の存在理由を定義づける「究極の文明史的要因」でありつづけた。文明史的には、日本は終始「神の国」以外の存在ではなかった。個人の内面の救済という宗教上の役割を別にすれば、日本の国土は明らかに神秘的な王土のなであり、仏はつねに「神の客」として礼を尽くすべき存在であった。日本は、欧米やイスラム諸国とは異なる多神的観念において、より優れた文明の特質を持っている。天皇を中心とした神の国、「帝を戴く神仏そしてゼウスあるいはアラーの国」、この天皇の中心性を基本として持っていれば、日本人はそれぞれの個人の信仰においていっそうよき求道者足り得るのである。>

こういう考えを聞くのは、もううんざりである。これは歴史家として、資料を駆使した上での結論であろうか?国学と記紀に毒されているのではないか。わたしには、この文章は自分の宗教的立場を述べたに過ぎないように見える。歴史観というよりは、宗教的告白であろう。わたしも宗教的告白をするが、天皇を他の宗教の「絶対者」の上に君臨する絶対者とみなすのは、どうみても国家神道的であり、神道以外のすべての宗教を侮辱するものである。わたしは、日本に仏教国であった時期があったと信じるし、今後再び仏教国になるのが、わたしの願いである。そして、それが今の日本の精神的崩壊を、食い止めることになるのではないかと期待している。

<大正と平成の近似。改革の時代と「歴史の危機」
大正の前には、明治という大きな時代があり、平成の前にも昭和というたいへん大きな時代があった。明治の終わりには、日本の海軍力は太平洋随一を誇っていた。昭和には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代があった。大正時代と平成の今は、日本人の多くが日本文明を見失い、さまざまな形で「文明の衰退」を経験している点での共通性ではないのか。平成型の改革論議を聞くたびに、ブルクハルトが「歴史の危機」と呼んだ普遍的現象を想起する。ブルクハルトは、人類の歴史に「愚かで危うい改革論の時代」がくり返し訪れることを示唆している。国の存立の基盤が、国民自身によって、自覚のないまま切り崩され、歴史のバランスが破壊されてゆく。そして、事態が最終的な破局に至る直前には、共通したある一連の徴候が現れる「歴史の危機」。日本が破局に至る過程の出発点には、大正時代に始まる誤った改革論の高揚があるが、誤った改革論が巻き起こす「大衆の熱狂」、その前段に位置する「大衆のフラストレーション」こそ、「歴史の危機」の徴候にほかならないからである。ブルクハルトが描出した「歴史の危機」の根底にあるものは、ある時代と世代に特有の愚かさ、軽薄さではなかろうか。是が非でもやり抜くと言う不退転の意志、覚悟を持たぬ、付和雷同型の「改革熱」が、いかに悲惨な結果をもたらすか。大正の改革熱が、昭和の大規模対外戦争をもたらした。>

大正が平成と似ているかについては、よくわからないが、日本人全体が、無意味な改革熱に浮かされていることを、的確に述べている。もともと更地型の改革を好む左翼だけでなく、本来の保守派にも、戦後社会をなかったことにして、戦前をやり直そうとする「復古革命」を目指し、明治憲法を復活させようと、明治時代をあたかもユートピア、王道楽土のように詐称する「民族派」の勢力が台頭している。日本は、極左と極右に二分されて、とにかく今の日本を変えなくては、という盲目的な熱狂に満ち満ちている。それは、真の保守的政治姿勢とは異なるものであることを、強調していかねばならない。

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