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タイトル「国民の文明史」について
投稿日: 2004/12/25(Sat) 17:19
投稿者M78 (山椒庵より転載)
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[835] 「国民の文明史」について。その一 投稿者:M78 投稿日:2004/03/09(Tue) 15:00

中西輝政氏の「国民の文明史」に対する感想。その一

「はじめに」について
文明を進歩や普遍文明として見るのではなく、西洋中心史観、唯物史観に反対する態度で書かれていることは、すばらしいことだと思う。しかし、わたしが違和感を持ったのは、日本が一国で一文明を成す世界に独特な存在という見方である。そして、皇室の存在を日本文明に不可欠な要素と考える見方である。

「第一章 文明史が示す日本の現状と危機」について
グロバリゼーションに対応するには、文明史を見る目が必要というのは、賛成。
ハンチントンらは、日本文明を大文明の一つと考えている。それを中西氏は当然と受け入れている。わたしは、欧米の学者は、宗教を目安にして分類しているのだと思う。したがって、キリスト教を西欧とロシア東方にわけ、イスラム文明、ヒンズー文明とわけている。アジアについて、日中をまとめる学者と、中華文明、日本文明とわける学者がいる。昔は、東アジア全体を、儒教文明(または儒仏文明)とわけていたが、どうも日本は違うと考える欧米の学者が増えたようだ。そこで、日本文明は独立させられ、民族派、神道派の日本人は、大喜びでそれを取り入れている。仏教徒のわたしは、仏教文明が存在しないのが、残念でたまらない。わたしとしては、日本文明は中華大文明のまわりの中文明、小文明の一つではないかと思っている。
経済オンリーの生き方=戦後文明が、バブルの崩壊とともに崩壊している。についてだが、戦後「時代」の終わりなのかもしれないと、わたしは思う。
バブル後の日本の不調は、かつての経済成長を支えた成功要因が、時代が変わると衰退要因となった。については、わたしとしては安易な考え方だと思う。以前の成功要因が、今の衰退要因というどんでん返しは、面白いが、一方的な見方だ。良い部分を残し、堕落した部分を修正すべきであり、すべてを戦前の価値観に戻すなどの、大変革を画策する者のこじつけではないか?戦後全面否定、戦後憎悪の価値観ではないか?
日本の不調は、個別経済要因だけではなく、根本原因は民間産業界自体に生じている問題であって、公的部門や金融センターの問題ではない。「民でできることは民で」というが、民間の力の衰え、技術応用力、社会の創造性につながる知的・精神的な活力の低下が問題。というのは、大賛成である。今の「反公務員」「反官僚」で、民間にやらせれば、何でもうまくいくという考えは、幻想である。
戦後日本に生じた国家観の喪失。戦後の歴史教育はまがい物。世代間の断絶。本来の歴史教育を受けてこなかったため、文明喪失の日本人は第三世代へ入ろうとしている。第一世代は1943年頃生まれ、今60才ぐらい。小学校からずっと戦後教育を受けた世代だ。その世代の教師が30才くらいで教えた生徒が、今や30才となり、小中学生を教えている。三世代の開きは、ほぼ60年にあたり、60年は重要な文明史の区切りである。という世代論については、わしも常々感じていたことであり、全面的に賛成である。
歴史的危機を示す四つの現象。1人口構造の問題(深刻な少子化)。2財政破綻。3政治の弱体化。4モラルや教育の頽廃(治安の悪化)。
青少年の意識の急激な変化。文明史とは人の心のあり方を見る営み。1歴史はくり返す。2歴史を動かす力は、人間の精神である。3国や文明のあり方には、パターンや周期があり、興隆と衰退、作用と反作用は、一つのものとして展開する。
文明が存在するためのバランス。1モノと心のバランス。2進歩と伝統。3個人と共同体。日本の危機。徹底したモノ・カネ社会で、進歩や変化ばかりもてはやされ、脱モラルの個人主義が極限まで来ている。
今の日本は、歴史の危機の入り口にあり、破局に向かっている。
歴史的危機の時代。真面目で慎重な気風から、奇妙に楽観的で、軽薄でむこうみずな方向へと変わり、楽観的な「変革の時代」となる。「改革すればするほど、他のものまで崩れてゆく。」わたしは、これこそ今の状態だと思う。保守派と言われる人までも、今までの日本のやり方はみんなだめ、構造改革で全部ひっくり返さなければ、日本は再生しないと、何の証拠もないのに思い込んでいる。
歴史的危機の特徴。1その国の強みが弱みに変わるような現象(悲観論のスパイラルが起きる)。2古い方向に逃げ込もうとする。3危機が進むと、「状況が良くなっている」というウソをくり返し流すようになる。基本的には、衰退の危機は深まっているのに、ちょっとGDPや企業の決算が良くなると、不況を脱したように報道する(インディアンサマー現象)。今の日本は、3番目のひどい危機の状態に陥っているようだ。まさに、現在の新聞記事を予言したような、至言である。中西氏は、2の古い方へ逃げ込むというのは、高度経済成長の時代に逃げ込もうとすると考えているようだが、わたしはそれだけではなく、戦前を理想化して、そこへ逃げ込もうとしている保守派も考慮すべきだと思う。
英米が先進国型一時的衰退を克服できた理由。その国の基本となる「時代の精神」が問われる。「何をどう変え、変える必要のないものはどれか」英米は、危機に際して、もっと本来の自分らしく変革した。
「縄文化」と「弥生化」。縄文化とは、安定と繁栄に眠り込んでしまう時代。現在は縄文化のまっただ中。危機が迫ると、弥生化して大変革を成し遂げて来た。わたしは、縄文と弥生の対比に反対する。確かに固定化と変革する時代が、日本史上に現れているが、それを縄文、弥生とくくると、誤解をまねくと思う。わたしにとっての弥生時代こそ、農耕文化で、固定された時代に思える。縄文時代は、狩猟社会で、ダイナミックな感じがする。中西氏は縄文化を農耕民族的と見ているが、それが新しい区分なのであろうか??中西氏は大阪生まれであることから、多分に弥生的なものに親近感を持っているのではないか。そして、縄文的なものを、関東、東北的なものと、とられているのではないか。弥生=関西的=商人的=時代を動かす変革の時代。縄文=関東、東北的=怠惰に眠り込む農耕民族的社会。という偏見があるように思う。わたしは、縄文化と弥生化を、そのように使うことに反対する。


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[836] 国民の文明史」について。その二 投稿者:M78 投稿日:2004/03/09(Tue) 17:21

中西輝政氏の「国民の文明史」に対する感想。その二

第二章 文明史とは何か
<ハンチントンの「文明の衝突」、二十世紀の終わりに、グローバル文明論を信奉して来たアメリカにおいて、普遍文明の可能性を放棄した。
マクロな歴史を動かしているのは、国でもなければ、世界でもない。文明という単位なのである。
二十世紀は「社会科学」の世紀だったが、二十一世紀は「文明史」の世紀になるのではないか。
アルフレッド・ウェーバーは、歴史を動かすものを、三つの次元で見ることを提唱した。1「社会過程」政治、経済に関する歴史。2「文化運動」思想や文学、芸術、宗教、哲学などの文化の歴史。3「文明過程」この二つをつなぐ相互作用のチャンネル。
ブルクハルトは、歴史を動かす力とは、「国家」「宗教」そして「文化」の三つだとして、その相互作用と連関こそ歴史の鍵。>

日本人は、宗教が歴史に大きな影響をもたらすことを、あまり認識していないのではないかと、わたしは嘆息する。

<トインビーの文明衰退論。トインビーは文明が衰退するには、それだけの理由がある。すべての文明が必ず衰退するとは限らない。文明の運命を決する要因は、内なる原因に存在する。
二十一世紀は、脱社会学の時代だが、ポスト・モダン的な思考に陥ってはいけない。ポスト・モダンは近代を全否定する。社会科学的な思考に見られた近視眼的な呪縛を逃れ、なおかつポスト・モダン的な「自己喪失」の風潮に染まることなく、目の前の小さな現実への取り組みだけを論じる「改革論」の限界を認識しなければならない。「文明史的な感性」の大切さに気づくべきだ。>

現在の改革熱が、目先の効率論、すなわち公共機関非効率論や、役人悪人説に立つルサンチマン的な心情から出ているのではないか、というのがわたしの感想である。わたしにとっては、モダンもポスト・モダンも、なんだか怪しい思想体系のように見える。

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[840] 国民の文明史について、その三 投稿者:M78 投稿日:2004/03/13(Sat) 00:27

中西輝政氏の「国民の文明史」に対する感想。その三

第九章 文明としての米・中との対峙
<事実軽視は中国の文化伝統。政治意図が正しければ事実などどうでもいいという例は、中国の歴史にいくらでも見ることができる。社会主義路線が破綻して、改革開放路線になった結果、古い中国が大きく浮上し、賄賂や人身売買など、理念を欠いた拝金主義となってしまった。
中国は二、三百年で王朝が潰れ諸国分立となる。中国が今後、その一体制を保つことは、困難な事態に陥るだろう。中国の政治体制の民主化が何をもたらすか。広東省などが独立を目指すであろう。その時、台湾が引き合いに出される。したがって、中国は早期に台湾を併合したいのである。このままでは、中国の統一を保てなくなる。歴史上何度も、中華大陸が武断的で国力充実した大勢力のもとに統一されたときは、日本は台湾海峡と朝鮮半島から挟撃される(江戸初期、日清戦争、朝鮮戦争など)。
アジアの特殊性。1「海洋のアジア」と「大陸のアジア」の二つがある。分断線上で紛争が起こりやすい。韓国は海洋のアジアにとどまるのか、それとも中国の影響下で、大陸のアジアになるのか。2文化、文明が一国主義の地である。アジアの国同士がEUのように統合することは、考えにくい。文字、言語という文明のハードコアが著しく違うからである。3地政学的、文明史的な歴史地図を考えねばならない。つねにくり返し同じような構図になるという「文明史的パターン」。>

2の文字言語が、各国で異なっているので、アジア版EUはない、という指摘は、わたしとしても直感していたのだが、きちんと説明してもらうと、よく理解できる。もう一つ、わたしが大事だと思うのは、アジアではまだ、冷戦は終わっていないことである。北朝鮮と中共があるかぎり、アジアでは冷戦中である。
ここで疑問。中西氏は、東アジアでは、隣の国とは言語、文字が違い、話が通じない。一国一国の独立性が高いと言っている。そうすると、中華大文明のまわりに、日本、韓国、蒙古、ベトナムなどの中小文明が、独立性を保ちながら、並列に存在するということにならないか?日本文明だけを、大文明の括りに入れ、他のベトナム、蒙古、韓国を大文明としないことが理解できない。

<チャイナ・リスクの時代。中国における経済発展の天井は、多くの人が考えているよりも、ずいぶん低いところにある。水不足によって中国経済は近い将来、間違いなく停滞の局面に入ることが予測される。中国民衆の反体制感情が高まっている。中国農民の巨大な流れが体制危機をもたらす可能性。経済面でも、政治、社会面でも、中国の二十一世紀は矛盾と脆弱さをはらんだ危険な状態にある。>

わたしも、中国の経済破綻、共産党の崩壊、中国帝国の分裂は、近づいていると思う。

<深まる米中対立の構図。アメリカの本音。2002年の報告書。「中国はアメリカの軍事的ライバルであり」、「中国のこれ以上の経済発展はアメリカの安全保障を損なう。」中国経済の影響がアジア全体に及ぶようになれば、中国は必ず「アジアの覇者」となろうとして、アメリカに力で挑戦する道を歩む。中国による日米離間策にのってはいけない。>

大東亜共栄圏の再来、東アジア新秩序(金完ソプ氏)、アジア版EUなどを声高に話す奴らは、中国の犬として排除しなければならないと、わたしは考える。

<「中国とアメリカ(欧米)を同時に敵にしてはならない。」という日本にとっての一大原則。それにもかかわらず、「反米こそ日本人の精神の基軸」と言い出す人がいるが、国際政治の当事者能力のなさを示すものである。米中どっちを選ぶかということになる。>

わたしは、どう考えてもアメリカを選ぶのだが、反米で目がくらんでいる民族派は、中国を選びそうである。口では、米中恐るるに足らず、両方やっつけると言っているが、それではWW2の二の舞だと、わたしはそら恐ろしくなる。

<中国がこのまま膨張を続ければ、2010年代には間違いなく日本に対する明白な脅威となる。必ず米中はぶつかる。中国が民主的な中国になる確率は非常に低いし、必ずいくつもの中国に分裂し、長期の動乱が予想される。脅威の中国か動乱の中国か、どちらにしろ日本文明への脅威である。>

わたしは、こういう中国へのまなざしを、すべての日本人が共有すべきだと思う。

<アメリカとどう対するか。保守にとって一番大切なことは、まずは国の存続であり、次に国の繁栄である。三つめに、この二つを支えるのが、価値観や歴史観、アイデンティティーという「日本の精神」である。>

小林よしのり氏やその支持者は、大和魂のためなら、亡国もやむなし。日本精神が傷つけられるなら、日本の存続、繁栄など意味がないという考え方だ。中西氏こそ、本当の保守であり、小林氏らは似非保守、「揺り戻しサヨク」、復古主義「革命家」である。

<アメリカの民主党は日本に仇なす存在>

米民主党にも中道がいて、それほど左寄りではないと思う。在米中の感じとしては、米民主党のスタンスは、ほぼ自民党くらいかなと思った。日本が全体として、左寄りの国家に見えた。中西氏の終戦直後のGHQに対する怨念が、米民主党に向けられているだけのような気がする。

<二十一世紀の日本にとって最も大切な目標は、「国家としての自立」であり、「日本人のアイデンティティーの回復」である。防衛や外交における対米自立も今後の日本が目指すべき大きな目標であり、長期の対外的目標として、それ以外にありえないだろう。日米の同盟関係が、この目標に資するかどうか。「ハードな自立」、即時の対米自立論が保守評論家の一部にあるが、重要なのは理念ではなく、戦略の問題である。なぜ「自立のための日米同盟路線」が必要なのか。>

ハードな自立は、日米冷戦への道。非現実的だ。当面は、日米同盟を強化し、その後、徐々に自立するという道しかない。わたしは、これから50年くらいかかるのではないかと思う。中西氏は米共和党を理想化しすぎている。共和党こそ、真の日本の脅威を恐れ、それがないか常にチェックしていると、わたしは思う。

<日本を包囲する四つの勢力。1国内左派平和主義の勢力。マスコミを中心に、政治家、官僚、学者、市民団体に盤踞しており、新しい世代にも拡大再生産されている。2北朝鮮、中国という強大な軍事国家。3国際テロの脅威。4ハードな自立の動きを見せれば、中国と結んで日本を押し潰そうとする、アメリカ国内の「反日勢力」。>

ここでも中西氏は、反日勢力が米民主党や、リベラルマスコミなどと考えているが、わたしは、日本がハードな自立をすれば、愛国者である米共和党が敵になると思う。共和党は反日勢力ではないが、アメリカの国益が脅かされれば、強硬に日本に対抗してくる。日米が仲良くやれる、米共和党と融和できるのは、はっきり言って、日本が共和党の手の上で踊っている間だけである。一番日本に足りない外交とは、アメリカの連邦議会に対するロビー活動だ。表向きではなく、こっそりと日本に有利なように買収するのだ。中共なんか、ずっと昔からしている。今すぐ日本も、情報局を作り、予算を与えて、ロビー活動を始めるべきである。

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[841] 残念ながら、賛同できない 投稿者:M78 投稿日:2004/03/15(Mon) 22:09

>国家基本政策 //////////////////

1 憲法改正はまず9条2項の削除を
2 歴史認識の見直しは「村山首相談話」の撤廃から
3 8月15日の首相靖国神社参拝を慣例化せよ
4 国産技術の防衛と育成に国家戦略を
5 政府審議会から左翼リベラル勢力を一掃せよ

5は大賛成。公務員をレッドパージしてほしい。右パージされている公務員としては。
3は、宗教上の理由から反対します。

> 3ヒステリカルな政教分離要求にまどわされぬ伝統・慣習の擁護政策を

ヒステリカルな左翼、学会の反対は、いやですが。
神道強制や、神仏習合には反対します。

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[842] 国民の文明史、その四 投稿者:M78 投稿日:2004/03/15(Mon) 22:11

中西輝政氏の「国民の文明史」に対する感想。その四

第十章 文明史から見たあるべき日本の改革
<最近の日本の官僚は、日本の国益や文明のアイデンティティーを壊してしまうようなことを平気でやる。1995年頃より、霞ヶ関エリートたちは、「国益より省益」になっていた(国家観をなくした官僚)。ピーター・ドラッカーは、日本は官僚が非常に公正に仕事をやってきた国であり、日本の官僚制を潰すことは、アメリカにとって利益にならないと、日本の官僚を擁護した(1998年)。しかし、日本のマスコミは完全に無視した。戦後の日本の官僚は、GHQの占領期以来、過度なアメリカ化やニューディール的民主化を抑え、「日本の文明力」を維持してきた。80年代半ば以降、「グローバリズム」の波を日本型に馴化し飼いならす、という官僚の最大の役割を、突如として放棄するようになった。>

現在の反官僚、反公務員思想は、異常である。わたしは、アメリカ人と話をした時、日本人は政府、官庁を信用していないと言ったら、そんな政府はひっくり返して、民意に沿った政府をつくるべきだ。なぜそうしないのか?日本は民主主義ではないのか?と言い込められ、返答に窮してしまった。アメリカ人のように、政府、官庁を信じるか、信じられないなら、行動を起こして、信じられる政府をつくるかする。それが、民主主義だと思う。わたしは、まず限定的に信じようと思う。
もう一つの問題は、体制内サヨクが政府、官庁を牛耳っていることだ。団塊サヨク世代が、トップに立ってから、日本がおかしくなった。

<世代的に見ると、1980年前後に退官した官僚層は、最初は天皇の官僚として中央官庁に入った世代であった。戦前の教育の中で人格を形成した人々であった。この世代は、明瞭な国家意識を持っていた。80年代はじめ、その世代が退場したと同時に、官僚のモラルが一斉に崩れ出し、国として日本も同じく崩れ始めた。結局、いまの日本の官僚が問題なのは、「口出しをする」からではない。官僚に「志がなくなった」ことが問題なのである。清新で活力に溢れ、使命感を持っていて、柔軟で、恐ろしいほど有能な、日本を支えてきた官僚を、いかにして取り戻すかが、最大の問題なのである。日本全体についても、いまの日本の問題は、モラルであって、システムではない。日本は、官民一体でなければならない(日本の文明論的事実)。>

わたしは、団塊世代がトップでいる間は、官僚の再生は無理だと思う。もう数年は我慢しなければならない。また、今や左翼の巣窟となった「東大」のレッドパージをしない限り、「赤い」官僚がどんどん産み出されてしまう。東大解体が必須だ。官僚に敵対するだけでは解決しない。有能な保守的官僚をつくることが、必要不可欠である。

<軽武装と日本の経済繁栄は無関係。韓国や台湾は重武装国家であるが、高度経済成長を実現した。90年代のアメリカも、国防予算を増やしながら、「未曾有の繁栄」を実現した。軽武装と経済成長の間には、一義的な因果関係はなく、戦後民主主義が国民を欺いてきたのだ。>

この問題は、考えたこともなかったが、大事な問題である。目から鱗である。

<安倍晋三は長州人である。「参議院のドン」は出雲人、青木幹雄である。戦後日本を支配した精神には、「出雲的なもの」、「ムラの論理」がある。いまこそ「大和的な」安倍晋三が必要なのである。>

安倍晋三氏に期待するのは、わたしもそうであるのだが、ムラ=出雲的(おそらく、=縄文化)というのには、再び反対する。安倍晋三氏=長州=大和的(おそらく、=弥生的)というも、関西、大阪出身の中西氏の偏見ではないか。

<経済構造改革が進まない理由。「日本文明観に基づく改革」を論議しなくてはならない。明治の開国が成功したのは、日本のエリートたちが「和魂洋才」という構造改革を実行したからである。現在の構造改革が進まないのは、「和魂」にあたるものを「アメリカ人の脳」に置き換えようとしているからだ。「文明の論理」に反している。>

竹中大臣の構造改革は、「グローバル化」という名の「アメリカ化」であり、軍事、政治だけではなく、経済まで完全にアメリカの軍門に下るものである。

不況の長期化の真因は愚かな個人主義
<銀行が危ないということで、自分の預金をおろすくらいで、小心翼々として私的なことに終始している姿は、政治も含めた日本全体の現状といえる。問題は日本人の精神なのである。みんなが今あるおカネを防衛しようとするから、消費需要が伸びず、景気が悪くなる。それは、戦後文明そのものに根因がある。「自分だけ難を免れればよい」という、まったく愚かな種類の個人主義が日本を動かしているのである。>

日本国民はお国のため、景気を良くするため、ばんばん金を使えという案である。J.F.K.の演説のように、国が何をしてくれるかではなく、国民が国に何をしてあげられるかを問え、ということであろうか。

<現在の日本の窮状を打開するには、教育に力を入れるべきである。その教育も、子どもの教育であるとともに、「大人たちの再教育」でもなければならない。小泉内閣の唱えた構造改革論は、まさに「心」という「改革の芯棒」を欠いた、積み木崩しの改革論のように見える。今や日本人の年間労働時間は、先進国でも最低の水準となりつつあり、子どもの家庭学習の時間も同様だという。「世界一治安のよい日本」は過去のものになった。勤勉、治安という国民性の中心となる指標が、なぜこれほど急激に崩れの局面に入ってしまったのか。>

日本の問題は、戦前の「システム」に戻すことではなく、精神、教育、道徳、宗教の問題である。

<心だに 誠の道にかないなば 祈らずとても 神や守らん、という菅原道真の歌は、日本文明の宗教的特質の核心、「日本精神」の全てが収められている。「神」というのは、「心」だ。大正以後の知性の欧化は、「日本宗教」を西欧的自我の見地から内実の空虚なもの、として放棄した。思想史家の相良亨は、「誠実と日本人」という本で、日本の「誠」には、「真の他者性が自覚されていない」ことを理由に、「誠実の克服」が求められていると唱えている。自分自身のうちに、神も仏もある。それが厳然たる「日本の宗教」の信仰箇条なのである。>

わたしは、宗教観については、完全に反対の立場だ。神仏習合、葬式仏教に、衆生を救う力はない。神のレベルまで、仏を低下させる考え方に、大反対である。宗教のような、伝統のような、曖昧模糊とした「神道」では、人も救えないし、世界の宗教、文明と対抗していけはしない。観念的に弱すぎる。また、初期の自然崇拝的神道と、神社神道、戦前の国家神道とは、それぞれ大きく異なっているのに、「神道」という名に誤魔化されて、太古の昔よりずっと、絶え間なく、同じ神への信仰が続いてきたように、日本人に錯覚させている。

<あとがき。文明の自然な活力の維持、再生ということがカギなのである。そのために今日の日本は改革を迫られているのであり、それは単なる「構造改革」などではない。日本の文明に関わる活力や豊かさは、三つの条件にかかわる。1「天皇の位置」。2外来文明への対処ということも含めた「対外環境」。3「国民の精神(こころの)状況」>

日本の再生には、伝統文化の良いところを復活させるとともに、現在の日本の利点も活かしながら、腐ったところを捨て、良いところを残すことが必要だと思う。決して、社会主義的「システム」や戦前の「システム」に、総入れ替えすることではない。それでは、革命になってしまう。何度も言うが、日本の問題は、精神、教育、道徳、宗教の問題である。また、天皇の位置は、現在の象徴でよいと考えるし、立憲君主制がよいと思っている。


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[845] 国民の文明史、その五 投稿者:M78 投稿日:2004/03/20(Sat) 00:30

第七章 世界の中の日本文明

<重層文明と更地文明。日本には北の海を越え、大陸や半島から、黒潮に乗って外からさまざまなものがやってきて、日本はそれを上手に、独特の方法で受け入れていた。そのため、文明の体系が全体としてさまざまな層が重なる「重層文明」となった。しかし、いつも文化がやってくるだけで、一緒に征服者が上陸してくることはなかった。過度なほどの受容性の高さー「換骨奪胎」の文明機能が、深く身に付いた。>

日本が重層文明であることは、間違いないでしょう。しかし、過剰に万世一系的文化を誇りに思うことには反対します。古事記、日本書紀には書いてない、秘密の天皇家の血統断絶、変更があった可能性もあるし、天皇家、大和王朝自体が征服王朝、騎馬民族という可能性もある。縄文から弥生、そして古墳時代と、かなりの文明の断絶、「日本人」の遺伝的変化(他民族の流入)などの可能性も考えなければいけません。記紀に書いていないから、その後の歴史書に書いていないからといって、万世一系を盲信することは、歴史家としておかしいのではないか。

<スペイン人が行って、南アメリカ大陸のインディオを大量虐殺し、「更地化」した。北米大陸には、アングロサクソンが入ったが、南米ほどの大量虐殺は行なわれなかった。移動させ一カ所に押し込めた。>

アングロサクソンも、かなり殺しているし、アメリカ大陸になかった伝染病患者が使った毛布を、貢ぎ物として渡し、伝染病で部族ごと抹殺した話もきく。要は、ラテン系の派手な殺しと、イギリス的な陰鬱な殺しの差ではないか。そして、スペイン人とイギリス人が違ったのは、かたや多くの混血を生んだのに対し、居留地に押し込んで、混血はほとんどなく、徐々にネイティブの血統、文化を根絶やしにしようとしたことである。陰険さがイギリス人の身上ではないか。

<イギリスと日本に共通する「表裏のない正直さ」。日本が開国した当時、イギリス人たちは、日本人はほかのアジア人と違う。日本人は海洋民族なので、嘘が少なく、信用できるとした。>

大陸文明の中国、韓国より、海洋文明のイギリス、アメリカ、アングロサクソンと結ぶべきだろう。(アメリカは、ユダヤ化しているが)

第八章 日本はアジアではない

<世界史の地図帳で、ここ一千年の歴史地図を見ると、インドより西の地域では国境はしょっちゅう大きく変わっている。東アジアでは、国境は変わらない。アジアの国の多くは、「自然国家」であり、国境はあまり変わらない。ビルマ文字、タイ文字、クメール文字、ハングルというように、国ごとにまったく文字が異なり、何の関係もない。アジアでは、一つの国で一つの文明圏を形成している国がいくつもある。>

それでは、なぜ日本だけが中華文明と並ぶ大文明なのだろうか?やはり納得いかない。蒙古文明、朝鮮文明、ベトナム文明が、大文明にならないのは、経済大国ではないからか?日本を世界にも類を見ない最低の国とする自虐派も問題だが、中華文明と並ぶ大文明と考えるのは、少し我田引水ではないか?


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