楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル


[記事リスト] [新着記事] [ワード検索] [過去ログ]
タイトルRe^2: 「神話」のあとさき
投稿日: 2009/07/03(Fri) 09:03
投稿者おちょくり塾より
Subject:北の狼様へA 扶桑社に著作権なし From:キルドンム Date:2007/07/07 18:47
No:5893
 たまたまブログ検索をしていたら、伊達家だか韓国の大統領府だかよくわからないような名前の人が、現行扶桑社版歴史教科書の著作関係者のリストを掲げた末、こんなことを書いていましたが、果たしてこの理解は確かなのでしょうか。まずこの点からはっきりさせねばなりません。

http://akiko.iza.ne.jp/blog/

>上記10人と2人の相続人、そして扶桑社が共同著作者なのです。
扶桑社も著作者に名を連ねているにもかかわらず「御社には、本教科書につき、いかなる意味でも著作権は存在しません」とは著作権泥棒です。

 そこで、二つの扶桑社版(平成13年度検定学校本・平成17年市販本)を含めた中学校社会科 歴史教科書七種(扶桑社の内の一つを除き、すべて平成13年検定本)の奥付の頁を、比較してみました。どれも上に「著作者」「著作関係者」などとして、執筆・監修者の名前を列挙していることでは同じなのですが、仔細に見てゆくと、その中にも二つのパターンに分かれていることがわかります。ひとつはリストの末尾に出版社の名(社名のみ、もしくはその後にさらに「編集局」「編集部」等の名義を附載)を付け加えているもの。これには東京書籍、日本文教出版、清水書院、そして扶桑社が挙げられます。もうひとつは著作者の中に出版社の名が見えないもの。こちらには帝国書院、教育出版が含まれます。
 後者の場合、出版社には著作権が存在しないことは論ずるまでもないわけですが、問題は前者です。下部に記載されている奥付を見ると、扶桑社版を除く三社の場合、東京書籍を例にとると「著作者 田邉裕 ほか37名(別記)」という風に、代表の名をまず掲げたあとに、その他の関係者の名前を略記しているのですが、試しに数えてみたところ、この「37名」の中にはちゃんと出版社も入っておりました。他の二社も同様です。したがって出版社にも著作権の一部が存在することとなりますが、これは多分教師用指導書との関係の都合ではないかと思います(指導書の著作者は出版社名のみ)。
 ところが、扶桑社13年度版では、代表執筆者の名の後、「ほか13名(別記)」とあるのは他者と同様なのですが、監修・執筆者の数をかぞえてみると、奇怪なことに扶桑社を入れて14名もありました。つまり、扶桑社は「著作関係者」であるにもかかわらず「著作者」には含まれていない、扶桑社には著作権はないという意外なことに遅まきながら気づいたわけです(17年度版、および公民教科書でも同じ)。どうしてこんな可怪しなことになるのかまったくわかりません。まさか六年前から今日の事態を豫期していたというわけでもないのでしょうが。
 いずれにせよ、これでは「著作権泥棒」などと威勢のいいことを言った人もひっこみがつかないでしょうから、共同著作物の場合、著作権は代表執筆者に存するのか、それとも個々の著者にあるのかに議論をしぼることをお勧めしたいところですが、まあこれも難しいところがあるわけで…(参考:宮田昇『学術論文のための著作権Q&A』東海大学出版会 53頁)。とはいえ、いくら藤岡さんたちでも新田・八木両氏等が書いた部分など、気味が悪くて使う気にもなれないでしょうし、つくる会側も大幅に改訂することになるでしょう(出版社が見つかるかどうかの点は心配するまでもないでしょう。いざとなれば田中卓氏の先例を採ればよいだけのことですし)。17年度版に少なからず不満のあった小生としては、この機に思い切ったことをして欲しいくらいです。
 もういい加減にしてほしい、との気分は確かにありますが、その前に喧嘩を売ってきたのはどちらか、ということだけははっきりさせねばならぬと思います。
 
//////////////////////////////////////////////

Subject:他は From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/07 19:54
No:5894
えっとぉ、国語的には「荒間他四名」と表記した場合、荒間を入れると五名なんだよね。
荒間の他に四名と言っているのだから。
/////
扶桑社13年度版では、代表執筆者の名の後、「ほか13名(別記)」と
あるのは他者と同様なのですが、監修・執筆者の数をかぞえてみる
と、奇怪なことに扶桑社を入れて14名もありました。
////
//////////////////////////////////////////////

Subject:ずれるけど From:波浪規定 Date:2007/07/07 20:30
No:5895
>灯理さん、羅漢同盟さん、ありがとうございます。
防衛相は、私も灯理さんのいうように、現役をあてるのは弊害が多いと思います。
大臣をださないから内閣辞職というのも嫌ですし。(現在ではもうやらないでしょうが)
また、政治志向の強い人が増えることもマイナスでしょう。
また、大臣と統合幕僚長のどちらが偉いのかでももめるでしょう。まあ、大臣の方が偉いことになるでしょうが、ごたごたの種をふやすようなものです。
旧軍でも陸軍省と参謀本部の対立はやっかいでした。
//////////////////////////////////////////////

//////////////////////////////////////////////

Subject:たとえていえば From:キルドンム Date:2007/07/08 00:04
No:5897
 荒間様、ありがとうございます。少し言い方が混み入ってしまい、おわかりにくかったかも知れません。
 つまり、こういうことです。

>代表執筆者 荒間宗太郎
 監修 北の狼(執筆者も兼ねる)
 執筆 灯理 波浪規定 キルドンム 羅漢同盟 おちょくり塾

として、その下に

>著作者 荒間宗太郎ほか5名(別記)
発行者 おちょくり塾

とするようなものです。やはり、変でしょう。 
//////////////////////////////////////////////

Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/08 07:37
No:5898
なるほどなぅ...
//////////////////////////////////////////////

//////////////////////////////////////////////

Subject:著作権 From:北の狼 Date:2007/07/08 20:21
No:5901
>「著作者」「著作関係者」などとして、・・・・・・リストの末尾に出版社の名(社名のみ、もしくはその後にさらに「編集局」「編集部」等の名義を附載)を付け加えているもの。これには東京書籍、日本文教出版、清水書院、そして扶桑社が挙げられます。

上のとおりだとすると、扶桑社には著作権が存在します。

======================
第二節 著作者
(著作者の推定)
第十四条 著作物の原作品に、又は著作物の公衆への提供若しくは提示の際に、その氏名若しくは名称(以下「実名」という。)又はその雅号、筆名、略称その他実名に代えて用いられるもの(以下「変名」という。)として周知のものが著作者名として通常の方法により表示されている者は、その著作物の著作者と推定する。

(職務上作成する著作物の著作者)
第十五条 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
======================

したがって、「扶桑社も著作者に名を連ねている」のであれば、「御社には、本教科書につき、いかなる意味でも著作権は存在しません」などとするのは誤りです。

逆に「つくる会」が「著作者」「著作関係者」に名を連ねていないのであれば、「つくる会」として著作権を主張することはできません。
『史』2000年1月号にあるように、”「『つくる会』はあくまでも教科書作製の発意者に過ぎ」ず、「教科書を実際に執筆・監修して、その奥付に名前が記載される先生方のみを編著者と限定してい」るので、「つくる会」は「編著者に該当しない」”とのことですから、これは当然のことと「つくる会」も認めていることになります。
//////////////////////////////////////////////

Subject:やはり From:波浪規定 Date:2007/07/09 22:40
No:5902
「呪い組」は呪われているか。(^_^;)
//////////////////////////////////////////////

Subject:補足 From:北の狼 Date:2007/07/10 00:13
No:5903
私は先の投稿で以下のように述べました。

=======================
『史』2000年1月号にあるように、”「『つくる会』はあくまでも教科書作製の発意者に過ぎ」ず、「教科書を実際に執筆・監修して、その奥付に名前が記載される先生方のみを編著者と限定してい」るので、「つくる会」は「編著者に該当しない」”とのことですから、これは当然のことと「つくる会」も認めていることになります。
=======================

この部分には、補足説明が必要のようです。
ただ、「つくる会」をかつて支持していた者たち、または今も支持する者たちなら、上の文章の意味を充分に理解しているはずです。もし、理解せずに「つくる会」の支持者を”僭称”しこの問題で「つくる会」の肩もつも者がいるとしたら、その者は、麻原ショーコーなるインチキ教祖を崇拝していたオウム真理教の狂信者と同レベルの無知または思考停止者である、といってもいいでしょう。

「つくる会」が『史』2000年1月号で、なぜ、わざわざ「つくる会」は扶桑社教科書の「編著者に該当しない」と言明しなければならなかったのか?

理由は「独占禁止法」違反の咎から逃れるためです。

当時、高嶋伸欣氏や上杉聰氏らが、「つくる会」の活動を独占禁止法違反としてしきりに牽制していたのでした。
2001年1月22日には、ついに公正取引委員会に「私的独占禁止法第45条第1項にもとづく申告」として産業経済新聞社、扶桑社、「つくる会」を告発してもします。その告発状から、独禁法違反の論拠を引用しましょう。

=========================
 被申告者甲(注1)、同乙(注2)、同丙(注3)は、競争者の顧客をして自らが発売・発行・編集・執筆などする(した)中学校「歴史」「公民」教科書に不正に誘引・取引するため、編著者を(と)して他社教科書の批判、中傷、ひぼう、比較対照などを執筆させ(し)、それを報道機関と(を)して報道し(させ)て公開・流布し、さらに買い入れ・頒布したもので、これら不正な手段をもって他社の発行する教科書の使用または選択を妨害したものである。

 これらが違反すると判断される法令は以下である。

@独禁法第2条第9項三

 「不当に競争者の顧客を自己と取引するように誘引し、又は強制すること」、四「相手方の事業活動を不当に拘束する条件をもって取引すること」、及び五「自己の取引上の地位を不当に利用して相手方と取引すること」

A公正取引委員会告示第5号三

 「教科書の発行を業とする者が、直接であると間接であるとを問わず、他の教科書の発行を業とする者またはその発行する教科書を中傷し、ひぼうし、その他不正な手段をもって、他の者の発行する教科書の使用または選択を妨害すること」

B教科書業の指定に関する運用基準

 「禁じられるもの(1)他社教科書との比較対照の公布流布(2)中傷、ひぼう記事を買入れ頒布し報道すること(3)他社教科書の内容を批判または誤謬を報道すること(4)編著者をして他社又は他社教科書を中傷、ひぼうさせること」

 右の規定に違反したことにより、被申告者らに対し、すみやかに排除措置をとるよう求める。

注1)被告者「甲」=株式会社産業経済新聞社
注2)被告者「乙」=株式会社扶桑社
注3)被告社「丙」=「つくる会」

http://www.peace-forum.com/kyokasho/kotori/sinkoku1.htm
=======================

この攻撃は、最近にいたるまで執拗に繰り返されてきました(http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-June/001731.html)。

以上で、「つくる会」が扶桑社教科書の「編著者に該当しない」と言明しなければならなかった、その理由が明らかとなったでしょう。
要するに、こういうことです。

高島教授等の主張(「つくる会」は独占禁止法に違反している)が成立するための必要条件は、「つくる会」が扶桑社教科書を「発売・発行・編集・執筆」している者に該当する、ということである。
ここで、「つくる会」は扶桑社教科書を「発売」も「発行」もしていない(それは扶桑社の役割り)。したがって、「つくる会」が「編集」「執筆」していないとすれば、高嶋教授等の主張(「つくる会」は独禁法違反に違反している)は、論拠を失う。ならば、そう言明しよう・・・・「つくる会」はこう考えたわけです。

そこで、『史』2000年1月号でわざわざ、”「『つくる会』はあくまでも教科書作製の発意者に過ぎ」ず、「教科書を実際に執筆・監修して、その奥付に名前が記載される先生方のみを編著者と限定してい」るので、「つくる会」は「編著者に該当しない」”と主張したわけです。

『史』2000年1月号の、編著者云々という言説には、このような意味・経緯があったわけです。

ここは、この「つくる会」の主張は(実態はどうあれ)それはそれでいいとしておきますが、ここで確認しておきたいのは、上のように言明した時点で、「つくる会」自らが「つくる会」自体には扶桑社教科書に著作権を有しないと宣言したことになる、ということです。

その辺の事情を知っているはずであるにもかかわらず、以下のように主張する人物がいるのですから、まあ、困ったものです。ただ、昨今の「つくる会」の迷走ぶり、非論理ぶりを象徴する言説でもあるともいえるでしょう。

=======================
6月22日付けで「つくる会」が扶桑社にあてて出した文章が、
イメージが悪いなどと悪い評判です。

といっても、八木派の仲間の人たちからみてのこと。

この文章は要するに今までの教科書の著作権は「つくる会」側にありますよ。だから、それを勝手に模倣して教科書は作らないようにという警告です。

http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-411.html
==========================

「著作者」「著作関係者」として記載されていないうえ、「編著者に該当しない」(≒著作権がない)と宣言している「つくる会」に、いかなる意味で著作権なるものがあるのでしょうか?
//////////////////////////////////////////////

Subject:独白〜もしくは雑感 From:苹@泥酔 Date:2007/07/10 02:44
No:5904
 著作権とか版権とか、ややこしそうな話は正直なところ取っ付きにくい(汗)。蘭様のサイバ板によれば、メーリングリストでもかなり盛り上がってるみたいネ。
 こちとら支那基準の模倣世界にどっぷり漬かると「真似て何が悪いの?」と思いたくもなるし、最近話題になった例では菓子の「ひよこ」も米国製懐中電灯も判断の境界がチョットねぇ…。ローカルなネタでは、中国企業が「青森」を商標登録した一件もあったな。アニータ騒動みたいに多額の弁護士費用がかかるなら、それこそ踏んだり蹴ったりやんけ(苦笑)。中東ではミッキーマウスそっくりのキャラで自爆テロを煽る子供向け番組が終了した模様。しかも最期はミッキーもどきキャラがイスラエルの役人に殺されるオチだとか。付帯思想(?)とキャラのイメージがこれだけ違うケースってのも珍しい。しかし考えようによっては真っ当なパロディと見なせるかも知れないし、例えば一字違いの「新しき歴史教科書」ってのを吉見先生あたりが作って強烈な反日思想を際立たせるなら、むしろそっちの方が割り切りは早いんじゃなかろーか。
 で…「中身が似てくる事」それ自体が問題になるのなら、たぶん「元祖と本家の争い」みたいな感じになってくるんだろーな。この手の泥沼状態は共食いになりやすい。それを承知せぬままイチャモンつけた訳ではあるまい。私はあれを「それなりに差異化してね♪」のメッセージと受け取った。ところが扶桑社側の見解を見ると、自らそうする気はないらしい。そこで権利上のテクニカルな問題に一切が凝集していく。視点が一方に集中すればするほど他方に隙間が出来る。その隙間の部分で何がどんなふうに進行するか、そちらの方が私にはよほど興味深い。北朝鮮の時間稼ぎと同様、戦術的には扶桑社側に分がありそうな気もしてくる(きっと…こうしてる間にも着々と教科書の執筆・編集を入念に進めてるんだろうな)。
 泥沼状態になればなるほど、先に論点を「持ち出した」方が先に内側から揺らいでいくケースは巷間に少なくない。それに対して先に論点を「持ち出させた」方は、そう仕組む事によって包囲網を作る機会が相対的に増える。ここでは凝集性と汎用性が相互に「対立軸となる」事で、それぞれが結束力と応用力の場に於て「棲み分け」の橋頭堡を自ら要請せざるを得なくなっていくだろう。…分が悪いのは「つくる会」側。出版社が決まらぬうちは、「会」そのものを精神的橋頭堡として過剰に持ち上げざるを得ない。出版社は「架空の戦力」を指向しつつ「旧軍化」し、「会」は或る種の軍部幻想を抱えたまま「政府化」し、トップは弱体化すればするほど他律的に「天皇化」へと向かう(喩えが不敬なら御容赦を…汗)。「現在のトップ」たる藤岡先生を「天皇化」する事は組織にとって好ましい事ではない筈。そこで「藤岡天皇」を阻む意味でも「非‐西尾天皇」化の逆説論理が必要となってくる。「天皇化」の焦点が空洞化すれば凝集力は高まり、そこに本来の陛下が「空位のまま」指向される事となる。ここでは目的そのものが実体なきまま「即位」するべきであり、そうした意味では潜在的内紛の火種を有益と見なす方が、組織論的にはむしろ構造的に安定するのではないかと思う。

(追記)
 …と書いて投稿しようとしたら狼様の新稿が(汗)。
 感想を一つ。「奥様はおっちょこちょいだなあ。」(実は私も…汗)
//////////////////////////////////////////////

//////////////////////////////////////////////

Subject:何だか… From:キルドンム Date:2007/07/10 14:05
No:5907
 まだ、話がすれ違っているように思われるのですが。 
 別に、藤岡さんたちが「『つくる会』が、編著者/著作権者だ」などと言っているわけではないですよね。例の通知書でも「つくる会会長」の肩書きは使っていないし、あくまで執筆代表としての立場からのものでしょうし(もっとも、「つくる会」が送付した、なんてwebニュースに書いていたりするからややこしくなるし、すでに絶版になった筈の13年検定本の執筆代表の名義を掲げているのも気にはなるのですが)。この辺のことでは、彼等の主張にブレは大して見られないし、扶桑社側とも認識は一致している筈。もしここで氏たちが「『つくる会』に著作権あり」などと言い出したら、それこそ自殺行為でしょう。代理人の方も辯護士であるからには、そのことは百も承知でしょうし。
 奥様ブログについては、はじめ小生も一読した時苹さんと同じことを(汗)。ただよくよく見てみるとそれ程問題はないことに気づきました。オバサマはこういう風におっしゃっていますね。

>この文章は要するに今までの教科書の著作権は「つくる会」側にありますよ。だから、それを勝手に模倣して教科書は作らないようにという警告です。

 ここでは「著作権は『つくる会』にある」といっているのではなく、「『つくる会』側」、すなわち執筆者集団の抽象的総称にあるといっているのです。いや、実際に思い違いをされているのかも知れませんが(笑)、少なくともここの一節だけで速断はできません。ただ、引用後半の点についてはどうでしょう。前にはこんなことは扶桑社の側もわかっているでしょうから(わかっていなければ今度はこちらが自滅)、この警告自体、不要のものだったという申しましたが、その後さらに考えてみると、ある意味「紳士的」な申し出であるようにも思えはじめてきて…(笑)。今後、つくる会「側」と扶桑社との話し合いがあるとすれば、もっぱら版権をめぐってのものになるでしょう。
 これまで、「つくる会教科書ではない、扶桑社版教科書だ」と言い続けてきたことについては北の狼様のご指摘の通り。彼等とてよもや今になってそのこと自体、否定しようとはしないでしょうが、勿論、そのことはただちに扶桑社に著作権があることを意味するのではないことも事実。最大の問題は、先日も申し上げたように扶桑社に著作権(の一部)があるのかないのかがはなはだ曖昧だということです。話をそこにしぼって論議した方がよくないでしょうか?
 前提。著作関係者、もしくは執筆者がただちに著作権を有するとは限らぬこと。したがって最後のページ上部に名前が載せられていてもそれだけでは著作権者とは限らない。下の奥付で判断しなければならない(高校の例になるが、明成社―著作者の中には社名はないが―の『最新日本史』では、奥付の該当部に「丸にC」の記号がついている。これならわかりやすい)。もし、扶桑社に著作権があるとすれば、一人、著作者の中に著作権をもっていない人がでてくる。それは一体誰なのか。
//////////////////////////////////////////////

Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/10 17:53
No:5908
まだ判らんのだがなぅ...
執筆者の代表?代表執筆者?
執筆者の代表を騙るのならそれなりの代表権があることを明示しなければおかしいべさ。
また、代表執筆者としてなら、「一切云々」という字句の根拠を明示しないといけないしな。
理念まで似せるなとは恐れ入るほどの視野狭窄だよ、それで国民運動にしたいとは臍が茶を沸かしてしまう。
著作権の供託を打ち切るとか言っているんだから、何バカなことを言っているのだろうと思う。小説書いたつもりなのか?と小一時間問い詰めたいものだ(笑)。
教科書なんだよ、子供達が学ぶ教科書。一般小説のつもりなら著作権で争ってもおもしろいだろうけど、検定教科書で何いってんだか、もう二度とつくる会は教科書を作ってほしくないな。
現在流布している中からより良いものを選別するよ、十年前の惨状にもどっち待った‥‥(__;)ウウッ
//////////////////////////////////////////////

Subject:>キルドンムさん From:北の狼 Date:2007/07/10 20:40
No:5909
>最大の問題は、先日も申し上げたように扶桑社に著作権(の一部)があるのかないのかがはなはだ曖昧だということです。話をそこにしぼって論議した方がよくないでしょうか?

上については私が明確に論じているはずです。「No.5901」を参照ください(以下に再掲)。反論があるなら具体的にどうぞ。

***************************

>「著作者」「著作関係者」などとして、・・・・・・リストの末尾に出版社の名(社名のみ、もしくはその後にさらに「編集局」「編集部」等の名義を附載)を付け加えているもの。これには東京書籍、日本文教出版、清水書院、そして扶桑社が挙げられます。

上のとおりだとすると、扶桑社には著作権が存在します。

======================
第二節 著作者
(著作者の推定)
第十四条 著作物の原作品に、又は著作物の公衆への提供若しくは提示の際に、その氏名若しくは名称(以下「実名」という。)又はその雅号、筆名、略称その他実名に代えて用いられるもの(以下「変名」という。)として周知のものが著作者名として通常の方法により表示されている者は、その著作物の著作者と推定する。

(職務上作成する著作物の著作者)
第十五条 法人その他使用者(以下この条において「法人等」という。)の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物(プログラムの著作物を除く。)で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めがない限り、その法人等とする。
======================

したがって、「扶桑社も著作者に名を連ねている」のであれば、「御社には、本教科書につき、いかなる意味でも著作権は存在しません」などとするのは誤りです。

逆に「つくる会」が「著作者」「著作関係者」に名を連ねていないのであれば、「つくる会」として著作権を主張することはできません。
『史』2000年1月号にあるように、”「『つくる会』はあくまでも教科書作製の発意者に過ぎ」ず、「教科書を実際に執筆・監修して、その奥付に名前が記載される先生方のみを編著者と限定してい」るので、「つくる会」は「編著者に該当しない」”とのことですから、これは当然のことと「つくる会」も認めていることになります。

******************************


扶桑社教科書については「扶桑社」は著作権を有しており、「つくる会」は有していない・・・・・・・これは疑いようのないことだと考えますが、反論がおありでしたら【事実】および【法】に則って述べてください。この掲示板は与太を飛ばす場ではありません。
//////////////////////////////////////////////

Subject:>苹@泥酔さん From:北の狼 Date:2007/07/10 20:54
No:5910
>感想を一つ。「奥様はおっちょこちょいだなあ。」

蘭さんの「サイバ板」をみてきましたが、もはや「おっちょこちょい」というレベルの話ではありません。思考の周波数が、あのネットゴロのS子と完全に同期してしまっていますね。つまり、もはや救いようがないということです。
//////////////////////////////////////////////

Subject:それにしても From:北の狼 Date:2007/07/10 22:00
No:5911
いまつくづく思うのが、当サイトが早々と「つくる会」との絶縁を宣言したことは本当に正しかった、ということです。

「リライト問題」直後のことでしたが、私がこう決断し宣言した時、たぶん荒間さんでさえ若干の抵抗があったのではないかと思いますし、どこかの「奥様」などは不満タラタラだったでしょう。まあ、私などは、西尾会長(当時)が韓国人の友人の助言なるものを容れて独断で検定済みの教科書を自虐的なものに改変した時点で、「つくる会」をある程度は見限っていましたから、絶縁を宣言することにそう抵抗がありませんでしたが。

どういうわけか、私は昔から、【政治化した組織】または【運動団体化した組織】から発っせられる特有の腐臭に対して、嗅覚がすこぶる敏感なのです。ですから、年少の頃から「自虐派」「左翼」「反日日本人」「反日朝鮮人」には嫌悪の念を抱いていましたし、同様の理由で、「リライト問題」以降、とにかく「つくる会」(とりわけ東京支部のゴロツキ・チンピラども)と関わるのが嫌で嫌でしょうがなかったのです。

これは何人かの友人・知人に漏らしたことです・・・・・かつて、どこぞの札付きネットチンピラにより当サイトの掲示板が荒らされた時、「奥様」が、その人物を(単に個人的に親しいというだけの理由で)庇い立てして、あろうことか掲示板のパスワードを勝手に変更して乗っ取ったうえで、そこで私や荒間さんに対するデマ、誹謗、中傷の限りを垂れ流させる、という暴挙に出たことがありました。当然、当サイトは”分裂”しました(ちなみに、「奥様」とそのネットチンピラも、ほどなく、下らない理由で”分裂”したそうです)。もちろん、そのネットチンピラはもとより「奥様」の行為自体、鬼畜に等しい人道にもとる行為ではありますが、他方で、実は私はある意味で感謝もしていたのです。どう感謝したのかというと、”ああ、ようやく「奥様」を含めたゴロツキ、チンピラの類と完全に手を切ることができる。これで、人生を有意義に過ごすための時間が増える”、と・・・・・。

八木氏らの分裂劇の際、新田先生や蘭さんの奮闘ぶりに喝采をおくる一方で、実は私は”「つくる」=「ゴロツキ、チンピラ」と早目に手を切っておいて、本当によかった。あんな下らない騒動に巻き込まれていたら大変だった”と、安堵の念を抱いていたのでした。ですから余計に、新田先生や蘭さんの粘り強い言動には頭が下がる想いがしたのですが。
//////////////////////////////////////////////

Subject:今だから言うが... From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/10 23:04
No:5912
ワシが西尾氏に見切りをつけたのは別のことでなんだ。
ある時、十年来の友がひょんなことから某国民新党の誰かさんの掲示板の管理者になった。
彼は元々社会党支持者だったのがワシに染まって(笑)いつしか自民(っつうか保守)よりになって「日本経済10%成長論」の掲示板関係から某代議士の知古と知り合ったなったらしい。
それはそれで、ワシは某亀さんは嫌いだったので関わりたくなかったが、友人が掲示板管理者になったので、立ち上げたばかりだったし、こちらからリンクはしても良いなぅと思った。
それで、リンクしても良いか?と聞いたら、駄目という、駄目と言う答え自体は彼の名を冠したサイトだったので良いが、その答え方(言いぐさ)の尊大さに唖然とし、ぁぁこの人の先は短いなぅと思った。とても国民運動の指導者の器ではないと思った。
それはまだ、彼のサイトを立ち上げて二年目のことだった。その思いはワシの胸の中でのみ息づき誰にも言わなかった、言う必要のないことだし、いつか袂を分かつときが来たらきれいに分かれるだけのことだからね。
それから二年の時が経ち、先の狼さんの回想と繋がることになる。だから「たぶん荒間さんでさえ若干の抵抗があったのでは」というのは間違いじゃ(笑)、某おばさんの好意(無償での長時間のタイピングの労力はそれはそれとして敬意を払っていたからね)で彼の作品を開示しているのだから彼女に遠慮して何も言わなかっただけだよ。
でも、去年の騒動以降の彼女の言動にはほとほとあきれ果ててしまったよ。毎々視野狭窄に陥り疑心暗鬼で、あたかも五里霧中の渡航をしている笹舟のごとし。
陰口は女の癖だから何とも思わないけど、目標を持って進むとき「視野狭窄に陥ることなく仲間を信じ疑心暗鬼に取り憑かれることのない」姿勢が肝心だよね。それとは正反対の愚かさを見せては駄目だよ。彼女は今そのしてはならない姿勢をとっている。あきれ果てているよワシは。
どうして信じることの大切さが判らないのだろうかなぅ...
//////////////////////////////////////////////

Subject:ややこしや…(汗) From:苹@泥酔 Date:2007/07/11 02:01
No:5914
>もはや「おっちょこちょい」というレベルの話ではありません。
 ↑は北の狼様のNo.5910。
 うーん…。昨夜の投稿直前にふと脳裏を過ぎったのは、キルドンム様のNo.5907(↓)と似通った読み方でした。
>ここでは「著作権は『つくる会』にある」といっているのではなく、「『つくる会』側」、すなわち執筆者集団の抽象的総称にあるといっているのです。

 つまり私にとっては「側」という表現の解釈が、書き手から読み手に転移する過程で多様化を余儀なくされるって訳ですね(汗)。そんなのを含めて、「多様化の阻止」に向かうべき視線そのものが〜閣下の場合は逆に「おっちょこちょい」の作法で放射されるのだろうと。抑も書き手にとって、自分の文章・文脈・文意が曲解されるのは多分「例外なく心外」な筈なのよね。だからそうならない様に神経質になればなるほど〜そしてニュアンスを厳密に表現しようとすればするほど文章が長くなる(苦笑)。例えば初歩的な方程式問題における諸々の条件ね。「0<x<5」といった具合の範囲が明示されてないと解が導けなくケースなんか、中学生にもなれば誰だって分かる。しかしそこには予め「解を出す」という暗黙の要請が勝手に前提されてあるから、「その手にゃ乗らねーぞ」てな距離の持ち方を差し挟む場合は逆の意味でルール違反(?)になりやすい。
 …問題そのものを問題とする手口が過激になったのは、或る意味「神学的」な西洋型論理の破綻を命題に組み込んだ後だったかなあ。私がドゥルーズに「破綻の生産性」を垣間見たのも、(単なる創造的破壊だけでなく)破壊的な保守性との褶曲がバランサーとしての機能を宿しているかの様に映った点が影響してます。そこから勝手な読み方が始まった(爆)。私の読み方が「読まれる本」を支配しようとするから、それを阻む仕組みの杜撰な本は逆に「どうにでも読まれる」八方美人タイプって事になる。…書物や文章は本質的に不快で構わない。不快でない本は快を羨望しない(私にとって、実は筋めんどくさい『判断力批判』も或る意味「不快」だからこそ余計に魅力的なのよね…汗)。そうした不快さを、奥様閣下にはもっとアフォードして欲しいと思ってるのでやんす(もしかして俺…ひねくれてる?)。別段、「ネットゴロのS子」と狼様が表現する御方(私なりに勝手なイメージを膨らませると↓)と同期する必要はないからさあ。
http://art.pro.tok2.com/B/Boeklin/bock03.jpg

(冗談)
 え…まだ美し過ぎる?…そう思う人にはこちらの画像を(↓)。
http://www.d1.dion.ne.jp/~t_imac/el00.JPG
 そして…対応する画像。松坂慶子ばかり想像している訳ではない(↓)。
http://www.d1.dion.ne.jp/~t_imac/el08.jpg
 誹謗と思われても困るから、こんなの(↓)も公平に出しとこう(藪蛇?)。
http://www.sankei.co.jp/sports/sports/070624/spt070624002-1.jpg
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_04/image/g2007041601takuhati.jpg
 …ネタにしてごめんね(平伏)。

(余談)
 んでもって…今夜は更にビックリ(↓)。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070711k0000m040099000c.html
--------------------------------------------------------------------------------
>>新しい歴史教科書をつくる会:現会長が元会長を提訴
> 「新しい歴史教科書をつくる会」会長の藤岡信勝・拓殖大教授が10日、虚偽の経歴を広められ名誉を傷つけられたとして、元会長の八木秀次・高崎経済大教授に1100万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。
> 訴えによると、藤岡氏は91年まで共産党員だったが、保守的立場に転じ97年の同会結成に携わった。しかし八木氏は、藤岡氏が01年まで離党していなかったとの虚偽情報を雑誌に出すなどし、社会的信用を低下させたと主張している。
> 藤岡氏は会見し「私をつくる会から排除しようとする狙い」と批判。八木氏は「残念。訴えられる理由が理解できない」とコメントしている。
> つくる会を巡っては、扶桑社が「組織内に混乱が生じ、事実上分裂している」として同会執筆の中学校教科書の継続発行を拒否し、八木氏らのグループと別の歴史教科書を発行する予定という。【北村和巳】
>毎日新聞 2007年7月10日 21時15分
--------------------------------------------------------------------------------
//////////////////////////////////////////////

- 関連一覧ツリー (★ をクリックするとツリー全体を一括表示します)