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タイトル和解する可能性?..そんなもんは無い
投稿日: 2009/07/03(Fri) 08:57
投稿者おちょくり塾より
Subject:こんなことを考えてみました From:キルドンム Date:2007/06/22 17:42
No:5825
 「宅八郎」なんてイメージがどうして唐突に出てきたのかな。はっきり言って、長髪男は嫌いです(笑)。よく人からは「佐野史郎に似ている」とは言われますが(本人は頑強に否定)。

 さて、藤岡さんたちが扶桑社に送った文書についてだが、よくわからないのが、これまで「再生機構のつくる教科書は我々のとは理念も、内容もまったく別物」「『朝日新聞に批判されない』教科書」などと言っておきながら、今度はわざわざ「真似するな」と念を押しているということ。この辺の説明をはっきりして欲しいものであるが、それより、まだ影も形も見えていない本に対してどうしてこの段階で申し入れ書を突きつける必要があったのか。戦術的には、扶桑社が教科書を完成させた段階で著作権を持ち出し「我々の書いた文章が使ってある」(同じ史実について書かれているのだから、記述が類似するのは免れがたいであろうが、そのことはさておき)として、証拠を掴んでから提訴する方がはるかに有効であろうと思われるのだが、如何であろうか。勿論、版権および著作権がどちらにあるのかということもあるが、それも裁判の過程ではっきりするであろうし(教科書の著作権については、確か判例があった筈では?どなたかご示教の程お願いします)。ただ、現行扶桑社版の文章をそのまま使った場合、教科書の後の執筆者一覧に、どうしても著作権などとは関係なく藤岡氏たちの名前を再生機構側と並べて載せざるを得なくなるであろう。扶桑社にそこまでやる勇気があるだろうか?いや、扶桑社に聞いているのではなく、藤岡さんたちに尋ねているのである。
 もっとも、機構側の教科書が出来た段階で裁判に持ち込むのではなく、現時点で釘を刺しておこうというのなら、いまだに藤岡さんたちの方にも「階級内矛盾」にとどめておきたいという気持ち、両者が和解する可能性を残したいのかも知れない。それならば、今後の展開は扶桑社や機構の側の態度いかんにかかってくる。
 つくる会側の意図などはどうでもいい。小生が今、痛切に心配しているのが「果たして本当に機構側に教科書がつくれるのか、いや、そもそも本気でつくる意志があるのか」ということ。勿論複数の「よりマシ」な歴史教科書が競合し、シェアを拡大していく事態になるのなら大賛成である。両者が良い意味でのライバル関係になるためにも、組織的な曖昧さは許されないからこそ、つくる会が腰のいつまでたっても定まらない人を追い払ったのにも納得した。しかし肝腎の再生機構(もしくはその別名組織)の方は、教科書をつくれるだけの態勢になっているのだろうか?どうもそのようには思えないのである。今からつくろうとして、果たして次回の採択までに間に合うかどうかも難しいし、そもそも現状ではタウン・ミーティングを継続して行うだけで手一杯なのではなかろうか@ 。
 人選の問題もある。あちこちに出回っているらしい「機構側の執筆者豫定リスト」らしきものを見たことがある―再生機構のHPにはまったく触れられていないので、ひょっとしたら××支部あたりの立てたデマかも知れないが―それを見て愕然となった。まったく教科書というものがわかっていない。たとえば、リストの中に桜井よしこ女史の名前があるが、そもそも女史が教科書執筆者としてふさわしいと本気で思っているのだろうか。別に貶めて言っているのではない。ジャーナリストとしての女史は評価する。だが、人にはそれぞれ向き、不向きというものがあるのである。もし本気で教科書をつくるつもりなら、もう少し考えてほしいA 。
 このことは前にも書いたが、機構側は多くを望まず、着実に目下すべきこと、すなわちそれなりの評価を得ている(らしい)TMとかいうものをこなすべきであるB。もしも環境が変わって、TMが終了すれば、その時になって次の課題をさがせばよい。そしてそのことはつくる会側にもいえる。「足の引っ張り合い」も結構だが、むしろ「棲み分け」というということを念頭に置いては如何だろうか。このままではたとえ両者がそれぞれ中学校の教科書を出せたとして、併せてもこの前の採択率を上回ることはほぼ絶望的である。つくる会に求められているのは大規模な戦術の転換である。


@これについては蘭さんも書いておられる通り、八木さん―いくら誰もその指導力などに期待していないとはいえ―自身かなりあちこちに引っ張りまわされて過労気味のようである。しかし再生機構の趣旨とあまり関係のないことをHPに得々と書く必要があるのだろうか。この前の『SAPIO』に載った一文のことである。陪審員制度に諸々の問題があるというのはわかる。しかしながら、現行憲法と結びつけるのはいくらなんでも無茶ではないか。かつて陪審員制度が行われていたのは明治憲法下においてであったことを失念―意図的にか―している悪文である。まあ、素人の憲法談義は個人の責任で行いさえすればどうでも良いが、再生機構のHPにそのことを載せた場合、機構を支持している陪審員制導入論者の中に、機構自体が導入反対だという風に誤解する人も出やしないだろうか。そういえばかつて、女系論者のつくる会理事を八木氏たちがいじめて追い出そうとしていた、とさる方が書かれておられたが―真偽の程は確かではない。小生の知る限りではそんなことを言っていたのは当板を永久追放処分になった某氏くらいなのだが―、その理事の場合、少なくともつくる会のHPで主張していたわけではなかった。やはり個人の意見は辯別して行うべきであるように思われる。

Aまた、鄭大均氏が「新帰化者だから、執筆者としてふさわしくない」という主張をしていた人もいたが、莫迦げた意見である。あくまで必要なのは鄭氏が執筆するだけの見識と学識とを有するか、ということだけである。

B最近、去年のTMのパネラーとして八木氏の横に座っていた方のご子息とお会いしたが、「私も是非とも参加したかった」と申し上げたものである。どういう意味であるかはともかくとして(笑)。
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Subject:傑作だなぁ(笑) From:北の狼 Date:2007/06/23 23:28
No:5830
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「つくる会」FAX通信第195号

・・・・・・・・・・・・・・・
つくる会は昨年1月に西尾幹二名誉会長が退任し、他方で4月には八木秀次氏ら一部の理事が辞任しました。しかし、それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません。ところが、扶桑社はつくる会には内紛が絶えないから手を引くといいながら、おかしなことに育鵬社から発行する教科書の編集顧問には辞任した八木氏が就任し、歴史教科書の編集の中心には同じく辞任した元理事が座るというのです。
つくる会が排除され、会を去った人々が教科書を書く。こういうことを日本語では「乗っ取り」というのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
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いや、久々に笑わせてもらいました。

西尾幹二氏といえば、「神社右翼を追い出せ」、「追い出すときは徹底的に侮辱しろ。そうすればもう戻ってこない。小林よしのり氏の時もそうした」などと【八木氏追放】を散々煽り、”見事に”その目論見(八木会長自認・追放)を成就させるとともに、返す刀でサンケイ新聞や扶桑社を八つ当たり気味に批判し幹部を激怒させ、扶桑社が「つくる会」と手を切るきっかけをつくった人物です。そういう人物を、「つくる会」はいまさらながら陰の実力者(とはいえ、内実は相当にしょぼいですが)とあおいでいるわけです。

昨年4月以降も、否、4月以降こそ、当時の紛争がいかに”熱い”ものであったか。
西尾ブログ、東京支部掲示板、「つくる会」 Fax 通信、メーリングリストはもとより、この紛争のためにブログを立ち上げた(現・元)「つくる幹部」も何人かいたくらいです。藤岡氏もその一人であったことを、もう忘れたのか?
その後も内紛を繰り返し、会長が何人か辞任し、いまようやく藤岡氏が念願の会長に就任し、”落ち着き”を取り戻したところでしょう。

この事実経緯のどこをどう解釈したら、当の「つくる会」のほうから、「会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません」とか、「乗っ取」られたとかいう言葉がでてくるのでしょうか?
これでは<歴史>の偽造を通り越して、もはや捏造や妄想の類とするほうが適切でしょう。つまり、「つくる会」の<歴史>認識力なぞ、もはや南北朝鮮や左翼なみのレベルに落ちぶれてしまった、ということです。

そもそも、「西尾 vs 八木」の闘いは、西尾氏が扶桑社を敵に回した時点で、「つくる会」の教科書出版は極めて困難になっていたのです。そのことさえ想定できずに、西尾氏がサンケイ新聞や扶桑社批判を行ったとすれば、間抜けという他はありません。
まあ、西尾氏だけならまだしも、藤岡氏が会長となった今では、扶桑社が「つくる会」に執筆を依頼する可能性は絶無です。さらに、現行「つくる会」が執筆する教科書を出版しようなどというもの好きな出版社なぞ、まずあらわれないでしょう。そもそも、中学校教科書の出版は、もの好き程度では絶対につとまりません。

ともあれ、笑わせてもらいました。
どんな人間や組織であれ、ドツボに嵌まるととことん堕ちるものですが、その実例を目の当たりにしました。
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Subject:乗っ取りは・・・ From:波浪規定 Date:2007/06/24 11:42
No:5831
F先生の方でしょうに。(笑)
政治思想が転向しても、手口がそのままだからなあ。(^_^;)
帝政ロシア当時は、革命家が夜中に目を覚ますと、オフラナと予審判事と検事が枕元に立っていたそうだが、KGBも引き継いでいる。(笑)
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Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/24 11:51
No:5832
「集団自決」検定意見に対して、沖縄県議会が撤回要求を議決したんだとさ、するのはかまわないがそれを文部科学省に押しつけるのはサヨク君達がいつも言っている政治権力の介入になるんじゃないのか?それが許されるのなら、 捏造史観(ありもしなかった日本軍による南京住民の大虐殺とか従軍慰安婦とか)も正さなければならないべさ。でもそれは駄目だと左翼君達は言うのだから今回の沖縄についてもデモをしてでも止めなくては片手落ちだよ。

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58574/
沖縄県議会は22日、高校日本史の教科書について沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を命令、強制したとの記述を削除させた検定意見を撤回して記述を元に戻すよう要求する意見書を全会一致で可決した。同日午後、県議会議員7人が東京・丸の内の文部科学省などを訪れ、意見書を提出した。
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主張は誰にでもする責務はあるからそれを議決すること自体駄目とは言わないし、文科省に陳情することにもダメ出しはしない。でも、彼らは極端な意見に仕上げているんじゃないのか?

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これに先立ち、伊吹文明文科相は閣議後会見で、私人としては検定結果が沖縄県民の意に沿わないことは理解できるとしながらも、「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ。検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べ、改めて検定結果を尊重すると強調した。
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{「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ」}という大臣の言葉に答えがある。「すべての集団自決に軍の命令があったのではない」という意見に対して、ニュース等から流される彼らの意見はナニも答えていないことが判る。彼らには「すべての集団自決に軍の命令があったのではない」という意味が判らないのだろうか、歴史感に曇りがあると極端な方向に走るんだなぅと思う。

すべての集団自決に軍の命令があったのではないと言うことがもっとも正確な史実記述だし、それが正しい歴史感だろう。
それなのに...
日本軍が住民に集団自決を命令(ニュース記事)
こんな題でニュースにするのがおかしいべさ。「全く無い」とは誰も言っていないっしょ

大臣がちゃんと認識示しているべさ。
http://aramar88.iza.ne.jp/blog/entry/204691/
「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ。検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べ...

この意見を何で判ろうとしないのかなぅ
集団自決はあったし、軍曹から何らかの自殺強要もあったらしい(体験者の告白)から、それ自体を否定はしていないっしょ
「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ」といっているに過ぎないし、そ〜ゆ〜記述になったということだよ。
それなのに、わざわざ{強制}だけ強調した記述にのみ正当性を与えるのは小説ならともかく教科書にはふさわしくないべさ。

何でこんなことが判らないのだろう?
それはバカヒのこの記述にすべての答えがあるな。
http://www.asahi.com/national/update/0624/SEB200706240001.html?ref=rss
糸満市の福田純安さん(70)は「(集団自決の際に)軍が組織として命令を下したのか、一人の軍人が手投げ弾を渡したのかにこだわっても仕方がない。住民は従うしかなかったのだから。教科書の記述は元に戻した方がいい」と話す。

「住民は従うしかなかった」だから軍による強制だという捏造史観が醸造されてしまう。ありもしなかった従軍慰安婦も言葉が一人歩きしている支那。駐屯地近くに慰安所があったとしたら、それが従軍だというのはおかしいべさ。
「住民は従うしかなかった」だから沖縄住民の全ての集団死が軍による強制だという結論に見えるような記述を教科書に書いて良いのか?
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Subject:民主と愛国 From:苹 Date:2007/06/24 19:20
No:5838
↑念のため…同名の書物とは無関係でやんす(汗)。

 この際だから書いとこう。〜「つくる会」が会員制なのに対して、再生機構はサポーター制ってのが前から気になってたのよね。世の中「民主的イコール健全」とは限らない。「民主的ゆえに不健全」てな在り方の典型的事例が「内紛」だとすれば、その「内紛」を否定する側の論理と口実に使う側の論理との差異に興味が湧いてくる。
 他社の場合はどうだろか。大抵は内輪でさっさと書いちまって、ポンと検定に出して、後は営業任せとなるのがフツーだろ。「つくる会」みたいに会員&外野(オレたち「おちょくり族」も含む?…汗)が始終キャンキャン騒いでる所なんてのは前代未聞じゃなかろーか。それに嫌気がさしたって事なら、扶桑社側にも同情の余地がある。片や再生機構側を見れば、これまでサイトをぼんやり観察してきた範囲では…掲示板はないし「メーリングリストがある」って話も聞かないし、双方「軌を一にしている」としか思えない。要するに「これからは普通の教科書会社を目指す」って事じゃなかろーか。会員排除の原則を内々に共有し、「カネは出しても口出すな」式のサポーター制でそこそこ資金を調達する。企業の株主総会みたいなのも実施されてないんじゃなかろーか(誰か教えてちょ♪)。

 ほんでもって、次は「内紛を否定する側」の話。まさか「民主的合議に内紛は付き物」と開き直る訳にもいくまい。それを言ったらオシマイで、はなから扶桑社に歩み寄る気はない事になってしまう。小林会長時代の総括(否定?)がなされていない段階では、そんなの絶対に持ち出せないだろがぁ。「相手のある話」って文脈を度外視すれば、内紛を否定する「苦し紛れの前提」が維持できなくなってしまう筈。
 そうした意味では「嘘も方便」って事なのかも知れないな。だって会長声明にハッキリこう書いてるじゃん。「もしも上記の方針を白紙撤回してお声をかけてくださるなら、いつでも交渉のテーブルにつく用意のあることを付け加えておきます」って。
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_070531.htm
 この文言は「まだ生きている」筈。意固地になって門戸を閉ざした訳ではない。そこが「つくる会」側の引け目でもあるなら、扶桑社は論理的必然から成る敵失(?)を逆手に取るかのごとき振る舞いに便乗するべきではないし、卑怯に見える諸相は再生機構側のためにもならない。

 育鵬社の拡張路線(?)に期待する立場から見れば、これから出るかも知れない国語や家庭などの愛国教科書に余計な印象は無用だろう。それこそ採択の邪魔になる。…あたしゃ基本的には「つくる会」に出来ない事をやって欲しいのよね。ただし、肝腎の教科書を事後承諾的に支持するとは限らないけど(実際に中身を見た訳じゃなし)。
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Subject:ええと… From:キルドンム Date:2007/06/25 15:51
No:5839
 北の狼様、ご指摘ありがとうございました。ところで、二、三よくわからない処があるのですが、ご教示願えませんでしょうか?
 まず、「いまようやく藤岡氏が念願の会長に就任し」というところですが、藤岡氏の会長就任は、なりたくなってなったというよりむしろ他に方法がなくなり、仕方なく出て来ざるを得なくなったというように感じられるのですが。何といっても該会創設の主唱者ですし、会長になろうと思えば十年前からになれた筈。もっとも、「念願」というのが氏自身ではなく、他の人々のそれだというなら話は別でしょうが。
 また、「それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません」と通信文に書いてあることについて、「も」というのが少し引っかかりますが、ここで「それ以後」、すなわち四月以後には、確かに分裂は起こっていない―紛争はどうかわかりませんが、苹さんも触れておられるように、我々を含めた外部からの批判・批評を「内紛」というのは無理でしょう―しかも、四月以前のことに対し、「分裂も内紛もない」という信じられぬ見解を示していたのは、他ならぬ小林前会長であったのではないでしょうか。この点は如何でしょうか。
 あと、「扶桑社が『つくる会』に執筆を依頼する可能性」と仰っていることについてですが、この場合執筆するかしないかの主体は出版社(扶桑社)側にあり、執筆グループ(つくる会・再生機構の別組織等)は、その指示に従う、下訳のごとき存在というようにも読まれます。他の教科書の場合は知りませんが、これまでの扶桑社とつくる会との関係は果たしてそのようなものであったのか。少し小生の理解していたのと違うのですが、この辺のところはどうなのでしょうか。煩をいとわず、ご説明の程いただければ幸甚です。
 なお、次のお言葉には大賛成です。

>中学校教科書の出版は、もの好き程度では絶対につとまりません。

 まったく、ただ多少知られているというだけの人士の名前をいくら連ねたところで、教科書はできやしませんし、まして出版なども難しいでしょうね(笑)。

 波浪さんにも、質問。「乗っ取りは、F先生の方でしょうに」とのことですが、具体的には何のことなのか、さっぱり思い当たりません。東京書籍や帝国書院などのシェアを乗っ取るということではないでしょうし。また、後文のオフラナ云々とのつながりもよくわかりません。併せてご教示願えませんでしょうか。
 
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Subject:コロポックル伝説 From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/25 16:19
No:5840
毎年(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58882/)
ラワン蕗の話題が出るたびに思い出すことがある。
それは、アイヌのコロポックル伝説だ。蕗の背丈よりも低い小人の伝説として残されているが、実はラワン蕗を見たこともないアイヌ人たちが彼らをみて、蕗よりも小さいのだから小人なんだと思いこんだのではないだろうか。つまり、コロポックルといわれている人たちとは別の種族からみた「誤解による」伝説、ということになるんじゃないかと思う。日高山脈を挟んで西側と東側では異なる種族がいた...と妄想の世界は広がる(‥ゞ

/////
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58882/
フキの「ジャングル」が現れた! 北海道足寄町
日本最大のフキとして知られるラワンブキの収穫が北海道
足寄町で最盛期を迎え、多くの観光客が24日、農協主催の
「ラワンブキ狩り」に参加し、収穫を楽しんだ。
ラワンブキは足寄町の螺湾地区に多く自生し、成長すると
高さが2メートル以上にもなる。
/////




日本民族とは何か-------日本(ひのもと)民族について
【注】日の丸に嫌悪感をもってる方には不釣り合いです、他の素敵な処に移動してくださいね。


日本(ひのもと)民族についての考察 (H15年11月3日初稿)

アイヌ伝承者であった、砂沢クラさんの「ク スクップ オルシペ」と言う本の中に、次のような伝承が紹介されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
言い伝えによると、大昔アイヌが日本中に住んでいて、そこへ
外国からたくさんの人が入り込んできて、主に、日本の真中に
住んでいたアイヌが「混血して和人になった」ということです。
アイヌが、ほんとうの日本人の血統で、神代の時代の日本語は
アイヌ語なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


この伝承が、近代考古学や文化人類学が到達した結論と符合するのがお分かりだろうか?。
ワシが主張している、[異民族ではない]と言う主張もここにある。アイヌも又混血していることは、考古学上の発見から、ほぼ明らかなので、言い伝えの後半は学問上は間違っていると言えるが、それはどの伝承も自分を中心に(出雲神話や大和の神話とか)描かれるものだから、ちと割り引いて読まなければならないが、それにしても、前半は「的確な言い伝え」として信用出来るものである。言うなればアイヌの伝承の真偽にやっと学問が追いついたとも言えよう。

つまり、アイヌ伝承も学問上も、次のように言えると言うことだ。

超古代の日本(ひのもと)は北は樺太から南は台湾までの列島形状の島々に縄文人達が住んでいた。やがて年月を経て、この島々にやってきた人たちがいた。南から、北から。そして平和的か動乱的かはともかくとして、その人達と混血していった。列島中央部の人たちは弥生人となっていった。南の人たちもまた混血し、大陸に近い台湾はどうしても大陸中原の影響を受けざるを得なかった。北方の人たちはやがて元の圧力のもとに強い接触となり、そこでも混血が始まった。オホーツクや沿海州の人たちと。そして北海道樺太千島にアイヌとなった。それぞれの混血の時代が異なってはいたが、縄文の血を土台として、成立した諸民族であった。
これ以降. それぞれの道を歩む期間があったので 異なる民族としての意識を持ち それぞれの中での共属意識を持つこととなった。

ワシの主張している超古代に於いては、同根の一民族として、それがあったと言う事が出来よう。ついでに言うと、ワシが(大和民族と言っても良い)ここでは日本民族と言う、と言うには理由がある。古代のこの列島には「日本」があったからだ。

それは「にほん」とは呼ばずに「ひのもと」と呼ばれる国が確かに存在したからだ。
その国は、「倭」と合体(征服されたとか吸収されたとか言う表現はともかくとして)し、日本と名乗った。それにも関わらず、まだ「ひのもと」とされた国があった。
北海道には、唐子と渡り党のほかに日の本「ひのもと」と呼ばれる地域があった。それは史料にちゃんとある。つまり、元々の{日の本}の国が{倭}と合体するとき、それに加わらなかった日の本があったということなのだ。
それはいつも東へ東へと後退しながらも。だから、この国が縄文の時代、確かに「日の本」と呼ばれる国があったことを意識するためにも、ワシは「日本民族」と呼ぶのだ。

もちろん「日の本」と言わずに「日本=にほん」と呼ぶのは構わないから、「にっぽんみんぞく」とワシも言ってるけど。現在の「日本国」の日本民族ではなく、縄文時代を永く暮らした{一民族としての「日本民族」}なのだ。ワシのアイデンティティー(この表記で良かったっけ?)はここにある。
いわゆる和人と称される人々は弥生の血が縄文の血よりも倍ほど濃いし、アイヌと称される人の血も、縄文の血よりも他から後の方が濃い というのは 十分推測される ところなので、そちらの方を重視するアイデンティティーもあって良いし、別に反対はしない。しかし、ワシのページでは、民族主義としてのものは「縄文」に於くこととする。



産能大学の安本美典教授に依れば、下記のようにまとめることが出来るらしい。
クマ送り儀礼(イオマンテ)は近世アイヌの文化体系のなかで、民族文化の核心として最も重要視されてきた文化要素である。クマ祭文化複合体ととらえる主張もある。クマの骨塚・祭壇は現在のところ擦文文化からは発見されておらず、アイヌ文化がオホーツク文化から継受したものとみられている。
また、近世アイヌの平地式住居チセも中央に長方形の炉があり、擦文式のカマドは消えて、オホーツク文化の影響が感じられるという。 衣服や器物に施されたアイヌ文様も、また隣接する北方諸民族のそれに類似していることが指摘されている。これらのことなどから、大陸的な北方の狩猟文化要素を受容・融合するなかで形成されたものであることが次第に明らかになってきている。のみならず、人間同士の混血も同時に進んだとみるべきだろう。


また、早稲田大学の菊池氏も論文の中で下記のように言う。
「熊送り儀礼(イヨマンテ)は、アイヌ文化複合のまさに核心をなすものだが、こうした伝統はオホーツク文化の『骨塚』にはたどれても、擦文文化にはなぜか見られない。」とし、「現代アイヌ文化に特徴的な住居形式、葬墓制、ユーカラなど、擦文文化よりもむしろ、オホーツク文化圏の方に系譜をたどれる要素」が多いとの見解を示している。



これら研究者によれば、ユーカラやクマ送り儀礼(イオマンテ)のような、近世アイヌ文化の中核のように思える文化要素が、オホーツク文化から継承したものとみられるというのである。
つまり、彼らが「アイヌは異民族」と称する場合の「異なる」とは、縄文人という祖先を共有するところを重視せず、むしろ、北方種族(オホーツク文化人を含む)との文化的な混血、肉体的な混血の方を重視していると言うことになる。
確かに縄文人を共通の祖先として、その後の展開に差違があるのなら「異なる」ものとして認識することも可能であろう。だが、それでは、彼らは「遅れてやって来た先住民」と言う事になることに気がついていない。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 かつて北海道に平和に暮らしていた縄文人達の間に強引に割り込むようにして
北方文化のオホーツク人がやってきた。そしてそこに住んでいた縄文人を侵略し
虐殺して自分たちの文化圏をつくった。それが今も道北オホーツク沿岸部に残る
オホーツク文化遺跡である。
やがて彼らは縄文人達の婦女子を強姦し力づくで犯しまくって自分たちの子孫
を残すようになった。その子孫達は縄文人達を大量虐殺し、一人としての子孫も
残さないくらいのジェノサイド戦争を敢行しつつ、道南を除く北海道全土を占有
するに至った。そして彼らは北方(オホーツク)文化の色濃く反映した独自の文化
地域・アイヌ文化を形成した。これは、今からおよそ七百年前(西暦十三世紀頃)
のことであった。彼らは北海道をほぼ占有した勢いにのって、樺太そして黒竜江
沿岸、沿海州へと侵略戦争を敢行し、当時大陸中国の支配者であった元と鋭く対
立するようになった。これは元及び明時代の記録にも残される事となり、現在の
史料研究により証されることになった。
彼らは、北海道最初のジェノサイドの実行者達の子孫なのである。七百年前以
前の平和な縄文人達の子孫を一人残らず殲滅してからこそ、本州に広く展開する
倭人達とは異なる体つきとなったのだ。・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
と言うような、恣意的な(南京大虐殺捏造のような)虐殺史観で語ることも出来ないわけではない。そして、これはいつしかウルトラ・ネオ・ナショナリストたちの利用する.お手前学説となりうる危険性がある。地政学がナチによって曲げられ利用されたように。
そうなっては(学問の恣意的な利用は)いけないのだ。
学問というものは、恣意的な記述を許せばどのようにも利用の出来るものなのだから。大東亜戦争の時代を描いた左曲がりの歴史教科書を見ればこのことが明確に判るだろう。

ワシが肉体的文化的な特徴よりも、文化人類学的な意味合いを強調し、同じ日本民族として、新しい民族史観を構築したいと願っているのも、理由はここにある。平和的な暮らしは、誰の願いでもある。だが、時として争い事は起きるし、家族以上の単位で位している場合には騒動が熱くなり戦争に発展する場合がある。それはどの民、どの時にもあったことなのだ。ただ{平和を享受していた、という歴史話}はない。オホーツク文化の痕跡が遺跡としてしか発見されないのなら、また縄文文化が遺跡以外からは発見できないのなら、それは子孫が絶えたためと言うほか無い。それが戦争の結果であればジェノサイドだ。北海道には、確かに縄文文化が、そして旧石器文化があったのだ。しかし、虐殺史観でそれを語りたいとは思わない。
歴史は歴史観で語るものならば、ワシは民族史観で語りたいと思う。

ワシは民族定義を.
共通の言語習慣等の伝統を共有し.帰属意識で結ばれる意識共同体
とします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本人の成立が縄文時代(ワシの推測では旧石器時代)からだとすれば、同じ祖先から枝分かれし、和人が弥生人・韓半島南部人との(人的・文化的)混血で形作られたように、アイヌは北方種族(オホーツク文化人を含む)との(人的・文化的)混血から形作られたものと推測される。
それゆえ、往々にして肉体的特徴に差異が見られることとなったわけであり、{元々は共通の祖先からである}という仮説にゆらぎはないのである。 
いわゆるアイヌ民族というものは(近代になって)「作られた民族」であった。 
(民族という概念自体が近代になって創造された概念なんだから、当たり前ね(^^;)
だから民族として「先住」と言っても、それは近代に限られる。そうであれば、所謂和人達との闘争の過程が特徴づけられるべきであって、先住というものに「拠り所」を求めるのはいかがなものか。民族として異種に感じられるからと言っての謂われ無き差別の近現代の悲惨な事実を知ることは大切なことであり、それらを改善していく継続的努力が求められる。だが、 中世以前における先住については多くの疑問点がある事も認めるべきだと思う。

コロポックル伝説というものは彼ら自身が道東に「侵略した(サヨク用語(^^;」ことを表しているのではないか?。「蕗(フキ)の丈より小さい人間」というのは.道東に行けば実感できる。人間の背丈よりも高いラワン蕗(フキ)が自生しているのだから。彼らはそう言う蕗が現実にあると言うことを知らなかったから、蕗が大きいのではなく人間が小さいのだと誤認してしまった。(世界中の巨人伝説・小人伝説なんて大抵こんなもんさ)と言う事は、彼らにとっても{道東は未知の世界だった}。サヨク歴史捏造派の用語で言う「侵略」だったんだべさ(苦笑)。そこにあったオホーツク文化はアイヌ文化成立前夜に消滅しているんだよ。まさか和人が全滅させたとは言わないよね?
アイヌ文化というものは「交易の発達」によらなければ作り得なかった文化だった。狩猟民族と言っているのに何で「果実酒」ではなく、米を原料とする「酒」なんだか(笑)
アイヌ文化を特徴づけるものは「移入された文化」であり、道内特有の内製したものではなかった。[オホーツク文化を「吸収した」ことによって作られたもの]であったと言わざるを得ない。
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:民族は血筋ではない、帰属意識が大切なのだ /初稿H12年12月30日

どもども m(__)m

日本民族、大和民族と言っても良い、我々の国の成り立ちについて
生物学的な意味での血統としては、現段階では旧石器人達と縄文人達、弥生人達とは繋がっているともいないとも証明されているわけではない。しかしながら、歴史というものは生物学的な繋がりや地学的な領域で論じられるものではないとワシは思う。

どう言うことかというと、現在の国境は現在にのみ有効なものであって過去や未来に対して有効性を主張出来るものではないのだから。だから、過去に於いて国境が著しく変わっていることは言うまでもないし、将来に於いて変更がなされる可能性はあるもの。

また、血統的な意味に於いて民族をとらえようとするのは著しくその概念を縮小していることになる。民族とは血筋で表現されるものではないもの。家族の最低単位は夫婦にあることは言うまでもない。夫婦に同じ血筋を求めるのは違反だと言うのは理解されると思う。少なくとも三親等以内の場合は婚姻すら認められないのだからね。つまり、家族という民族の最低単位からして血筋はない。ではどこに構成要素を認めるのか、と言うと帰属意識に求める以外にない。自分は こ こ の 一 員 なんだという意識ね。

どの時代のどこを見ても新たに加わる者を見て取れることが出来る。一族郎党という言葉からも判るように、血統ではなく帰属意識が大切なんだ。源氏や平家を考えれば判る。彼らの全部が全員血統として同じな訳じゃなかったのだもの、でも彼らは自分たちを一族郎党と認識していたし、また我々もそのように認識している。もちろん血の繋がりや地域の場所の共有がより強固な帰属意識を高めたと言うことを否定はしないし、時として一所懸命という言葉に代表されるような土地に繋がりを代表させている場合もある。が、それは派生的にその方が認知しやすいと言うことであって、基本はそれぞれの構成員の帰属意識であることは言うまでもないことなのね。
だから家族や民族に新たに加わる者達の血が繋がってないことが障壁となることはないの。そうじゃなけりゃ養子縁組という制度を何で発明したんだよ。養子という制度はその帰属意識を証明する制度であって、血の繋がりの代わりとするためのものではないよ。だから、神武天皇に見られるような入り婿という形は、民族として結合するために必要なことであって、婚姻そのものに対して必要なことではなかったのね。武力あるいは権力と言う力関係から言えば神武天皇の方が強大だったのは言うまでもないことなんだもの。それでも入り婿という形を取ったのは民族として合体するために必要な行為だった。ここに帰属意識という物理的ではないが、しかし基本として押さえておかなければならない概念という精神性を見て取るべきなのね。

この基本を押さえておけば、何故我が国の天皇制が諸外国の王制とは違っているかが判る。諸外国では権力が権威と直接結びついているが為に、武力で制圧したものが権力の座に着き権威の裏付けとなった。それが千数百年前になってローマ法王が権威の座に着き欧州各国の王は権力の座に着くという分業体制が出来た。我が国は元々権力と権威とは分離していて天皇に権威があり、その時々の権力者が権力の座に着いていた。我が国の方がそう言う意味での文化は欧州より古くから実施していたんだよね。
十字軍の遠征やその他の諸もの戦争責任を権威の象徴であるローマ法王に押しつけないで、時の権力者に責任を求めているべさ。それなのに我が国の制度を理解できなかった連合国側は未だに天皇に責任を押しつけようとしている。バッカじゃなかろうか、責任は時の権力に付けるべきだよ、権威に押しつけてどないするんじゃ(苦笑)。

歴史というものは歴史観で見るもの。そしてその歴史観は文化の連続性という単位で推し量るもの。そうすれば連綿として繋がる一筋の歴史が見えてくる。我が国の歴史は旧石器時代より連綿と繋がっているのだよ、もう何十万年という年月を重ねて。
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Subject:はたから見ると From:波浪規定 Date:2007/06/25 18:58
No:5841
>キルドンムさん、ありがとうございます。
会長になったのは念願か不本意かは知りませんが、ほとんどの期間を副会長だったF先生が会長になると、胸に秘めた野望を達成したような印象が・・・(^_^;)
いいたとえではないが、なんだかケレンスキー政権を倒したボルシュビキを連想してしまう。
ソビエト政権初期の秘密警察チェーカーは、オフラナから寝返った者を多数抱えており、オフラナの手口を継承しています。
政治思想は転向しても、行動様式を変えるのは、なかなかうまくいかない。(^_^;)
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Subject:父の教え From:灯理 Date:2007/06/25 20:21
No:5842
みこしはみこしとして担いでおいて、自分はもっぱら事務局を牛耳る。
「共産党はいつもそれだから、気をつけろ。」
とは父の教えです。

藤岡さんの行動様式、そのものでしょうね。
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