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タイトル和解する可能性?..そんなもんは無い
記事No79
投稿日: 2009/07/03(Fri) 08:57
投稿者おちょくり塾より
Subject:こんなことを考えてみました From:キルドンム Date:2007/06/22 17:42
No:5825
 「宅八郎」なんてイメージがどうして唐突に出てきたのかな。はっきり言って、長髪男は嫌いです(笑)。よく人からは「佐野史郎に似ている」とは言われますが(本人は頑強に否定)。

 さて、藤岡さんたちが扶桑社に送った文書についてだが、よくわからないのが、これまで「再生機構のつくる教科書は我々のとは理念も、内容もまったく別物」「『朝日新聞に批判されない』教科書」などと言っておきながら、今度はわざわざ「真似するな」と念を押しているということ。この辺の説明をはっきりして欲しいものであるが、それより、まだ影も形も見えていない本に対してどうしてこの段階で申し入れ書を突きつける必要があったのか。戦術的には、扶桑社が教科書を完成させた段階で著作権を持ち出し「我々の書いた文章が使ってある」(同じ史実について書かれているのだから、記述が類似するのは免れがたいであろうが、そのことはさておき)として、証拠を掴んでから提訴する方がはるかに有効であろうと思われるのだが、如何であろうか。勿論、版権および著作権がどちらにあるのかということもあるが、それも裁判の過程ではっきりするであろうし(教科書の著作権については、確か判例があった筈では?どなたかご示教の程お願いします)。ただ、現行扶桑社版の文章をそのまま使った場合、教科書の後の執筆者一覧に、どうしても著作権などとは関係なく藤岡氏たちの名前を再生機構側と並べて載せざるを得なくなるであろう。扶桑社にそこまでやる勇気があるだろうか?いや、扶桑社に聞いているのではなく、藤岡さんたちに尋ねているのである。
 もっとも、機構側の教科書が出来た段階で裁判に持ち込むのではなく、現時点で釘を刺しておこうというのなら、いまだに藤岡さんたちの方にも「階級内矛盾」にとどめておきたいという気持ち、両者が和解する可能性を残したいのかも知れない。それならば、今後の展開は扶桑社や機構の側の態度いかんにかかってくる。
 つくる会側の意図などはどうでもいい。小生が今、痛切に心配しているのが「果たして本当に機構側に教科書がつくれるのか、いや、そもそも本気でつくる意志があるのか」ということ。勿論複数の「よりマシ」な歴史教科書が競合し、シェアを拡大していく事態になるのなら大賛成である。両者が良い意味でのライバル関係になるためにも、組織的な曖昧さは許されないからこそ、つくる会が腰のいつまでたっても定まらない人を追い払ったのにも納得した。しかし肝腎の再生機構(もしくはその別名組織)の方は、教科書をつくれるだけの態勢になっているのだろうか?どうもそのようには思えないのである。今からつくろうとして、果たして次回の採択までに間に合うかどうかも難しいし、そもそも現状ではタウン・ミーティングを継続して行うだけで手一杯なのではなかろうか@ 。
 人選の問題もある。あちこちに出回っているらしい「機構側の執筆者豫定リスト」らしきものを見たことがある―再生機構のHPにはまったく触れられていないので、ひょっとしたら××支部あたりの立てたデマかも知れないが―それを見て愕然となった。まったく教科書というものがわかっていない。たとえば、リストの中に桜井よしこ女史の名前があるが、そもそも女史が教科書執筆者としてふさわしいと本気で思っているのだろうか。別に貶めて言っているのではない。ジャーナリストとしての女史は評価する。だが、人にはそれぞれ向き、不向きというものがあるのである。もし本気で教科書をつくるつもりなら、もう少し考えてほしいA 。
 このことは前にも書いたが、機構側は多くを望まず、着実に目下すべきこと、すなわちそれなりの評価を得ている(らしい)TMとかいうものをこなすべきであるB。もしも環境が変わって、TMが終了すれば、その時になって次の課題をさがせばよい。そしてそのことはつくる会側にもいえる。「足の引っ張り合い」も結構だが、むしろ「棲み分け」というということを念頭に置いては如何だろうか。このままではたとえ両者がそれぞれ中学校の教科書を出せたとして、併せてもこの前の採択率を上回ることはほぼ絶望的である。つくる会に求められているのは大規模な戦術の転換である。


@これについては蘭さんも書いておられる通り、八木さん―いくら誰もその指導力などに期待していないとはいえ―自身かなりあちこちに引っ張りまわされて過労気味のようである。しかし再生機構の趣旨とあまり関係のないことをHPに得々と書く必要があるのだろうか。この前の『SAPIO』に載った一文のことである。陪審員制度に諸々の問題があるというのはわかる。しかしながら、現行憲法と結びつけるのはいくらなんでも無茶ではないか。かつて陪審員制度が行われていたのは明治憲法下においてであったことを失念―意図的にか―している悪文である。まあ、素人の憲法談義は個人の責任で行いさえすればどうでも良いが、再生機構のHPにそのことを載せた場合、機構を支持している陪審員制導入論者の中に、機構自体が導入反対だという風に誤解する人も出やしないだろうか。そういえばかつて、女系論者のつくる会理事を八木氏たちがいじめて追い出そうとしていた、とさる方が書かれておられたが―真偽の程は確かではない。小生の知る限りではそんなことを言っていたのは当板を永久追放処分になった某氏くらいなのだが―、その理事の場合、少なくともつくる会のHPで主張していたわけではなかった。やはり個人の意見は辯別して行うべきであるように思われる。

Aまた、鄭大均氏が「新帰化者だから、執筆者としてふさわしくない」という主張をしていた人もいたが、莫迦げた意見である。あくまで必要なのは鄭氏が執筆するだけの見識と学識とを有するか、ということだけである。

B最近、去年のTMのパネラーとして八木氏の横に座っていた方のご子息とお会いしたが、「私も是非とも参加したかった」と申し上げたものである。どういう意味であるかはともかくとして(笑)。
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Subject:傑作だなぁ(笑) From:北の狼 Date:2007/06/23 23:28
No:5830
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「つくる会」FAX通信第195号

・・・・・・・・・・・・・・・
つくる会は昨年1月に西尾幹二名誉会長が退任し、他方で4月には八木秀次氏ら一部の理事が辞任しました。しかし、それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません。ところが、扶桑社はつくる会には内紛が絶えないから手を引くといいながら、おかしなことに育鵬社から発行する教科書の編集顧問には辞任した八木氏が就任し、歴史教科書の編集の中心には同じく辞任した元理事が座るというのです。
つくる会が排除され、会を去った人々が教科書を書く。こういうことを日本語では「乗っ取り」というのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
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いや、久々に笑わせてもらいました。

西尾幹二氏といえば、「神社右翼を追い出せ」、「追い出すときは徹底的に侮辱しろ。そうすればもう戻ってこない。小林よしのり氏の時もそうした」などと【八木氏追放】を散々煽り、”見事に”その目論見(八木会長自認・追放)を成就させるとともに、返す刀でサンケイ新聞や扶桑社を八つ当たり気味に批判し幹部を激怒させ、扶桑社が「つくる会」と手を切るきっかけをつくった人物です。そういう人物を、「つくる会」はいまさらながら陰の実力者(とはいえ、内実は相当にしょぼいですが)とあおいでいるわけです。

昨年4月以降も、否、4月以降こそ、当時の紛争がいかに”熱い”ものであったか。
西尾ブログ、東京支部掲示板、「つくる会」 Fax 通信、メーリングリストはもとより、この紛争のためにブログを立ち上げた(現・元)「つくる幹部」も何人かいたくらいです。藤岡氏もその一人であったことを、もう忘れたのか?
その後も内紛を繰り返し、会長が何人か辞任し、いまようやく藤岡氏が念願の会長に就任し、”落ち着き”を取り戻したところでしょう。

この事実経緯のどこをどう解釈したら、当の「つくる会」のほうから、「会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません」とか、「乗っ取」られたとかいう言葉がでてくるのでしょうか?
これでは<歴史>の偽造を通り越して、もはや捏造や妄想の類とするほうが適切でしょう。つまり、「つくる会」の<歴史>認識力なぞ、もはや南北朝鮮や左翼なみのレベルに落ちぶれてしまった、ということです。

そもそも、「西尾 vs 八木」の闘いは、西尾氏が扶桑社を敵に回した時点で、「つくる会」の教科書出版は極めて困難になっていたのです。そのことさえ想定できずに、西尾氏がサンケイ新聞や扶桑社批判を行ったとすれば、間抜けという他はありません。
まあ、西尾氏だけならまだしも、藤岡氏が会長となった今では、扶桑社が「つくる会」に執筆を依頼する可能性は絶無です。さらに、現行「つくる会」が執筆する教科書を出版しようなどというもの好きな出版社なぞ、まずあらわれないでしょう。そもそも、中学校教科書の出版は、もの好き程度では絶対につとまりません。

ともあれ、笑わせてもらいました。
どんな人間や組織であれ、ドツボに嵌まるととことん堕ちるものですが、その実例を目の当たりにしました。
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Subject:乗っ取りは・・・ From:波浪規定 Date:2007/06/24 11:42
No:5831
F先生の方でしょうに。(笑)
政治思想が転向しても、手口がそのままだからなあ。(^_^;)
帝政ロシア当時は、革命家が夜中に目を覚ますと、オフラナと予審判事と検事が枕元に立っていたそうだが、KGBも引き継いでいる。(笑)
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Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/24 11:51
No:5832
「集団自決」検定意見に対して、沖縄県議会が撤回要求を議決したんだとさ、するのはかまわないがそれを文部科学省に押しつけるのはサヨク君達がいつも言っている政治権力の介入になるんじゃないのか?それが許されるのなら、 捏造史観(ありもしなかった日本軍による南京住民の大虐殺とか従軍慰安婦とか)も正さなければならないべさ。でもそれは駄目だと左翼君達は言うのだから今回の沖縄についてもデモをしてでも止めなくては片手落ちだよ。

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58574/
沖縄県議会は22日、高校日本史の教科書について沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を命令、強制したとの記述を削除させた検定意見を撤回して記述を元に戻すよう要求する意見書を全会一致で可決した。同日午後、県議会議員7人が東京・丸の内の文部科学省などを訪れ、意見書を提出した。
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主張は誰にでもする責務はあるからそれを議決すること自体駄目とは言わないし、文科省に陳情することにもダメ出しはしない。でも、彼らは極端な意見に仕上げているんじゃないのか?

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これに先立ち、伊吹文明文科相は閣議後会見で、私人としては検定結果が沖縄県民の意に沿わないことは理解できるとしながらも、「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ。検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べ、改めて検定結果を尊重すると強調した。
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{「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ」}という大臣の言葉に答えがある。「すべての集団自決に軍の命令があったのではない」という意見に対して、ニュース等から流される彼らの意見はナニも答えていないことが判る。彼らには「すべての集団自決に軍の命令があったのではない」という意味が判らないのだろうか、歴史感に曇りがあると極端な方向に走るんだなぅと思う。

すべての集団自決に軍の命令があったのではないと言うことがもっとも正確な史実記述だし、それが正しい歴史感だろう。
それなのに...
日本軍が住民に集団自決を命令(ニュース記事)
こんな題でニュースにするのがおかしいべさ。「全く無い」とは誰も言っていないっしょ

大臣がちゃんと認識示しているべさ。
http://aramar88.iza.ne.jp/blog/entry/204691/
「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ。検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べ...

この意見を何で判ろうとしないのかなぅ
集団自決はあったし、軍曹から何らかの自殺強要もあったらしい(体験者の告白)から、それ自体を否定はしていないっしょ
「すべての集団自決に軍の命令があったのではないというのが検定結果だ」といっているに過ぎないし、そ〜ゆ〜記述になったということだよ。
それなのに、わざわざ{強制}だけ強調した記述にのみ正当性を与えるのは小説ならともかく教科書にはふさわしくないべさ。

何でこんなことが判らないのだろう?
それはバカヒのこの記述にすべての答えがあるな。
http://www.asahi.com/national/update/0624/SEB200706240001.html?ref=rss
糸満市の福田純安さん(70)は「(集団自決の際に)軍が組織として命令を下したのか、一人の軍人が手投げ弾を渡したのかにこだわっても仕方がない。住民は従うしかなかったのだから。教科書の記述は元に戻した方がいい」と話す。

「住民は従うしかなかった」だから軍による強制だという捏造史観が醸造されてしまう。ありもしなかった従軍慰安婦も言葉が一人歩きしている支那。駐屯地近くに慰安所があったとしたら、それが従軍だというのはおかしいべさ。
「住民は従うしかなかった」だから沖縄住民の全ての集団死が軍による強制だという結論に見えるような記述を教科書に書いて良いのか?
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Subject:民主と愛国 From:苹 Date:2007/06/24 19:20
No:5838
↑念のため…同名の書物とは無関係でやんす(汗)。

 この際だから書いとこう。〜「つくる会」が会員制なのに対して、再生機構はサポーター制ってのが前から気になってたのよね。世の中「民主的イコール健全」とは限らない。「民主的ゆえに不健全」てな在り方の典型的事例が「内紛」だとすれば、その「内紛」を否定する側の論理と口実に使う側の論理との差異に興味が湧いてくる。
 他社の場合はどうだろか。大抵は内輪でさっさと書いちまって、ポンと検定に出して、後は営業任せとなるのがフツーだろ。「つくる会」みたいに会員&外野(オレたち「おちょくり族」も含む?…汗)が始終キャンキャン騒いでる所なんてのは前代未聞じゃなかろーか。それに嫌気がさしたって事なら、扶桑社側にも同情の余地がある。片や再生機構側を見れば、これまでサイトをぼんやり観察してきた範囲では…掲示板はないし「メーリングリストがある」って話も聞かないし、双方「軌を一にしている」としか思えない。要するに「これからは普通の教科書会社を目指す」って事じゃなかろーか。会員排除の原則を内々に共有し、「カネは出しても口出すな」式のサポーター制でそこそこ資金を調達する。企業の株主総会みたいなのも実施されてないんじゃなかろーか(誰か教えてちょ♪)。

 ほんでもって、次は「内紛を否定する側」の話。まさか「民主的合議に内紛は付き物」と開き直る訳にもいくまい。それを言ったらオシマイで、はなから扶桑社に歩み寄る気はない事になってしまう。小林会長時代の総括(否定?)がなされていない段階では、そんなの絶対に持ち出せないだろがぁ。「相手のある話」って文脈を度外視すれば、内紛を否定する「苦し紛れの前提」が維持できなくなってしまう筈。
 そうした意味では「嘘も方便」って事なのかも知れないな。だって会長声明にハッキリこう書いてるじゃん。「もしも上記の方針を白紙撤回してお声をかけてくださるなら、いつでも交渉のテーブルにつく用意のあることを付け加えておきます」って。
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_070531.htm
 この文言は「まだ生きている」筈。意固地になって門戸を閉ざした訳ではない。そこが「つくる会」側の引け目でもあるなら、扶桑社は論理的必然から成る敵失(?)を逆手に取るかのごとき振る舞いに便乗するべきではないし、卑怯に見える諸相は再生機構側のためにもならない。

 育鵬社の拡張路線(?)に期待する立場から見れば、これから出るかも知れない国語や家庭などの愛国教科書に余計な印象は無用だろう。それこそ採択の邪魔になる。…あたしゃ基本的には「つくる会」に出来ない事をやって欲しいのよね。ただし、肝腎の教科書を事後承諾的に支持するとは限らないけど(実際に中身を見た訳じゃなし)。
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Subject:ええと… From:キルドンム Date:2007/06/25 15:51
No:5839
 北の狼様、ご指摘ありがとうございました。ところで、二、三よくわからない処があるのですが、ご教示願えませんでしょうか?
 まず、「いまようやく藤岡氏が念願の会長に就任し」というところですが、藤岡氏の会長就任は、なりたくなってなったというよりむしろ他に方法がなくなり、仕方なく出て来ざるを得なくなったというように感じられるのですが。何といっても該会創設の主唱者ですし、会長になろうと思えば十年前からになれた筈。もっとも、「念願」というのが氏自身ではなく、他の人々のそれだというなら話は別でしょうが。
 また、「それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません」と通信文に書いてあることについて、「も」というのが少し引っかかりますが、ここで「それ以後」、すなわち四月以後には、確かに分裂は起こっていない―紛争はどうかわかりませんが、苹さんも触れておられるように、我々を含めた外部からの批判・批評を「内紛」というのは無理でしょう―しかも、四月以前のことに対し、「分裂も内紛もない」という信じられぬ見解を示していたのは、他ならぬ小林前会長であったのではないでしょうか。この点は如何でしょうか。
 あと、「扶桑社が『つくる会』に執筆を依頼する可能性」と仰っていることについてですが、この場合執筆するかしないかの主体は出版社(扶桑社)側にあり、執筆グループ(つくる会・再生機構の別組織等)は、その指示に従う、下訳のごとき存在というようにも読まれます。他の教科書の場合は知りませんが、これまでの扶桑社とつくる会との関係は果たしてそのようなものであったのか。少し小生の理解していたのと違うのですが、この辺のところはどうなのでしょうか。煩をいとわず、ご説明の程いただければ幸甚です。
 なお、次のお言葉には大賛成です。

>中学校教科書の出版は、もの好き程度では絶対につとまりません。

 まったく、ただ多少知られているというだけの人士の名前をいくら連ねたところで、教科書はできやしませんし、まして出版なども難しいでしょうね(笑)。

 波浪さんにも、質問。「乗っ取りは、F先生の方でしょうに」とのことですが、具体的には何のことなのか、さっぱり思い当たりません。東京書籍や帝国書院などのシェアを乗っ取るということではないでしょうし。また、後文のオフラナ云々とのつながりもよくわかりません。併せてご教示願えませんでしょうか。
 
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Subject:コロポックル伝説 From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/25 16:19
No:5840
毎年(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58882/)
ラワン蕗の話題が出るたびに思い出すことがある。
それは、アイヌのコロポックル伝説だ。蕗の背丈よりも低い小人の伝説として残されているが、実はラワン蕗を見たこともないアイヌ人たちが彼らをみて、蕗よりも小さいのだから小人なんだと思いこんだのではないだろうか。つまり、コロポックルといわれている人たちとは別の種族からみた「誤解による」伝説、ということになるんじゃないかと思う。日高山脈を挟んで西側と東側では異なる種族がいた...と妄想の世界は広がる(‥ゞ

/////
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/58882/
フキの「ジャングル」が現れた! 北海道足寄町
日本最大のフキとして知られるラワンブキの収穫が北海道
足寄町で最盛期を迎え、多くの観光客が24日、農協主催の
「ラワンブキ狩り」に参加し、収穫を楽しんだ。
ラワンブキは足寄町の螺湾地区に多く自生し、成長すると
高さが2メートル以上にもなる。
/////




日本民族とは何か-------日本(ひのもと)民族について
【注】日の丸に嫌悪感をもってる方には不釣り合いです、他の素敵な処に移動してくださいね。


日本(ひのもと)民族についての考察 (H15年11月3日初稿)

アイヌ伝承者であった、砂沢クラさんの「ク スクップ オルシペ」と言う本の中に、次のような伝承が紹介されている。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
言い伝えによると、大昔アイヌが日本中に住んでいて、そこへ
外国からたくさんの人が入り込んできて、主に、日本の真中に
住んでいたアイヌが「混血して和人になった」ということです。
アイヌが、ほんとうの日本人の血統で、神代の時代の日本語は
アイヌ語なのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


この伝承が、近代考古学や文化人類学が到達した結論と符合するのがお分かりだろうか?。
ワシが主張している、[異民族ではない]と言う主張もここにある。アイヌも又混血していることは、考古学上の発見から、ほぼ明らかなので、言い伝えの後半は学問上は間違っていると言えるが、それはどの伝承も自分を中心に(出雲神話や大和の神話とか)描かれるものだから、ちと割り引いて読まなければならないが、それにしても、前半は「的確な言い伝え」として信用出来るものである。言うなればアイヌの伝承の真偽にやっと学問が追いついたとも言えよう。

つまり、アイヌ伝承も学問上も、次のように言えると言うことだ。

超古代の日本(ひのもと)は北は樺太から南は台湾までの列島形状の島々に縄文人達が住んでいた。やがて年月を経て、この島々にやってきた人たちがいた。南から、北から。そして平和的か動乱的かはともかくとして、その人達と混血していった。列島中央部の人たちは弥生人となっていった。南の人たちもまた混血し、大陸に近い台湾はどうしても大陸中原の影響を受けざるを得なかった。北方の人たちはやがて元の圧力のもとに強い接触となり、そこでも混血が始まった。オホーツクや沿海州の人たちと。そして北海道樺太千島にアイヌとなった。それぞれの混血の時代が異なってはいたが、縄文の血を土台として、成立した諸民族であった。
これ以降. それぞれの道を歩む期間があったので 異なる民族としての意識を持ち それぞれの中での共属意識を持つこととなった。

ワシの主張している超古代に於いては、同根の一民族として、それがあったと言う事が出来よう。ついでに言うと、ワシが(大和民族と言っても良い)ここでは日本民族と言う、と言うには理由がある。古代のこの列島には「日本」があったからだ。

それは「にほん」とは呼ばずに「ひのもと」と呼ばれる国が確かに存在したからだ。
その国は、「倭」と合体(征服されたとか吸収されたとか言う表現はともかくとして)し、日本と名乗った。それにも関わらず、まだ「ひのもと」とされた国があった。
北海道には、唐子と渡り党のほかに日の本「ひのもと」と呼ばれる地域があった。それは史料にちゃんとある。つまり、元々の{日の本}の国が{倭}と合体するとき、それに加わらなかった日の本があったということなのだ。
それはいつも東へ東へと後退しながらも。だから、この国が縄文の時代、確かに「日の本」と呼ばれる国があったことを意識するためにも、ワシは「日本民族」と呼ぶのだ。

もちろん「日の本」と言わずに「日本=にほん」と呼ぶのは構わないから、「にっぽんみんぞく」とワシも言ってるけど。現在の「日本国」の日本民族ではなく、縄文時代を永く暮らした{一民族としての「日本民族」}なのだ。ワシのアイデンティティー(この表記で良かったっけ?)はここにある。
いわゆる和人と称される人々は弥生の血が縄文の血よりも倍ほど濃いし、アイヌと称される人の血も、縄文の血よりも他から後の方が濃い というのは 十分推測される ところなので、そちらの方を重視するアイデンティティーもあって良いし、別に反対はしない。しかし、ワシのページでは、民族主義としてのものは「縄文」に於くこととする。



産能大学の安本美典教授に依れば、下記のようにまとめることが出来るらしい。
クマ送り儀礼(イオマンテ)は近世アイヌの文化体系のなかで、民族文化の核心として最も重要視されてきた文化要素である。クマ祭文化複合体ととらえる主張もある。クマの骨塚・祭壇は現在のところ擦文文化からは発見されておらず、アイヌ文化がオホーツク文化から継受したものとみられている。
また、近世アイヌの平地式住居チセも中央に長方形の炉があり、擦文式のカマドは消えて、オホーツク文化の影響が感じられるという。 衣服や器物に施されたアイヌ文様も、また隣接する北方諸民族のそれに類似していることが指摘されている。これらのことなどから、大陸的な北方の狩猟文化要素を受容・融合するなかで形成されたものであることが次第に明らかになってきている。のみならず、人間同士の混血も同時に進んだとみるべきだろう。


また、早稲田大学の菊池氏も論文の中で下記のように言う。
「熊送り儀礼(イヨマンテ)は、アイヌ文化複合のまさに核心をなすものだが、こうした伝統はオホーツク文化の『骨塚』にはたどれても、擦文文化にはなぜか見られない。」とし、「現代アイヌ文化に特徴的な住居形式、葬墓制、ユーカラなど、擦文文化よりもむしろ、オホーツク文化圏の方に系譜をたどれる要素」が多いとの見解を示している。



これら研究者によれば、ユーカラやクマ送り儀礼(イオマンテ)のような、近世アイヌ文化の中核のように思える文化要素が、オホーツク文化から継承したものとみられるというのである。
つまり、彼らが「アイヌは異民族」と称する場合の「異なる」とは、縄文人という祖先を共有するところを重視せず、むしろ、北方種族(オホーツク文化人を含む)との文化的な混血、肉体的な混血の方を重視していると言うことになる。
確かに縄文人を共通の祖先として、その後の展開に差違があるのなら「異なる」ものとして認識することも可能であろう。だが、それでは、彼らは「遅れてやって来た先住民」と言う事になることに気がついていない。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 かつて北海道に平和に暮らしていた縄文人達の間に強引に割り込むようにして
北方文化のオホーツク人がやってきた。そしてそこに住んでいた縄文人を侵略し
虐殺して自分たちの文化圏をつくった。それが今も道北オホーツク沿岸部に残る
オホーツク文化遺跡である。
やがて彼らは縄文人達の婦女子を強姦し力づくで犯しまくって自分たちの子孫
を残すようになった。その子孫達は縄文人達を大量虐殺し、一人としての子孫も
残さないくらいのジェノサイド戦争を敢行しつつ、道南を除く北海道全土を占有
するに至った。そして彼らは北方(オホーツク)文化の色濃く反映した独自の文化
地域・アイヌ文化を形成した。これは、今からおよそ七百年前(西暦十三世紀頃)
のことであった。彼らは北海道をほぼ占有した勢いにのって、樺太そして黒竜江
沿岸、沿海州へと侵略戦争を敢行し、当時大陸中国の支配者であった元と鋭く対
立するようになった。これは元及び明時代の記録にも残される事となり、現在の
史料研究により証されることになった。
彼らは、北海道最初のジェノサイドの実行者達の子孫なのである。七百年前以
前の平和な縄文人達の子孫を一人残らず殲滅してからこそ、本州に広く展開する
倭人達とは異なる体つきとなったのだ。・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
と言うような、恣意的な(南京大虐殺捏造のような)虐殺史観で語ることも出来ないわけではない。そして、これはいつしかウルトラ・ネオ・ナショナリストたちの利用する.お手前学説となりうる危険性がある。地政学がナチによって曲げられ利用されたように。
そうなっては(学問の恣意的な利用は)いけないのだ。
学問というものは、恣意的な記述を許せばどのようにも利用の出来るものなのだから。大東亜戦争の時代を描いた左曲がりの歴史教科書を見ればこのことが明確に判るだろう。

ワシが肉体的文化的な特徴よりも、文化人類学的な意味合いを強調し、同じ日本民族として、新しい民族史観を構築したいと願っているのも、理由はここにある。平和的な暮らしは、誰の願いでもある。だが、時として争い事は起きるし、家族以上の単位で位している場合には騒動が熱くなり戦争に発展する場合がある。それはどの民、どの時にもあったことなのだ。ただ{平和を享受していた、という歴史話}はない。オホーツク文化の痕跡が遺跡としてしか発見されないのなら、また縄文文化が遺跡以外からは発見できないのなら、それは子孫が絶えたためと言うほか無い。それが戦争の結果であればジェノサイドだ。北海道には、確かに縄文文化が、そして旧石器文化があったのだ。しかし、虐殺史観でそれを語りたいとは思わない。
歴史は歴史観で語るものならば、ワシは民族史観で語りたいと思う。

ワシは民族定義を.
共通の言語習慣等の伝統を共有し.帰属意識で結ばれる意識共同体
とします。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日本人の成立が縄文時代(ワシの推測では旧石器時代)からだとすれば、同じ祖先から枝分かれし、和人が弥生人・韓半島南部人との(人的・文化的)混血で形作られたように、アイヌは北方種族(オホーツク文化人を含む)との(人的・文化的)混血から形作られたものと推測される。
それゆえ、往々にして肉体的特徴に差異が見られることとなったわけであり、{元々は共通の祖先からである}という仮説にゆらぎはないのである。 
いわゆるアイヌ民族というものは(近代になって)「作られた民族」であった。 
(民族という概念自体が近代になって創造された概念なんだから、当たり前ね(^^;)
だから民族として「先住」と言っても、それは近代に限られる。そうであれば、所謂和人達との闘争の過程が特徴づけられるべきであって、先住というものに「拠り所」を求めるのはいかがなものか。民族として異種に感じられるからと言っての謂われ無き差別の近現代の悲惨な事実を知ることは大切なことであり、それらを改善していく継続的努力が求められる。だが、 中世以前における先住については多くの疑問点がある事も認めるべきだと思う。

コロポックル伝説というものは彼ら自身が道東に「侵略した(サヨク用語(^^;」ことを表しているのではないか?。「蕗(フキ)の丈より小さい人間」というのは.道東に行けば実感できる。人間の背丈よりも高いラワン蕗(フキ)が自生しているのだから。彼らはそう言う蕗が現実にあると言うことを知らなかったから、蕗が大きいのではなく人間が小さいのだと誤認してしまった。(世界中の巨人伝説・小人伝説なんて大抵こんなもんさ)と言う事は、彼らにとっても{道東は未知の世界だった}。サヨク歴史捏造派の用語で言う「侵略」だったんだべさ(苦笑)。そこにあったオホーツク文化はアイヌ文化成立前夜に消滅しているんだよ。まさか和人が全滅させたとは言わないよね?
アイヌ文化というものは「交易の発達」によらなければ作り得なかった文化だった。狩猟民族と言っているのに何で「果実酒」ではなく、米を原料とする「酒」なんだか(笑)
アイヌ文化を特徴づけるものは「移入された文化」であり、道内特有の内製したものではなかった。[オホーツク文化を「吸収した」ことによって作られたもの]であったと言わざるを得ない。
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:民族は血筋ではない、帰属意識が大切なのだ /初稿H12年12月30日

どもども m(__)m

日本民族、大和民族と言っても良い、我々の国の成り立ちについて
生物学的な意味での血統としては、現段階では旧石器人達と縄文人達、弥生人達とは繋がっているともいないとも証明されているわけではない。しかしながら、歴史というものは生物学的な繋がりや地学的な領域で論じられるものではないとワシは思う。

どう言うことかというと、現在の国境は現在にのみ有効なものであって過去や未来に対して有効性を主張出来るものではないのだから。だから、過去に於いて国境が著しく変わっていることは言うまでもないし、将来に於いて変更がなされる可能性はあるもの。

また、血統的な意味に於いて民族をとらえようとするのは著しくその概念を縮小していることになる。民族とは血筋で表現されるものではないもの。家族の最低単位は夫婦にあることは言うまでもない。夫婦に同じ血筋を求めるのは違反だと言うのは理解されると思う。少なくとも三親等以内の場合は婚姻すら認められないのだからね。つまり、家族という民族の最低単位からして血筋はない。ではどこに構成要素を認めるのか、と言うと帰属意識に求める以外にない。自分は こ こ の 一 員 なんだという意識ね。

どの時代のどこを見ても新たに加わる者を見て取れることが出来る。一族郎党という言葉からも判るように、血統ではなく帰属意識が大切なんだ。源氏や平家を考えれば判る。彼らの全部が全員血統として同じな訳じゃなかったのだもの、でも彼らは自分たちを一族郎党と認識していたし、また我々もそのように認識している。もちろん血の繋がりや地域の場所の共有がより強固な帰属意識を高めたと言うことを否定はしないし、時として一所懸命という言葉に代表されるような土地に繋がりを代表させている場合もある。が、それは派生的にその方が認知しやすいと言うことであって、基本はそれぞれの構成員の帰属意識であることは言うまでもないことなのね。
だから家族や民族に新たに加わる者達の血が繋がってないことが障壁となることはないの。そうじゃなけりゃ養子縁組という制度を何で発明したんだよ。養子という制度はその帰属意識を証明する制度であって、血の繋がりの代わりとするためのものではないよ。だから、神武天皇に見られるような入り婿という形は、民族として結合するために必要なことであって、婚姻そのものに対して必要なことではなかったのね。武力あるいは権力と言う力関係から言えば神武天皇の方が強大だったのは言うまでもないことなんだもの。それでも入り婿という形を取ったのは民族として合体するために必要な行為だった。ここに帰属意識という物理的ではないが、しかし基本として押さえておかなければならない概念という精神性を見て取るべきなのね。

この基本を押さえておけば、何故我が国の天皇制が諸外国の王制とは違っているかが判る。諸外国では権力が権威と直接結びついているが為に、武力で制圧したものが権力の座に着き権威の裏付けとなった。それが千数百年前になってローマ法王が権威の座に着き欧州各国の王は権力の座に着くという分業体制が出来た。我が国は元々権力と権威とは分離していて天皇に権威があり、その時々の権力者が権力の座に着いていた。我が国の方がそう言う意味での文化は欧州より古くから実施していたんだよね。
十字軍の遠征やその他の諸もの戦争責任を権威の象徴であるローマ法王に押しつけないで、時の権力者に責任を求めているべさ。それなのに我が国の制度を理解できなかった連合国側は未だに天皇に責任を押しつけようとしている。バッカじゃなかろうか、責任は時の権力に付けるべきだよ、権威に押しつけてどないするんじゃ(苦笑)。

歴史というものは歴史観で見るもの。そしてその歴史観は文化の連続性という単位で推し量るもの。そうすれば連綿として繋がる一筋の歴史が見えてくる。我が国の歴史は旧石器時代より連綿と繋がっているのだよ、もう何十万年という年月を重ねて。
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Subject:はたから見ると From:波浪規定 Date:2007/06/25 18:58
No:5841
>キルドンムさん、ありがとうございます。
会長になったのは念願か不本意かは知りませんが、ほとんどの期間を副会長だったF先生が会長になると、胸に秘めた野望を達成したような印象が・・・(^_^;)
いいたとえではないが、なんだかケレンスキー政権を倒したボルシュビキを連想してしまう。
ソビエト政権初期の秘密警察チェーカーは、オフラナから寝返った者を多数抱えており、オフラナの手口を継承しています。
政治思想は転向しても、行動様式を変えるのは、なかなかうまくいかない。(^_^;)
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Subject:父の教え From:灯理 Date:2007/06/25 20:21
No:5842
みこしはみこしとして担いでおいて、自分はもっぱら事務局を牛耳る。
「共産党はいつもそれだから、気をつけろ。」
とは父の教えです。

藤岡さんの行動様式、そのものでしょうね。
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タイトルRe: 和解する可能性?..そんなもんは無い
記事No80
投稿日: 2009/07/03(Fri) 08:58
投稿者おちょくり塾より
Subject:北海道東部 From:波浪規定 Date:2007/06/25 20:44
No:5843
オホーツク沿岸を中心とした北海道北部・東部は5世紀から10世紀にかけてオホーツク文化が栄えていた。オホーツク人は海洋民族で、あちこちに交易に出かけ、紛争もおこした。
10世紀ごろから内陸生活を行うようになったが、もっぱら川の近くであった。これをトビニタイ文化という。
北海道の他の地域では、弥生文化の影響をうけた続縄文時代が7世紀末ごろまで続き、その後は擦文時代となる。
トビニタイ文化は擦文文化に吸収されて行くのだが、皆が皆、スムーズに進んだわけではないだろう。最後までなじめなかった人達がコロボックルとよばれたのではないかというのが、私の妄想。(笑)
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Subject:事務局・・・ From:波浪規定 Date:2007/06/25 20:49
No:5844
>灯理さん、ありがとうございます。
F先生に感じる不信感はそれですね。
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Subject:事務局 From:灯理 Date:2007/06/26 16:01
No:5846
まあ、オフィス(Access)があれば事足りるようなデータベースに、えらいお金がかかっていたり・・それでもめたり・・未だにファックスで連絡していたり・・なんだかなあ、と思うんですがね。
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Subject:しかしねえ… From:キルドンム Date:2007/06/26 17:06
No:5847
 波浪さん、灯理さん、ありがとうございます。F氏の行動様式は確かにその通りなのかも知れないが、ただ…。
 十年前には、みんな氏のことを「〈敵〉の中にいただけあってそのやり方を熟知しており、非常に心強い」とか何とか言って絶賛していませんでしたか。それを今になってあげつらうというのもどうですかねえ。氏が変わったのではない、我々が変わったのでしょう(笑)。
 いまだにファックスを使うというのも、仕方がない(笑)。E−mailなどより確実だと思われているのでしょうから。「最新技術」はあまりにリスクが大きすぎる(苦笑)。
 本来自分のすべきこと・できることから手を着けていけばよいのです。
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Subject:>キルドンムさん From:灯理 Date:2007/06/26 17:57
No:5848
>  十年前には、みんな氏のことを「〈敵〉の中にいただけあってそ
> のやり方を熟知しており、非常に心強い」とか何とか言って絶賛し
> ていませんでしたか。それを今になってあげつらうというのもどう
> ですかねえ。氏が変わったのではない、我々が変わったのでしょう(笑)。
 
わたしが「つくる会」の会員にならなかったのは、氏の体質を、ひいては会のありようを懸念したからに他なりません。
わたしは立場上、用心深いんですよ・・趣旨には賛同しても深入りは出来ないな、と。
共産党は、脱党者のセクシュアリティを論うのが大好きですからね。

> いまだにファックスを使うというのも、仕方がない(笑)。E−m
> ailなどより確実だと思われているのでしょうから。「最新技術
> 」はあまりにリスクが大きすぎる(苦笑)。

そんなことだから、たかがデータベースに馬鹿げたお金をつぎ込む羽目になったりするんですよ(^o^)。
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Subject:酔中余談 From:苹@泥酔 Date:2007/06/26 20:14
No:5850
 …あれは田中会長時代だったと思う。「つくる会」青森県支部主催(?)のパネル展を見に行ったら支部長らしき人が居て、日本会議にも所属してると言ってたっけ。あの時あたしゃ「ネット見て来ました」とでも云ったのかな。その後ネットの話題になった。
 支部長はネットの影響について仄聞していたらしく、それなりに興味を持っている様だった(まだ始めては居なかったらしい)。その頃は山形板の猛者が活躍中だったし、こちらはこちらで言葉を濁してたし(苦笑)。…あれから参入したのかなあ。「老人の群れ」にネット参入を期待するのは難しいんじゃないのかなあ。
 ウチの爺婆(大正世代と昭和ヒトケタ)なんか、黒電話をピポパのプッシュ式に変えた所で終わってるぜ。公衆電話での訓練期間があったからどうにか使えるものの、ナンバー・ディスプレイとなるとチンプンカンプン(私も…汗)。勿論FAXはない。だから我が家ではFAX自体が最先端機器なのだぁ。あれは官公庁で使うものだ。個人宅で使うほどの理由はない。また〜携帯電話なんか見た事もない。まだ二十歳そこそこで「精力ありあまる若者」の私(ウソ)なら流石に見た事くらいはあるけれど、そう云や…まだ触った事がないなあ(爆)。これも理由は明白。携帯電話を使う必要がないからだ(と思ってるのは私だけ?)。仮に使うとしたら、あの面妖な画面の付いてない機種がいい。噂によると、様々なメールが届くんだってね。メールなら「あずましく」パソコンでやればいいだろ。電話ではフツー「話す」ものだろ。なのにメールするなんて「世の中、狂ってる」。皆の衆に訊きたい。携帯電話でメールするのって、どんな気分?

 …思い起こせばwin3.1の時、あたしゃせっせと辞書登録してたんだっけ。今こうして打ってて一発で出るかどうか試してみよう。九成宮醴泉銘、枯樹賦、顔勤礼碑、・遂良、・肩吾…そうだった、当時は外字もせっせと作ってたんだっけ(汗)。それがXP時代の今では使い物にならぬ。新聞サイトを見ると「・石如」の「トウ」は今なおダメダメで、「登」に「おおざと」の字が出てこない。こんなの打ってると文字化けが怖いから懸念箇所を今「・」に打ち直したけど、この程度の下準備ならキルドンム様あたり何らかの形で経験済みなんじゃなかろーか(因みに当方、簡体字は未体験ゾーン)。
 簡体字と云えば…例えば「書」のそれは草書由来だよね。でも草書はフツー「下が出ない」よね。でも中国には出る形で書く人が日本より多く居るみたいだし、米・(…またやっちまった、米元章の事ね)の様な書きぶりなら下を出しても無問題なんだろーな。とにかく漢字絡みの事では初手から不便を感じていた。それをパソコンと携帯電話の両方でどうにかするなんて…ああっ、面倒くさっ!(と駄々をこねる。)
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Subject:>キルドンムさん(No.5839) From:北の狼 Date:2007/06/26 22:33
No:5851
レス有難うございます。


>>まず、「いまようやく藤岡氏が念願の会長に就任し」というところですが、藤岡氏の会長就任は、なりたくなってなったというよりむしろ他に方法がなくなり、仕方なく出て来ざるを得なくなったというように感じられるのですが。何といっても該会創設の主唱者ですし、会長になろうと思えば十年前からになれた筈。

そもそも、副会長の地位にあるからには、いつでも会長を引き受けるという気概があって当然ではないでしょうか。その程度の心の準備なくして「つくる会」会長というのは勤まるものなのでしょうか?

また、「なりたくなってなったというより【むしろ他に方法がなくなり】、仕方なく出て来ざるを得なくなったというように感じられるのですが」という物言いがよく分かりません(【】は北の狼)。
「なりたくなってなったというよりむしろ【他に適任者がいないので】、仕方なく出て来ざるを得なくなったというように感じられるのですが」というのなら分るのですが、いかがでしょうか? つまり、「他に方法がなくなり」というより、もはや藤岡氏のような人物しか会長のなり手がいなくなった、ということです。

さらに、【出て来ざるを得なくなった】というのは、具体的にどういう事由によるものでしょうか? 
「何らかの原因(問題)が生じ、それを解決しうるのは会長しかありえないが、その会長として他に適任者がいないので、他者に推されて仕方なく藤岡氏が出て来ざるを得なくなった」という文脈のようですが、その辺の経緯を具体的にご説明ください。
「いや、具体的に説明はできない。ただそう感じたまで」というのでしたらそれでいいですが。

最後に、「会長になろうと思えば十年前からになれた筈」と断言なさる根拠は何でしょうか? 十年前といえば「つくる会」が創生された年です(1997年)。当時の会長はもちろん西尾幹二氏です。藤岡氏は「自由主義史観研究会」の創設者ではありましたが、「つくる会」創設者の西尾氏を押しのけてまで、かつ、自由主義史観研究会の会長・代表を兼務してまで、「つくる」会長になれるほどの”タマ”だったのでしょうか?
「会長になろうと思えば十年前からになれた筈」という根拠をお示しください。


>また、「それ以後も、会は正常に活動し、会が分裂した事実もなければ紛争が起こったこともありません」と通信文に書いてあることについて、「も」というのが少し引っかかりますが、ここで「それ以後」、すなわち四月以後には、確かに分裂は起こっていない―紛争はどうかわかりませんが、苹さんも触れておられるように、我々を含めた外部からの批判・批評を「内紛」というのは無理でしょう―


西尾ブログ、東京支部掲示板、「つくる会」 Fax 通信、メーリングリストは4月以降も平穏だったのでしょうか? なぜ、昨年の4月以降、二人の会長が辞任または解任の止む無きにいたったのでしょうか? 
以下は内紛や分裂でなかったら、何だったというのでしょうか? 「つくる会」HPに載っているものですよ。


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平成18(2006)年5月02日(火)


種子島会長・八木副会長辞任に至る議論の経過



種子島会長・八木副会長辞任に至る議論の経過

会長代行 高池 勝彦
 
  FAX通信第172号(5月1日付け)既報のとおり、4月30日の理事会で、種子島会長と八木副会長が辞任し、4人の理事も行動をともにしました。会長・副会長辞任に至る理事会の議論の経過を報告します。

(1) 会長・副会長辞任の理由
 
  議題審議の冒頭、種子島会長が辞意を表明し、その理由を概略次のように述べました。
〈3月28日の理事会で、理事間の内紛は一切やめる、今後は将来についての議論のみ行い過去に遡っての糾弾は行わない、との方針を決めた。ところが、翌日の産経新聞が不正確な記事を出し、その取材源の追及が始まった。さらに一部の理事は、4月7日、会の活動とは関係のないことをことさら問題にして、八木氏を査問にかけるべきだとの提言を行ってきた。私は峻拒した。10日、八木会長の取材対応の説明と、産経・渡辺記者の詫び状を全理事に送り、これで産経問題に決着をつけようとした。ところが、12日、藤岡・福地両理事から面会を求められ、八木氏の行動について確かな証拠が出てきたとして再び査問を要求してきた。これは、私の選んだ副会長を信任しないということであり、こんなことでは会長職を全うすることは不可能であるので、辞任を決意し八木副会長に伝えた。八木氏も「精神的に限界で、私も辞めます」と表明、揃っての辞任となった。〉

  続いて八木副会長は次のように述べました。

〈この間私の問題で根拠もなく嫌疑をかけられ、執拗に追及された。私としては弁明もせず、何とか理事会で正常化出来ないものかと考えたが、この半年間、彼らとの間では後ろ向きの議論を余儀なくされ、肉体的にも精神的にも限界に達したので、副会長・理事を辞任し、正会員もやめることにした。本会は発足以来、定期的に内紛を繰り返してきたが、「相手代わって主代わらず」という言葉があるように、今回は私などがたまたま「相手」とされたに過ぎない。「主」が代わらない限り、本会の正常化は無理であり、発展も未来もないものと判断し、退会を決断した。〉

(2)藤岡・福地両理事による反論
 両理事は、「つくる会の混乱の原因と責任に関する見解」という本文6ページと付属資料からなる文書を用意し、概要次のように述べ会長・副会長の辞任理由に反論しました。

〈我々両名は、2月理事会の翌日28日から3月28日理事会までの1ヶ月間、種子島会長を支える会長補佐として会の再建に微力を尽くしてきた。3月28日の理事会では、副会長複数制が妥当であるとの我々の進言を無視し、会長はその任命権を行使するとして八木氏のみを副会長に任命した。それでも理事会の宥和を重視し、我々はその人事に同意し、二度と内紛を起こさないようにしようという精神で合意した。このまま何事もなく推移すれば、7月に無事に八木会長が誕生したはずである。
 
  ところが、この理事会直後から、会の宥和と団結の精神に反する不審な事態が 続発した。

1.3月29日付け産経新聞は理事会の内容を歪曲し、理事会で議論すらしていないことまで報道された。理事の誰かが誤情報を流して書かせたのである。

2.3月末から4月初めにかけて、西尾元会長の自宅に一連の脅迫的な内容の怪文書がファックスで次々と送られた。これについて西尾氏が自身のブログで発信する事態となった。

3.4月3日、渡辺記者は藤岡理事に面会を求め、藤岡理事に関する「平成13年 日共離党」という情報を八木氏に見せられて信用してしまったが、ガセネタであることがわかったと告白して謝罪した。6日には、謀略的怪文書を流しているのが「八木、宮崎、新田」であると言明した。

  福地理事は、事態は深刻であり速やかに事の真相を糺す必要があると判断、4月7日に種子島会長に八木副会長から事情聴取する必要があると進言したが拒否された。4月12日、西尾宅に送られた「西尾・藤岡往復私信」は八木氏の手にわたったもの以外ではあり得ないことが判明した。同日、藤岡・福地の両理事は会長に対し、八木氏が3月理事会の精神に反する一連の謀略工作の中心にいる可能性が極めて高く、その証拠もあることを説明し八木氏の聴聞会の開催を改めて求めた。会長は、1.八木氏に確かめ、事実を認めれば解任し、自分も任命責任をとって会長を辞す、2.否認すれば八木聴聞会を開く、と表明した。翌日13日、種子島、八木、藤岡、福地、鈴木の5人の会合の場がもたれ、冒頭で会長は両名の辞任を表明した。従って、前日の1.のケースであったことになる。
 
  こうして会を正常化しようとする我々の真摯な努力は水泡に帰した。
 
  この間、種子島会長は、「過去は問題にしない」と言い続けてきたが、一連の謀略による内紛の再燃は、宥和を確認した3月理事会の後に起こったことであり、現在の問題である、また、辞任の理由として、我々両理事が内紛を仕掛けたかのように語っているが、それは明らかな事実誤認に基づく責任転嫁である。〉

(3)討論の流れ

  田久保理事から、「藤岡理事は八木氏宅へのファックスにたった一言書き込んだ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した。藤岡氏の党籍問題に関するデマ情報の流布は極めて重大な問題であり、八木氏はそれを他の理事などに公安調査庁の確かな情報であるとして吹聴したことについて藤岡氏に謝罪すべきである」との発言がありました。事実関係についても、参加者から具体的な補足情報の提供がありました。

  内田理事は、藤岡理事の言動が会の最大の障害であるとして、藤岡理事を解任すれば種子島会長は辞任を思い留まるのかと質問しました。それに対し、種子島会長は、それが筋だが健康に自信がない旨述べて会長を続けるつもりはないと発言しました。

  藤岡理事は、八木氏が世間一般の基準よりもより高い倫理的規範を求められる当会の最高幹部でありながら、このような反社会的行為を繰り返したことは決して許されないことであり、会則20条の除名処分に該当するとしつつ、終戦後「天皇を守ろうとした人びとは、気づく、気づかないは別として、独善、猜疑心、悪意、流血が連鎖、循環する悲劇を繰り返すまいとしたのである」という鳥居民氏の言葉を引用して、八木氏らが「理事会と会員に対し、事実を認め、心から謝罪するなら、すべてを水に流して、大義のために、会と会員と国民のために、手を結びたい」と提案しましたが、応答はありませんでした。

  議論は2時間半以上にわたって続きましたが、結局八木氏は謝罪せず、種子島・八木両氏は辞意を撤回するに至らず、辞任が確定しました。この両氏の辞任に続いて、新田・内田・勝岡・松浦の4理事も辞意を表明(松浦氏は欠席のため文書を提出)、会議場から退出しました。

http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_060502.html
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以下では、「種子島会長・八木副会長辞任」の件について、ずばり「内紛」と称されているではありませんか。


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平成18(2006)年6月12日(月)


第91回理事会(6/10)報告
第9回定期総会(7/2開催)に向けて協議進む! 
会長、副会長人事は次回理事会で選出へ
新理事に杉原誠四郎氏(武蔵野大学教授)を選出



  第91回理事会は、6月10日(土)午後5時30分から開催され、第9回定期総会に提出する内容等について協議を行いました。会議では、会長・副会長人事、今回の理事会内における「内紛」に関する見解、平成17年度決算報告、評議員の選出、事務局のあり方等について活発に協議が行われました。その結果、会長・副会長人事については、次回理事会(6月20日開催)で選出し、総会で承認を求めることとしました。なお、決算報告については会計監査を実施した上で総会に報告します。

  さらに、理事会では、新理事として、杉原誠四郎氏(武蔵野大学教授)が選出されました。また、理事会に先立って辞表が提出されていた工藤美代子理事、田久保忠衛理事の辞任についても承認されました。両理事の辞任は、体調等を理由とするものであり、辞表には「今後は後方よりの支援部隊として頑張る」(工藤理事)、「会の現状は今後も多難と思われますが、これを乗り切ってこそ会の足腰は強まり、大きな志を遂げ得るものと確信しております。私は一会員として引き続き微力を尽くすつもりです」(田久保理事)との言葉が添えてありました。

http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_060612_1.html
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>しかも、四月以前のことに対し、「分裂も内紛もない」という信じられぬ見解を示していたのは、他ならぬ小林前会長であったのではないでしょうか。この点は如何でしょうか。


まず、ソース(全文)を示してください。
というのも、今回の藤岡氏のように扶桑社非難のために<歴史>を捏造したのか、それとも、「つくる会」の結束ならびに将来の「再生機構」との融和・統合を意図してあえた発した言葉だったのかでは、その評価は大いに違ってきますから。

最後に、キルドンムさん、昨年4月以降「分裂も内紛もない」については、貴方自身はどういう認識でいるのでしょうか? 


>あと、「扶桑社が『つくる会』に執筆を依頼する可能性」と仰っていることについてですが、この場合執筆するかしないかの主体は出版社(扶桑社)側にあり、執筆グループ(つくる会・再生機構の別組織等)は、その指示に従う、下訳のごとき存在というようにも読まれます。他の教科書の場合は知りませんが、これまでの扶桑社とつくる会との関係は果たしてそのようなものであったのか。少し小生の理解していたのと違うのですが、この辺のところはどうなのでしょうか。煩をいとわず、ご説明の程いただければ幸甚です。

なんか、悲しくなってきますね。『史』2000年1月号には、なんと書いてありますか? 
「『つくる会』はあくまでも教科書作製の発意者に過ぎ」ない、「教科書を実際に執筆・監修して、その奥付に名前が記載される先生方のみを編著者と限定してい」るので、「つくる会」は「編著者に該当しない」、と書かれていますよ。
「編著者」に該当しないものが、出版に関して「下訳のごとき存在」でないというのでしたら、何なんでしょうか?
そもそも、なぜ、「つくる会」がこういうことを書かなければならなかったのか、その理由はよくご存知でしょう。
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Subject:米国債権を売り払え From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/28 08:21
No:5852
嫌日朝鮮人らの煽動に乗り、歴史事実を無視した、我が国の尊厳と名誉を傷つける理不尽極まる決議案可決の米下院に対して抗議するとともに、これを看過した米国に喝を入れるために900兆円の米国債の売却と在留米国軍への予算支出を廃止せよ!!!。



とか何とか過激に言ってみる。
嘘に基づく慰安婦決議で我が国を非難するのなら、これで心おきなく米国債権(900兆円とも噂されている)を売り払うことが出来る。
国債発行残高とほぼ同じだから、これでチャラだね(笑)
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Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/28 14:10
No:5853
/////
西尾幹二のインターネット日録(平成18年3月7日)
「つくる会」顛末記
――お別れに際して――
 私は「新しい歴史教科書をつくる会」にどんな称号であれ戻る意志は
ありません。
 私は理事会にも、評議会にももはや出席する立場ではなく、会費を払
っているので総会の一般席に坐る資格はあるでしょうが、これも今後遠
慮しようと考えています。すなわち、いかなる意味でも私は「つくる会」
に今後関係を持たないこと、影響力を行使しないことを宣言します。
 旧版『新しい歴史教科書』にのみ私は責任もあり、愛着もあります。
旧版がすでに絶版となり、新版のみが会を代表する教科書となりました
ので、私の役割はその意味でも終っています...
/////

「いかなる意味でも私は「つくる会」に今後関係を持たないこと、影響力を行使しないことを宣言します。」とか言っていたはずなんだがなう、現会長と連名で、何で発表したんかなぅ。ヽ(。_゜)ノヘッ?
[い か な る 意 味] [今 後 関 係 を 持 た な い] [影 響 力 を 行 使 し な い] [宣 言]...
空しい言葉の羅列だったのかなぅ...
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Subject:>北の狼様へ@ (No.5851) From:キルドンム Date:2007/06/28 14:25
No:5854
 北の狼様、懇切なご回答をいただき、有難うございました。以下貴文の順に沿って、ご説明申し上げることとします。
まず、「そもそも、副会長の地位にあるからには、いつでも会長を引き受けるという気概があって当然ではないでしょうか。その程度の心の準備なくして「つくる会」会長というのは勤まるものなのでしょうか?」とご指摘になられている点については、全面的に賛同いたします。もっと早く藤岡氏に「気概」「心の準備」があったならば、この無為に終わった一年間は避けられたかも知れません(以前、副会長として会長の職務を代行していたこともありましたし)。ただ、現に副会長は長い間複数制をとっており、また会則にも「会長、副会長は理事会において決する」とのみあって、必ずしも副会長が次の会長に就任しなければならないということでもないわけですから、「副会長の地位にあるからには」との仰り方にだけはやや釈然としません。「事実上、運動の中心的存在であるからには」ということならわかりますが。
 「なりたくてなったというより」の直後の文についてなのですが、実を言えば、ここのところは表現するのに相当迷った箇所でした。確かにご明察の通り一旦は【適任者】という意味合いの言葉を書いていたのですが、他の方々に失礼な言い方と受け取られかねず、あまり適当な表現ではないと考えて、【方法】に変えたのです。しかしながら、後者のうちには前者のニュアンスも含まれているつもりだったのですが、良くなかったでしょうか?
 氏の会長就任に対する記述はつくる会5月31日ニュースに基づいております。もっとも少なくとも記憶している限り自薦で会長になつた例はない―裏の事情は知りません―それでも、理事会で「他者に推されて」会長になったというのは間違っていませんよね?
 それから、藤岡氏は「つくる会の創設者(の一人)」ではなかったのですか?もう一度当時の経緯を思い返してみましょう。そもそもつくる会は藤岡氏が西尾先生に働きかけたことがきっかけで発足したのではなかつたのでしょうか?極端な話、西尾先生でなく教科書問題を憂えていた他のどなたかでも良かった筈です。そのため、敵対者側から、「藤岡信勝の〈つくる会〉」だの、「藤岡がつくり、西尾を頭に据えた」だの、挙句の果てには自由主義史観研究会と混同されるだの、色々とひどいことが言われていましたが、それらはみなこのことに起因するのです。もしこの時に、氏自身が最初からトップになろうとすればできた筈(同時に自由主義史観研究会の会長であるとかどうとかといったことはまったく関係ない)。ただしその結果、会がどのようなことになったかは保証の限りではありません(笑)。そのことを見極めて、会長の座を他の方々に譲りつづけたのが氏の「真骨頂」でしょうね(笑)。
 ともあれ、このたび「目出度く」(?)会長にご就任あそばされたからには、藤岡氏もこれまで以上の、なみなみならぬ決意を以て臨まれていることでしょう。個人的な好悪の情を抜きにして考えれば、氏が実践面において能力と手腕とを兼ね備えていることは否定できません。ひとます新会長、そしてつくる会がどう行動するか見届けた上で、大小を問わず批判すべきことができればその時になってからでも遅くはない、というのが今の小生の考えです。

 次に、「四月以後には、確かに分裂は起こっていない」と申し上げた件について。これに対し、狼様は「西尾ブログ、東京支部掲示板、『つくる会』 Fax 通信、メーリングリストは4月以降も平穏だったのでしょうか?なぜ、昨年の4月以降、二人の会長が辞任または解任の止む無きにいたったのでしょうか?以下は内紛や分裂でなかったら、何だったというのでしょうか?」とお応えになられておられますが、ここのところについても、如何なる誤解からか、話が噛み合っていないように思えます。その後でお引きになられている資料はいずれも四月までのことについてのもの。こちらの申し上げているのは、その後のことについてなのです。
 種子島会長や八木副会長が4月30日に辞任して別組織(目的は少し異なっているかも知れませんが)を造ったのは「分裂」と称することも可能でしょう―もっとも「分裂」といっても二つのケースがあり、譬えは悪いですが宏池会が三つに分かれそれぞれ同じ名称を用いているような場合。もう一つが木曜クラブと経世会とに典型的に見られるように、別名の組織を立ち上げ、従来の構成員がそちらの方へ雪崩れ込む場合。これは「分裂」というよりもっとふさわしい言い方がある筈。つくる会のケースは後者に比較的近いようですが、しかしその後も厳然として存在するので、それとも異なる―ただしそれ以後、今日に至るまで同様の事態はなかった筈です(「内紛」の存在までは否定していませんが、それで出て行った人がもしいたとして、それが他団体に参加したとしてもあくまで個人の問題。「分裂」とはいえない)。
 その、ご指摘になられた四月以降、解任された会長のことについては、次の資料がすでにお手元にあると思いますが…。

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(3)扶桑社からの2月26日付回答文書のうち、組織に関わる問題については、つくる会の認識と異なるところがあります。回答文書には<一昨年9月以降、「新しい歴史教科書をつくる会」が会長人事などで組織内に混乱が生じ、昨年、有力メンバーの一部が、つくる会と袂を分かって「日本教育再生機構」を設立する事態となり、「新しい歴史教科書をつくる会」が事実上分裂する状況となりました>とあります。しかし、経過全体を総括していえば、理事を務めていた一部のメンバーが理事を辞任し、その後別途に「日本教育再生機構」なる組織を設立したという事実があるにすぎません。つくる会は従来どおり地方支部も正常に活動し、本部でもほぼ月例ペースで理事会を開催しており、会報『史』も定期的に発行していて、何ら分裂の事実はありません。また、つくる会は新しく設立された教育再生機構に対して対立したり、その活動を妨害したりしたことは全くありません。それどころか、つくる会の理事のうちには教育再生機構の役員に就任したり講師として協力したりするなど、同機構への協力関係を発展させてきました。そもそもつくる会と教育再生機構は、カバーする問題の領域も活動の形式も基本的に異なっており、教育運動の観点からは、つくる会とは別種の教育運動団体として、つくる会とともに協力的に発展すべきものです。以上を要約していえば、つくる会そのものが分裂した事実はいっさいなく、『新しい歴史教科書』『新しい公民教科書』の教科書とつくる会と発行元の扶桑社との関係は従来どおりであり、いまここで特に変更しなければならない理由はありません。(5月10日つくる会見解)
http://www.tsukurukai.com/01_top_news/file_news/news_070511.htm
=========================

 そしてこれが所謂「小林路線」であることは、これに危機感を抱いた三支部が5月18日に出した罷免要望書からも明らかでしょう。勿論、小生は平素は彼等の言動に対し色々と批判がありましたし、この要望書にもなにやら妄想めいたことを書き散らした箇所もありますが―それはともかく、客観的にみても「分裂」(当然、「内紛」も)の事実自体を否定しているのは奇妙でしょう。もし、本当に「融和・統合を意図し」たのなら(この期に及んでなおもそうする必要があるとはまったく認めませんが)、決してこんなことを言うべきではない。狼様も「昨年4月以降も、否、4月以降こそ、当時の紛争がいかに”熱い”ものであったか」と仰っていますが、その前提として四月以前に「内紛」「分裂」が存在したことは当然認めておられるでしょう。
 「『史』2000年1月号には、なんと書いてありますか?」とお尋ねになられても、会員になったことがなく、手元に当該誌がないので答えようがありません(小生が十年前から入会の意志はありながらも、とうとう今に至るまで入り損ねた―もうその気も失せている―ことについては前に書いたことがあります)。もう少し詳しく、その文章を引用していただけないでしょうか(作者も誰だか教えて下さい)。それに、引用になられた語句だけから見る限り、小生の理解していたことと同じ意味のようです。つまり執筆の主体(著作権と言い換えても良いでしょうね)は出版社側にあるのか、それとも執筆者側にあるのかということです。誰も法人としてのつくる会に著作権があるなどと申しておりませんよ。ただつくる会が全体の方針を定め、執筆者を選定するという形でかかわつているのでしたから、「執筆グループ(つくる会・再生機構の別組織等)」と申し上げたのです。誤解を招かぬように最後に「の」の字を付けるべきだったかも知れません。謹んでお詫びいたします。
 扶桑社に著作権のないことは次の他ならぬ、該社自身の出した文書からも窺えます。

>元来、扶桑社の教科書は、前述しました自虐史観の叙述が多い従来教科書に疑念を呈する有識者の任意団体である貴「「新しい歴史教科書をつくる会」と産経新聞社の意向が一致し、発行が企画されたものであります。その後、発行計画を具体化するにあたって、産経新聞社が発行主体になることは法的に適わないことが判明し、フジサンケイグループの出版社である扶桑社が発行主体となったものであります。
従って、確かに扶桑社が発行・発売を自己の責任において行うことに疑いはありませんが、この経緯からして扶桑社教科書は、「新しい歴史教科書をつくる会」がこれを推薦するという構図で発行されたものであります。(5月11日つくる会webニュース「附属文書A」扶桑社より)

 この問題についてはもう少し確認しなければならないことがありますが、もう十分長くなってしまいましたので、ここで一旦筆を擱いて、つづきはまた後で書くことといたします。
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Subject:加害者(犯人弁護士判事)処罰法を制定せよ From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/30 10:00
No:5863
野球中継のあまりのくだらなさにチャンネル変えてなにげにテレビを見ていたら、「少年法を廃止せよ」というお笑いの人の主張討論番組があった。
加害少年にあまりにも保護に徹した現行法の穴をうまく説明できていなかったようだが、それでも15:10で勝っていたし、視聴者意見では9割の人が現行法改正に賛成のようだった。
民主党の影の内閣で法曹担当の人のあまりのバカさ加減に、民主党には絶対政権を与えてはならないと改めて思った。
加害少年の更生が目的だと言っているのなら、再犯時には元の量刑を再度加算しなければおかしいべさ、なぜなら更正していないからこそ再犯したのだから。
そこの理詰めが全くなされていなくて国会議員をやっているのには呆れる。
二度と同じ過ちは犯さないと判断されたときのみ務所(少年なら鑑別所)から解放すべきであって、刑期中途で出所させて再犯した場合は重加算し、中途出所を認めた判事弁護士はその刑期と同様の罰を受けるべきだと思う。
さらに、弁護士の責務は弁護する者にまっとうな裁判を受ける環境を作ることであって、量刑を軽くすることではない。母子を陵辱して殺害したれいのバカ野郎に対する人権屋弁護士どもは量刑を軽くしあわよくば無罪にしようと画策している現状から見て、弁護士法も改正すべきだ。
まっとうなつまり公平な裁判を受けさせるために弁護士は存在するのであって量刑を出来るだけ軽くするのは責務ではない。そこを取り違えているものたちには弁護士資格を与えるべきではない。
また、弁護した者が再犯した場合は公平な量刑ではなかったのだから、判事共々その本来与えるべき量刑と同様な罰を彼らにも与えることが出来る法律を作るべきと思う。


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【返信する】Commented by izamariko0157 さん

大賛成!!判事も弁護士も判決にかかわった人間は全て責任を負うべし。
殺人被告人も判決・出所までに掛かった費用、被害者家族・貸し住宅の家主
などに損害弁償をさせる法律を作るべき。
死刑廃止論者よ、被害者関係者の心情を無視する刑を軽くしたがる
弁護士達は加害者の人生最後まで責任を持ちなさい。
命がけでやりなさいよ!今は政治家も皆、そんな気概を持たない輩が多い!
2007/06/30 09:43

【返信する】Commented by aramar88 さん

ドモドモ m(__)m

そうですな、量刑については現行の「15年以下・無期(仮釈放あり)もしくは死刑」ではなく「7年以上無制限(仮釈放無し)もしくは死刑」とするべきです。
刑期を中途で取りやめるという現行法の欠点は「反省し更正した」という観点からだからです、被害者からの判断が無く、釈放後お礼参りされて同一犯罪者に殺されるという事件が起こることです。
そこには反省も更正もなかったのだから、判事も弁護士も刑務官もそれに対しては生命(イノチ)を持って償うべき。
強姦犯が訴えた女が悪いと逆恨みして仮釈放後すぐに被害者を殺害した事件のことをワシは忘れることが出来ません。
その犯人はまだ生きながらえている、何という理不尽な世の中でしょう。
人権屋が多い政党が政府の粗探しして国会を混乱させている現状に怒りさえ覚えます。

正義とは公平な立場を確保することこそが大切です。その公平な立場を保護するのが弁護士の役目なはず。
なのに、今の弁護士(大馬鹿野郎の判事を含む)は、ほぼ便利屋と人権屋に成り下がっているのが我が国の公平さの根幹を揺るがしているものとワシは思っています。
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タイトルRe^2: 和解する可能性?..そんなもんは無い
記事No81
投稿日: 2009/07/03(Fri) 09:00
投稿者おちょくり塾より
Subject:大変申し訳ありません。 From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/30 10:10
No:5864
あまりの迷惑投稿の多さに閉口し、投稿判定プログラムを厳しくしたら、下記の投稿まで絡まっていました。ソロさんには心からお詫びいたします。

            ドモドモ m(__)m


2007/06/27(Wed)10:08
ナポレオン・ソロ
国連考
 古森さんの「凛とした日本」の中で国際連合が誤訳であると知りました、「成る程そう言うわけだったのか」と腑に落ちました。
 正訳は「連合国」だったワケで、つまり、已然として戦勝国連合であるからには、敵国条項が有って当然、その敵国日本が常任理事国など以ての外でしょう、日本が国連に名を連ねているのは、同盟国米国がスーパーパワーを発揮しているからで、せっせと国連分担金を過剰に収めているのは、戦勝国側の皆さんにお付き合い戴く代償、と言うことなのでしょう。
 私はソレまで学校で、国連が「戦前の国際連盟の失敗に学んだ強制力を備えた、国際平和護持の為に改めて組織されたモノ」と言う認識の組織であると、習った覚えがあったのですが、真っ赤な嘘だったわけです。
 戦後に共立した国際平和護持の機関にしては、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、国連は中立的な機関として尊重されている様に見えなかったし、各々の戦争抑止に何等かの影響力を行使できたと言う感触も得られなかった。
 何より、常任理事国が1国でも拒否権を行使すれば、案件は成立しないと言う決まりは、全く民主的ではない事が明らかだし、5カ国が一致する事態と言えば、エイリアンでも現れなければ機能しないのではないかと訝った事さえ有りました、事実、この拒否権は、有用より悪用されてきたと感じる、ソ連のアフガニスタン侵攻非難決議も一蹴された、結果モスクワ五輪ボイコットでしたよね。
 その国連の存在意義さえ問いかねない拒否権の有権資格が、中華民国は中華人民共和国に、ソビエト連邦はロシアに、国家の実態、主体とも大きく変更されて、明かな別物になったのに、常任理事国の権利が「世襲」されている事に誰も異議を唱えない不思議さを感じていました。
 成る程、未だ軍主体の組織だったわけですね、しかも、世界平和のために参集したと言うのは表向きで、実質WWUの戦勝国で、戦後世界を支配続ける為の、めいめいの国の勝手を国際社会で優先・維持させる為の組織でしかなかったと言うことでしょう。
 こんな組織に、軍隊も持たない国が参加してナニカ意味があるだろうか、私は全く無いと思う。
 国連分担金は、今までの1/4位でOKでしょう、それでも、全体の5%ですから、商売をさせていただいている寺銭と考えれば、仕方がない出費です。
 その代わり、非常任理事国にナル必要もない、元々国連の腐敗は喧伝されている、各国の軍主体なら、国連改革など出来る相談でもないのだから、国連自体の性格が怪しくなったら、本当に脱退する事を検討しても良いくらいだ。


2007/05/21(Mon)11:58
ナポレオン・ソロ
朝鮮族の勉強方
<msnニュースより転載>
「在日外国人の参政権を考える会・福井」(嶋田千恵子代表)が主催。集会では、はじめに鄭暎恵(チョンヨンヘ)大妻女子大学人間関係学部教授が、「在日にとっての憲法」の演題で講演した。鄭さんは、終戦以降の日本と在日韓国・朝鮮人の歴史をユーモアを交え、わかりやすく解説。憲法11条が基本的人権の享有を「国民」と限定していることに触れ、「普遍的な権利に国籍条項を設けているのはおかしいことだ」と話した。
<転載終了>
 大学の教授にして、国を規範する憲法の成立要件が解らないらしい、元より日本国憲法は日本国民の為に有るわけで、此処で云う「基本的人権の享有」は確かに普遍的価値だが、「国民を限定対象としなければ、憲法で規程する意味がない」のは明白な事だ、是を真剣に聞き入って居たという聴衆の頭はどうなっているのだろうか。
 福島ミズポタソの様に、東大出て、弁護士資格を取れるのだから、理性も併存していると思うと、B52を空母から発進させる「常識」のレベルを開陳する。
 朝鮮族の勉強法って、唯ヒタスラ丸暗記らしいから、記憶力の占めるウェイトが大きい法学系は得意だが、応用中心の理工系はサッパリと言うことになっているとか、そう言えば、ノ・ムヒョンも弁護士ですね、そして、あらゆる面での認識度がトンデモナイ処は、ミズポタソと同じです、法律の適用範囲や、法文の意味の知識と言う高いレベルの知識・常識には優れていても、権威を信仰して居るようで、権威の名が内容の保証するとの考えですから、常識や風聞を疑って、検証してみる「良識」は全くナイ。


2007/04/25(Wed)11:29
ナポレオン・ソロ
慰安婦問題への疑問
 大体、強制連行して売春を強要したら、あの時代の女性達が持った貞操観念のレベルなら、青酸カリを呑んで死んじゃうヒトが沢山出てくるでしょう。
 下記は、ソ連軍の侵攻が早すぎて逃げ遅れた長春の陸軍野戦病院に居た日本の従軍看護婦さん達が戦後、満州でソ連軍に受けた仕打ちの記録です。
<「青葉慈蔵尊由来記」より要約>
 堀看護婦長以下従軍看護婦34人が取り残され、不安な毎日を過ごしていたが、終戦年の明けた21年1月にソ連進駐軍からの協力要請が堀婦長の許に来た、報酬が良かったのが気にかかったが、敵性軍であった事と拒めない雰囲気から、3人ずつ4回、計12人を送り出した処で、派遣された12人中1人は脱走時に12発の弾丸を受けながらも婦長の許に辿り着き、「是以上派遣するな」と言い残して絶命、ソ連軍病院に派遣された12人は、派遣されたその日から次々に強姦されてそのまま売春を強要されていた事が判明した。
 其れを知った直後、22人の看護婦が青酸カリを呑んで集団自殺、婦長はこの事件を、ソ連軍管理者のGPU(KGBの前身)に彼女らの遺書を添えて抗議した処、さすがにGPUも驚愕して、残った全員の帰国を約束したが、残った11人中6人は梅毒を感染されて、既に再起不能状態迄病状が進んでいたため「ソ連兵に感染させまくる事が、私達の復讐」と帰国を拒否、それどころか4人が自分の身を売って、帰国旅費を造った・・後略。
<引用終わり>
 こんな事件は、告発されていないだけで、実は沢山あったでしょう、今でも強姦は親告罪なんですから、埋もれている事件は相当有ると看て良いと思います。
 処で、先の米国下院で取りざたされた慰安婦問題で、韓国側の主張に拠れば、朝鮮半島では8〜20万人も強制連行が有ったそうだが、これがもし有ったとして、半島の女性の貞操観念が日本並なら大勢の自殺者が出ていなければオカシイのではないか、と単純に疑う向きがあって良いと思う。
 戦後5年経って、朝鮮戦争が始まり、直ぐに朝鮮戦争用に誂えた売春婦集団85人を追加したわけだが、一体それは連行で行われたのでしょうか、それとも公募したのか、韓国側はこの点についても明らかにしなければならない、ナンとなれば、半島には国連軍として、米韓、その他の派遣軍併せて、最大時約100万人の若い将兵が居たわけです、僅か85人では、時間的に物理的にムリですから、戦時中に働いていた多くの売春婦がその当時も、現役でバリバリ働いていたのは明白でしょう、良い金儲けになったから止められなかったと云うのなら、自らの意志で遣っていた事になりますがね、何処が人権侵害になるのでしょうか。
 それに、一体、半島にいた日本軍の誰が強制連行などする暇があっただろうか、そんなに兵隊が余っていたのなら、戦争末期のソ連軍の侵攻は止められたでしょうし、朝鮮族の引揚者に対する襲撃での、略奪・強姦・殺人も阻止できた筈です、それに、若い娘を捕られまいと先ず親が匿って、相手が誰であろうと、地域の男達が護ろうと抵抗・妨害を企てるのが普通だと思います、それを、朝鮮の男達は、自分の娘や恋人が強制連行されるのを指をくわえて黙ってみていたというのでしょうか。
 其れが事実なら、朝鮮人って本当にヘタレなんですね。



2007/04/25(Wed)09:59
ナポレオン・ソロ
強制連行
大体、強制連行して売春を強要したら、あの時代の女性達が持った貞操観念のレベルなら、青酸カリを呑んで死んじゃうヒトが沢山出てくるでしょう。
 下記は、ソ連軍の侵攻が早すぎて、陸軍の野戦病院に取り残された日本の従軍看護婦さん達が戦後、満州でソ連軍に受けた仕打ちの記録です。
<「青葉慈蔵尊由来記」より要約>
 戦後進駐してきたソ連軍の命令?と高額の給料の提示を受けて、従軍看護婦34人を束ねる婦長さんが、12人をソ連軍に派遣したところ、全員ソ連軍病院で強姦されて、そのまま売春を強要されていた、派遣依頼の中味の実態は、売春婦だったわけです。
 騙されて売春婦にされた12人中1人は脱走しました、その時に12発の弾丸を受けながら、騙されて派遣を続けていた婦長の許に辿り着き、「是以上派遣するな」と言い残して絶命、其れを皆が知った直後、残った22人の看護婦全員が青酸カリを呑んで集団自殺、婦長はこの事件をGPU(KGBの前身)に彼女らの遺書を添えて抗議した、サスガにGPUも驚愕して、残った全員の帰国を約束したが、残った11人中6人は梅毒を感染されて居て、最早、再起不能状態迄病状が進んでいたため「ソ連兵に感染させまくる事が、私達の復讐」と帰る事を拒み、寧ろ4人が自分の身を売って、婦長その他の旅費を造った・・後略。
<引用終わり>
 こんな事件は、告発されていないだけで、実は沢山あったでしょう、今でも強姦は親告罪なんですから、闇に埋もれている事件は相当有ると看て良いと思います。
 処で、朝鮮人の主張に従えば、朝鮮半島では8〜20万人も強制連行が有ったそうだが、有ったとして、半島の女性の貞操観念が日本並なら、大勢の自殺者が出ていなければオカシイのではないか、と単純に疑う向きがあって良いと思う。
 戦後5年経った頃、朝鮮戦争用に誂えた売春婦集団85人を追加したわけだが、一体それは連行で行われたのでしょうか、それとも公募で集まったモノか、連行なら、誰が連行したのか、明らかにしなければならないでしょう。
 米韓軍、国連軍まで併せると、最大時約100万人の若い将兵が半島に居たわけです、僅か85人では時間的に物理的にムリですから、今になって人道やら人権やら喚いている癖に、多くの売春婦がその当時も、現役でバリバリ働いていたのは明白です、良い金儲けになったから止められなかったと言うなら、大半の売春は強制でなく自らの意志で遣っていた事になりますがね、何処が人権侵害になるのでしょうか。
 それに、一体、日本軍の誰が強制連行などする暇があっただろうか、そんなに兵隊が余っていたのなら、戦争末期のソ連軍の侵攻は止められたでしょうし、朝鮮族の引揚者に対する襲撃での、略奪・強姦・殺人も阻止できた筈です、親は娘を隠し、相手が誰であろうと強制連行には村を挙げて抵抗するのが普通です、そうした形跡が全くないのは何故でしょうか、朝鮮の男達は、自分の娘や恋人が軍隊に20万人も強制連行されるのを指をくわえて黙ってみていたという事でしょうか。
 其れが事実なら、朝鮮人って本当のヘタレなんですね。



2007/04/13(Fri)14:34
ナポレオン・ソロ
米国への反論
>敵に見つかったら、一発目は敵に投げ、二発目で自決と言われた
 こちらがナニもせず投降しても、敵が無惨な方法で殺す事が判っていたからでしょう、ソレまでの戦いで米軍が国際法規を遵守していたのなら、軍人なら兎も角、民間人に「死して虜囚の辱め・・」も無い筈ですが、万歳クリフやスーサイドクリフが何故あったのか、何故降伏者が少ないのかを考えれば判ることだと思います。
 日本で非戦闘員を原爆投下や無差別爆撃、その他で50万人近くを殺戮している米国が、今更、人道の云々とは云えない筈が、堂々と云っているワケです、厚顔無「恥」の故か、厚顔無「知」の故か、ハッキリして欲しいですね。
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Subject:民主党の「リベラル」って From:荒間 宗太郎 Date:2007/06/30 15:18
No:5866
ワシと同じ感覚の記事があったので転載する。
ゴミの民主党はまずゴミや人権や弁護士共々無くならなければ我が国はよい国になれない。
民主党議員の暴言の数々には、同じ人間の血が通っているとはとても思えないな。


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>http://miro.iza.ne.jp/blog/entry/211090

民主党のネクスト法務大臣・平岡秀夫ってこんな人 2007/06/30 12:47

昨夜、「太田光の私が総理大臣になったら  …秘書田中」という番組で、民主党のネクスト法務大臣をしている平岡秀夫という議員が出演していました。

驚いたのは、平岡秀夫議員が、交通事故に遭った後、辛いリハビリに耐え、やっとの思いで高校に通学していた身体の不自由な息子を、少年2人のリンチによって殺されてしまった被害者の遺族を目の前にして、とんでもないほどデリカシーに欠ける発言を堂々と吐いていたこと。

■民主党のネクスト法務大臣が子供を殺された母親に暴言を吐きまくる   by「痛いニュース」さん
以下、要約を含めた暴言…もとい発言の抜粋

・「え?じゃあ、加害者が死ぬ目にあえばいいんですか?」
・「拷問して殺せばそれで気が済むっていうんですかぁ」
息子を殺された遺族を目の前にした発言

・「加害者の人に死の恐怖を味あわせるという気持ちで、
 青木さん(被害者母)が本当に幸せというか納得するというか、出来るとは思わないんですね。
 むしろ悪いことをした子供達はそれなりの事情があって、そういうことになった思う。」
遺族が、「事情って何ですか?」と訊き返すと…

・「いやいや、事情をいうのはね、彼らどういう環境で育ってきたとか?
 どういう親とか大人とか関係であったとか‥‥それはともかく置いといて、
 加害者の子供達にどうなってもらいたいのか?
 その子供たちが自分を反省し、これからの人生を歩んでくれるって‥
 そういうのはいいから、兎に角、死の恐怖を味あわせてやりたいってことですか?」

こんな風に、身体の不自由な少年を嬲り殺しにした犯罪少年の為なら、犯罪被害者の気持ちを踏みつけにしてもかまわない民主党の平岡秀夫議員は、昨年の11月(!)に朝鮮大学校創立50周年記念祝賀祭に出席されています。
...

■「リベラルの会」結成にあたって  
以下、抜粋

1. 憲法第9条の精神を世界に広め、活かしていきます。自衛隊は専守防衛に徹し、一部の国を敵国扱いすることとなる集団的自衛権は行使せず、国連を中心とした集団的安全保障の確立を目指します。国連改革を推し進め、新しい国連の下、積極的に世界平和の構築に取組むとともに、北東アジアの平和と安全の為にイニシャティブを執っていきます。
2. 真に自立した市民一人一人が政治に参加することのできる「市民に開かれた政治」を目指します。そして、「市民に開かれた政治」の中で、社会的立場の弱い人を含むあらゆる人が、安心して自由に暮らしていける社会の実現を目指します。

〈世話人〉(五十音順)
【衆院】 石毛えい子、稲見哲男、○生方幸夫、大出彰、○川内博史、○小林千代美、○今野 東、○近藤昭一、島田久、○辻恵、中川治、楢崎欣弥、○西村智奈美、○平岡秀夫、藤田一枝、本多平直、松野信夫、水島弘子 【参院】○梁瀬進、○白真勲
 (○印は事務局担当)

この「リベラルの会」は、旧社会党系の議員が集まったそうですが…
平岡秀夫議員と一緒に、防衛庁の省への昇格に反対していた近藤昭一は、
昨年、朝鮮総連系団体に衆議院第二議員会館を貸していたそうで………

………やっぱり、民主党って…信用できない。って感じです。。。

どうして、
「社会的立場の弱い」犯罪者  > 被害者で、
核やミサイルを持つ「一部の国」> 核もミサイルも集団的自衛権すらナイ自衛隊 
なのでしょう???????

民主党の「リベラル」って、一部の国の為に日本の安全保障を蔑ろにし、被害者より加害者の幸せを願う人たちばかりなのでしょうか。なんだか、民主党が政権をとったら、トンデモないことになりそうですね。
///////
参考>http://yabusaka.moo.jp/outu01.htm
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Subject:加齢臭(_ __; ウウッ From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/02 13:05
No:5872
昨日テレビを見ていたら、とても気落ちする場面を見た(_ __; ウウッ

上戸彩が島田紳助に言った一言だ。

「伸助さんがそばに寄ってくると胡椒の臭いがするんですよねぇ」と
少女期を少し脱した若い女性らしい感覚ではあると思うが...


それは胡椒の臭いではない、加 齢 臭 だ よ(_ __; ウウッ


ワシも五十代中途だから判るが、身体全体から出ているのだもの何ともしようがないじゃないか、と伸助は言うのはもっともだ(汗
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Subject:教育委員会は教師の後ろ盾となれ From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/02 22:12
No:5873
高崎経済大学教授の八木秀次によれば、教育三法成立は学校正常化への大きな一歩であり、その本当の意義は≪「なべぶた」型組織の改正≫≪「教育の地方分権」見直し≫≪教組支配の戦後体制脱却≫にあるという。
そこでその内容をチラッと見てみる。

/////
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070702/srn070702000.htm
≪「なべぶた」型組織の改正≫
教組主導の「民主的な学校づくり」から校長主導の
学校運営に転換するために副校長などの職を新設し
たということだ。
≪「教育の地方分権」見直し≫
「教育の地方分権」を一部見直し、文科省の教委へ
の権限を復活させたのだ。..教組と一体となって「
民主的な学校づくり」を放置するような教委には文
部科学省が「是正の要求」を行うということだ。教
委はこれまでのように「地方分権」を口実に好きな
ようにできなくなる。
≪教組支配の戦後体制脱却≫
教員免許更新制の導入も教育正常化に資するものだ。
...
教育三法の成立はこのように一部教組に事実上支配
されてきた戦後教育の「レジーム」を画期的に変え
るものだ。安倍政権9カ月の成果として高く評価し
たい。(やぎ ひでつぐ)/////(2007/07/02 05:16)


たった九ヶ月での成果としては評価に値するだろうけど、いかにも現場を知らない人の考察だなぅと思った。
各教育委員会を教員組合から文科省が取り戻すと言うことは評価するが、単に旧に復するというのでは何も良くはならないように思う。教員組合のうち日教組とその下部団体は悪の権化ではあるが、まともな教員組合(教育再生機構を支持している教員組合なんてまともだとワシは思うけどなぅ)もできているのだから、「教員組合から取り戻す」というのは日教組支配下から取り戻すことではよいが、まともな教員組合とはもっと緊密な意思疎通があって良いと思う。
まともな教師は裸で生徒や保護者の前に立っているに等しい。すべてが良い生徒や良い親ではないことは言うまでもない。
そして問題が起こったとき、失敗をおそれず立ち向かえる環境が何よりも大切。その環境は学校現場では校長や教頭が担わなければならないのだが、現実は必ずしもそうなっていない。
保身にあえぐ人々がいるからだ。失敗や問題が起こったとき、その原因解明と改善に当たるべきなのに、責任追及がマスゴミらによってなされ、謝罪と保障の問題が浮上する。
その際、最前列の教師を守るのは校長であり教頭だが、彼らの後ろ盾がなければ首をくくるしかない。
そうならないための砦は各教育委員会でなければならない。教育委員会が現場に失敗や問題の原因と責任を求めるのなら、その手のことはまたまた繰り返されるだろう。
教育委員会のなすべきことは、失敗や問題の原因解明と改善行動にあるべき、けっして現場に責任と謝罪と保証を押しつけるべきではない。
もちろん、ろくでもない教師が起こしたものは別であるが。
何とかしようとしている現場のまともな教師まで同じ待遇では現場は荒廃するだけだ。
その違いを見抜く力量のある人が教育委員になるべきであり、その人選が選挙で保身を狙う首長に任されるべきとは思えない。道州制の下で公平な思量がもたらされる環境が必要であり、そのための改革を目指すべきと思う。

三十数年の現場経験から経験則を言うと、3:4:3の割合で、良い教師:普通の教師:辞めてほしい教師達がいるように思う。いま問題としているのはたった三割しかいないがやがて他の四割の教師にも波及するであろう良い教師のことを言っている。

今回の教育基本法の見直しには、それが抜けているようにワシには感じられる。無い物ねだりはしたくないが、教育委員会改革も同時進行でやるべきと思う。
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Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/02 22:51
No:5874
扶桑社の見解があったので拾ってきた。
これは改変しない限り著作権でどうこうと言われないだろうと思うので、そのまま再掲します。




▼『5月31 日付「新しい歴史教科書をつくる会」藤岡会長声明についての見解』
                         平成19 年6 月26 日
                           株式会社扶桑社
                        代表取締役社長 片桐松樹

「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」)は、5月31日記者会見を行い、小林正会長の解任と藤岡信勝副会長の会長就任を発表し、別紙の藤岡新会長の声明を公表いたしました。
声明の中には、「つくる会」と扶桑社の関係についてのコメントが含まれておりますので、これについて扶桑社としての見解をここに表明いたします。

扶桑社としましては、2月26日付け扶桑社から「つくる会」への回答にもあるごとく、「つくる会」が分裂し、扶桑社の教科書に対する支持が前回、前々回の採択時のような拡がりを欠くことになることを強く憂慮いたしております。5月10日付け「つくる会」の「見解」では、「つくる会」に分裂の事実は無いとのことですが、客観的に見れば一昨年以降の「つくる会」会長の交代を検証し、また、今回の小林会長の解任経緯を見れば、「つくる会」は分裂し、それが進行していると判断せざるを得ません。

このような「つくる会」の状況について、種々の事情があるものと推察するのみで、扶桑社としてコメントする立場にはありませんが、扶桑社としては、次回の教科書編集については、前2回の採択時のように、当時の関係者が大同団結してご協力いただけることを期待しており、何度もそのような状況が実現するように働きかけも行ってまいりました。

これに対して、藤岡会長とその支持者の方々は、この分裂後の藤岡会長「つくる会」の正統性を主張され、扶桑社が相手にするのは現状の「つくる会」のみでよいというお考えであり、一昨年の分裂以前の「つくる会」メンバーの協力体制構築を求める扶桑社とは残念ながら見解を異にいたします。

また、次回の教科書については、扶桑社としては、発行の基本理念についてはゆるがせにすることなく取り組んでまいりますが、前2回の発行を通じて得た教訓を基にし、現場の先生方のご意見も参考にし、「ユーザー」である生徒達に対して分かりやすい叙述に変えるなど、積極的な改善によりさらに良い教科書を目指していきたいと考えております。これに対して、5月10日付け「つくる会」見解は、必要最小限の改善で良いとしており、扶桑社とは見解が異なります。

このように扶桑社が次回の教科書の内容を積極的に改善しようと努力する理由を、「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択が取れないから」であるとする藤岡会長の声明は、事実に全く基づかないコメントであり、極めて遺憾であります。

以上は、藤岡会長の声明に対する扶桑社としてのコメントでありますが、扶桑社としては、現在も次回の教科書が前2回の体制を再現する形で制作されることを熱望しております。
その意味で、藤岡会長とその支持者である「つくる会」メンバーの方々が、大同団結に加わっていただき、多くの方々が智恵を出し合う形で教科書制作が進むようにご協力いただけるようになることは扶桑社として大歓迎するところであります。

扶桑社といたしましては、2月26日付け扶桑社回答にもあるごとく別会社を設立し、次回の採択に向けての新たな教科書編集作業に着手することになりました。
別会社とする理由は、@より良い教科書編集を実現し、より多くの採択を獲得すると共に、教科書コンテンツの2次利用や派生的な出版物を積極的に生み出す体制を整備し、教科書事業の採算効率を的確に把握できるようにすること、A前2回の発行理念は、しっかりと継承することは当然であるが、前2回の編集体制の再現に不安がある以上、別法人による新たな教科書発行であることを明確にし、著作権などでの無用の混乱を防ぐ、この2点にあります。

以上、扶桑社としての見解を述べてまいりましたが、この当社の方針にご賛同いただける一人でも多くの方々からご支援をいただけますよう努力する所存であります。
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Subject:うぇっぶ論考() From:荒間 宗太郎 Date:2007/07/03 16:46
No:5875
職務でウェッブ調査研究のついでに、ネットサーフィンでの感想つれづれ...(汗

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2007年7月3日(火)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-03/2007070315_02_0.html
“40秒不起立で解雇”「君が代」裁判 元教員ら控訴
 「君が代」斉唱時に起立しなかったために事実上解雇
されたのは不当として、東京都を相手に地位確認と損害
賠償を求めて裁判で争っている都立高校元教員十人が、
請求を棄却した東京地裁の判決を不服として二日、東京
高裁に控訴しました。
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我が国の法律上最高裁まで控訴はできるのだから、それ自体はかまわないけど、その理由が何とも香ばしい(笑)。
「たった四十秒間起立しなかったことだけを理由に解雇されました」
自ら「たった」と表現するくらいのものなのだから、いい歳こいた大人が「たったその程度の時間を我慢できなかった」というのがおかしいべさ。
それは主義信条の問題で我慢できなかったのなら「たった四十秒間」と表現するべきではない、なぜならたとえ一秒であっても駄目なのだからね。
にもかかわらず、自ら「たった四十秒間」と言えるというのは本気で人生をかけた主義信条ではなかったということを白状しているようなものじゃないか(笑)。

その程度のことなのに、わざわざ生徒を盾にしての

 善良な民百姓を拐かす赤鬼め
    ワ ガ マ マ 三 昧、ゆ る さ ん。
               by 桃太郎侍(((((((・・;)サササッ


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7月2日[太田光総理]番組に関して 衆議院議員 平岡秀夫
http://www.urban.ne.jp/home/hideoh29/0707/070702.html
7月2日 「太田光総理」番組に関して
 先週6月29日(金)に日本テレビ系で放映(収録は、
18日(月)です。)された、「太田光の私が総理大臣に
なったら」の「マニフェスト・少年法を廃止します」番組
における私の発言に関して、多くのご意見を戴いています。
直ぐにでも、ご説明とお詫びをすべきところ、番組での発
言内容の確認などに時間がかかったため、遅くなってしま
い、申し訳ありませんでした。
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という書き出しで、いろいろと言い訳をしているが、それについていちいち茶々を入れてみようと思う(笑)。


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 1、戴いたご意見は、多岐にわたりますが、先ず、
少年法に対する私の基本的考え方についてです。
 私は、2000年に衆議院議員に初当選したときに、
法務委員会に所属し、「少年法の一部改正法案」の審議
に参加しました。その時の少年法改正法案は、「厳罰化」
と呼ばれる内容のものでした。私は、少年犯罪の問題は、
「罪を犯した少年を厳しく罰すればよい」というだけの
問題ではなく、大人を含めた社会全体で、その発生や再
発の防止に取り組んでいかなければならない問題である
と、その当時から思っています。
/////

と、いかにもフェミニンたちと同様のおかしな理念を持ち出している。それは下記の
少年犯罪の問題は、「罪を犯した少年を厳しく罰すれば
よい」というだけの問題ではなく、大人を含めた社会全
体で、その発生や再発の防止に取り組んでいかなければ
ならない問題と捉えているようだが、根本のところでの片面しか見ていない視野がおかしいべさ。
その発生や再発の防止に取り組むのであれば、加害者少年のことだけで済むのか?それが社会全体と言えるのか?

/////
 少年が犯罪を起こす原因としては、少年自身の責めに
帰す要因だけでなく、社会、家庭、大人など周囲の環境
要因が大きいと考えられます。特に、犯罪を起こした少
年の半分は、虐待を受けた経験を有し、「自分なんかど
うなっても良い」という自尊心を持てない状況に陥って
いると言われています。そのような少年に大人と同じ責
任を負わせるだけでは、問題を解決したことにはならな
いのではないでしょうか。
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半分は虐待を受けた(自尊心を持てない状況)経験がある、と言うことは半分はその経験も何もなくて犯罪を犯しているという事じゃないか(苦笑)。
自尊心が保てないから犯罪に走るというのはおかしいべさ、自尊心を保てないなら対人恐怖的な心情になって閉じこもるんじゃないのか?
三ヶ月ものあいだよってたかって一人の女子高生を陵辱の限りを尽くして最後はコンクリート詰めして殺すような少年たちに自尊心を持たせて(回復させて)どうしたいのだ?
大人になったら(鼻持ちならないくらい自尊心が肥大して)さらに大きな事件を起こさせたいのか?
虐待による自尊心が問題なんじゃないよ、虐待による自傷行為への抵抗感の僅少化(だから他人に対して傷や怪我を負わせる事への抵抗感が薄れてしまうことにつながる)が問題なのね。
この議員はまともに生徒たちと面と向かってその生徒を育てようとしたことのない絵空事でものを言っているように感じるな。だから、この論理組み立てで何を言っても空しい餅にしかならない、もう少し絵の素養があれば美味く見えるのにな(苦笑)。
それにしても、「なお、被害者の方々に対して社会がどのような救済をしていくべきかの問題」と言っているのだからなぅ。犯罪者に対しては空想的理想論を語り理解をしめし味方して、被害者に対しては現実論なのがおかしいよな。
どうせ絵に描いた餅ならば、いかなる時も被害者にならない国作りに私は毎日全力を尽くしていく所存です、くらいの絵を描いてほしいものだね。一方にだけ餅を配るのは片手落ちだよーーーん。
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