俺たちが校庭に走り出ると
化け物は憩ちゃんを掴んだまま
上空を大きく旋回しているところだった。
それを睨みながら乙女さんが館長に尋ねる。

「館長!あれはいったい!?それに、あの子供は?」

「儂にも何だかはわからん!
 捕まっているのは、大江山先生の妹だ!」

「なぁーにぃー!?憩……あれは憩なのかぁー!?」

「知っているのか、土永さん?」

「あたぼうよー、祈とは長いつき合いなんだからなー」

と、化け物が……公園の方へ飛び去ろうとしている!?

「む、イカン!とにかく、後を追うぞ!」

館長がすさまじいスピードで走り出す。
乙女さんが俺たちを一瞥して叫ぶ。

「祈先生とレオは残ってください!」

「イヤです!私の妹なのよ!?」

祈先生はそう言って走り出した……

「って、そっちじゃないですよ!?」

仕方なく、俺もあらぬ方向へ走り出した祈先生を追った。


「祈先生……!どこに行くんですか!?」

「私が走っても、追いつけないぐらいわかります!」

祈先生が駆け込んだのは……職員用の駐車場だった。
なるほど、車で追いかけるのか。
でも、祈先生はマイカー通勤じゃなかったはず。

「車はあるんですか!?」

「1台、拝借します!」

「拝借って、カギは!?」

「鉢巻先生、いつもカギをかけないんです!」

……不用心な人だが、おかげで助かった。
祈先生が鉢巻先生の車に飛び込む。
俺も慌てて助手席に乗り込むと
祈先生は迷わずにバイザーの裏から
キーを取り出しエンジンをかけた。
キーの在処まで知られてるのか……

「いきますわよ!」

「は……うおっ!?」

発進の急加速で俺はシートに体を押しつけられた。
車はタイヤを鳴らして駐車場を飛び出すと
土煙をあげて校庭を突っ走る!

「憩っ……!今、行きます!」


校庭を突っ切って松笠公園に向かうと
飛び去っていく化け物を追って
館長たちがずっと前を走っていた。
それを追って、祈先生がアクセルを踏み込む。
……100キロ超えてる!?
だが館長たちにはなかなか追いつかない。

何キロで走ってるんだあの人たちは。

ようやっと追いついたときには
俺たちは埠頭のほうまで来てしまっていた。
……海に逃げられるとマズイな。
だけど、上空にいて
しかも憩ちゃんを掴んでいる化け物に
館長たちはどう対応するつもりなんだ?

窓をあけて館長に叫ぶ。

「どうするんですか館長!」

「地上に落とすしかない!速度さえ落ちれば……!」

確かに、館長なら気を飛ばして攻撃とかできるだろう。
でも、人質を取られている以上下手な攻撃もできない。
苛立ったように乙女さんが叫ぶ。

「いったい、何なんだあれは!?」

「……あの化け物はクロウ。人に仇を為す存在」

乙女さんの少し後を駆ける白い異形の者が
感情のこもらない声でそう告げた。


「あなたは、誰なんですか!?その姿、ただ者ではない!」

乙女さんがわずかに振り向いて尋ねる。

「あなたはさっき、私の名を呼びました!もしや……竜鳴館の?」

「誰でもいい。ヤツらは……私を、イドと呼ぶ!」

「イド……味方と思って、いいんですね?」

「クロウを相手にしている間は、ね……
 それと、味方なら……ほら、もう一人!」

背後からかすかに聞こえる、甲高いエンジン音。
やがてそれは耳をつんざくマシンの咆哮と変わる。

走りながらイドが振り返る。

「遅いわよ!」

そう叫ぶのと同時に、一台の二人乗りのバイクが
俺たちの間に飛び込んでくる。これも……味方なのか?
後ろに乗っている方が答える。

「真打ちは、遅れてくるのがメキシコ式ってね!」

「言ってくれる!」

素性はわからない。イドは怪物めいてさえ見える……
でも、俺は知ってる。
土永さんみたいに、見かけだけじゃいいヤツかどうかはわからない。
今は……この人たちを信じたい!


上空の化け物、クロウを睨みながら、バイクのライダーが叫ぶ。

「イドッ、あれはっ!?」

「人質を取られてる!」

「わかった!」

バイクはそのまま猛スピードですぐ横をすり抜けると
上空を飛ぶクロウをも追い抜き
そしてタイヤに悲鳴をあげさせながら急停止した。
バネ仕掛けのように乗っていた二人が飛び降りると
ヘルメットをかなぐり捨てる……ライダーは女性!?

「はああぁぁ……纏・身!」

ライダーのかけ声とともに、眩い閃光がその姿を包む。
思わず目を細めながらも、俺たちは走り続ける。
やがて光が薄れ、一行がその元に追いついたとき
その姿はイドと同じような
ただし、こちらは濃い紫色の、昆虫に似た異形になっていた。

「空也、クロウを石つぶてで落とせる!?」

紫の異形の姿に変身したライダーが
連れ立っていた若い男に振り向く。

「…ダメだ、下からじゃ女の子に当たっちゃうよ!」

走る先を見据えて館長が叫ぶ。

「いかん、このままでは海上に逃げられる!」


「さーせーるーかー!」

土永さんが羽ばたきを強め上空のクロウに迫る。
が……オウムではどうしようもない。

「無理だ、土永さん!」

乙女さんの制止も聞かず、再三クロウに突っ込んでいき……

「ギィッ!」

煩わしくなったのか、クロウにはたき落とされた。

「ちーくーしょー!」

「だから無理だと……」

何とか地面に着地した土永さんを、走りながら乙女さんが拾い上げる。

「我が輩はー、祈には恩があるんだー!
 これぐらいでー、諦められるかー!」

「気持ちはわかるが、落ち着け!
 土永さんじゃあの化け物の相手は無理だ!」

だが、土永さんは再び空に舞い上がる。空を睨み、覚悟を決めて。

「乙女には…乙女にだけは……見せたくなかったな……」

「?何言ってる!いいから戻って…!」

「乙女…………愛してるぞー!」


「なっ……何を!?……えっ……?」

羽ばたきながら、土永さんが大きくなっていく。

「ううぅぅおおぉぉぉー!」

それにつれ、姿は人と鳥の混ざったような……
そう、以前俺が見た、上空の異形と同じ姿に変わっていった。

「なっ!?……クロウじゃない!?アイツ……ずっと騙して!」

驚きながらもイドがその両手から長く鋭い爪を伸ばす。
羽ばたき遠ざかっていく土永さんとの距離を推し量り

「……まだ届く!逃がすか!」

そのままジャンプして攻撃を加えようとしたとき
乙女さんがその前に両手を広げて立ちはだかった。

「ま、待て!あれは違う、違うんだ!」

「何を馬鹿な!?どう見てもあれは……!」

「見た目はどうでも、あれは土永さんと言って……
 私たちの、仲間だっ!」

「甘い!そんなこと信じられるとでも!?」

いきり立ち、なおも攻撃しようとするイドを
後ろからもう一人の異形が、肩に手を置いて止めた。。

「……私は、信じてもいいと思う」


「な、何言ってるの!?相手はクロウなのよ!?」

「でも……あのクロウには、敵意を感じない」

「どのみち、今のままでは手も足も出ん。
 今は信じて、任せるしかなかろう」

館長の言葉に、渋々といった様子でイドが爪を縮め
そして皆で上空の様子を固唾を飲んで見守った。

「待てーい!」

「ギッ?」

土永さんが上空のクロウに迫る。
敵のクロウは、味方と思ったのか土永さんの接近を許した。

「くーらーえー!」

クロウの上まで舞い上がった土永さんが
急降下してクロウの頭を狙う。

「ギァッ!?」

土永さんの蹴りがクロウの頭を直撃!
クロウがふらついた……チャンスか!
だが、そう思ったのもつかの間

「ギィーッ!」

忌まわしい鳴き声が響く。
俺たちの、背後から。


全員が驚きとともに振り返り、見上げる。
そこには、バサバサと羽音を立てて迫るクロウが……
絶望とともに俺は数えるのをやめた。
十や二十じゃない。
百匹はいるだろう、クロウの大群。

「な……何なのこの数!?」

「くそっ、どこにいやがったんだこんなに!?」

「…いかん、近づけるな!ふんっ!」

館長が手刀で空を斬る。

シュバァッ!

「…ッ!」

悲鳴もあげずに、一匹のクロウが
館長が手刀で飛ばした真空の刃に真っ二つにされる。
乙女さんも地獄蝶々を抜き放ち、上空に剣気を放つ。
次々と叩き落とされるクロウ。
だが、その数は一向に減ったように見えない。
そして……

「ぬお、なんだお前らー!」

クロウの群は俺たちの頭上を越え、土永さんを取り囲んでしまった。
こうなると、館長も乙女さんも手を出せない。
やがてその隙に、憩ちゃんを掴んだクロウが飛び去ってしまう。
そして……
土永さんだけが、落ちてきた。


「土永さんっ!」

落ちてくる土永さん目がけて乙女さんが走り
ガッシ!と受け止めた。

「う……」

ボロボロだった。
その間にも、憩ちゃんを掴んだクロウとその仲間は
遙か洋上に飛び去ってしまう。

「憩ーーっ!」

祈先生の叫びも、もう届かないほど遠くに。
怒りの表情で館長が俺を見る。

「対馬、どらごん丸を出す!手伝え!」

「で、でも……海の上でいったいどこに……?」

と、土永さんが乙女さんの腕の中で体を起こし
苦しい息の下で何とか喋り出す。

「…烏賊島だ……館長、烏賊…島、だ……」

「…何だと?」

「奴らに…囲まれたときに、思考が……伝わってきた。
 ……穴だ、館長……奴らは……穴を……
 こ、固定しようと……している……憩を使って……!」

「何ぃっ!?」


俺たちは今、どらごん丸で烏賊島に向かっている。
土永さんによれば奴らも穴の存在を知っているらしい。
最近、その穴から奴らの力の源になるものが出てきたのだと言う。

「だが……本当に奴らが待っているのは
 もっと、でかい力、だ……
 そのために……穴を開けっぱなしにするつもりだ……」

「憩ちゃんを使って穴を固定って……どういうこと?」

「穴は……開いたり閉じたりする……
 閉じないようにするには
 開いたときに突っかえ棒をすればいいってわけだ」

「なんで憩ちゃんなの?そんな突っかえ棒、なんだって……!」

「……穴に近づけるのは、穴に選ばれたものだけなんだ。
 普通のものを置いても、弾き飛ばされちまう」

「穴に……選ばれたもの?」

「……穴を通ってきたもの、だ……館長や、憩や……
 我が輩のような、な……」

「土永さんも!?」

「前に言っただろう……
 我が輩、仲間を裏切って……逃げてきたんだ……
 30年ほど過去から、な……」

それで……やたら昔のことを知ってたのか。
それにしても……あんな奴らの力の源って……?


今は変身を解いたバイクで来た女性……
名前は教えてくれなかったが
変身後の呼び名は『ジガ』というその人が
歩み寄って土永さんに尋ねる。

「土永さん…って言ったね?
 その力の源って、ひょっとして……赤い、玉みたいなもの?」

「そうだ……やはり、もう出てるんだな」

イドは変身を解いていない。
そのままの姿でやはり尋ねてくる。

「で、今度はもっとデカイ力が来るって?
 全然OKじゃないわね」

……どこか聞き覚えのある口調のような。

「とりあえず、儂らがやらねばならんことは
 まず、憩ちゃんを助け出すことだ。
 そうすれば、穴も開きっぱなしにはならんしな」

「そう、ですね……
 これ以上、クロウに力を与えるわけにはいかない」

「だが、烏賊島につけば奴らも放っておいてはくれまい。
 倒しながらでは、時間がかかりすぎる。
 そこで、二手に分かれることにする」

そして、イドとジガがクロウを迎え撃つ間に
館長と乙女さんで憩ちゃんを救出ということになった。
だけど……俺たちには館長の指示がない。


「館長、俺と祈先生、土永さんは?」

「どらごん丸で待機せよ」

館長の言葉に祈先生が血相を変える。

「ま……待ってください!私は憩の……!」

「……と言いたいところだが
 まあ、言っても聞くまい。下手に動かれるよりは
 儂のそばにいてもらうほうがよかろう。それに……」

「……それに?」

「連れていく方がよい、と
 儂の勘が告げておる。理由はわからんがな。
 船に乗せたのも、その勘を信じてだ」

あの怪物を相手にして
俺たちが役に立てることがあるのだろうか?
土永さんはともかく……俺や祈先生が?

いや……何かできることはあるはずだ!

「作戦は以上だ。大江山先生、舵は取れますかな?」

「あ……はい、やってみます」

「では頼むとしよう。儂は舳先で見張りに立つのでな」

そう言うと、館長は揺れる舳先に立って
じっと前を見据えたまま動かなくなった。


烏賊島につくまでの間、することもなく
どらごん丸の中をうろつく。

舳先では館長が彫像のように立っていた。

「……対馬か」

近づいた俺に振り返りもせずに声をかけ
そしてぽつりと漏らす。

「……早すぎでは、なかった」

「……は?」

「儂のことよ。早すぎた龍、などと呼ばれておるがな……
 漢が生まれてくる時代に、早いも遅いもないわ。
 どの時代を生きようと、必ず……為すべきことがあるのだ」

振り向いて俺を見つめ、ニヤリと笑う。

「お前にもな」

館長は……あの穴から今の時代にやってくる前は
どんな時代に生きていたんだろう。
俺の……為すべきこと。なんだろう。
考え込む俺に、館長はまた背を向けて
波しぶきの先を見つめだした。

「俺の為すべきことって……なんでしょう」

「それは、自分で探せ。
 お前の為すべきことは、お前にしか見つけられん」


船尾では、イドとジガ、それにもう一人の青年が
何か話し込んでいた。

「……で、あのデカイのがまた出たら……
 どうするの?」

「戦う……戦わなきゃならないんだ」

「戦うって……あんなのとやり合うなんて無茶だわ」

「それでも……今戦えなかったら、この先も戦えない」

俺が近づいたことに気づき、会話がとぎれた。

「……キミは……巻き込まれただけでしょう?
 帰ったほうが良かったんじゃない?」

イドがどこか皮肉っぽく話しかけてきた。

「そりゃ成り行きでここまで来ちゃったけど
 でも……少なくとも、強制されてここにいるわけじゃない。
 自分の意志で……何かしたいと思ったから」

ジガと青年が微笑む。

「私たちも、似たようなものだよ」

青年が何か投げてよこした。
……木刀?

「手ぶらってわけにはいかないだろ?
 ……やってやろうぜ、な!」


乙女さんと土永さんは船室にいた。
土永さんは、まだクロウの姿のままだった。
すぐそばにいるのに、どちらも黙ったままで
相手を視界の端っこにおくように互いに少しそっぽを向いている。

「えーと……邪魔?」

「あ、いや……土永さんが、しゃべってくれないから……」

「何を話せってんだ、ああん?」

「だって……色々聞きたいけど、何だか聞きづらいし……」

「男にはなー、言いたくない過去だってあるんだー」

「それはそうかもしれないけど…!
 わ、私のこと……愛してるって……言ったくせに……」

「我が輩、言いたいことを言ったまでだー。
 そっちこそ、聞きたいことは聞かせてもらえないのか?」

「聞きたいことって?」

「だーかーらー、返事をだなー!」

「だから、もっと身の上とかを…!」

「……なんだか痴話喧嘩みたいだね」

『うるさーい!』

やっぱり邪魔なんじゃないか。


「祈先生……」

祈先生は船の中央で舵を取っていた。
だが、俺が呼びかけても反応しない。

「祈先生?」

「……なんですの」

ほんのわずかに首を巡らせ、俺を見る。
その視線に、思わずたじろいだ。

祈先生は、怒っていた。

「あの……怒って……ます?」

「ええ、怒ってます……対馬さんにじゃ、ありませんわよ?
 こんな……訳の分からない、運命とかいうものが腹立たしくて」

舵輪を握る手に、ギュ、と力が込められる。

「憩は、まだ7歳です。それが……
 変な穴に落とされて違う時代に飛ばされて
 かと思ったら化け物にさらわれて……!
 これがあの子の運命だって言うんですか!?」

確かに、運命の悪戯にしちゃずいぶんたちが悪い。
怒りに震える祈先生の肩に、俺はそっと手を置いた。

「終わらせましょう……運命を、取り返すんだ」

船は波を蹴立てて進んでいく。俺たちの、運命へと……


上陸前に、館長が地図を広げて再度作戦を確認する。

「上陸地点はここ。儂と鉄と土永は……
 この入り口から洞窟に突入する。大江山先生と対馬もだな。
 イド、ジガはここでクロウを迎え撃ち
 撃滅したら、こちらの入り口から突入。よいな」

皆がうなずいたのを確認したところで
館長がひときわ大きな声をあげる。

「……いかん!」

「どうしました、館長?」

代わって土永さんが答えた。

「もうじき、穴が開いちまうみたいだなー。
 のんびりはしてられなくなったぜー。
 例のモノが出てきちまったら、お終いだ」

くそ、もう少しで烏賊島なのに……!
祈先生が地図を指さす。

「……この際です。上陸地点はここにしませんか?」

「そこはただの砂浜だぞ?」

「突っ込みます。ここが一番、洞窟に近いんですから」

「よかろう……全員、何かに捕まれ!
 大江山先生!最大船速!
 これより……烏賊島に、突入する!」


ズッシーン!!

大きな衝撃とともに体が前に投げ出されそうになる。
ガリガリガリ……!
船底が陸に乗り上げ、船は激しく振動する。
俺は必死でこらえ、舵輪にしがみつく祈先生を支える。

だが、委細かまわず、舳先から飛び出す6つの影。

「行くわよっ!」

まずイドが先陣を切る。
とたんに砂浜には数体のクロウが現れた。

「はああああ……纏・身!」

少し遅れて飛び出し、かけ声とともに変身するジガ。
クロウたちが興奮したようにギィギィと騒ぎ出し
その数はどんどん増えていく……
だが、ジガと連れ立っていた青年が
不敵に笑いながら、親指を立てた拳を突き出した。

「ここは任せて!」

「よし、儂らも行くぞ!」

館長が走り出し、俺たちも後を追った。
が……速度が違いすぎる。
ときどき行く手を遮るように現れるクロウを
館長や乙女さんは倒しながら進んでいるのだが
それでも俺は追いつくのがやっとだ。
まして走るのが遅い祈先生は……


「えーい、我が輩が背負ったほうが速いわ!
 祈ー、我が輩におぶされー!」

土永さんが少し前で立ち止まり、体を屈める。

「わ……わかりました!お願いします!」」

祈先生を背負うと、土永さんがまた走り出す。
その速度は、背負う前とあまり変わらない。

「……ただのオウムさんではなかったんですね」

「まあなー……お前の肩の上は、居心地よかったぜー。
 今まで、ありがとうよー」

まるでこれが最後のような物言いをする。
ひょっとしたら、正体が知られたことで
土永さんはどこかに行ってしまうつもりなんじゃ……
祈先生も気づいたのだろう。微笑んで告げる。

「……この件が片づいたら
 またオウムに戻ってくださいましね。
 こんな大きな図体じゃ、肩に乗せられませんもの」

「そうか……だが、乙女の肩も居心地よくてなー」

「ま、浮気性ですこと」

微笑ましい一幕も、館長の怒鳴り声で終わる。

「そろそろ入り口だ!大江山先生、明かりの準備を!」


目の前に、ポッカリと口を開けた暗闇は
この前俺が落ちたところとは、また別の入り口らしい。
祈先生が土永さんの背中から降りて
船から持ち出した懐中電灯を点ける。


「ギィーッ!」「ギッギッ!」

背後から迫るクロウの声。しかも、一匹じゃない。
……俺たちの後を、追ってきたのか?

「挟み撃ちにあったら面倒だな。
 館長、ここは我が輩が引き受けるぜー」

振り返った土永さんが、そのまま今来た道を戻りかける。
慌ててその手を引き戻そうとする乙女さん。

「な……待て、一人でそんな……!」

「いいから行け!
 ……なーに、チャチャッと片づけて
 すぐ後から行くわい」

そう言うと、乙女さんの手を振りほどいて
土永さんが声のした方へ突っ込んで行く。

「うおー、こっちだ間抜けどもー!」

「……鉄、行くぞ!」

土永さんが突っ込んでいった方を少しの間見つめて
乙女さんもまた洞窟へ飛び込んだ。


「先頭は儂が行く。鉄は後ろを守れ。
 大江山先生と対馬は明かりを頼む」

4人が縦一列になって洞窟を進んでいく。
俺が前に落ちたところとは違い
最初から十分な高さがあるけど
それでも、ゴツゴツして歩きにくい。

「穴が開くのを待っているとすると
 この中にも奴らがいると思ってよかろう。
 油断するなよ」

幸い、道は一本道らしい。
前を館長が、後ろを乙女さんが守っているので
俺と祈先生は安全だ。

ドゴーン!!

「グァッ!?」

ときおり前から現れるクロウを、館長が一撃で粉砕していく。
何体目かを倒したところで、館長がつぶやいた。

「……まずいな。『穴』が開いてしもうたわ」

皆の歩みが自然と速くなる。
だが、早足での歩みもすぐに終わった。
館長が片腕を上げ、俺たちは無言で止まる。

「……もうすぐ、穴の開く場所だ。
 奴らも集まっていよう。明かりは消して、手探りで進み
 まず儂と鉄で飛び込む。いいな」


その頃

「ちっ、しつこいのは、嫌われるわよ、OK!?」

「イド、後ろ!」

「おっと!……このぉ!」

二人合わせて何十体目かのクロウを倒し
大きく息をつくジガとイド。
すでに何カ所か傷を負っているが
まだ十数体のクロウが残っている。

「……必殺技は、あと何回撃てそう?」

「3回ぐらい、かな」

「増援が来なければ……なんとかなるかしらね」

だが、希望的観測も一瞬で潰えた。

「ともねえ、赤い玉が!」

指さす上空に、いつの間にか飛来した
赤い玉が漂っていた。
仰ぎ見て、何か祈るようにクロウがざわめく。

「ち、例のデカイのになられちゃたまんないわ!」

イドがジャンプして赤い玉を叩き落とそうとする。
が、一瞬遅く
紅の光線が一条、迸って一匹のクロウに浴びせられていた。


「しまった!」

うなり声をあげ巨大化していくクロウ。

パキーン!

甲高い金属音を響かせて、イドが赤い玉を叩き落とす。
粉々に砕け散る赤い玉。
が、クロウの巨大化は止まらない。

「逃げるわよ、ともちゃん!……ともちゃん!?」

ジガは動かない。
巨大化したクロウの前に、立ちふさがる。

「私は……逃げない!」

「ともねえ!?」「ちょっと、無茶よ!」

ジガが動かないことでこちらも立ち止まる。

「もう……逃げないって決めたんだ!
 はああああああああああっ!」

気合いを込めた右の拳が、紫の光に包まれる。

「いっ…やああああぁぁっ!」

ガシィンッ!

裂帛の気合いとともに短く振り抜かれた右の拳は
ジガの左の掌に受け止められていた。


「!?な……何を!?自分に必殺技使ってどうすんの!?」

だが、ジガはさらに気合いを込める。
己の技を受け止めた左の拳に。
左の拳が光り出す。
先ほどよりも、明るく、大きく。
その左拳を

「うあああああああああぁぁぁっ!」

ガシィンッ!!

再度。今度は右の掌で受ける。

「ぐ、あっ!」

受け止めた衝撃の大きさに、ジガがよろめく。

「と……ともねえ!もう無理だよ!」

もはや光はジガの腕の装甲すらも焼き始める。
だが、ジガはやめない。
輝く右の拳にさらに気合いを込める。

「これで……最後だあぁっ!
 はああああああぁぁぁっ!!」

右の拳が、己が身をを焼くほどの光に輝く。
必殺技3発分の威力を込めて。
その拳を構え、巨大化したクロウ目がけてジガが跳ぶ!

「行くぞっ……!トリプル・パープル・ストライクッ!!」


そして、山の中では

「まったく、次から次と……
 よくこれだけ集めたもんだなー」

土永さんが愚痴をこぼしていた。
洞窟に近づくクロウを人間の言葉でおびき寄せ
近づいてくれば仲間のふりをして
油断したところを不意打ちで倒す。
この手ですでに数体を倒していたが
自分も洞窟に入ろうとすると
次のクロウがやってくるという具合で
なかなか後を追うことができなかった。

(そろそろ、乙女たちは穴の開く広間につく頃か……
 我が輩の役目も、そろそろ潮時か?)

そう思いかけたとき。

「ギギーッ!」

全身真っ赤な羽毛の、ひときわ大きなクロウが近づいてきた。
仲間を呼び集めようとするように
盛んに大きな声で叫んでいる。

(ヤツが……リーダーらしいな。
 仲間を呼ばれると厄介だ……やるか)

何食わぬ顔で、呼びかけに答えたように藪から姿を現す。
が、クロウの反応は予想と違っていた。

「ギッ……キサマ、ウラギリモノカッ!」


「驚いたな……まだ我が輩を覚えてるヤツがいたとは」

じり、じりと間合いを取りながら睨み合う。

「ウラギリモノメッ……ウラギリモノッ!」

「……変わらんな、お前ら。
 我が輩は変わったぞ……」

「コロシテヤル……コロシテヤルッ……!」

「憎いか……我が輩が憎いか……
 我が輩は、お前らが哀れにしか思えないぞ。
 憎しみしか知らない、お前らがなっ!」

ガシッ!

何の前触れもなく
両者が示し合わせたように
相手に向かって飛び込み、組み合う。

「ギ、ギ、ギ、ギ……ッ!」

「ぬ、お、お、お、お……っ!」

体の大きな分、赤いクロウのほうが力で勝るのか
じりじりと押し始める。

「ギギギ……シネ……シネェッ!」

「ぐ……こんなところで死んでたまるかー!
 乙女が……乙女が待ってるんだー!」


「……今だっ!」

館長のかけ声とともに
明かりを消して真っ暗だった狭い通路から
ぼんやりと明るくなっている広間に乙女さんと館長が躍り出る。

「ギィッ!?」

ズドォン!ガシュッ!

「ギャァーッ!?」

不意打ちだったこともあって
ほんの数秒で終わったようだ。
いくつかの悲鳴のあとは何も聞こえない……
いや。
何か、大きなモーターが唸るような音が……

うぉん……うぉん……

「大江山先生、対馬。もういいぞ」

館長の呼びかけに、俺たちも広間の中に入る。
広間の奥の壁には……唸りをあげて青く輝く、不思議な空間。
穴、だ。
そして、その輝きの中に
蔓草のようなものでぐるぐる巻きに縛られている
憩ちゃんの姿があった。

「い……憩っ!」

祈先生が倒れている憩ちゃんのもとに駆け寄ろうとする。


「あ、待て!」

館長がなぜか止めようとしたが
間に合わず祈先生は光のそばまで走り……

バシン!

「キャアッ!?」

……弾き飛ばされた?

「忘れたのか……穴に近づけるのは
 一度穴を通ってきた……儂だけだ」

そうだった。
でなければ、穴を開けておく突っかえ棒に
わざわざ憩ちゃんをさらったりはしない。
館長は祈先生を助け起こすと
ゆっくりと穴に近づいていく。
そして、憩ちゃんを抱き上げた。

「うむ、気を失ってはいるが、無事だ」

よかった……これで、後は皆と合流して帰るだけだ。
館長が器用に、憩ちゃんを縛っている蔓草をほどき始める。
やれやれ、と胸を撫で下ろしたときだった。

「むっ!?…いかん!!
 受け取れ、鉄!」

館長が後ろ……穴の方に振り返り
そして憩ちゃんの体をこちらに投げて寄越した。


「うわっ!?な、何を……!?」

乙女さんが慌てて憩ちゃんをキャッチした。
何のつもりかと、館長に目を向けると…

ズドーンッ!!

すさまじい衝撃が洞窟を揺るがせる。

「な、なんだっ!?」

「ヌオオオオオオオオオッ!」

館長の野太いうなり声。
穴を見れば、青かったその光が紫に変わっている。
そして、その中心から
巨大な、赤く光るものが出てこようと……

ぞわり

「!?」

思わず、背筋が寒くなる。
赤い何かは、まだ全部は出てきていないが
何か大きな球体のようで……
そして、凄まじい悪意を放っていた。
見ているだけで、怖じ気づいてしまうほどに。
館長が両腕を広げ受け止めているが
じり、じりと押し込まれている……!

「ぐ、お……これか……っ!これを……
 こっちに出すわけには……いかん……!」


あれが……土永さんの言っていた
ヤツらが呼び寄せようとしていた『力』なのか!?
俺にもわかる……あれは、この世にあってはならないものだ!

「館長!今……うあっ!?」

バシン!

走り寄り、館長を助けようとした乙女さんも
穴の力に弾き飛ばされてしまう。

「下がって……おれ……!
 穴に近づけるのは……穴を通ってきたものだけ、だ!」

だが、館長の怪力をもってしても
巨大な球体はじりじりとこちらに迫ってくる。

「手こずってるじゃねえか、ああん?」

後ろからそんな声が聞こえたかと思うと
脇を緑色の影が走り抜ける。

「え……土永さんっ!?」

「遅くなっちまったなー……今、手を貸すぜー!」

ズドン!

走り抜けた勢いそのままに土永さんが体当たりをぶちかます。
そうか、土永さんは……押せるんだ!
見れば、傷だらけでところどころ羽毛も抜け落ちて……
それでも、館長の隣で球体を押し始めた。


「おおお…りゃっ…!」「ぐ……おおおっ!」

ギシ……ギシ……
体が軋む音さえ聞こえてきそうなほどに
二人は全身の力を込めて押す。

球体の進みが……止まった!
やった、後はあれを向こう側に押し返せば……!
そこで不意に祈先生が叫ぶ。

「館長!」

「なん……だっ!?」

「それを向こうに押し戻したら……
 館長たちも向こうに行ってしまうのではないですか!?」

館長は少しの間、黙って球体を押していたが
やがて僅かに首をこちらに向け、笑った。

「……鉄。対馬。大江山先生。
 これが……儂が今、為すべきことなのだ。
 今だけしか、儂らにしかできぬのだ!」

「そ……そんな!ちょっと待って、今命綱を……!」

「無駄だ、小僧ー。お前じゃ穴に近づけないだろうが。
 気持ちだけ、受け取っておくぜー……ありがとうよ」

土永さんの言葉に、乙女さんが弾けるように前に出た。

「そ……そんな話があるかっ!!」


「乙女さん?」

「か……勝手に愛してるなんて告白して!
 ま、まだ返事もしてないんだぞ!?
 それなのに……返事も聞かずに、行ってしまうのか!?」

怒っているのか、泣いているのか。
いつも冷静な乙女さんが、喚き散らすように土永さんに迫る。

「すまねえなー……
 だが、こいつをこっちに出しちまうわけにはいかねーんだ。
 こっちには……乙女がいるんだからなー」

「く……せめて……返事くらいはさせて……!」

「もう、いいんだ、乙女……我が輩、十分受け取ったぞ……
 それだけで……コイツと心中する価値はあるわ!」

「いやだ!いやだいやだいやだいやだいやだっ!!」

駄々っ子のように乙女さんが泣きながら飛び込んで

バシン!

穴の放つ光に弾き飛ばされて
それでもまた起きあがって突っ込んで弾き飛ばされて……

「乙女、もういい、やめろ!」

だが、館長が放った叫びはまるで逆だった。

「……いや、続けろ鉄!」


「おいおい館長……無駄なことは……」

「無駄ではない!背後で弾き飛ばされるとき起きる衝撃が
 僅かながら儂らの背を押しているのだ!」

「なに……おお、言われてみれば確かに」

「わかったら、対馬もやれ!大江山先生も!」

「で、でも……そうしたら二人とも向こうに……」

「覚悟の上!それとも貴様、これをこの世に出して
 いいとでも思うのかっ!?」

そうだ。
これだけは……こいつだけは、こっちに来させちゃいけない。
こんな俺でも……少しでも役に立つのなら!

「うおおおおおっ!」

穴にめがけ突っ込むが、乙女さんが突っ込んだ場所より
ずっと手前で弾き飛ばされる。くそ、負けるか!

「なってないな、レオ」

起きあがりかけた俺の横に、すっと乙女さんが立つ。

「……え?」

「見ていろ……こうだっ!」

乙女さんもまた、光る穴めがけて突っ込んでいった。


「館長、ご助勢いたします!
 土永さん……頑張って!」

「うむ!」「おおう!」

覚悟を決めたのか、乙女さんはもう取り乱したりはしない。
何度も何度も、光の壁にぶつかっていく。
よし、俺も……と思ったところで
一方の洞窟から人影が現れる。

「ちょ……あなた達、何やってるの!?」

「え……月白…先生?」

なぜか……竜鳴館の世界史教師、月白先生がそこにいた。

「透子……?こ、ここで何してるんですの?」

「何って……まあ、詳しい話は後にして……
 何なの、あれ……あんなの出てきたらシャレになんないわよ」

少し遅れて、変身を解いたジガが
相棒に支えられるようにしてやってくる。
う……右腕が、ひどい火傷をしたみたいにボロボロだ……

「ジガさん、外の敵は倒せたんですか!?」

「うん……なんとか。それより、これがあの……?」

「そ、そうだった!あれをこっちに来させないように……!」

「わかった!どうすればいい!?」


ジガたちに事情を説明してからの攻防は一進一退だった。
館長と土永さん以外の全員が光の壁に突っ込んでいき
弾き返されながらも何度も繰り返していた。
何度か押し込みかけるが、その都度押し返される。
いや……僅かに、押し戻されるほうが大きくなってる?

「……踏ん張れっ!」

「や…っとる…わい……っ!」

二人はさっきから何とか押しとどめているが……
さすがの館長も、脂汗を流している。
体当たりを繰り返す俺たちも、もうボロボロだ。
後少し。後ほんの少しなのに!
このままじゃ……

「……お兄ちゃん」

「うわ!?……な、なんだ、憩ちゃんか」

いつの間にか意識を取り戻していた憩ちゃんが、俺の横に来ていた。
やれやれ、びっくりした。
憩ちゃんは、穴の奥の赤い球体を見つめ、つぶやく。

「あれ……悪いものだね」

「うん、そうだよ。みんなで今、押し返してるんだ。
 危ないから、下がってようね」

そして俺は、次の憩ちゃんの一言に凍りついた。

「あたしなら、あそこまで行けるんだよね?」


ジガたちへの説明を聞いていたのか…
確かに、憩ちゃんは館長や土永さんと同じに穴からやってきた。
だから穴に弾き飛ばされずに、直接あの球体を押せる。
だけど……
憩ちゃんの声は、祈先生の耳にも届いたようだった。
駆け寄ってきて、憩ちゃんの肩を掴む。

「ダメよっ!憩、あそこは……あそこは、とても危ないの!
 行ってはダメ!絶対に……!」

「でも、みんな頑張ってるよ……
 あれがこっちに来たら、大変なんじゃないの?」

「だ……大丈夫よ!私たちだけで、大丈夫だから!」

憩ちゃんが、くるりと俺に振り返る。

「お兄ちゃん……本当に?あれがこっちに来たら……
 お姉ちゃんが……みんなが危ないんでしょ?
 ……やっぱり、あたし、押してくる!」

「ま……待って!
 あれを押しに行ったら……戻ってこれないんだ。
 また違う時代の、どこか知らない場所に飛ばされちゃうんだ!」

「えー、そうなんだー……うん、でもいいや!」

パッと身を翻し、祈先生の腕をすり抜けると
憩ちゃんがタタッと穴の放つ光に向かい走っていく。
そしてちょっとだけ振り向くと、球体にぶつかっていった。

「えーいっ!」


たぶん、体重20キロにも満たない7歳の小さな女の子の力。
それでも均衡を崩すには十分だった。

ズ、ズ、ズ、ズズズズズッ!

赤い球体は、どんどん穴の向こうに押しやられていく。
館長が、憩ちゃんをしばらく見つめ、そして目を閉じた。

「……すまん……っ!」

「ああああああああっ!?いっ……憩っ!
 戻って!戻ってらっしゃい!
 まだ……まだ間に合うから!戻って!」

光の壁はさっきよりは後退しているが
それでもなお、必死に憩ちゃんを呼び戻そうとする
祈先生を弾き飛ばしていた。

「どうして……っ!?どうしてそんなことっ!?」

ズルズルと、球体は後退していく。
それに連れ、館長と土永さん、それに憩ちゃんが
青い穴の光に埋もれていく……

「……さらばだ!」「あーばよー!」

汗まみれの憩ちゃんが
ちょっとだけ振り向いて……ニコッと、笑った。
そして光に飲み込まれる寸前に
祈先生に訊かれた理由を告げる。

「お姉ちゃんが……大好きだからっ!」


ひゅうん

青い光が、弱く、小さくなっていく。
もはやその中に、人の姿は見えない。
それでも、祈先生は突っ込んでいき
そして跳ね返されて倒れる。

「……レオ、明かりを」

「あ……ああ」

乙女さんに促され、消していた懐中電灯を再び灯す。
もはやすっかり穴は消えてしまい
そこには簡単な祭壇のようなものが
岩壁の張り付いているだけだった。
懐中電灯のおぼろな明かりの中
祈先生が、祭壇の奥の岩壁をガリガリと引っ掻いている。

「憩っ……!憩っ!戻って……!戻ってっ……!」

月白先生が、歩み寄る。

「……帰るわよ」

「!でも!でも憩がまだ……!」

「ここにいても!あの子は帰らない!
 立ちなさい、大江山祈!立って、後のことを考えなさい!」

血塗れになった手を見つめ、祈先生が涙をこぼす。

「また……何も……何もできなかったの……?」


俺も同じ気持ちだった。
何も……何もできなかった。
館長や、土永さんや……
たった7歳の子供まで犠牲にして。
そこまでして
守らなければならなかったのか……?
俺に、そんな価値はあったのか……?

悔しさ。腹立たしさ。無力感。
いろいろな思いに苛まれる中で
ふと、館長の言った言葉が胸によみがえる。

俺にも為すべきことがある。
俺の為すべきことを探せ。

見つけた。探すまでもなかった。
それは、目の前で泣き崩れている人。
全てを失ったかのように
ひざまずいて悲嘆にくれる人。

「祈先生……帰りましょう。
 まだ、俺たちにはできることがあるんだ……」

「な……何か……あるん、です……か?」

泣きはらした目で俺を見上げ、すがるように抱きつくこの人を。
あの子が大好きだと言ったこの人を。

この人を、幸せにする。
この人と、幸せになる。

己の為すべきことを、俺は今、はっきりと知った……


エピローグ

こうして、時を駆けてきた少女は
また、時を駆けて行ってしまった。
館長や土永さんとともに、この世界を守って。
そして、1週間がすぎた。

「対馬くん、ちょっと」

「あ……はい」

竜鳴館の廊下で、月白先生に呼び止められる。
考えると、どうしたってイドの正体はこの人っぽい。
ただ、詮索すると何だかマズイような気がして黙っていた。

「祈の様子は、どう?」

「……あまり変わりません。
 まだ……抜け殻みたいで」

「そう……失ったものが、大きすぎたのかもね」

島から戻ってきても、祈先生の虚脱状態は戻らなかった。
話しかければ返事はするし
今は食事や日常生活も、授業も普通にこなしている。
ただ、心ここにあらず、といった感じなのだ。
こんなんで……あの人を幸せにできるのかな、俺。

「ほら、キミまで暗くなってどうするの?
 しっかりしなさい、男の子!」

そう言って、月白先生がバンバンと俺の背中を叩く。

「そんなんじゃ……祈とやってなんかいけないわよ?」


「……え?」

祈先生との関係……バレてる!?

「ほら、すぐに顔に出る。
 アヤシイと思ってたけど、まさかホントに生徒と、とはねぇ」

「あ、いや、あの……」

「わかってるわかってる、別に告げ口する気はないのよ?
 ただね…?」

そっと近づいてきて、耳元で囁く。

(その代わり、私のことも、内緒。OK?)

ふわっと鼻先に漂う甘い香り。危険な香り。
思わず身震いして、首を縦に振った。

「ん、よろしい。そうそう、もう一つ。
 放課後、ともちゃ……ジガが会いたいって」

「ジガさんが?……何だろう?」

「何か見せたいものがあるそうよ?
 祈と、鉄さんにも来て欲しいって。
 とりあえず……館長室で、会うことになってるから」

「館長室……ですか」

急に旅行に出たってことになってるけど
館長不在を誤魔化すのも、そろそろ限界かなぁ……


コンコン

面倒くさがる祈先生を引きずるようにして連れてきて
館長室のドアをノックする。

「えーと、2ーCの対馬です」

『OK、入りなさい』

中から聞こえるのは……当然、館長ではなく月白先生の声。

「失礼します」

中にはすでに乙女さん、そしてジガさんとその相棒の人も来ていた。

「レオ、失礼だぞ、お客様をお待たせして」

「いや、腕時計なくしちゃって……すいません」

やれやれだ。
ジガさんは右腕を包帯でぐるぐる巻きにしていて
ちょっと不自由そうだが
その不自由な手でカバンからゴソゴソと何かを取りだそうとしている。

「きょ、今日は……皆さんに……うしょ……ん」

見かねた相棒の人が手伝って
やっと出てきたのは……

「……巻物…ですか?」

「うん、我が家に伝わる、古い……絵巻物なんだ」


がさがさと広げられた絵巻物は
ところどころシミがあったり虫食いがあったが
それでも、何が描かれているかはっきりわかった。
クロウだ。
祈先生が目を背ける。思い出してしまうからだろう。
絵巻物には、沢山のクロウと
それに相対する鎧をつけた侍のような兵士たちとが
入り乱れて戦う様が描かれていた。

「これは、いつ頃のものなんですか?」

「鎌倉時代より、ちょっと古いぐらいに描かれたものらしいんだ。
 もう、千年ぐらい前ってことだね」

そんな昔から……人間とクロウは戦っていたのか……

「あ!ここにジガさんとイドが……あれ?
 あの……そんな昔から……生きてたんですか?」

「ち、違うよ!私たちは……力を受け継いだだけで
 ここに描かれているのは私たちのずっと前に
 使命を受け継いでた人……だと思う」

「な……なるほど」

ちょっと安心した。

「使命を受け継いだとはいえ、あなた方は
 人知れずあのような化け物と戦ってこられたのですね。
 今回も、おかげで大変な危機を乗り越えられました。感謝いたします」

「あ、あう……そ、それより、見て欲しいのは、巻物の右下のほうなんだ」


右下?
言われたとおりに視線をずらし……

「 あ あ あ ー ー ー っ っ ! ?」

「うわ、なんだレオ急に!」「うるさいですわー」

「いいから!見て!ここ!ここっ!!」

夢中で巻物を指さす。
その指先に、乙女さんも月白先生も祈先生も
何事かと視線を移した。

「……あら」「あ……」「あっ……」

そこに描かれているのは
頭上に、緑色の鳥を羽ばたかせ
肩に小さな少女を抱きかかえて
敢然と立ち向かう長髪、長い髭の偉丈夫の姿。

「館長!?」「憩っ!?」「土永さんっ!?」

「……家に帰ってから、急にこの巻物を思い出して
 引っぱり出してみたんだけど……
 やっぱり、間違いないですよね」

乙女さんも、祈先生も、はらはらと涙をこぼしながら
食い入るように巻物を見つめている。

月白先生が、ポンとジガさんの肩を叩く。

「ありがと。これ、よく思い出してくれたわね」


「うん……これが、慰めになるのかわからなかったけど
 持ってきて、よかったかな?」

「ええ……感謝します。
 あの3人は……犠牲になったわけじゃなかった。
 別の時代にはとばされちゃったけど……生きて、頑張ったんだ!」

「そうだな……祈先生、館長や土永さんも一緒なんです。
 憩ちゃんも……きっと、たくましく生きたに違いありません」

「あの館長に育てられたら、逞しくなりすぎますわよ……」

祈先生が涙をこぼしながら
それでも、自分で冗談を言って
ほんの少し、笑った。
烏賊島を出てから、初めて見せる、本当の笑顔。
ジガさんが微笑んで、巻物に歩み寄る。

「よかった……でも、まだあるんだ。
 巻物の、ほら、ここを見て……」

皆の視線が一斉に動く。
指さされた、巻物の真ん中、上の方。
そこに描かれていたのは……

希望。希望の形。色。
円。丸く塗りつぶされた、円。
青く、青く塗られた、丸い、穴。

右下に描かれた館長が、憩ちゃんが、土永さんが
視線の先に見据えているもの……
それは、青い、青い……


青い、光だった。
烏賊島の地下の洞窟を
唸るような音とともに照らし出す、青い光。
その青い光の中から、3つの影が、躍り出る。
光が消えると、洞窟を照らすのは
長髪、長い髭の偉丈夫が持つ松明だけ。

「む……どうやら、やっと烏賊島に戻れたようだな」

バタバタと飛び回る緑の鳥が人の言葉でしゃべる。

「だが、いつの時代だかわからんぞー」

小柄な、髪の長い少女が地面から何かを拾い上げてつぶやく。

「……大丈夫だよ。あのときの、ちょっと後に出てきてる。
 ほらこれ、あのときのお兄ちゃんの時計だよ。
 穴に体当たりしてるときに、落ちたんだね」

「どれ……なんだ、こっちでは1週間しかたっとらんのか。
 儂らは、ここにたどりつくまでに8年かかったのにのう」

「苦労した割に、戻れるときにはあっけないもんだな。
 ま、帰れただけいいじゃねーかー」

「そうだな……では、帰るとするか!」

立ち去りかけて、偉丈夫がふと振り返りつぶやく。

「穴からは、良いものが出てくるときもある、か……」

そして悠々と洞窟を出ていった。また、以前の日常に戻るために……


(作者・Seena ◆Rion/soCys氏[2006/03/18])


※3つ前 つよきすSS「時を駆けてきた少女
※3つ前 つよきすSS「純愛土永さん
※2つ前 クロスSS「烏賊島に集う影
※前 クロスSS「つかの間の再会

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