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タイトルRe^3: やはり我慢できない
投稿日: 2004/12/19(Sun) 23:09
投稿者北の狼(山椒庵)
題:ネタとしては面白いが      :北の狼 /日:2004/08/24(Tue)22:26 No.1113

かつて西尾氏は、『西尾幹二のインターネット日録』で以下のように明言しています。


” 私と中西氏は言論界の立場から、はっきりと「倒閣運動」に動きだしたのだと理解していただきたい。そう言った方がきっと分かり易いだろう。”
(「2004年07月26日小泉首相批判について (一)」)


つまり、西尾氏らの最近の運動の目的は【倒閣】自体にあるのといっていいでしょう。
そして、上の後、こう述べています。


” 首相の個人的脅迫のネタも明るみに出るだろう。『週刊文春』7月29日号の32ページに、わが国の首相の人品がいかにレベル以下であるかを示す事例が数多く並べられている。(アメリカ在住の方は少し事情を知らないようだが、NHKや朝日・毎日・日経・共同配信地方紙より『週刊文春』『週刊新潮』の方が題材によってははるかに信憑性が高いのである。田中真紀子、山崎拓、鈴木宗男を追撃し、追い落としたのは上記の二誌である。だから週刊誌の口を封じようとする言論封鎖の法案さえ出されかかった。)

 もっと大きな事件が暴露されるXデーは近いかもしれない。インターネットで流されている若い頃の複数の婦女暴行事件は親告罪なので立証されないでいるが(7月15日に証拠不十分の東京地裁判決があった)。この件は不明としても、過去に女性がらみのきわどい噂は絶えない。勿論、恋愛は自由だが、相手がもし北朝鮮系の女性だったらどういうことになるか。首相はなぜにわかに朝鮮総連と通じるようになったのか。以上は勿論推論である。しかし何かとんでもないバカバカしいことで、日本の国家が危殆に瀕しかけているという悪夢が私にはある。今のところ証拠はなにも出ていない。単に悪夢であり、幻である。外国のマスコミが突然騒ぎ出すかもしれない。”
(同上)


私は、「もっと大きな事件が暴露されるXデーは近いかもしれない」との言説を読んで、ちょっと期待したものですがーーー西尾氏は、何の根拠もなくこういうことを言う人物ではない、と思っていましたからーーー、しかし、直後に「インターネットで流されている若い頃の複数の婦女暴行事件は親告罪なので立証されないでいるが(7月15日に証拠不十分の東京地裁判決があった)。この件は不明としても、過去に女性がらみのきわどい噂は絶えない」というくだりを読んで、「こりゃ、ダメかも」と思ったものです。
今時、木村愛二氏による訴訟をネタに使うようでは、「情報戦を語る(行う)資格」というものを問題にせざるをえず、脇が甘いとの誹りは免れえません。

「小泉首相レイプ疑惑」はかつて、サヨク系のホームページやメルマガでよく見かけけたものですが、問題の裁判は今年3月、都内の男性(木村愛二氏)が東京地裁に起こしたものです。
小泉首相が慶応大学の学生時代にレイプ事件で逮捕され、そのほとぼりを冷ますためにロンドンへ留学をしていた、というマスコミ報道を論拠に、首相の“レイプ疑惑”を指摘し、「首相の地位にありながら、日本国民である原告に、計りがたい屈辱と苦悩を与えた」などととして、精神的損害への慰謝料として100万円を請求していたものです。
ちなみに、その根拠となるマスコミのレイプ疑惑は、もとはといえば、訴状を出した本人が自ら発行する雑誌(同人誌?)に書いたもので、それをマスコミにリークしたのも本人だそうです。

訴状では、小泉首相が事件を起こしたとされるのは、1967年4月慶応大学の4年生の時で、当時、防衛庁長官であった父親の小泉純也氏が政治的圧力を使い、この事件をもみ消し、学内でうわさの広まるのを恐れて、急遽1967年の5月にロンドンに留学という口実で日本から出した(慶応大学には休学扱いとした)、などとありますが、小泉首相の父親小泉純也氏が防衛庁長官をつとめたのは1964年7月18日〜1965年6月3日で事実と異なっており、証拠はお粗末で、証人も被害者も全く見つからない(現れない)ことや、木村愛二氏という人物の素性などから、もはや誰も見向きもせず、騒いでいるのは、もはや無知な「反小泉派」だけというお粗末さなのです。「資料」としては、慰安婦の強制連行における吉田清治氏の証言か、「南京事件」における本田勝一氏の著作ぐらいの価値しかないものです。

このような「反小泉派」の典型が木村愛二氏であり、この事件を国会でとりあげ馬鹿にされたのが民主党の平野貞夫議員です。
裁判はもちろん木村氏の敗訴で、国会でも小泉首相から「よくもデタラメな裁判を起こす人がいる、とあきれている」と一蹴されています。
そして、今回、このような「反小泉派」の一角に、残念ながら西尾幹二氏も加わってしまったようです。


そして、いよいよ出てきたのが、「10分間の空白」ですか。
ただ、「10分間の空白(密談)」は事実のようですが、それだけでは「事件」には程遠いでしょう。「事件」とするための重要な条件や事項がいくつか欠けており、現時点では、それらに関する考察や確認が不足していると思います。

まあ、私としては、現時点では、以下の記事同様「アフタヌーンショー」(←ちと古いか(笑))的な感覚で、面白く読ませてもらってはいますが。



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■ 対立! 小泉に噛みついた安倍幹事長
■安倍放言!「首相があそこまでバカとは…」「ポスト小泉はたくさんいる」

参院選で惨敗した自民党内に不穏な動きが勃発している。
「二枚看板」のはずの小泉首相と安倍幹事長が対立、抜き差しならぬ関係になっているというのだ。
11日の投票日直前、安倍幹事長が自分の後援会幹部に
「小泉首相があそこまでバカだとは思わなかった……」と放言。
伝え聞いた首相はカンカンだという。
「もともと安倍幹事長は、小泉首相に不満を持っていた。
普段から『首相はシスコンだ』『物事を本質まで考えない』とケチョンケチョンにコキ下ろしていた。
対立が決定的になったのは、選挙中、首相の命令で公明党に頭を下げさせられたことだといいます。
そもそも安倍幹事長は、大の公明党嫌い。
プライドが高いだけに、屈辱だったのでしょう。
それが『首相はバカ』発言につながったのではないか」(自民党事情通)
・・・・・・・・・
(『日刊ゲンダイ』 2004年 7月24日号)

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■選挙報道とマスコミの安倍ヨイショ/記者匿名座談会■

(前略)
記者D:この間のマスコミ報道をふりかえってみると、やはり小泉政権の延命に手を貸すようなものが圧倒的に多かったよ。
読売新聞なんていつもの選挙以上に露骨に自民党サイドにたった報道を続けていたし。

記者B:もっと最悪だったのがワイドショー。安倍晋三が自民党幹事長に就任したことで、連日のように「遊説先で大人気」「拉致問題のヒーロー」とヨイショしまくりだったからね。

D:それは週刊誌も同じだよ。女性誌はこぞって安倍をアイドル扱いだったし、「週刊新潮」にいたっては、どういうわけか「安倍晋三秘録」と称する信じられないPR記事を2週にわたって大々的に掲載していた。

記者A:…。安倍が幹事長としての手腕も実力もない選挙向けの「お飾り」にすぎないのは明らかなわけだから、マスコミもその実態くらいは指摘すべきだろう。(中略)

B:いや政治手腕だけじゃないよ。民主党の岡田克也幹事長と日本テレビでディベートをやった時なんかボロボロで、政策について何の勉強もしていないたんなる「拉致問題バカ」であることがよくわかった。

D:実際、自民党はあの放映以降、安倍のディベート出演をしぶり続けていたらしいからね。やっぱりバカがバレるのを恐れたのからな(笑)。

A:そういう意味でもつくづく情けないのがマスコミだよね。小泉による選挙向けパフォーマンスにまんまと乗っけられてこんなバカをヨイショし続けたわけだから。
・・・・・・・・・
(『噂の真相』03.12号116〜117ページ)

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【スクープ】
「もういいだろう」晋太郎は末期にこう言った
親族が冷酷非情な仕打ちの数々を実名告発
「安倍晋三母子は人間ではない」
     松田賢弥(ジャーナリスト)

■晋三はマザコンそのもの
■恩を仇で返す母子
■一周忌に「来なくていい」

 小泉純一郎が司会進行を務めた故・安倍晋太郎外相の葬儀。当時、式場の前列に座れた晋太郎の親族は、その後、安倍家から関係を断たれた。政界の論理で動く“安倍ブランド”の冷血ぶりが見事に浮かび上がる――。

・晋三はマザコンそのもの

「サプライズ人事」で自民党幹事長となり、主婦向けのワイドショーで一躍、時の人となった安倍晋三(49歳)。安倍をぴったりとマークしている各メディアの番記者なら、一度は次のような光景を目にしたことがあるはずだ。
 東京・渋谷区の高級マンション前。朝、出勤する晋三が、建物の前で同居している母・洋子とばったり出くわすと、
「おはようございます」
 腰を90度に曲げてお辞儀をするのだ。ある記者の言葉を借りれば、「上司と部下。それも社長と課長くらい離れている関係」に見えるという。
・・・・・・・・・・・・
(『週間現代』03.10.18号)

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安倍幹事長の選挙はがき、推薦人に中西輝政・京大教授


 自民党の安倍晋三幹事長が昨年11月の衆院選で、支持者らに送った選挙運動用はがきの推薦人に、京都大学の中西輝政教授が含まれていたことが分かった。
当時は国立大学が法人化される前で、国家公務員は法律で政治的行為が制限されており、これに触れる可能性がある。
大学側は調査した結果、「(掲載を)本人は承知していなかった」との結論を出し、中西氏について処分はしなかったという。

 はがきは安倍幹事長の選挙区の衆院山口4区の支援者らに配られた。裏面に安倍幹事長の写真やプロフィル、「日本の誇りと活力を取り戻す」などの公約を掲載。
表面の下部に「あべさんを推せんします」として、「京都大学教授・評論家」の肩書の中西氏のほか、政治評論家や女優の3人の名前が印刷してあった。

 国家公務員法は国家公務員の政治的行為を制限している。人事院によると具体的な制限事項は人事院規則にあり、選挙運動用はがきの推薦人として国家公務員が名前を載せることは、
人事院規則で定めた「公職の選挙で特定の候補者を支持する目的で、
職名などの影響力を利用することや投票勧誘運動をすること」などの項目にあたる恐れがあるという。京都大学は4月から国から独立した法人になっており、現在の教職員は国家公務員ではない。

 選挙運動用はがきは、各選挙管理委員会が発行する証明があれば郵送料が無料になる。衆院の選挙区選挙では候補者1人あたり3万5000枚までが認められている。

 京都大学によると、3月に調査し、「はがきに氏名が載ったのは事実だが、本人が承知していなかったので責任は問えない」との結論になったという。

 安倍幹事長の事務所は「ご指摘のような法令違反の事実はありませんが、本件については、京都大学において調査中と聞いておりますので、
当方で回答することは差し控えさせていただきます」とのコメントを出した。大学側が出した調査結果について再度、見解を求めたところ、回答は得られなかった。中西氏側にも繰り返しコメントを求めたが、回答は得られなかった。

http://ime.nu/www.asahi.com/politics/update/0418/002.html
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PS.少なくとも向こう3年間、公明党抜きでは参議院で過半数を割るような状況で、公明党とは水と油の安倍晋三氏は(首相になったとして)安定した政権運営が可能なのでしょうか?


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題:M78さんからの返答は    :荒間宗太郎 /日:2004/08/26(Thu)18:18 No.1116

事情があって来週にならなければ返答(投稿)がありませんのでご了承願います。

で、左右の評価ですが、あまり気にしない方がよろしいかと思います。要は、反対者から見たらどんなものでも邪悪に見えると言うことが根底にあるものと思います。
ワシもつい先日くらいに似たような経験をしました。
相手の人は「あなたが想定している人は誰なのか?」という質問を繰り返すのみでその人にとっては誰を想定してワシに質問しているのかが判らなかったのです。下手に返事をしてまたまた揚げ足を取られても苦慮するだけだし(その前に何度か明らかな揚げ足取りをしていましたから)、そのまま去る以外になかった経験があります。
愚痴を零したその愚痴の中身をちくりちくりと一々揚げ足とられても返答に困るって(笑)。
おそらく相手の人が想定したのはこの人かなぁと推測がつく人が四人ほどいましたが、その四人についてはまったく眼中になかったのでもしもそうだとしたら呆れる話しですし、何よりも想像した人たち以外であれば返答に窮する以前に何としてでも追い詰め追い出すという隠れた目的があったことになります。
こちらは友好的な人たちという認識でしたので、呆れるより悲しくなりました。
そう言うものなんですね、こちらの思いは単にこちらサイドで勝手に思っていることなんですよ、相手がこちらと同様の好意を持ってみてくれるていると言う保証はないのです。
ましてや、批判や非難を目的にしてのことであれば尚更です。ちょうど良い実例が[i日録]サイトで展開されていますので一度覗いてみてください、悲しくなりますから。これが同じ土俵に立つ人たちなのかと。もはや、左右の対立などと言うのは幻想で、ひょっとしたら会話を成立させようと努力するのかしないのかの区別しかないのかもしれませんね。

//// H16/8/28 語句訂正 ////


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題:イデオロギーの危うさ      :北の狼 /日:2004/09/01(Wed)01:30 No.1117

【イデオロギー的対立】

<<荒間さん>>
>もはや、左右の対立などと言うのは幻想で、ひょっとしたら会話を成立させようと努力するのかしないのかの区別しかないのかもしれませんね。

1) 議論

これらは、結局は「イデオロギー的対立」という問題に収斂しそうですね。

「イデオロギー」とは、かつて、マルクス主義者によってブルジョア階級や国家というものを論難する際によく用いられた概念で、論敵(資本主義者)の世界観を、欺瞞的なもの、無意識な被拘束性のうちにあるものとして規定しようというニュアンスがありました。
しかし、実は当のマルクス主義こそがこのような強固なイデオロギー性に裏打ちされた思想に他ならなかったのであり、結局は「あらゆる生きた思想は『存在に拘束されている』という普遍的正当性をもつテーゼに基づいて、イデオロギーといわれる」(カール・マンハイム)ということになります。つまり、どのような”近代”思想も、一定の立場性や拘束性から自由にはなれない、ということです。

思想がある特定の階層(階級)や世界観の立場を代表しつつ、自らの絶対的な普遍性を主張する時、その思想はイデオロギーと化します。つまり、イデオロギーとは「立場の思想」であり、そして「理想の思想」であります。ですから、必然的に「共同体的性格」を有することになります。そして、近代の思想(国家主義、植民地主義、資本主義、社会主義、共産主義)は概ねこの範疇に属することになります。
当人たちが”主観的”にどれほど真摯で誠実に問題を解決するために議論する意志を有していたとしても、根底にイデオロギー的対立が存在すれば、その議論から合意を取り出すことはできません。そのような場で繰り広げられる議論というのは、自分の主張をいかに効果的に補強するかという信念補強の技術、またいかに相手を苦境に追い込むかという政治的かけひきの技術の競い合いに堕すことになります。
イデオロギーにかられた者たちは、自分たちの「立場」は正しく、相手の立場は間違っているという暗黙の前提によって共同性を形成しており、この状況においては立場の異なる者たちの間で共通了解や妥当が成立しえないのです、原理的に。


2) 政治

もちろん、政治的な主張がいくつかに分極し対立をもたらすこと(イデオロギー化すること)は必然なことです。
しかし、この対立が、そのままでーーー主張のイデオロギー性が自覚または指摘されないままでーーー放置されると、結局は利害や立場が違う「共同体(イデオロギー集団)」どうしの対立という性格が現実に強く前面に出て、一方の「共同体」の主張のみが政治的に表現され続けるという事態がもたらされ、これではもう一方の「共同体」の不満が鬱積することになります。西尾氏を中心とするグループ(「小泉打倒派」)が陥っている閉塞的状況がまさにこれでしょう。

そういった状況下で、西尾氏ら「小泉打倒派」は、「小泉か、非小泉か」という”擬似的”な二者択一からなる二項対立図式という土俵を設定してきたわけです。なぜ”擬似的”かというと、「Aか、Bか」という、具体的にAとBの選択を迫るものではなく、「Aか、非Aか」という、単にAを肯定するか否定するかという選択を迫るものだからです。これが、「ポスト小泉なき小泉おろし」の意味です。

「Aか、Bか」という問題設定においては、AとBの優劣を具体的に議論・検証することができます。そして、そこでなされた議論・検証の成果が、将来展望につながることになるわけです。
しかし、「Aか、非Aか」という問題設定においては、「小泉打倒派」たち自身は批判される心配がなく(「ギュゲスの指環」)、単に小泉内閣を批判していれば目的ーーーただし、ここでは批判が自己目的化していることになるーーーを達成することができるということになります。しかし、他方で、将来展望というものが一切示されないという欠陥が生じてしまっているのです。つまり、これら「小泉打倒派」の所論からは、批判自体の自己目的化、および将来展望の欠如という二つの問題が生じるのですが、これらについて彼らは軽視していたのではないでしょうか。
その辺のこと察知して、私はかつて以下のようにあえて述べたわけです。


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「造反有理」に堕落した右翼原理 


いま西尾幹二氏を中心とする右翼勢力によってなされている「代案なき小泉批判(ポスト小泉なき小泉おろし)」は、結局は、これら右翼が批判対象としてきた左翼やポストモダンの思考法と変るところがありません。
現実批判には二種類あります。

・ひとつには、現実に即してそれを改良しうる具体的なアイデア(代案)があって、それを実現させるために批判を行うもので、マトモな批判です。
・もうひとつには、現実に絶望した否定性の心情によって、具体的なアイデアなしに、一切に批判的になる態度のことです。

小泉構造改革は前者に該当し、(これら右翼による)「代案なき小泉批判(ポスト小泉なき小泉おろし)」は結局は後者に属することになります。
後者は、

【 現実と理想的な目標とのあいだに横たわる現実条件を冷徹に把握するという強い意思を有することができない者が陥る、安易な思考法 】

ということになり、これはポストモダンの思考法に通じるものがあります。
まさに「羊のロマン主義」(ニーチェ、竹田青嗣)ですね。

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現実に絶望した否定性の心情にかられ、現実を改良していく現実的条件を冷徹に把握するという強い意志を持ち合わせることもなく、単に「現実(小泉内閣)は間違っており、自分はこの現実に反対する」という立場に立つことこそが正しいとする・・・・・これはかつての左翼が陥った思考原理と同じであり、実は、悪しきイデオロギー的性格の最たるものなのです。
同じ思考原理に陥った者は、同じような行動をとります。その行動こそが、代替案なき批判(「ポスト小泉なき小泉おろし」)であり、あやふやな情報に安易に飛びつくという脇の甘さであり、首相個人に対する過剰ともいえる人格攻撃です。

もちろん、小泉内閣は欠陥を抱えていますし、小泉構造改革の行方も暗いものがあります。小泉総理は聖人君子だ、と言うつもりもありません。
しかし、小泉内閣は、日本の閉塞状況を打破すること(具体的には「田中角栄」なるものの払拭)を使命として掲げ、それが国民の多数によって支持されて成立したものです。そのような”正統性”を有する小泉内閣を安易に否定することは、不完全ながらも改革に向かっている現在の日本の土台を崩壊させることにもなりかねず、その限りでは、「小泉」か「非小泉」かという選択は抽象的かつ無内容なものになってしまうのです。
単に「アンチ小泉」という立場にたつのではなく、小泉内閣の欠陥を修復するための具体的な政権構想を練ることこそが肝要なのであって、そのようなコンテクストに沿った批判や立論であるならば、さらにその論に現実味や説得力があるのならば、たとえ激烈なる小泉内閣打倒論であろうとも、私を含め多くの人が賛同することとなるでしょう。


3) 自由な個人

では、不毛な「イデオロギー的対立」を克服するためには、どうしたらいいか?
前述したように、イデオロギーは立場としての「共同体的性格」を原理的に有します。ですから、その「共同体的性格」の悪しき側面を払拭してやればいいのです。つまり、立場や「共同体」に捉われない「自由な個人(実存)」を思考の起点におくことです。
ただ、「自由な個人」を起点として思考すれば、立場や「共同体」の悪しき側面を相当程度解毒することが可能となるとはいえ、このことは、立場や「共同体」を否定しろ、といっているわけでは決してありませんので、念のため。あくまで、思考の順序として、「自由な個人」にプライオリティーをおけということです。さらに、この思考法は、人が全体主義に陥らないための方法でもあります。
そのような観点から、相互承認を確保するため、個々人の間の多様な意見や利害を適切に調停するよう努力することこそが政治の本質ということになります。逆に、イデオロギーを背景として対立を煽るという行為は、(近代の乗り越えを課題とする)現代の思想からすると、愚の骨頂ということになります。

私のみたところ、概ね、西尾氏らの「小泉打倒派」の「手法」を批判している者たちには、下らないものを除けば、「自由な個人」を起点として小泉内閣や日本をみつめた言説が多く、他方で、西尾氏を擁護する者たちには、当然のことですが、西尾氏”そのもの”を守るという立場に強く拘束されている言説が多い、という印象です。
つまり、後者は(「小泉内閣打倒」という主張自体のイデオロギー性、および「西尾擁護」という被拘束性に基づくイデオロギー性を内包しており、二重の意味で)イデオロギー的であり、よって、前者は後者に対して原理的に優位にあることになります。それが、後者がいろいろと”苦戦”している根源的な理由なのかもしれません。


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題:難しいことは判らないが    :荒間宗太郎 /日:2004/09/04(Sat)10:13 No.1118

      どもども m(__)m

難しいイデオロギーの話しはともかくとして(^^;;、下記のことはようは「ハンデ戦には弱かった」と言うことだよね。

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私のみたところ、概ね、西尾氏らの「小泉打倒派」の「手法」を批判している者たち
には、下らないものを除けば、「自由な個人」を起点として小泉内閣や日本をみつめ
た言説が多く、他方で、西尾氏を擁護する者たちには、当然のことですが、西尾氏”
そのもの”を守るという立場に強く拘束されている言説が多い、という印象です。
つまり、後者は(「小泉内閣打倒」という主張自体のイデオロギー性、および「西尾
擁護」という被拘束性に基づくイデオロギー性を内包しており、二重の意味で)イデ
オロギー的であり、よって、前者は後者に対して原理的に優位にあることになります。
それが、後者がいろいろと”苦戦”している根源的な理由なのかもしれません。
////////////////////////////////////////

支援者と思われる方々から「訂正のテンプレ」まで掲示されるようではなぁ、そこまで「西尾さんはバカなのだ」と味方からも言われているようなもんだもの(苦笑)。そしてそれらに対する対応が拙いしなぁ。
もうどうでもいいよ直接掲示板管理に乗り出されたようだから。

垂れ流し式とツリー式の機能の違いをお判りになられていないのかなぁとは思う。ツリー式なら法律に違反していない限りそのまま掲載していても構わないけど、垂れ流し式の場合には削除もやむを得ないそうでなければ元々の発言自体が流れてしまうからね。けれどもその削除は管理人の責任で行うものであって、削除はされた方や見ている方の不満の入口となる、だから管理人は黙って泥を被る覚悟でそれを実行しなければならない、その覚悟の意味が判らないのなら管理人にはならない方が良い。
揶揄非難ばかりではなく恨まれる場合の方がずっと多い。それでもなお実行しなければならないと決断し実行する、それはたいていの場合管理人の行為としての理解ではなく、人格にまで踏み込んだ非難(元々アイツはそう言う奴だとか言う見方)となりそう見る人たちが多いのね、つまり人格としてそうなのだという見方が固定化してしまうの、その後管理人を離れても一旦つけられた人格の見方を変える人は少ない。(ストーカー行為の嫌がらせがずっと続く場合もあるしなぁ(苦笑))。
西尾さんが直接管理に乗り出されたのだから、すべての責任は管理人たる西尾さんにあると誰もが認めそしていずれは固定化された人格として(悪しき)評判となり伝搬しウェッブ上の墓場にまで行き着く、いくら違うと言っても聞く耳持っている人なんてそんなに多くないから(苦笑)、言論界の巨匠がウェッブ上に乗り出したが為の論壇での死も迎えるのかもしれないね。重みのある論考とウェッブ掲示板の管理という両方に気力を裂かねばならないのだから、今までの論説よりも(管理に気力を裂かれた分)力が落ちることを危惧するよ。それでなくとも若い時代と比べ人間の生理として歳とれば筆力は落ちてくるのになぁ、今の年代が論説として筆力の輝く最後の時なのになぁ、こんな事で評判を落とし筆力の歪みと捉えられて論壇での功績にまで傷みを伴って評価されていくのならそんなものは見たくないよ。今回の騒動で西尾さんの評価が地に落ち、西尾を完全論破したヒーローが一人生まれた、と言う保守側の成果(苦笑)しか残らないのだから。そんなもんサヨクの思う壺だね。
批判派は常に攻撃には強いよどんな場合でも、たいして保守派は弱い、なぜなら保守するということ自体にも気力を注がねばならないから攻撃からの防御にまわす気力を分散させることになる、攻撃側の倍の気力がなければ太刀打ちできない、そして攻撃側が複数であれば多勢に無勢だって(笑)。防御する側に人数があれば何とか互角にまでは持ち込めるけど、それ以上は無理。
それは歴史教科書の場合もそうだった。新しく作るまでは威勢が良かったけど実際に作って採択に望んだ場面で攻撃側から防御側へと変化した、そして弱さを露呈し惨憺たる採択戦の結果だった。今回はどうしても前回を上回らなければならない時なのに、困難だもんなぁ(苦笑)、今回もまたダメなのかなぁと暗くなるよ。


てなことで、ではでは


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題:新おちょくり塾開設か?    :荒間宗太郎 /日:2004/09/08(Wed)00:24 No.1119

掲示板管理の下手な人だなぁ、投稿のみ閉鎖すればよいものを...誰にも見せなくなっては揶揄したい者達の常套句「言論封鎖」と言われるって(苦笑)。別に板(おちょくり塾みたいなもの)を用意して愚痴くらい零させてあげなよ。

/////////////////////////////////////////////////////////////////
>http://ex5.2ch.net/test/read.cgi/mass/1094403472/109
109 :なぜか漏れは見れるので全文転載 :04/09/08 00:07 ID:XxvpY3lv


投稿日 : 2004年09月07日(火) 23時41分 投稿者 : 年上の長谷川
タイトル : トコトン板2休止のお知らせ

大勢の皆様、トコトン板にてご議論いただきまして有り難うございました。
この件ではもう、いろいろな角度から意見が出し尽くされているように感じます。

また、先生からのメッセージがgoriさんに届けられ、
その返事も書き込まれました。
goriさんは先生の提案を拒否し、ご自分の主張を貫きとおすお考えのようです。

交通事故のように、過失割合というものが、この掲示板である程度決まって
双方が痛みわけとなればいいと思っていた時期もありましたが、
やはり平行線は変わらないようです。

お互いに棲み分け、互いに不干渉であることしか
今後のよき解決方法はないように思います。

goriさんの要求を先生が無視され(日録にある意味答えがあるそうです)
先生の要求をgoriさんが拒絶する・・・
これで完全に物別れです。

今後、しばらくこの板は休止として、一切の投稿を禁じます。

また当分の間、goriさんは
「西尾幹二(日録)感想掲示板」及び全ての「トコトン板」への投稿を禁じます。

以上決定しましたので、お知らせいたします。


103 :文責・名無しさん :04/09/07 23:58 ID:Wd6JTusm
あら?トコトン板Uで「この掲示板の管理人によってあなたのアクセスが制限されています。」とか出やがりましたよ?
さっきまで普通に見れたのに。

104 :文責・名無しさん :04/09/08 00:01 ID:Gq+s/d6o
>>103
ついさっき閉鎖したみたいですよ。
一応、数分前に 年上の長谷川氏 から閉鎖する旨の書き込みがありました。

が、自分が書き込みしてから、実際に閉鎖するまでの時間があまりにも
短すぎるw

あれじゃあ、これから来る人が何でアクセス制限かかってるか分からないでしょうねw
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題:棲み分けるのは     氏名:荒間宗太郎 /日:2004/09/08(Wed)07:11 No.1120

>お互いに棲み分け、互いに不干渉であることしか
>今後のよき解決方法はないように思います。

これはいつもワシが言っていたことだから、別に反対ではないけど、それならそれで別サイトを作って棲み分けられる体制を作るべきだべさ。
いまi日録本体からリンクしている板で言うなら、きびだんごを賛成板にし、反対板を山椒にし、論考をi日録本体直下の感想板に、とそれぞれ指定して投稿意見を棲み分けると言う方法でも各掲示板管理者に依頼してみるとか。一人でいくつもの種類の板は管理できないから。
とりあえず、緊急避難措置としてなら、きんびんごも山椒も受け入れるからさ、これ以上西尾の名を堕とすなよ、頼むから。

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