011:封印

歌ってはならない、歌ってはならない、歌が呼び込むのはこの世ならざる力。


再生できませんでした
「clear-moon」By VaLSe様
OLD WOODS HUT URL:http://valse.fromc.com/



「どうして俺たちは旅をしてると思う?」
 サンジが歌わなかった理由を聞けると思っていたゾロは、逆に問われて眉をひそめた。
「問いを変えよう。どうして、俺たちは賞金首なんだと思う?」
「そりゃ…」
 サンジが《奇跡の歌い手》だから。
 そう答えようとしたゾロの脳裏を違和感が掠めた。
 違う。
 それだけではない。
 
 ――眩いばかりの金髪に、海のような青い瞳。
 ――どういうわけか、片目を前髪で隠している。
 ――滅多な事では歌わず、むしろ前線で戦うらしい。
 ――彼の歌一つで国が滅ぶらしい。
 ――死んだ人間が、彼の歌で生き返った。
 ――実は女だ。


 彼の歌一つで国が滅ぶ。


 いや。

 滅んだ?

 徐々に青ざめていくゾロの顔を見やって、サンジはクスクスと笑った。
「そうだ。俺は、俺の歌は、」

 国を一つ滅ぼしたのさ。







 その国はたった10分で滅びたのです。




 昔、あるところに、生まれながらに神の印を受けた男の子がいました。
 この世に数人しかいない、「印(しるし)の子」です。

 男の子の親は、何か事情があったのでしょう。
 男の子を残して、いなくなってしまいました。

 残された男の子は、とある国の王様に拾われました。
 その国は素敵な国で、国に住んでいる人は、豊かな実りでおいしい料理を作るのが大好きでした。
 もちろん王様は国一番料理が上手でした。

 「印の子」がいる国は、神の恵みを受けて豊かになる。そういう伝説がありました。
 けれども王様は、男の子を特別扱いしませんでした。
 
 王様は、自分の知っている事は全て教えましたし、料理から戦争まですべて学ばせました。
 男の子は何でも覚えました。
 面白いくらい記憶力があったので、一度見たことは忘れません。
 あっという間に王様ぐらい賢くなりました。
 執政の手伝いも、料理も、楽器の演奏も、なんだってできるようになりました。

 何より凄かったのは、魔法でした。
 男の子は、幼いうちに、お城に置いてあった、何百冊もある魔導書を全部読んでしまいました。
 そして、その全ての魔法を自在に操って見せました。
 男の子は《歌い手》だったのです。

 王様はそれでも男の子を特別扱いしませんでした。

 男の子はやがて少年になりました。
 少年の「秘密」は、王様と一部の部下以外知りませんでした。
 だから少年は普通の少年のように育ちました。
 時々城を抜け出して、街でちょっと悪い事をしてみたりもしました。
 少年は、街にたくさんの友達ができました。

 国は平和でした。

 ところがある時、国を巨大な黒い竜が襲いました。
 お城と街をすっぽり覆い尽くすほどの翼を持つ黒竜は、王様に、少年を寄越せと言いました。
 寄越さなければ、国を一息に焼き尽くすと言うのです。

 どういうわけか、黒竜は少年が「印の子」だということを知っていました。

 少年は、自分が行くと言って聞きませんでした。
 王様は、バカヤロウと怒鳴りました。

 王様は、「逃げろ」なんて台詞は言いませんでした。
 一言、「生きろ」と言いました。

 そして、王様は竜と戦いました。
 少年も、竜と戦いました。
 国中の人が、竜と戦いました。




 その国はたった10分で滅びました。



 
 少年の魔法は、竜に蚊がさしたほどの痛みも与える事はできませんでした。
 気がつくと、少年の目の前に王様が倒れていてました。
 少年の周りの僅かな空間だけを残し、国は灰になっていました。
 王様はよろよろと起き上がろうとして、また倒れました。
 
 少年は声が出ませんでした。
 魔法も使えませんでした。
 泣くことすらできませんでした。

「生きろ」
 半分灰になった王様は少年にそう言うと、にっこりと笑って死にました。

 その時になって初めて、少年は自分がどんなに特別に愛されていたかを知りましたが、叩いても揺すっても、王様は二度と目を開きませんでした。


 少年は黒竜の国へ連れていかれました。
 そこで青年になりました。
 青年は、長い間神殿の奥深く閉じ込められて、空ばかり見て過ごしました。
 黒竜は人間の姿をして、青年に歌えと迫りました。
 しかし青年は、どんなにひどい目に合わされても、絶対に歌いませんでした。
 というより、歌えなかったのです。
 声が、あの時以来出なくなってしまっていたのでした。

 自分が「印の子」でなければ。
 歌が歌えなければ。
 ただの人間だったら、今もあの国で、あの美しい命に溢れた場所にいられただろうか。

 青年は自分を呪って呪って呪いました。

 けれども。

 ある日、青年は、1人の青年と知り合いました。
 その青年は、神殿の雑用係、つまり奴隷でしたが、「印の子」である青年と仲良くなりました。
 遠い遠い国の、勇敢な一族の出身だということでした。
 彼の話す物語は、大概とてもすごくめちゃくちゃ脚色されていましたが、彼を笑わせました。

 ある日、青年は、1人の女性と知り合いました。
 その女性は、青年と同じように神殿に閉じ込められていた、美しい魔女でした。
 自分の村の人たちを人質にされて、無理やり言うことを聞かされていました。
 彼女の話す物語は、あまりにも自分の境遇と似ていて、なのに彼女が泣かないので彼は代わりに泣きました。

 ある日、青年は、1人の青年と知り合いました。
 その青年は、黒竜の血に連なる者でしたが、どういうわけか神殿に閉じ込められていました。
 黒竜の敵である赤竜や、国を追放された兄弟に会うために、国を抜け出そうとして捕まったのだそうです。
 彼の話す話はいつも直球で、眩しくて、彼にもう一度希望を持たせてくれました。


 4人はこっそりと何度も会い、ある時、とうとう神殿を逃げ出しました。


 黒竜が国にいない隙を狙ったので、上手く逃げ出せました。
 けれども数に勝る追っ手に追い詰められ、4人は絶対絶命の危機に陥りました。

 みんな、死ぬ事は怖くありませんでした。
 神殿に閉じ込められていた時の方がよほど「死んで」いましたから。
 ただ、とても残念で、悲しくて、惨めな気持ちになりました。

 大事な人が最後に言った言葉を裏切る事になると思ったからです。

 その時です。
 「印の子」が歌いました。
 それは歌と呼べるものだったかどうか、今となっては分かりません。
 聞くものが思わず耳を覆いたくなるような、何千何万と言う溜息が大気を満たしました。
 かと思うと、凄まじい数の獣が地を揺るがして走るような音が響き渡りました。
 風は重たく濁り、肌に触れるとぴりぴりと痛みました。
 
 酷い殺戮が起こりました。

 「印の子」の心からの歌は、山一つと、数千人の兵士の命を破壊し尽くしたのです。

 4人は振り返らずに逃げ出しました。
 目の前に広がる「自由」だけを見ようと思いましたが、体中にまつわりつく血は重く、黒竜のいやらしい笑い声は何時までも忘れる事ができませんでし た。
  
 そうして、4人は今も、この世界の何処かを逃げています。





「そんなわけで、4人は追われる身になり、追っ手を撃退してるうちに賞金首になり…ってわけだ」

 な、歌えねぇだろ。
 ヘタすりゃ山ごと皆殺しさ。

 サンジは酷く平静に見えた…表面上は。
 一方のゾロは、サンジの話を聞いている間中ずっと怒っていた。
 ぐっと握り締めた手から、紅い物が滴り落ちる。
 サンジにそっと触れられて、ゾロはようやく手を開いた。
 けれども怒りは治まらず、それどころか爆発した。
「そりゃテメェの歌のせいじゃねぇだろう!!!!!!」
 ゾロは大声で怒鳴り、勢い良く立ち上がった。
 サンジはまたクスクスと笑った。
 ゾロは相当腹を立てていたのか、サンジの襟首をひっつかむと前後に激しく揺さぶった。
「おおい、やめろって」
「なんで笑うんだよ!」
 サンジは締め上げられたまま、笑みを崩さない。
「誰も、今のが俺の話だなんて言ってないぜ」
 ぐ、とゾロはうめいた。
 パッと手を離し、行き場のなくなった両手を握ったり開いたりする。
「だが…でも…」
「もちろん、俺の話じゃないとも言ってないけどな」
 ゾロは凄まじい表情でサンジを睨みつけたが、サンジの方はのんびりと煙草などふかし始めている。
 まるで、あんなのは大した事じゃないとでも言うように。
「ま、そういうことがあって、俺は唄うのをやめたんだ。たまに、たまぁに、誰かさんがケガした時なんかに唄うだけ。小さな小さな声で」
 そう言って、うまそうに煙を吸い込む。
 そうじゃないだろう、とゾロは思った。
  ふつふつと湧き上がる怒りに、ゾロは両手を握り締める。
 自分がなぜ腹を立てているのか、それはよく分からなかったが、怒らなければいけないと思った。
 サンジが怒っていない分も。
「今の話、本当なのか!?」
「細かいところは省いてるが、概ね事実なんだなぁ、これが。いや、吃驚したぜ、初めて自分達への懸賞金の額を見たときは。ナミさんなんて、壮絶な顔してポスターと睨めっこしてたもんな…すごく可愛く写ってて、はがしてくりゃ良かったぜ」
 サンジは確かに怒ってはいなかった。
 けれど、明らかに戸惑ってはいた。人の心の機微には疎いゾロでも分かる。サンジは今、冷静などではない。心中で、滅茶苦茶に揺れている。
 それでも聴いておかねばならないこともあった。
  「なんなんだ、その…印の子ってのは!?」
 サンジは俯いた。
 片目を隠す前髪が、表情全体を隠す。
「バケモノだよ」
「・・・は?」
 ゾロは自分の耳を疑った。
 今の話がサンジの過去の話だというなら。
 「印の子」はサンジ自身の事のはずだ。
 それを、今、なんと言った?
「この世にあってはいけないもの、全てを破壊するもの、呪われた仔」
「違う!」
 ゆるり、とサンジが顔を上げる。

 何もかも見透かしたような…それでいて哀しげな優しい表情。

「違うだろ!」
 もどかしさに、教会の屋根を殴りつける。
「テメェはそんなんじゃねぇだろうが!!」
「知らないだけだ」
 吐き出された紫煙が、ゾロの怒りを覆い隠していく。
「俺さえいなけりゃ、あの国は滅びなかったんだ。兵士達だって、死ぬ事はなかった」
 火の付いたままの煙草を弄びながら、サンジは笑った。
「なあ、ゾロ。俺は」
 笑いながら、長く伸ばした前髪をかき上げていく・・・・・・


 
 ―見ルナ。

 唐突に、誰かに耳元で囁かれ、ゾロは身を竦めた。

 見ルナ。
 見テハイケナイ。


 見るなという声とは裏腹に、目はサンジから離せない。
 声の主は、なおも囁き続ける。

 我ト対極ニアルモノ。
 我ガ敵トナルモノ。


 数百匹の蟲が耳もとで蠢いているような不快感。
 気のせいだろうか。
 腰の刀、漆黒の鞘に納められた一刀が熱い。

 見ルナ。
 ソレハ本物ノ・・・



 顕になる、サンジの左眼。
 閉じられていたそれを、ゆっくりと開く。


 月光に浮かび上がる、その左眼は。

 右眼が空と海なら、その左眼は。

 この星の、


 ――それはゾロの髪と同じ、鮮やかな生命力に満ち溢れた緑。


 けれど、そこに刻まれていたのは。

 
 ゾロの耳元で蟲がざわめく。
 ――本物ノ、



 神ノ眼ダ。



 正方形の中に円。その中に、さらに正方形の中に円。その中に・・・・・・
 無限に続くそれは、星神フォルテューナの印。

 まるで薔薇の花にも似たその印は、サンジの緑の瞳に白銀の光で克明に刻まれていた。

「バケモノ、なんだよ」



「違う!」



 ゾロは吼えた。
「バケモノにあんな歌唄えるか! あんな演奏できるか! そんな眼がなんだ! 悪いのはてめぇじゃねぇだろう!?」
 サンジは両の目でゾロを見た。
 驚いたように見開かれた両目、何かいいたげに震える唇。
「俺がビビるとでも思ったか? 生憎だったな、俺は人間なんか怖くねぇ…人間なんて怖くねぇんだよ」
 ゾロは堂々と胸を張って言い放った。

「ざまあみろ」

 殊更嫌味っぽく言って、舌まで出してみせる。
 呆然とそんなゾロを見つめていたサンジは、ふにゃり、と笑った。
「ああ、そりゃあ、残念だ」
 蒼と緑の眼が揺れる。

「くくく」
「ふん」
「ははははは」
「…けっ」
「ひっひっひっひっひ」
「おい、何だその笑い方? 気持ち悪ぃ」
「うひゃひゃひゃひゃひゃ」

 たががはずれたようにサンジは笑った。
 笑っているうちに、また左眼は隠れてしまったが。
「なあゾロ、テメェは」
 笑いながらゾロを見上げる。

「良い男、だな」

 ゾロは、腕を組んでサンジを見下ろした。
「今頃気付いたかよ」
 耳元でざわついていた蟲の声は、いつの間にか消えていた。






「…なあ、サンジ。一つ教えてくれ」
「ん?」
「その…黒い竜だが」
 サンジは眉をひそめた。
「あれがどうかしたか?」
「…黒い剣は…十字架みてぇなでっかい黒い剣は持ってなかったか」
「いいや?」
「なら、いいんだ」
 ゾロはどっかりと腰をおろした。
「俺の故郷も、もうないんだ」

 はっとしてゾロを見たサンジは、その震える肩に少々乱暴に手を置いた。

「…話す気になったらいつでも聞いてやるよ」
「そうしてくれ」

 月が西の空に傾くまで、2人はそうして教会の屋根の上に座っていた。



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