006:契約

今はまだ知らない。それが何か。どういう意味を持つのか。


 ナミが言ったとおり、半日ほど歩くと道の様子が変わった。
 これまでは未舗装のでこぼこ道だったのが、踏み固められ、道の両脇にはところどこ ろに魔除けの効果があるという低い石塔が立てられている。
 足元には、轍の後も見えた。荷馬車が通るのだ。
 村までは、もうそれほどはかかるまい。
 随分歩きやすくなった道を、一行はそれまでと変わらぬ歩調で歩き出した。


 サンジはナミとの打ち合わせを終えると、ルフィとウソップが先ほどから始めたシリトリ に混ざっていた。
「豆腐!」
 お前食べ物ばっかりだな、そうサンジが突っ込む横でウソップが叫ぶ。
「ふ…ふ…噴水!」
「イヌ」
 即座に答え、ゾロを見やる。
「次はテメェだ」
「何!?」
 ゾロは素っ頓狂な声をあげた。
「ほれ、ヌだよ、ぬ」
 サンジはニヤニヤしながらゾロを見た。
 ――脳ミソ筋肉の剣士さんでも、シリトリぐらい出来るよなぁ。
 そう顔中に描いてある。
 ゾロの負けん気がむくむくと大きくなった。
「待てよ、今考えてる。…ヌ、ぬだろ……」
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「ゾロ、思いついたら言ってくれよ。」
 すっかり考え込んでしまったゾロに、ウソップとルフィは先を行くナミのほうに駆けて いった。
「おいおい、そんなに悩むような言葉か?」
 サンジがちゃかすと、ゾロは険悪な目つきで睨み返した。
「脳ミソまで獣並ってんじゃねぇだろうな」
「うるせぇ、今考えてんだよ!」
「ヒントやろうか」
「いらねぇよ!」
 険悪な目つきのまま、腕を組んで何やらブツブツ呟いている。
 サンジは少し呆れ顔でそんなゾロを眺めていた。
 ――こいつ、方向音痴なだけじゃなくて学力もヤバいのか。
「悪かったな!!!」
「あ、俺口に出してた?」
 あっはっは悪い悪い。
 まったく悪びれた様子もなく、サンジは大きな口をあけて笑った。
 ゾロは苦虫を噛み潰したような顔でそれを見ていたが、ややあってとうとう諦めたの か大きな欠伸をした。
 サンジは何も言わない。

 先を行くナミが、ルフィの脳天に杖を振り下ろした。
 ウソップが腹を抱えて笑っている。
 今度はそのウソップが殴られた。
 
 日は傾き、風に冷たいものが混じり始めている。
 見上げれば、緑と青二色だったのが、緑と水色の二色に変わり始めていた。

 何の変哲もない、旅路。

 ゾロはすっかりシリトリのことなど忘れていた。
 しかし、どうにもすっきりしない。
 ――俺は2,3こいつに…サンジに聞いとかなきゃならんことがあったような気がする のだが。
 昨夜の会話を思い出す。
 
 シリトリで単語を思い出すのと違って、明白に思い返すことが出来た。
 そして、自分が何を尋ねようと思っていたのかも。

 ゾロは小声でサンジに問い掛けた。
「おい、ナルト眉毛」
「なんだクソ毬藻」
 2人とも顔色を変えることもなくそう呼び合った。
「俺ぁこのパーティーに入っちまったわけだが…その…《守人》とやらに俺もなるのか」

「なりてぇか?」

「全っ然」

 ゾロが即答すると、サンジは肩をすくめた。
「はっ、正直なこった。じゃあいいさ」
 サンジはあっさりとそう言った。そう答えが返ってくることを予想していたようだった。
「無理にやれとは言わない。それに…」
「それに?」

「俺はテメェと《契約》結ぶ気にはなれねぇしな」
 それだ、とゾロは低く呟いた。

「その《契約》ってなぁ何だ? 文書にサインでもするのか」
「違ぇよ。そういうもんじゃねぇ。もっと根本的なことだ」
「根本的なこと…?」
 きっと、あの「魔法」で何かするのだろう。魔法に関してはおそろしく疎いゾロはそう 思った。
「…何で俺とその《契約》を結ぶのが嫌なんだ?」
「方向音痴で学力低迷してるから…じゃなくてだな。まだ早いだろ」
 そう言ってちらりとナミの後姿に目をやる。
 ゾロもその視線の先に目をやり、納得したようなしないような表情を浮かべた。

 ナミの後姿は毅然としていて力強かった。
 「女」の後姿だった。
 先ほどナミに言われた言葉を思い出す。

「覚えておく事ね、私はアンタを信用してないってこと」

 サンジはナミの言うことには逆らえない。というか、逆らう気など最初からないのだろ うとゾロは思った。ナミを見るときのサンジの眼。憧憬と崇拝の入り混じった優しい眼 だ。
 ゾロには縁遠い表情だった。
 それが腹立たしかった。
 
 そんなゾロの心中など知る由もないサンジは、くるりと振り返った。
「んな顔すんなって。別に除け者にしてるわけじゃねぇ」
 幼い子どもをなだめる時のような声。

「一度《契約》しちまったら、解除するのはまず無理なんだ。一生、守人として生きる事 になる。
 テメェ、そんな覚悟ねぇだろ?」

 反射的に頷こうとして、ゾロは危うくこらえた。

 サンジの眼。
 それは、初めて会ったとき、自分を挑発した眼だった。

 これは、簡単に頷いてはいけない。
 そう思い、ゾロは曖昧な答えを返した。
「…今はな」
 するとサンジは意外そうに眼を見開いた。
「今は、ねぇ。…しらねぇぞ、そんな事言って」
 口調とは裏腹に表情は楽しげで、ゾロは胸を撫で下ろした。
 と同時に、新たな疑問が湧き上がった。

 ――なんでホッとしてるんだ、俺は。

 ゾロがこの新たな疑問に頭を悩ませていると、前を行くナミたちが立ち止まった。
 その目前には、門のように立つ、古びた二つの石柱。
 表面に、文様めいた文字がいくつも刻まれている。
 ナミはしばらくそれらを目で追っていたが、ある一文を声に出して読み上げた。

「全能なるフォルテューナの名において、災いはここで帰れ、幸いはここより入れ。恵み 溢れ空に近きヴィウェル、永久なる平和を願いて――だそうよ。
 この門から先は、ヴィウェル村ってわけね」

 前方に、木製の高い壁が見えた。
 門と思しき場所の上方には、既に松明が掲げられている。

 ヴィウェル村――大陸の西、南北に走る山脈を越える途中の道にある小さな村だ。 旧街道にあたるため、今では旅人も滅多に訪れる事はない。これといった特産物があ るわけでもなく、牧畜や畑作が主に行なわれているという。

「肉の匂いだ!!」
 突然ルフィが飛び上がり、村目掛けて走り出した。
「待て待て一番乗りはこのオレ様だ! こら待てって、おーい!」
「ちょっと、あんたたち! …もう、警戒心ってものがないのかしら?!」
「ああっ、待って下さいナミすぁぁあぁん!」
 大喜びで走っていくルフィと、後を追う3人を見送って、ゾロはなおも首をひねった。

 ――なんでホッとしたんだ、俺は?



 1日目はまだ終わらない。


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