002:輝石
物語の始まりは、旅の途中から。鼻の長い男は窮地に立たされていた。
際限なく繰り出される素早い剣戟に、得意の銃を構える暇もなく、ただただ紙一重で かわし続けるしかない。
「うひょぉぉぉぉおお!?」
悲鳴を上げて仰け反った鼻先を切っ先が掠め、これ幸いとそのままブリッジの姿勢を 作り、小さな茂みに向かって猛進する。
「お! ウソップ、それおもしれぇなぁ〜」
左目の下に傷のある黒髪の男は、周囲を取り囲む賞金稼ぎの群れを伸びに伸びた 腕でなぎ払い、嬉々としてそのポーズをまねて同じ茂みに突っ込んだ。
「わわわわルフィ来るんじゃねェェェェ!!!!」
「待てよウソップ〜、これ結構難しいなー」
無事だった賞金稼ぎを後に従え、ブリッジの姿勢のまま辺りを走り回る2人。
そんな2人と賞金稼ぎたちの間に立ちはだかったのは、オレンジ色の髪の娘だった。
「ちょっと、遊んでる場合じゃないでしょ! …ああもう、面倒ね!」
そう怒鳴って構えたのは、鈍くオレンジに光る宝玉のついた魔導杖だった。娘は杖を 大上段に振り上げると、呪文と共に力いっぱい振り下ろす。
「flamo bruli!」
振り下ろされた杖の先、宝玉が一瞬紅く閃いた。次の瞬間、賞金稼ぎたちが炎に包 まれ、悲鳴を上げて転げまわる。
娘はそれらを無慈悲に見下ろすと鼻で笑い、奇妙なポーズで走り回る2人を杖でもっ て力いっぱい殴りつけた。
「ぎゃあああ死んだー!!!!」
「このぐらいで死ぬかっ!」
長っ鼻の悲鳴を一喝して退けると、娘は黒髪の男を蹴り上げ――男はゴム鞠のよう にぽぉんと弾んだ――落ちてきた所を、襟首を引っつかんで前後に揺さぶり倒した。
「ちょっと! サンジ君はどうしたのよ!」
「サァァンジなならだいじょじょうぶだだろろ」
「何言ってんのか分かんないわよ!」
「そりゃお前が揺さぶってるから…」
「何か言った!?」
「いえずっと無言でブリッジやっとりましたです、はい」
3人がコントのようなやりとりを繰り広げている、その数10m先で。
ドォン
という破裂音が響いた。
「ほら、大丈夫だろ」
するりと娘の手を逃れ、黒髪の男は屈託なくニシシと笑った。
数十人の賞金稼ぎに囲まれてなお、その男は煙草を口から離さなかった。
深く煙草を吸い、煙を吐き出す。全身を覆う皮マントが、風に揺られて微かにはため く。
誰も動こうとしない。
目の前のこの金髪の男――見た目にはただの優男だ、しかしこれはどうしたことだろ う。この静かな威圧感は何処から来る? 数で勝る我々が、何故、動けない?
動揺する賞金稼ぎたちの心中を察したかのように、その金色の男はニヤリと笑った。
次の瞬間、男は賞金稼ぎの輪の中から消えた。
いや違う。
ものすごい勢いで身を低くし、全身をバネにして跳んだのだ。
…そう気づけた賞金稼ぎはほんの数人だった。
巨大な鉄槌で殴られたような衝撃と、ドォンという破裂音を感じるか感じないかのうち に、大半の賞金稼ぎは血反吐を吐いて地面に転がっていたので。
かろうじて口をきくだけの余裕のある賞金稼ぎが、へし折れたあばらを庇いながらあ とずさる。
「お…お前本当に…」
「『人間か、バケモノじゃねぇのか?』…ってか?」
金髪の男は煙草を血だまりの中に投げ捨てると、賞金稼ぎの前にしゃがみ込む。
「ひぃっ!」
「人間とバケモノの境界は何だ? そいつは誰が決めた? まさか、カミサマなんて言わねぇよなぁ」
口の端を歪め、金髪の男が嘲う。
それを見ると、何を勘違いしたのか、賞金稼ぎは金髪の男の足に縋りついた。
「た、助けて…!」
卑屈な笑みを浮かべ、必死に取りすがる。
金髪の男はいっそ爽やかとも言える笑みを浮かべ、言い放った。
「い や だ ね」
ゴッ。
賞金稼ぎは数秒間空中飛行し、そして樹にしたたかに頭を打ち付けて昏倒した。
ああなんてことだ、せっかくナミさんに選んで貰ったマントに染みが着いちまった。そう ぼやきながら、近づいてくる仲間達の気配に振り返る。
「おー。サンジ、飯!」
黒髪の男は能天気にそう言うと、周囲の賞金稼ぎの山には目もくれず、金髪の男に 纏わりついた。
「うわっ、こら、やめろ!」
「飯、肉、飯、肉!」
「分かった、分かったからはぁなぁれぇろぉぉ」
くんずほぐれつ取っ組み合いを始めた2人を見て、長っ鼻が溜息をついた。
「やれやれ、今日も何とか生き残ったぜ…」
途端、娘が杖でその頭を軽く叩いた。
「あんたはほとんど何もしてないでしょーが」
溜息つきたいのは私の方だわ。そうぼやきつつも、娘は拾い上げてきた麦わら帽子 を黒髪の男の頭にすっぽりとかぶせた。
「お、サンキュ」
屈託なく笑う黒髪の男に、娘は慌てて目をそらした。
「あぁ疲れた、炎の魔法なんて使うんじゃなかったわ」
「あぁんナァァミすぁぁぁん! お疲れならこの天才マッサージ師サンジが腕によりをか けてコリを揉み解しますぅぅ」
「あらありがと、サンジ君。でもその前に、さっさとここを離れましょ。こいつらが目を覚ま したら面倒だわ」
「冷静なナミさんも素敵だぁぁー!」
黒髪の男に纏わりつかれたまま、金髪の男は目をハートにしてぐねぐねと体をくねら せた。
長っ鼻がもう一度溜息をついて、先に立って歩き出す。
娘がそれに続くと、ぎゃあぎゃあと喚きながら残りの2人も歩き出した。
誰も振り返らない。
総勢100人にも及ぶ賞金稼ぎの群れを、ものの数分で返り討ちにした凶悪な賞金首 たちは、今日の夕飯の話に夢中だった。
なぜならこれは彼らの日常茶飯事で、当たり前の事だったから。
さて、この不穏な一行は、旅人というには少々変わった出で立ちをしていた。
まず、金髪の男――名はサンジという――の格好はというと。
上質の皮マントの下には、簡素な木綿の服の上に動きやすさを重視した作りの軽い 鎧をつけただけという軽装だが、それは他の男性2人も対して変わりなかった。ただ、 サンジは、一風変わった皮靴を履いていた――脛当てと靴の部分が一体化しており、 まるで篭手のように足を守っている。一見ブーツのようなそれは、サンジ の武器であった。サンジの基本戦闘スタイルは「足技」…嵐のごとく繰り出される蹴り技、その威力を高め足を保護 するのに、この革靴は最適な装備品だった。
黒髪の男――ルフィに至っては、さらに簡素な格好をしていた。マントも着けず、申し わけ程度の胸当てを着けただけで、足元など単なる草履である。木綿のシャツに、膝 丈のズボンという、旅人とは思えないような軽装だった。もっとも彼はある得意な能力を 持っていたので、鎧など不要なのかもしれない。頭に被った帽子から《麦わら》という二 つ名を持つ彼は、体がゴムのように伸縮するゴム人間だったから。
その一方で、長っ鼻――黒い天然パーマの男ウソップは、もう少しマシな格好をして いた。普通の旅人スタイル、といった様相だ。マント、胸当て、篭手、脛当てなど、要所 要所をガードする防具をつけている。腰には手入れの行き届いた銃が一丁とパチンコが一つ下がっていた。どちらも彼の現役の得物であり、何度 も窮地を救ってきた大事なアイテムだ。そんな「普通の旅人スタイル」のウソップ唯一の変わった持ち物といえば、背中に背負ったかなり大きな道具袋だった。この、ウソップ曰く「俺様袋」の中には、さらに数々の道具が使われる時を待っているのだという。
そんな男だらけの集団の中で、ひときわ目立つオレンジ色の髪の娘。黒いマントの下 には、ボディラインを強調する夜色のミニスカートを着ており、一目で彼女の職業が見て とれた――魔女だ。彼女の分の荷物は、全てサンジとルフィが持たされていた。ゆえ に、唯一荷物と呼べるのは、左手に持った長い魔導杖のみであった。彼女の身長ほど もあるその杖は、曲がりくねった「浄めの樹」から作られており、一見無骨なようでい て、不対称な美しさのある魔法の品だった。曲がりくねった先端には、巻き込まれるよ うにしてオレンジ色の宝玉が輝いている。これは魔法の発動を助けるための魔力増幅 球で、かなりの貴重品とされていた。当然、装備している者の格の高さをうかがわせるアイテムである。
4人が4人とも、思い思いの格好をしているので、外見的な統一感はまるでないように思われた。だが、一つだけ、彼らが共通してつけているアクセサリーがあった。
おのおのの左手首につけた腕輪である。
銀色に光るそれは、表面に美しい細工の施された魔法の品であった。
「仲間の証」というわけである。これは別段珍しい事ではなく、同じパーティー内で何か共通したアイテムを持つのはむしろ普通の事であった。
この、白銀の腕輪をつけた4人は、何も知らないものから見れば、ガキの集まりとしか見えないような団体である。
しかし、この4人、実は揃いも揃って賞金首であった。
一番高いのは、《麦わら》ルフィ。その額なんと1億ベリー。
次が《星読みの魔女》ナミ。4千万ベリー。
ウソップ。一気に落ちて、それでも3百万ベリー。
そしてサンジは…色々あって、何だかもう分からないくらいあちこちから賞金を掛けら れていたので、総額はよく分からなかった。
――そういうわけで、賞金稼ぎの襲撃など日常茶飯事。彼らにとって「襲撃」は、もはや起床後の洗顔と同じ扱いであった。
サンジなど、むしろ、襲撃がないと落ち着かないくらいだった。
(ウソップが知れば、仰天してそんな考えなど早く捨てるよう要求するだろう。)
先ほどの戦闘など軽い準備運動だとでも言わんばかりに、懲りずにまとわりついて来る「1億の男《麦わら》ルフィ」の脳天に1発カカト落としを決めた。
しかし打撃には強いゴム人間、まばたきする間に立ち直ると再びサンジに纏わりつきだしたのだった。
「飯、肉、飯、肉、なーサンジ、飯と肉!」
「保存食全部食っちまったのぁテメーだろがっ!」
「ふっふっふサンジ、こんなこともあろうかと、俺様袋の中に予備をしまって…ギャア! ねぇ!」
「あーアレな、美味かったぞぉ」
「『美味かったぞぉ』じゃネェエ!!!」
ボコスカと取っ組み合いのケンカを始めた3人に、ナミは本日数回目の溜息をもらし た。
そうして1時間ほど歩いたところで、不意にナミは顔を上げた。
風の流れがおかしい。
空気が重い。
立ち止まったナミに、今度は寝相の事でケンカしていた3人も一斉に立ち止まった。
「……何?」
嵐。
そうだ、これは嵐の気配に良く似ている。
ナミは素早く空に目をやろうとして、サンジに肩を掴まれた。
サンジは唇に人差し指をあてると、静かに頷き、その手をどかした。
また賞金稼ぎかと、ウソップは素早くパチンコを構え、ついでに道のわきの茂みの中 に潜り込んだ。
しかし、3人は動かない。
さっきまであれだけうるさかったルフィですら、無言で辺りの気配を探っている。さりげ なくサンジの後方に回りこみ、ゆっくりと戦闘体勢に入った。
左右に広がる森は静まり返っている。
サンジは半ば目を閉じ、音にだけ集中して周囲の気配を探った。森に満ちた音は、彼に様々な情報を与えてくれる。
彼はただ、耳を澄ますだけでよかった。
かさり
「…右だ!」
3人が一斉にその場を飛び退くと、絶妙なタイミングでウソップのパチンコが火を噴い た。
「火薬星っ!」
ドガン! という鈍い爆音が周囲の木々を揺らした。
「やったっ!?」
「まだだ! ……あ?」
「な、何、アイツ?」
森の暗がりから。
濃厚な血の臭いを漂わせながら、1人の男が歩み寄ってきた。
黒い布を頭部にまいており、表情を窺い知る事は出来ない。だが、その異様な風体 ――麻のシャツの上に巻いた緑色の布、あれは腹巻だ。さらに、両手に1本ずつ構え た輝石製の剣、そして口に咥えた3本目の刀、そして体全体に纏った紅い血 潮。逞しいはずの体は血だらけだったが、どうやらウソップの火薬星のせいではなさそ うだった。
ずるり、
ずるり、
引きずるように近づいてくる。
「下がって、ナミさん」
「馬鹿言ってんじゃないわよ、下がるのはサンジ君の方でしょ」
「強気なナミさんも素敵だぁ〜!」
くねくねとナミの足元に跪こうとしたサンジの襟首を、ルフィは伸ばした腕で掴んで引 き戻した。
「…下がれ、サンジ」
いつになく真剣な声。
サンジは一瞬ルフィと視線を合わせると、僅かに首を縦に振り、ゆっくりと後退した。
ウソップが潜んでいる茂みの手前まで下がると、懐から煙草を取り出して火をつけ る。
「おぉおいサンジ、なんだぁありゃ? 人間か?」
「さァな。魔族かもしれねぇぞ?」
うひあ勘弁してくれ、俺の無敗記録が破れちまう。ウソップは頭を抱えてさらに身を低 くした。
ナミもルフィも微動だにせず男の様子を見守っている。
体中を赤くした男は、ようやっと光の当たる所まで出てくると、刀を咥えた口で
嘲笑った。
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