初めてのリンクコーデはあなたと
不用品の片付けをする母さんを手伝った。
引っ越してきて、とりあえずクローゼットに放り込んだ冬服。もう着なさそうなもの、傷んだものを避けて、まとめていた。
あのときは、ふたりとも精神的にもまいっていて、きちんと仕分けするなんて余裕はなかった。今、やっと落ち着いて、少し整理をしようということになった。
フローリングの床に散らばった冬服を眺める。
もう十二月だというのに、日当たりのいいリビングは汗ばむくらい暑い。
「こんなダウンとか、沖縄にいる限り、着ることないわね」
「もう冬なのに、この暖かさなのはびっくりした。でも、暦なんて二十度切ると寒い寒い大騒ぎするよ。女子なんてそのくらいになるとスカーフ巻く子いるのには驚いた」
「沖縄の人たちは寒がりなの。秋になると北風が強くなるから。気温より寒く感じるというのはあるのよ」
「それだって、寒いって大袈裟だよ」
「ふふふ……。母さんもカナダに行く前はそんなものだったわ。でもカナダで暮らしたら体があちらの気温に慣れて、また沖縄に戻れば、少しずつ昔の感覚が戻ってくる。人って適応力あるわよね」
「俺は、ここの夏の暑さには慣れない。無理。エアコンがあるから生きていられる」
「そのうち慣れるわよ」
「そうなのかな」
「ダウンや手袋とかイヤーマフとか、沖縄では着る機会ないかもしれないけど。日本でも内地行けば九州だって冬は寒いから。いくつか取っておいた方がいいわね。冬に東京行きたいって前に言っていたでしょう?」
そうだ。冬の東京へ行こうと、ある人とささやかな約束を交わしている。
そんな会話を続けながら、最後の一箱を開封すれば、ペーパーバッグが二つ一番上に乗せられていた。それも未開封の。
「母さん、これは?」
菜々子は、一瞬目を丸くして、そのペーパーバッグを手に取り、じっと見つめていた。
ペーパーバッグには可愛いビーバーのイラストが添えられた「Roots」のロゴが印刷されている。
これは、ギフトバッグ? 誰かへプレゼントするはずのものを、忘れていたのだろうか。
「母さん、どうかした?」
黙り込んだ母親に、ランガはもう一度声をかけた。
「え、ごめんなさい。これは……」
そこまで言いかけ、菜々子は、二つのバッグを愛おしげに撫で、顔を上げランガを見た。
「これは、あなたとオリバーへのギフトだったの。あんなことがあって封も開けず、すっかり忘れていた。それにしても、あの人ったら受け取らずに天国行っちゃって、損したわね」
ふふっと笑う母は、今にも泣き出しそうに見えた。
「中は、なんなの?」
「マフラーよ」
「マフラー? スカーフのこと?」
「あ、日本ではマフラーって言った方が通じるわ」
「へえ」
「色違いなのよ。ランガとお父さんの。濃紺……ダークブルーに赤いポイントがあるのがお父さん、水色に白いポイントがあるのがランガに渡す予定だったものなの」
「そうだったんだ」
菜々子は二つのうち一つをランガに手渡した。
「こっちが、あなたのね。沖縄で使うと冬でも汗疹ができるかもしれないけれど。旅行とかで使う機会もあるでしょう」
続いてもう一つのバッグもランガに渡そうとした。
「未開封だし、このブランド日本には入ってきていないから、欲しいという人がいるのなら差し上げたら? 暦くんとかは、いらないかしら」
「どうかな」
暦は、というか沖縄の男子高校生ってマフラーを使うのだろうか。記憶にない。そもそも暦はファッションへのこだわりが強くおしゃれだ。一貫した好みがあることをランガは知っている。
それでも一応、メッセージを送って確認してみるが、速攻で「使う機会なさそうだよな。失くしそうだし遠慮しておくよ」と返ってきた。
まあ、想像ついたけど。
ランガは顔を上げ「暦は使わないらしい」と言った。
「そうね。風を通さない首を覆う薄手のジャケットがあれば十分だから。もこもこしたマフラーなんて邪魔だし面倒臭いというのは、わかるわ。わざわざ使うのは、おしゃれな子くらいよ。他に使ってくれそうな人はいないの?」
ダークブルーに赤か……。ある人の顔が浮かんだ。
あの人は、週の半分はきちんと寒くなる東京だ。ではあるけど、表の顔ではフォーマルな高級品ばかり身につけているイメージだ。これはカジュアル過ぎるような気がする。
「スケート仲間で、ひとり沖縄と東京を半分ずつ行き来している人がいるから、訊いてみる」
「そうね。有効に使ってもらったほうが、あの人も喜ぶわ。ランガのお友達なら、きっと大喜びよ」
「そうする」
その日、愛抱夢と会う約束をしていた。少し滑って、月末に東京へ行くスケジュールの調整をする。そんな予定だった。
前もって、マフラーの件を話しておこうかと思っていたのだけど、なんとなく言いそびれてしまった。直接持って行き、いるかどうか確認することにする。
もっとも愛抱夢は「ランガくんがくれるのなら、なんでも嬉しい」と喜ぶ人だ。そのものが本当に必要なのか、使いたくて使ってくれるのか判断がつかない。
大喜びする彼の姿は演技などではない、なんてことはわかっている。でも、本当はどうなんだろう。
そこは、スケートプールがある愛抱夢の別荘だった。
一緒に楽しく滑って、ランチにしようという話になった。
ガーデンテーブルには、きれいに料理が詰められたお重が並んでいた。テーブルに置いてある時計に表示されている気温を確認する。十二月だというのに日中の気温は二十度を超えている。やはり暖かいを通り越して暑い。
「遠慮なく食べて。出来立てというわけにはいかないけど、それなりに工夫されているよ。琉球の宮廷料理なんだ。珍しいだろう?」
愛抱夢はポットから、吸い物をマグカップへと注いでくれた。
これは、中身汁?
「ありがとう。いただきます」
澄んだ吸い物は臭みもなく、ほんと美味しい。
なんとなくマフラーの話を持ち出すきっかけが掴めない。でも大方食べ終えたところで、意を決して切り出すことにした。
「あの、愛抱夢」
「何?」
これ、とペーパーバッグを差し出した。
「僕にくれるの? 嬉しいな!」
思った通りの反応だ。
「あ、あの、こんなこと言うのもなんだけど、あなたのために選んだものじゃないんだ。だから、無理しないで。中に入っているのはマフラーだよ」
「何か、訳ありみたいだね」
一応話しておいた方がいいだろう。
「それ、母さんが父さんに選んだものなんだ。俺と父さんに色違いで。でも、あんなことがあって、父さんにも俺にも渡しそびれて。この前、片付けをしたとき出てくるまで、母さんも忘れていたんだって」
「そんな大切なもの、僕がもらっていいの?」
「誰かに使ってもらった方が、父さんも喜ぶだろうって母さんが。色もダークブルーに赤のポイントだって言っていたから、愛抱夢っぽいかなって思って」
「そうか」
「でもカジュアルなブランドだから、愛抱夢が使えるかどうか。無理しないで」
愛抱夢はペーパーバッグを確認する。
「Rootsだね。懐かしいな。このブランドなら僕でも着こなせそうだ。まして君のお父さん用にお母さんが選んだんだろう? 問題ないよ」
「知っているの? 日本には入っていないって聞いたけど」
「アメリカにも入っていたし、カナダに旅行したときに買ったよ。僕だって昔からスーツにネクタイだったわけじゃない。今だって仕事以外はスーツじゃない。だからありがたく使わせてもらうよ」
「よかった」
ランガはホッと胸を撫で下ろした。
「開いていい?」
「うん、確認して」
紙袋からマフラーを取り出した。ランガも初めて見るが、想像した通りのデザインだった。
愛抱夢は首に巻いた。
とてもよく似合う。まるで愛抱夢のために選んだようだった。
「君も色違いをもっているんだろう?」
「うん水色に白いポイントが入っているんだ」
「それなら、〈凍えるほど寒い東京焼き芋ツアー〉でふたりともこれを巻こう。ランガくんとの初のリンクコーデなんて、人生の楽しみがまた一つ増えたよ」
愛抱夢は心から嬉しそうに笑った。それは作り物ではない笑顔だった。
それにしても人生って愛抱夢は本当に大袈裟だ、と思いつつも、ワクワクが一つ増えたことにランガも同意し、微笑み返した。
了