凍えるほど寒いところで

 東京に在住している政策秘書からの連絡を待っている間、愛之介は自室でランガと取り止めもない雑談をしていた。主にランガの情報を引き出したいだけなのだが。

「暦の家で食べたBaked Sweet Potato——日本語でなんて言うんだったかな? 美味しかった」

「焼き芋だね」

 そんなタイミングで秘書から連絡が来た。問題はなさそうだ。愛之介はノートパソコンをそっと閉じ焼き芋談義を続けることにした。すぐに終わるだろう。

「そう、それ。Sweet Potato Tart とかCakeのSweetsじゃなくてただ丸ごと焼いただけなのに、すっごく甘くて。でもイメージが少し違った」

「イメージ?」

「日本のアニメで見たんだ。寒い中、熱々の焼き芋で手を温めながら食べているの。白い湯気が沢山出ていてとても羨ましいと思った。すごいよね。手を温めてお腹もいっぱいにできるなんて。えっと一石二鳥? ずっと憧れていたんだ」

 今更だがこの子は妙なところに感心したり感動したりする。

「まあ、この土地では手がかじかむほど寒いってほとんどないからね。四十七都道府県のうち唯一積雪が観測されたことのないのがここ沖縄なんだ」

「ここ、ほんと暑くて暖かいよね。雪なんて降るわけないのは当然だなって納得した」

 正式に観測された降雪は二、三回くらいしかなかったはずだ。それも純粋に白い雪が降ったというのではなく、雨に混ざったみぞれだ。ここは亜熱帯の土地なのだ。もう晩秋と言えるのにランガは薄いシャツ一枚だ。地元民はそろそろジャケットを羽織っているのだが、雪国から来た彼にしてみればまだまだ寒さを感じる気温ではないようだ。

 ランガは遠い目を窓の外へと向けた。浮かぶ白い雲と柔らかく霞んだ青空が広がっていた。ふと彼の周りにちらちらと舞う雪を見たような気がした。

「懐かしいの?」

「何が?」

「雪……いや、冬の寒さかな?」

「あ……」

 彼は胸に手を置いた。

「夏の暑さは辛いけど沖縄は好きだよ。初めて友達ができたところだしね。暦たちがいる限りここからは離れられない。でもカナダの雪も冷たい風も、吹雪いているときの灰色の空と、よく晴れた日の濃い色の青空は俺を育ててくれたところだから。何よりも父さんとの大切な思い出がたくさん詰まっているんだ」

「一度、お父さんのお墓参りに行ったんだろう?」

「行ったよ。でもまだ寒くなる前で雪もない季節だったから」

「そうか。こちらへ引っ越してきてから君は一度も雪を見ていないってことだね」

「言われてみれば。俺、父さんのことがあって一度は雪というかスノーボードが辛いものになってしまったんだ。でも今ならきちんと向き合えるような気がする。だから俺の原点を暦……暦だけじゃなく仲間にいつか見てもらいたい。一緒に行ってくれればだけど」

「その仲間に僕は入っている?」

「もちろん」

「雪のシーズンになったら君をすぐにカナダへと連れて行ってあげたいけれど、流石にまとまった休みは取れそうもない。その代わりと言っては何だけど日本の寒いところへ飛んで雪の中で熱々の焼き芋を食べて蜻蛉返りするくらいならできるよ。どう?」

「それすごくいい」

「では決まりかな」

 ランガは首を左右に振った。

「楽しそうだけどそんなお金ない」

「お金のことは気にしないでも……」

 そんな愛之介の言葉を珍しくランガは遮った。

「わかっている。あなたが俺のためではなく、そうしたいからそうしているなんてこと」

「ではどうして?」

「俺、あなたと対等になりたい」

 目を見開いてランガを凝視する。すると少々居心地が悪そうに彼はふいっと目を逸らした。わずかに頬を染めて。

 彼が再び口を開くのを無言のまましばし待った。

「大人のあなたと子供の俺では対等になんて無理なことだってわかっている。でも自分でできるところから少しずつでいいから」

 この子も、こうして大人になっていくのか。それは喜ばしいことなのだろう。それでも一抹の寂しさが胸を掠めた。

「それが君の気持ちなら尊重しよう。それでも意地にならないで頼れるところは僕に頼って欲しい。生きてきた時間が違うんだから頼ったとしても対等ではない、なんてことにはならないよ。それに僕はもう対等だと思っていた」

「え?」

「君が僕にたくさんのものをくれたんだ。それを返さないと対等になれないと思ったのは僕の方だからね」

 彼は難しい顔をした。

「愛抱夢はさぁそれよく言うけど俺何もあげていないし何もしていない。具体的に何? と訊いても教えてくれないし」

「別に意地悪しているわけではないよ。君がくれたのは言葉で表せないようなものなんだ。言葉にすることはできるけれど、それをすればするほど何か違うって僕が思ってしまうだろうね。そのことを僕は知っているんだ。ということで説明できない。悪いね」

「はぐらかされているような気がする」

 ランガは眉を寄せ唇を尖らせた。納得できるはずないか。

「そんなつもりはない。僕は政治という権力抗争の中に若くして叩き込まれたんだ。自分の意思と関係なくね。狡賢くないとやっていけない足の引っ張り合いの世界だ。だから実年齢より、もしかすると老けているのかもしれない。僕たちの年齢差って今はとても大きいけれど、これが五年十年と経つとあまり差を感じなくなるはずだ。だからまだ焦らなくていい。無理して大人にならなくてもいい。君は君のままでいてくれれば」

「でも……」

「それに君は僕のことを『子供だ』と言ったよね。そんなことを僕に言えたのも僕がそれを許したのも君だけだ。だからもう僕たちはずっと昔から対等なんだ。今はそれで勘弁してくれないかな」

「うーん、仕方ないかな」

 トーナメント決勝戦でぶつかりあったあの瞬間からふたりは対等だったのだ。

 それなのに、ともすれば愛之介自身がそれを忘れがちになる。ランガを自分の手元で守りたい。自分の保護下に置いて安心していたい。その気持ちを抑えることは難しい。

 いつか、ランガが成長して自立した大人になったとき、果たして今のように愛之介のそばにいてくれるのだろうか。

 それを考えるとどうしようもなく不安で怖い。情けないことだという自覚はある。

「ねえ、愛抱夢」

 ランガが顔を上げ愛之介の顔を覗き込んだ。

「俺、雪はなくてもいいけど、やっぱり寒いところで焼き芋食べたい。東京も冬は寒いよね?」

「沖縄に比べれば凍えるほど寒いよ。ダウンや厚手のコートが必要なくらいはね」

 ダウンも厚手のコートも、沖縄に住む限り着る機会はほとんどない。

「二泊くらいのパッケージツアーならバイト代の貯金で何とかなると思う。前に暖かくなったらディズニーランド行きたいって暦が言い出して調べたことがあるんだ」

「そのときは僕も君と一緒に焼き芋食べたいんだけど、いいかな?」

「最初からそのつもりだよ。東京なら愛抱夢と一緒に食べられると思ったんだ」

「それは嬉しいな。初めて食べる焼き芋が君と一緒だなんて」

 ランガは目を丸くした。

「愛抱夢……もしかして焼き芋食べたことなかったの?」

「実はない。この家にいる限りその手のものを食べる機会はなかったから」

「どうして? あんなに美味しいのに?」

「神道家ってそういう家なんだ。ということで都合のつきそうな日をいくつかピックアップしておいて。僕もスケジュールを合わせよう」

「わかった」

「話がまとまったところでそろそろ滑ろうか」

「ごめん、俺が焼き芋の話題持ち出したりしたから」

「むしろ大きな収穫があったとても有意義な話題だったよ。素敵な約束もできたしね」