可愛くて愛しい人

 ピロートークのことを睦言と日本語で言うと聞いた。愛抱夢は睦言の方が風情があると主張する。どちらも似たシチュエーションで使う言葉なのだからどうでもいいかと思うのだが彼はピロートークなる言葉は安っぽいソープオペラを連想させると言っていた。それは偏見とか先入観と言うのではないだろうか。

 睦言は夫婦や恋人同士が主にベッドで仲良く語らうことで必ずしもセックスが必須ではないと説明された。

 なので彼がベッドでランガに囁く言葉はピロートークではなく睦言だという。そんなこと拘って主張されても自分相手では無意味だとランガは考える。まず眠気が勝ってしまっていて何を言っているのか頭に入ってこない。ぼんやりと聞き流しているだけだ。意識があるうちは適当に相槌を打つけれど、ほとんどが生返事だ。

 それでも、耳元で優しく響く愛抱夢の声はランガに不思議な安心感をもたらしてくれる。

 そう、まるで子守唄のように。


 寒い……。

 ランガは剥き出しの肩に触れた。冷え切っている。室温がかなり下がっているようだ。この部屋は冷房が効きすぎている。

 手探りで毛布を探り出し引き寄せようとするが何かにひっかってびくともしない。諦めて上半身を起こした。暗がりの中で手に握りしめている毛布がどうなっているのか目を凝らせば男が体に巻きつけ熟睡していた。

 あれ? と思いベッドの下を確認すれば自分が使っていたらしい毛布が床に落ちていた。それを掴み上げ整える。そんな作業をしているうちに目が覚めてしまった。時間を確認すれば午前三時半。

 傍らの男はぴくりとも動かない。いびきはもちろんのこと寝息すら聞こえない。

 息しているのかな? ふと奇妙な不安に囚われ彼の鼻の前に手を近づけた。大丈夫、ちゃんと空気が動いている。なんてバカバカしいことをしているんだろうと自嘲する。

 そうこうするうちにすっかり眠気がどこかへ行ってしまった。隣で寝ている男が目を覚ます気配はない。薄闇の中、何とは無しに男の寝顔をぼんやりと眺めていた。

 あれ? 愛抱夢ってこんな顔をしていたかな?

 ふと覚えた違和感に男の顔をまじまじと凝視した。ランガの記憶の中にいる愛抱夢よりずっと若く見える。もともとランガの中には二種類の彼がいた。

 仮面にマタドール衣装のスケーター愛抱夢と、スーツ姿の有能な若手政治家としての神道愛之助。もちろんカジュアルにランガと会うときの彼はどちらでもない。愛抱夢と愛之介を足して二で割った感じと言えばいいのだろうか。

 いずれにしろランガよりずっと年上の大人の男性ではある点は共通だった。

 再び視線を落とし、男の寝顔をじっと見つめた。

 こんな愛抱夢をランガは知らない。

 よくよく考えてみれば愛抱夢の寝顔を見た記憶はない。彼は忙しい。会えても一晩共に過ごす時間まで持てることは珍しい。

 その少ない機会でも、ランガは愛抱夢の寝顔を一度も見ていないことに驚いた。

 セックスの有無は関係なく、ベッドに入れば間違いなく先にランガが眠りに落ちていた。ランガはとにかく寝つきがいい。ふたり一緒にベッドに入って、愛抱夢に抱き寄せられ身体を密着させ、体温を分け合いながら彼の肩口に頭を乗せる。愛抱夢はそんなランガの頭を撫でながら耳元に睦言らしき言葉を囁く。でも一言二言から先の記憶はなかった。もちろん夜中に目が覚めてしまうなんてことも稀にある。でも目が覚めているのは一瞬のことで、愛抱夢の顔を見る間もなく再び深い眠りに落ち朝まで目覚めることはない。その上、愛抱夢より先に起きられたこともなかった。それではランガが愛抱夢の寝顔を見られるわけがない。

 その分、愛抱夢はずっとランガの寝顔を見ていたのだろうことに今更気がついた。ランガは少しだけ羞恥を覚えた。

 顔を近づけ、しげしげと観察するように見つめた。安心し切ったように眠る彼の面立ちは、若いというより幼い子供のようだった。閉じた瞼を縁取るまつ毛が意外に長いことを発見して思わず笑みがこぼれた。

 それと今まで意識したことなかったけれど愛抱夢はとても綺麗な顔をしている。

 彼の髪にそっと触れてみた。目を覚ます様子はない。そのまま撫でたり指に髪を絡ませたりしてみる。

 無意識に「可愛いな」と口にしていた。

 そんな自分に驚き慌てて否定する。年上の男性に向かって可愛いなど失礼だったと。愛抱夢はランガのことを可愛いと言う。暦たちは可愛いと言われることを嫌がっていると指摘すると年下男性相手ならば問題ないと説明された。それが本当かどうかは別にして、年上男性に向かって可愛いは失礼なのだろう。

 では可愛いでなければ何だろう。

 そっとキスをして抱きしめたい。そんなふうに思っている今のこの気持ちをなんて表現するのか。ランガはしばし思案した。

 ——愛しい。

 ふと浮かんだ日本語。これは愛抱夢がときたまランガに向ける言葉だった。

 ストンと胸に落ちた。なるほど、「愛しい」か。これでいけるような気がする。他に何も浮かばない。日本語がまだ不自由なだけかもしれないけれど。

 無防備な寝顔を晒す大人の男に視線を戻しランガは微笑んだ。

 そうか俺はこの人を愛しいと思っているんだ。

 胸の中が暖かい。

 答えが見つかったところで、そろそろ寝ないと。起こさないようランガは愛抱夢の額にそっと唇で触れた。

 と、そのとき後頭部を彼の手が掴んだ。そのまま引き寄せられ唇と唇が重なった。

 え?

 唇が外され、彼を見れば薄目を開けていた。

「起きていたの?」

「少し前から目は覚めていた」

 それは少々気まずい。可愛いとか言ったの聞かれただろうか。とりあえず触れないでおこう。

「俺が起こしたの?」

「そういうわけでもない。でもいつキスしてくれるのかなと期待して寝たふりしていたんだけど、額だけで終わりそうだったからね」

 彼は悪戯っぽい笑みを浮かべウインクをした。その表情に、ああやはりこの人は可愛いな、とランガは思う。

 肩に回された腕にぐいっと抱き寄せられ、愛抱夢の胸に頭を乗せる形ですっぽりと収まった。

「起きるにはまだ早いよ。こうしていてあげるからもう少し眠りなさい。僕も眠るから」

 ランガは「うん」と頷いた。

 耳を押し付けた彼の胸から、ゆったりとした心音が聞こえてくる。心が落ち着くリズムだ。全身から力が抜け強い眠気に襲われた。

 ランガは小さな欠伸を一つして目を閉じた。

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