ディジタル投影最後に至って、このゲームをプレイした人はとてつもないモノを目にする事になる。そ、ソレは………監督兄弟と名乗る、荒いドットで描かれた2体のキャラクターだった。 兄監督は原作映画のラストシーン、すなわちネオが自分を犠牲にして世界を救った事(「マーター」。martyr、殉教)について解説を始める。ところが重要な筈の言葉は早送りで飛ばされ、弟監督は兄にウザイ物でも見る様な視線を向ける。
一見この場面と続く最終決戦、原作映画がわからなかった人を「でかいラスボスとの戦い→ラスボスの完全なる破壊、ハッピーエンド」以外を受け付けない単細胞と皮肉っている様に見えるだろう。しかし、しかしだ。
だいたいもって、映画で描かれたあのザマが真にマーターなら、それが一見すると惨敗の姿であっても、否、酷ければ酷いほど程無条件に素晴らしい…という事も有るかもしれないではないか。悪魔こそもっともらしい美しい姿で現れ、神は質素な姿をとり最後は酷い目に遭って見せて人類の罪を購う、そういう意味だろう。
であるならばそんな崇高なマーター、「アクションゲーム向きではないので今回は使いませんでした」という点を差し引いても何故あそこまで最低だと笑い飛ばす事が出来る?
念の為わたしは「スーパー大乱闘」に当たるステージを何度かプレイし直し、戦いの節目節目で悉くぶっ飛ばされる、武器バトルをやらない、クレーター内でわざとネオの体力をゼロにして見る等試みたが、今の所ネオが書き換えられるシーンを拝む事は出来ていない。
結局言わんとするところは、トンでもないものが登場する点で物議を醸したあの最終決戦について監督は表向きあのように仰っていたが、本当はお楽しみオマケ以上の目的をもってやったのではなかろうかと。 ■ *1:わたしはなにも、映画におけるネオの自己犠牲や共存オチそのものを否定するわけではない。あくまで気に入らないのは、ネオが絶命した後最後の最後まで結局あそこまでした甲斐があったのか判らぬまま終わってしまったという、演出面の問題だ、演出。 |