これがわたしの世界

 最終決戦について語らせて頂こう。
 それはマーター(自己犠牲)云々より、「ネオとスミスがどんな奴だったか」に焦点を絞って派手に描かれた。

 やけに出来のいい3Dポリゴン映像から、一連の場面「メガ・スミス・シークエンス」が始まる。
 大勢のスミスがどたばたと走り出し、ビル外壁や道路をはがし持ち去る。それらはネオと戦って倒れた1体のスミスを囲む様に集まっていく。仕舞にはメガシティのど真ん中に、さまざまな破片で組み上げられた巨大な「メガ・スミス」が出現してしまう。
 この場面、「大勢でようやくネオ一人分の役割を果たす」というスミスの性質がここでまた示される。瓦礫の巨人というのもいい。
 この場面に出てくるネオの顔が映画と似ていない、という指摘がある。確かに俳優の顔の東洋的な特徴に目をつけて作られていたり、従来のイメージに比べて随分強そうだったりする。実際、元の俳優の顔から少し変えてしまっているかもしれない。
 こういうのは大胆だろうか、むしろ映画「レボリューションズ」に出てきたネオが「ネオに似ていなかった」のだと…。

 メガ・スミスに相対するネオは、ムービーにおいては投げつけられた塊を何気無く手の甲で弾き、毅然たる態度でメガ・スミスの目の高さに浮き上がる…見た目の大きさは等身大のままなのに、何というスケール感か。戦闘中においてはもっと大きな塊をいくつも拳で破壊してしまう。

 敵は瓦礫で構成された怪物であり、当然心臓など無い。ネオの攻撃が戦いの序盤で左胸に大穴を開けるが、敵はそのままずっと暴れ続け、がらんどうの胸がディスプレイに大写しになり続ける。

 メガ・スミスにある程度ダメージを与えると、メガ・スミスから時折等身大スミスが数体飛び出してネオに襲い掛かるようになる。
 しかし、様子がおかしい。時々奴らから、とても雄叫びとは言えない悲痛な叫び声が聞こえてくる。まるでこの後地面に落ちたらあっけなく死んでしまう、とでも言いたげだ。

 戦いの勝敗ははっきりと示される。

 それは単純明快な場面だった。だからこそ、原作映画「レボリューションズ」でキャラがぼけてしまったネオとスミスはここで救われた、わたしはそんな思いだ。
 そして、感動のエンディングへ続く!

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