「はっぴばーすでーとぅーゆー、はっぴばーすでーとぅーゆー、はっぴばすでーでぃあはぶかくーん、はっぴばーすでーとぅゆー」 祝福の真剣さもまちまちに、帝北大学付属中等学校寮生の歌声が和した。まばらな拍手が起る。テーブル上のケーキに刺さった15本のしょぼい蝋燭を、座の主役らしき少年が、これまただるそうな表情で吹き消した。息の弱さが災いしてか、2本ばかり灯が残って、余りめでたくない雰囲気が、むさくるしい男ばかりの5畳間を支配する。 「羽深、もうちょっと気合入れろよー」 椅子に体育座りした寮生の1人が、足をばたつかせ、面白くもなさそうに喚いた。なじられた方は、肩を竦めると、プラスチックのケーキナイフを摘んで斜に構え、すっと炎を切って薄い煙に変える。 仲間に口笛で囃されても不機嫌そうな態度は直らない。傍らに背を丸めていた大柄な若者が、見かねて小さな溜息をつくと、彼からナイフを取上げた。ごつい手でテーブルの端に積上げた紙の皿を並べ、ケーキを分けながら、ぼそぼそと話し掛ける。 「…やっつけで祝われてもうれしくないのは分るが」 「うざい、だまれ」 本人にだけ聞こえるよう低く囁かれた小言を、あっさりそう片付けた主賓は、後ろに結った黒髪を揺すると、いきなり別人のように甘く微笑んだ。 「みんな、サンキュー♪」 すぐに、いやべつに?とか早く食おうぜ?と照れたような返事が重なる。ケーキを盛り付け終えた相棒は、多少げんなりしながら、その外面の良さを眺めていた。皆日々の寝起きで、暴君ぶりを目の当りにしている筈なのに、あのスマイル1つでころっと騙されるのが、不思議でならない。 「海老原、お茶」 これだ。 帝北学院大学付属中学校バスケットボール部レギュラー、ポジション・センターの海老原大太郎は、転入以来どうやら慢性になりつつある頭痛を堪えて、ビニール袋からペットボトルを出すと、カップに中味を注いだ。 同バスケットボール部レギュラーで、ポイント・ガードを務める羽深真はといえば、自分の紅茶を手に持つと、後の雑用はすっかり図体ばかりの奴僕に任せきり、指1本動かそうともしない。だが、注目を集めるのだけは忘れず、飲み物が行き渡るのを確認すると、徐に乾杯の音頭を取る。 「じゃ俺の誕生日祝いと、全員の高等部合格を祈ってー」 唐突な掛け声に、痛いところを突かれたらしい誰かが噎せこんだ。 「バッカ、うわっ、きったねーなー!」 隣があわてて飛び退く。床に茶色い水滴が散ったのを認めた途端、部屋の主の柔和な面差しに、酷薄な影が浮んだ。騒ぎ、ふざけあう寮生の只中で、巨躯の同室者だけは不穏な徴候を察したのか、急ぎ尻ポケットからハンカチを出すと、身振りで周りへ断ってから屈み込み、素早く床を拭う。 「別にいいよ、海老原。てゆーかみんなの邪魔だろ」 冷気を引っ込めた羽深が、にこやかに制止する。 「そうそう」 「んと細かい奴だな、えびは」 大太郎はこめかみに鈍い疼きを覚えながら手巾を畳み、無言で仕舞った。まったく。いつもベッドの周りをちらかして、片付けもしないくせに、他の奴が少しでも部屋を汚したり、私物に触れたりすると、即機嫌を損ねるのだ。だったらいっそ誕生日会だの、つまらん寮の慣習などは断ればいいのに。 「海老原くーん。いちおー雑巾もってきてー」 「えびー。俺の部屋の机にカードデッキあっから、とってきてくんない?」 「あ、じゃー俺もさー上着持ってきて、椅子にかけてあっから」 際限のない要求に、仕方なく思考を打ち切ると、180cmを悠に超える長身は、部屋のどこかに頭をぶつけぬよう慎重に立ち上がった。 「うむ…分ったから1度に言うな」 次いで、真がすっと腰を上げる。 「海老原、ちょっと」 「なんだ」 「いいから来なよ」 有無を云わさぬ命令。 「お、羽深くんのお誘いじゃーん」 「うわ、やっべー犯されるぞえび」 元来晩生の大太郎は、さして毒もない冗談に大袈裟な程赤くなる。長髪の少年は、馬鹿らしそうに鼻息を吐くと、でくのぼうのように動かないで居る連れを無理矢理引き摺って、廊下へ出た。 後ろ手にぴしゃりと戸を閉め、シャツの裾を掴んだまま曲り角まで歩いてゆく。冷夏の影響だろうか、まだ9月の初めだというのに、足を進める度、服の布地を通して夜気の寒さが肌に触れた。洗面台の横、薄ら埃を被った消火器の側まで着くと、左右に首を巡らせ、他に人影のないのを検めてから、自分より1周りか2周りは体格の大きな同級生を壁へと押しやって告げる。 「次の週末さ、家に帰るから」 「…?…練習はどうするつもりだ」 「サボり。福原コーチとか杉森に聞かれたら、適当に誤魔化しといてよ」 マネージャーはともかく顧問に断りも無く帰宅するなど、管理の厳しいスポーツ校の体制ではかなりのペナルティになる。来春まで公式戦はないから、もう以前のようなレギュラー落ちの心配をする必要はないが、いつもそつのない優等生らしくもない軽率な振舞いだ。 口裏合わせを頼まれた方は、ちょっと喉を詰らせ、黙り込むと、相手の肘でつつかれてやっと、頑丈そうな顎を縦に振る。 「分った……だが、どこに行くんだ」 急に、真の細い眉が寄った。蛍光灯の明りに、日焼けした膚が照らされ、下にある筋肉が、張り詰めた弓弦の震えにも似た、微かなおののきを示す。男にしては艶かしすぎる唇が噛み締められ、やがてゆっくり端を吊上げると、どうにか強張った微笑みを作った。15歳を迎えたばかりの少年は、子供っぽいくしゃみをして後退り、普段と変わらぬ朗らかな答えを返す。 「意外と鋭いじゃない……実は、デートなんだけどね♪」 「…デート?」 「やぼだね、海老原くん。それ以上は聴かないのが、マナーってもんだろ?はい、じゃ、雑巾とカードデッキと、上着。がんばってねー」 そう云ってからかうように片眉を下げ、元来た道を戻る彼の背を見送りながら、長身の同級生は漸く我に返ると、両の掌にびっしょり汗を掻いているのに気付いて、慌ててズボンの縁で拭った。 週末の公園には人気が多かった。特に目立つのは若い母親と、小さな男の子や女の子。久し振りに覗いた晴れ間を幸いと外出したものの、午後から怪しくなるという予報もあってか、デパートや遊園地に行くのを控え、代りに燦々と陽を浴びながら、大人は世間話に、児童はかけっこや砂遊びを楽しんでいるのだった。 少し蒸し暑くなった大気に、時折、鳩の歌が混じり、まだ葉の青さを保った銀杏の大樹は、濃い匂いを立ち昇らせながら、木登りするちび共や、乳母車に眠る赤ん坊に涼しい陰を投掛ける。 金網に囲まれた狭苦しい野球練習場では、高校生らしき集団が、おもちゃフリスビーを使って、3角ベースもどきに興じていた。すぐ側には、オレンジの塗装で覆われたコンクリートの打ち放しに、白ペンキで円と直線を引いただけの、簡単なバスケット・コートが設けられている。 だん、と幾何学模様の中央で、ボールが弾んだ。 タンクトップの少年が腰を落とし、鮮やかな青と赤に染められた人工皮革の球をドリブルして、リズミカルに地面を叩いている。丸顔に広がる、花咲き綻ぶような微笑に惹かれてか、周囲には半ズボンにTシャツ姿の小動物の群が集まって、嬉しそうな金きり声をあげてぐるぐると巡っていた。 やや離れたベンチへ腰掛けた保護者は、大きな叫びが届く度、ちらっと眼差しを投げては、親切なお姉…お兄ちゃんに遊んで貰ってよかったわねとばかり目を細め、またお互い同士、あそこのご主人がどうしたの、この前どこどこで牛乳が安かったのという話に戻る。 「いくよ」 合図と共にボールが放たれ、宙にきれいな円弧を描くと、遊びの輪に入れず皆を遠巻きにしていた独りの女の子の胸へ、飛び込んだ。まるで人懐こい生き物のように掌に収まったボールを、小さな両手が持余していると、パスした少年は人差し指でゴ−ルを示し、にこっと笑いかけた。 「シュートッ」 出来るよ。そう背中を後押しされたように、キティ柄のスカートを穿いた幼いプレーヤーはぎゅっと目を閉じ、腕を大振りする。ボールは驚く程高く上がり、子供等がどよめく中、バックボードの縁を叩いて脇へ落ちた。 失敗の音を聞いた少女が、がっかりして瞼を開いた丁度その時。どこからともなく長身痩躯の影がゴール下に走りこんでくると、ジャンプしながら零れ球を捉え、タップでフープに放り込んだ。再びコートに姦しい歓声が沸き起こる。 鮮やかなリバウンド・シュート。プロでも難度の高い技術を、かくもあっさり使いこなしてのけたのは、最初の少年とさして代らぬ年頃の若者である。彼は地面に跳ねるボールを掴んで、小さなシューターの元へ運ぶと、まるで中世の騎士のように跪き、優しく囁いた。 「ナイスプレイ」 「わっ…」 少女は耳まで真赤になると、差し出されたものを抱き締めたまま、母親の下へ逃げていく。一部始終を眺めていた何人かの主婦が、知らず感歎の吐息をついた。 まぁ、なんて爽やかな… 「羽深くん?おはよー」 最初の少年がそう声をかけると、呼ばれた方はゆっくりと立ち上がる。 「やぁ、ひさしぶり」 2つの笑顔が向き合い、手と手を握る。 せっかくのゲームを中断されたちび共が、ぶーたれるのをよそに、大人は揃って、朝の公園に繰り広げられた眩しい青春劇の1幕によろめき、今時の子も捨てたもんじゃないね、と頷くのだった。 「キミってほんと、いつでもどこでもバスケだよね」 羽深真は、丈の低い<友達>の肩を抱きながら歩き出した。お姉様方へ向けてちらっと白い歯を輝かせ、同世代が聴いたら尻がむずがゆくなりそうな台詞を口にする。 「あはは♪みんながやってるの見たらついウズウズしちゃって」 全く動ぜぬ態で言葉を返す東野少年に、俄然ギャラリーは盛り上った。周りの小学生だけはちょっと気を呑まれ、なんだあれ、と怪訝そうにしながら、2人の進路から遠ざかっていく。 麗しき若人は片時も周囲への愛想を絶やさぬまま、連れをしっかりと捕まえ、いかにも親しげな様子で頭と頭を押し付けつつ、そっと囁いた。 「人を、電車とバスでン時間もかかる所から呼び出しといて、自分はのんきに子供とバスケ?いい気なもんだよね」 くすぐったさについ耳を抑えた東野は、腕時計を一瞥すると、えへへときまり悪げに首を傾げる。 「ごめん。ちょっと待ち合わせまで空いてから」 真は微笑んだまま、トーンを1つ落とした。 「…女の子の服も着てこないしさ」 びくんと、腕の中で華奢な肩が竦んだ。タンクトップから覗く肌に、熱い息を吐きかけると、あどけない面差しは酸欠になったように唇を開いて、言葉にならない喘ぎを漏らす。 「…もういいとか思ってたんだ?」 ばいっばーいっと絶叫する10歳位の男の子に、じゃーねときさくに手を振り返しながら、邪な蛇は舌先に毒を載せ、尚も先を続けた。 「無理矢理とかは、疲れるからやりたくないんだけど」 「ぁっ…のっ、羽深くんっ」 「べつに東野の顔見たかった訳じゃないし…このまま帰ってもいいかな」 「待って…」 酷く、かすれた呟き。 長髪の少年は、獲物を見下ろしながら親指の爪を噛んだ。ややあって食い縛っていた顎を開き、乾いた嗤いを作る。それからいきなり見送る沢山の親子へ向き直ると、カノジョの細い腰を抱き寄せ、尖った顎を摘んで、食いつくようなキスをした。 彼方で起る驚きのさざめきを伴奏に、ショックに立ち尽くす相手の口腔を貪って、ゆっくり舌を解く。 「…僕が会いに来たのは、アキなんだしさ」 公園から1kmほど歩いた所に有るコンビニエンス・ストアで、真はカノジョに、サーモンピンクのルージュと、マスカラ、ファンデーションを買わせた。大学生位のアルバイトは、自分で使います、と消入りそうな声でに告げる稚げな客に戸惑いながら、渡された札を3度数え間違い、結局釣の金額を誤って多めに返してしまった。 「得だよね。顔がかわいーと♪」 長髪の少年は、ファンデーションに付属したちゃちな刷毛で、連れのふっくらした頬を塗りながら、上辺だけは屈託のない戯れを投掛ける。けれどアキは神経をじかに突付かれたように、関節が白くなるまで拳を握り締め、形のない苦痛に必死で耐えていた。 「やぁっ…ぁっ」 「泣くと、崩れちゃうんだけど」 「ごめっ」 「はっ、まぁいいさ。後ルージュだけでも、それっぽくは見えるから」 「んっ…」 「買って上げたもの位、素直につけなよ。僕は穂村と違って金持ちじゃないんだしさ」 「…っ…」 真は、馴れた手付きで化粧を施し終えると、安っぽい道具をザックに仕舞い込む。なんと答えていいか分らないで居る相手の指を絡めとって、促すように引くと、行く先も決めずまた足を進めた。 「もう喋ってもいいよ」 「うん…」 また俯く。話もできない。 「何か用があったんじゃないの」 「ん…あのさ…羽深くん…あの…」 「なんで僕と2人で居ると暗いのさ?いつもみたいにヘラヘラ笑ってればいいだろ」 アキが、まるでリードを解かれた仔犬のように面を上げ、素早く頷く。限りない明るさが、あどけない顔の中心から溢れた。紅を引いた唇の所為で、本当に女子みたいに見える。 吊られて笑い返しそうになった真は、急いで掌で口元を抑えると、かたえを向いた。 土の香がする。ふと眺めれば、舗道に沿って左側に、焦茶と橙がマーブル模様のように入り混じった更地が、茫々と広がっていた。草は生えていない。 すっかり前の家を取り壊し、庭木も掘り返して、基礎も除いた上で、新しい建設を待っているらしい。どうせ出来るのは重苦しい作りの高層マンションだろうが、今はからっと何もない空間が、軽やかで小気味良かった。 地鎮祭の紙垂が風もなく下がって、神酒の瓶が2つやけに白い。 「羽深くん、来年も帝北だよね」 「当り前だろ。わざわざそのために転入したのに、受験しろってゆーわけ?」 「あはっ、ううん。じゃー春からすぐ、安藤先輩とか元Aの人達ともゲームできるんだ。いーなぁ」 仮初の少女は、真底羨ましげに感想を述べると、ぴょんと塀の跡に跳び乗り、両手を飛行機の翼のように伸ばした。器用にバランスをとりながら、細いコンクリート・ブロックの列を早足に進んでいく。 遅れた少年は急ぎもせず、ただふんと鼻を鳴らして、前髪を掻き上げた。 「さぁね。 「キヨちゃんは、どこに行っても、大会で羽深くんとぶつかるよ」 勘違いをやんわり矯めるような口調。穏かな、けれど揺ぎない確信を湛えた瞳。いつもの東野暁。 真は小走りに追いつくと、揺れる手を掴んで乱暴に抱き寄せた。アキは少し抵抗したが、タンクトップをずらして、鎖骨へ接吻し、甘噛みしてやるだけで、すぐ力を失う。 「なんでっ…こういうのっ、もうやめようよ、ねっ…んっ!…ぅっ…ぁ゛っ!?」 咬み痕を刻んでおく。後からキヨに見えるよう。 「っ…だっ…ぃ゛ぅっ!」 破滅の恐怖にひくつく喉を間近に、想いを馳せる。秘密がばれたら、金髪の元チームメイトはどうするだろう。本気で殺そうとするかもしれない。でも誰を。 「調子に乗るなよ。あの写真に有効期限なんて、ないんだからさ…」 「…はっ…ぶ…ひっ、や…痛っ……ぅぁっ」 自転車の車輪の回る音が、発作を鎮める。長年染み付いた行儀の良さのお陰だった。ヘッドフォンを耳に嵌めたサラリーマンが、MTBに跨って通り過ぎる。仕事なのかなんなのか随分と虚ろな目付きをしていた。 息を乱してへたりこもうとするカノジョの襟を捕え、少年はにっこり微笑みかける。 「帝北に来ればいいだろ」 アキは、何の申し出られているかも巧く受け取れないらしく、朦朧と視線を宙にさ迷わせていた。 「キヨちゃんは…」 「…っ、どっか、スカウトでも来てる訳?キミとキヨはさ」 「ぁっ…う…ん…キヨちゃんは帝北と後…」 「…東野は、どこに行くんだよ」 間抜けなミスだ。こっちから呼び名を違えてしまうなんて。真がむすっと黙り込むと、東野が済まなそうに笑った。 「まだ分らないけど、広島かなぁ」 つまらない嘘。仕返しのつもりだろうか。 「へぇ。全中No.1ともなると、随分遠い所からスカウトが来るんだね」 「あはは。そうじゃなくて、うちのお父さん転勤するみたい。先週聞いた時、ちょっとびっくりして、それで慌てちゃって」 ファンデーションが溶ける。見ていられなくなって、ついハンカチを出し、拭い去ってやった。 「うわわっ…ありがと…だけどさ。ちゃんと終わらせようと思ったんだ…うぷっ」 口を塞いで、ルージュも取る。ばかげた遊び。べったり赤くなったハンカチが、またぽたぽたと雫で濡れる。顔から落ちた化粧は、汚らしかった。 「ぷはっ…あの、羽深くんとはもう、あんまり会うチャンスないから。でもこれで」 「うざい、だまれ」 殴りつける為に拳を握った経験はなかった。小学生の頃から。本当だ。いつも威しだけで足りた。うっとうしい弟にさえ、手を上げた覚えは無い。ちゃんと、そつなく生きてきたのだ。ああ。 声も倒れ伏すニセモノのカノジョを眺めながら、羽深真は、1年越しの恋人ごっこが終わったのを、無感動に受け容れた。 |
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