Recollections under marriage4

自殺未遂、再来
こちらに来てある程度生活してみたけど、抵抗感だけ。

生きて行くのが目標の人にとっては、
「次は何にチャレンジしようかな」とか
「目標を到達するために何をしたらいいか」と
考えるところなんだと思うけど、
生きていくこと自体に
強烈な拒否感を持っている私には、
とてもじゃないけど、そんな進歩的なことは考えられません。

前の病院の先生と自殺はしないということを約束して退院はしたものの、
結果的にそれを裏切ることになってしまいました。

いろいろ考えたけど生きていく決心がつきませんでした。
その根本的な理由は、自分の中の両極端な自分自身でした。
一般的にいうと会社用の自分と、私生活の自分との落差。
それが一人の人間として存在することに大きな抵抗感がありました。

でも、今医者からもらっているだけでは多分致死量には達しないって考えました。
その結果、風邪薬の大きめなビンを3つ買いました。
病院の駐車場で風邪薬をビンからいっぱい飲んでいるところを
帰りがけの看護婦さんに見つかっても、自殺は不可能となると考えて、
100円ショップで小瓶を購入。
その駐車場で風邪薬、今まで医者にもらった薬、などなどを詰めなおしました。

その時の計画では、医者に行ってその後、駐車場でこれらの薬を飲んで、
その後、安定剤系の点滴。
そうこうしている間に、薬が体に回って、
手遅れになる確率がぐっとアップすると考えました。

薬を飲むまでは出来たのですが、
今となってはその時の心境が詳細に思い出せないのですが、
救急担当の先生に
飲んだ薬のことをすべて言ってしまいました。

実質そこからのことは、覚えていません。

二日間の意識不明。
気がつくと、
ICU
手に点滴。鼻にはチューブ。
愕然としてしまいました。
でも、私にしてみれば不幸にも意識回復してしまいました。
今度こそ死ねるって思ったのに・・・。

いろいろなことを考えました。
家に帰りたくない。
自分自身への持って行き場のない嫌悪感。
両親を心配させら嫌悪感。

家に帰りたくないということを配慮して内科の先生が
「入院する?」と聞いてくれましたが、
「家に帰ります」と答える私。
心境的には複雑だったのですが、話したい人もいたので、
退院を選びました。

でも、退院までの間もいろいろありました。

担当の先生を蹴飛ばしました。
先生はそれでベットにしばれって指示した。
「もうしません」って何回も言って、
ベットに固定するためのベルトはつけたけど、固定されずにすみました。
ただし。「今度したらベットに固定するぞ」って条件付。
退院したくなくという思いは強いものの、
ICUだから長期入院は不可能。
どうしたらいいんだろう。また、悪戦苦闘を考えないと・・・。

入院中に心の持って行き場がなくて、自傷行為もしました。
両方の手首のところ爪で引っかいて皮をむいて1から2cmの傷。
消毒する時痛かった。
それも誰が悪いのって聞かれたら自分が悪いんだけど、
これから先、また生きていかなくてはいけないって考えるだけで、
何となく傷つけずにはいたれなかった心境でした。
その後のこと
自分では周りの人で心配してくれる人なんていないって思っていたのですが、
心配してくれた人いたことを実感できました。

ぐーっと年下の子ですが、
毎日のように実家に電話して様態を尋ねてくれていたようです。

また、その人だけでなく、
様態を聞きたいがためにその子に連絡を取ってくれていた人もいました。
生きていても無意味、誰も気にかけてくれるはずない、
そんな気持ちが大部分を支配していた私にと配してくれたという実感は正直言ってうれしかったです。

私のためにとても苦しんでくださった方がおられて、
その方の気持ちというのは、
死にたい願望と戦うための燃料みたいな部分になっていると思います。

大量の薬のために、今まで飲んでいた精神科系の薬の服用に一時的にストップがかかりました。でも、これは今から考えると幸いです。
精神科系の薬は、車の運転に支障をきたすものも少なくないため、
服用後運転は控えるような注意書きのあるものもたくさんあります。

退院後、人生にあきらめがついたような面もあり、
薬よりも運転を選びました。
結果的に毎食後飲んでいた薬はやめ、
気分的に安定していない時の安定剤や、
寝たくてもなられないときの睡眠薬、
頭痛薬など、すべてが頓服という形になりました。
主人への感情の変化
最初の頃は、一人になることに対する恐怖感のようなものもあり、
離婚が、なかなか受け入れられませんでしたが、
自分の人生をある意味で
放棄してしまったような考えになると、
なぜか離婚も受け入れられるようになりました。

精神科に通い、カウンセリング等によって、
ひとりで生きていくことが具体的にわかってきたのかもしれません。

とはいえ、まだまだ、死にたい願望は頭をもたげる時があります。
「死にたい」というより「生きて行くのがいや」なのかな・・・って最近思うこともあります。

しっかりしているように見えて、実はその面には大きな支えのもとに、
成り立つしっかりさだったように思います。

正常だった時に近い自分が戻ってきて、いろいろ考えると、
心の中で主人に
無意識のうちに依存していた部分が多かったことがわかりました。
ただ、安定感という点ではまだまだなので、
日によって心の変動は大きくどうにもならない日もあります。

そんな時には確かにひどい行動をしています。
例えば、両親に当り散らしたり、
CDを大きな音で聞いたり、リストカットまでいかないにしても手首をカミソリで切ったりしました。
心の支えの存在
今まで、主人のみを心の支えにしていた私にとって、
その支えがなくなること自体、
生きていくことが困難だと思っていました。

でも、いろいろな面で相談を聞いてくれる人が現れました。
思考としては「
反自殺」の考えを持っておられるので、
自殺願望の強い私とは対照的です。

そんな人の意見を素直に受け入れられる心を持っていればよかったのですが、
そこまでの心を持ち合わせていない私。
いろいろな例えや、哲学的な視点などを通して、
私の気持ちに変化をもたせようとしてくれています。

あまり理論的な話が好きでないとすれば、その類の話をするのは難しいのですが、
幸いにその類の話が好きな人でした。

その人の存在によって、自分の中の
ばらばらだった部分が、
何となくひとつになり、
生きて行く時にそれに必要以上に抵抗感を抱かなくて良いのだと思えるようになってきました。

ただ、主人との大きな違いは、
主人は
愛情によって支えてくれていた面が大部分だったのですが
その方の場合は少なくとも
愛情という形で支えようとしない部分です。
最初はその親切さに混乱した部分もあったのですが、
愛情がすべてではないということも、何となく理解できるようになりました。

また、ひとりで生きていくことへの抵抗感も徐々に減ってきています。
不思議ーって思う面も少なくはないのですが、
とりあえず生活が、
主人の存在しない生活に慣れないと仕方ないかという気持ちにはなれました。

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