6月29日
まだプログラムのバージョンアップが思いつくってどういうことだろうねえ。
6月30日
そして、この期におよんでオチワードがあれこれ思いつく。
オチワードはイカ同文用に使えばいいんだけど。
いや早いうちに、ある程度気づいてましたよ。
穴を楽しむ人と、僕のネタを読む人には少しのズレがあったんだなって。
その真ん中にうまく入れたらよかったんだけどな。
7月1日
人生これすべて思い出づくり!
そういう意味じゃ、穴はいい思い出。
ゴールの日としても、なかなかいい思い出になったんじゃないかな?
雨は降ってたけど。
2日『てれび戦士誕生日集中日に』
こういうの書くときのひとりよがり度の強さは高いから読みづらくなっちゃうんだけど、と、前置いて。
一応「天てれの穴」六年やった、というのが管理人の公式な見解となります。
六年前には「穴埋め天てれ」と言ってたか、そのタイトルさえなかったかみたいな状態でしたけど。
2006年7月1日「ひょっとしてこのシステムはいけるかも?」と思ったあの日から6年か。航洋とか結実って幼稚園なんだね!?長いよー。で、当時の6年が藤本七海とか木村遼希とかか。
天てれの穴は2013年度は迎えられないんだろうなということを2011年度後半には感じてたんだけど、「管理人って立場で、外であれこれやるのも抵抗あるしな」さあどうするかなってずっと考えてました、答えは今も出てないんですけどね。
「もともと、落書きみたいなサイトだったんだから、なんならもっと落書きみたいにしちゃえばいいじゃないか」とも思った。
「事実上、管理人自ら捨てるにしても、そのままにしておいたら、また違う楽しいことが勝手にはじまるかもしれないじゃないか?その時、シラーっと帰ってくるのもいいじゃん」とも思った。
でもね、一度交流ってことでやっちゃったからね。物足りなく感じちゃうんだよね。
で、そういう雰囲気は絶対伝わる。
「2006年にはじまって、2008年度から今の形で」って気分は新しい人が来たとしたら、どうでもいいことだというのもわかってるんだけどね。これも出ちゃうんだよね。
あんまりあちこち回ることしないんだけど、時々ネット上で、他の天てれファンがどんなこと考えてるのか見るとね。やっぱり時の違いを感じちゃうんだよね。
熱いね。まだ熱々って感じがする、それと比べると「天てれは見逃したくありません」とは言うものの「ま、あとはテキトーに」な僕は冷めている。
穴に引っ越してくる直前(あくまで引っ越しと言うけど)にはもう「ネタ活動も今年度が最後」って言ってたぐらいだからねえ。
そういうのネタのアイデアの出も悪くなったな。
問題にしてもいいしソロプロジェクト「イカ同文」でネタを出してもいいんだけ、「さあ、書こうか!」ってやる気満々だったのに、数分後「あれ?僕ってこんな面白いことが浮かばない人だったっけ?」って戸惑ってるんですよ。いや、読んでくれてる人はいるらしいから、自分でつまらないって言うのもなんだけどさ。
今回も、最後に派手な問題でもやろうよ!とも思いながらね、問題の案はちゃんとあったのに、それさえ準備できなくてね。それは結構悲しいことだったんだけど。
そんなこんなで、一度打ち切ることにしました。
「終わる」って宣言してみると、いろんなことが思い出される。
ひとつひとつ書いてもしょうがないんだけど、ひとつだけ後悔を。
「大天がはじまったら危ないかもな」という予感はあったので、匿名気味サイトではあるけれど「天てれMAX終了時卒業名簿」みたいなことやってみようかなってアイデアがあったんだよね。ゆるいつながりだからそういうのは違うのかなとも思ったけど、卒業式前の寄せ書きみたいなのもいいかなって。
もしやったら、何人が書いてくれたのかわからないけどね。(どーせ、あのプログラムで作るんだけど)。
物事は同じままではいられないし、これをキッカケに天てれ視聴卒業、ネット活動卒業、穴は卒業、ってことはあると思ってました。そして、大きなうねりが実際に起きました。
終了宣言したらコメント書いてくれた人がいたけど(ありがとうございました)、僕も最初に参加してたサイトではなぜか管理人を差し置いて最後の書き込みをするなんてことになってたんだけど、しばらくそれでも放置されてて、でも実際にそれがなくなってみるとやっぱり寂しいものだなと思いました。
夏が始まるねえ。
天てれの放送がないだけに、また違った楽しみがあるんだけど、その穴がないんだ?って自分でも不思議な感じがします。
すっごくかっこわるいことなんだけど、終了宣言しておいて「やっぱ、やめるのやめ!」とか言いだしちゃうかもしれないなんて少し考えちゃうこともあります。
「みんな個人ツール(大手ツール)に移動していきますけど?この先、良い未来あるんですか?」の2004
「まだ、サイト(穴)に夢転がってるじゃん!」の2008
そして、まだ後半に何が待ってるかわからない2012
アイデアがないわけじゃないけど、本当にどうするか決まらないなあ。
結果的に多くの人を敵に回す話やる?やめとく?やっちゃうか!
このこだわりがなければ、もうちょっといろいろなところに気軽に行けるんだけどさ。
僕なんか人間の中身なんて、そう変わらないと思ってる。ここで言う中身とは物質としての中身で「殴れば痛い」「ほめられたらうれしい」「悲しければ泣く」みたいな原始的な部分での話だけど。
それを、いろいろな環境が「良い人」「良くない人」「強い人」「強くない人」「社交的な人」「閉鎖的な人」を作ってるんだと思う。あくまで物質としての人間にはさほどの差はないはず(健康体でない場合などのことは、ちょっと考察の外に置かせてもらいますけど)。
だから、たまたま環境が良くて(そして時には悪くて悪くて悪すぎて、すべてを捨てるような一本やりな態度がはまって極端になった人)「良い人」になってる人を無駄に持ち上げることにちょっと抵抗を感じる。いや、無駄になんでもかんでもそれらの人を攻撃をするつもりもないけど。努力もしたでしょう、やっぱりなんかの才能も身に付けたんでしょう。でも、それと未来に向けてやることは違う。
穴にも「いいものはいい」「わるいものわるい」って言いきれる人がいたけど。あの人はあの人で尊敬できる審美眼でしたけどね。そんなに自分の判断に自信持ってる人いるの?僕は自信がないです。間違いの連続です。そして発展の途上であるとも思いたいです。
人を説得するなら言いきった方がいいんだよ、印象操作としては、そんなことは基本と言えば基本。でもね、世の中のその印象がどれだけウソをだったかも学んだ方がいいと思うんだ。
いわゆるエラい人になろうとしてる人でなれる自信のある人はともかく、そうでない人はもっと自分のいる環境を守る努力をした方がいい。最後に平等を主張するなら、自分もそれなりのことはしないといけないんじゃないか。
僕の中に「みんな幸せだったら、僕もたぶん幸せになれるだろう」みたいな感覚があるんですよ。うまく行ってる人から学ぶのは悪いことじゃないけど、それをあんまり時にはカリスマ・時には神・切羽詰まって救世主なんて呼ぶほどの人なんているのかね?ってね、やっぱり思っちゃう。
僕に、それをやりとげる力はないだろうと思いながらも夢を見てしまう。それを乗り越えてみんな笑顔になりたい、と。
ここでいう「みんな」が厄介なんだけどさ、相変わらず。ニュース番組で「我々の生活は~」とか言われて、「我々」ってどこまで入ってるのかな?って。
ネット世界が結局、「みんな(または一般人)」と言える人が無償の奉仕をして、そうでない人にただ利益を与えることにも抵抗を感じちゃうんだよね。てれび戦士なんかでも、ひょっとしたらやりたくないのに「ブログはこの商売必須だろ」なんてやらされてる子もいるかもしれないなんてね、だとしたら板挟みだなって。
多かれ少なかれ、みんな生きてる上で不満はあると思うけど(ない人、おめでとう)、ネットがその原因とまでは言わないけど、それをさらに大きくしてしまうシステムになりつつあるんじゃないかなって。
NHKのやってることだって、もはやインターネットの環境がないなら受信料支払わなくてもいいんじゃないかってぐらいのことになってると思うんだ。いや、天てれが公式ホームページ作ったことでこの世界に連れてきてもらったみたいな僕が言うのも変だけどさ。
インターネット上に公共とかない方がよかったと思う。
サイトの数だけルールがあって。サイトの数だけ助け合いがあって。サイトの数だけ井戸端会議があって。サイトの数だけ笑顔があって。で、もし、そこにいづらいなら別のサイトに行けばいい。そういうのがよかったな。
でも、穴だけじゃないけど、その文化が続かなかった現実もふまえて僕のゲームを続けないといけないね。
それもある意味、水のように高いところから低い所に流れる物質としての人間のあり方なのかもしれないからね。多くの人は楽だったりしたんでしょうな。
パワーがあるならいろいろしたいよー。これらを不満って形じゃなくて「もっと楽しくて、もっと有意義なことがあるぞ」って形で見せてあげられたらいいんだけどさ。
そういうことを踏まえて、次の行動ねらなくちゃね。
いろいろ考える夏になりそうです。