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タイトル日本(ひのもと)民族についての考察
投稿日: 2004/07/15(Thu) 09:35
投稿者荒間宗太郎(旧BBS)
URLhttp://www8.tok2.com/home2/aramar88/
日本(ひのもと)民族についての考察
            投稿者:荒間宗太郎 投稿日:2003/11/03(Mon) 14:51 No.21


[●]日の丸に嫌悪感をもってる方には不釣り合いです. 他の素敵な処に移動してくださいね。
日本(ひのもと)民族についての考察です.


 アイヌ伝承者であった、砂沢クラさんの「ク スクップ オルシペ」
と言う本の中に、次のような伝承が紹介されている。

    彼女の祖父は村長コタンコルクルで、父親のクウカルクさんは
    明治の北海道で駅名を数多く発案した人だった。なぜ、北海道
    の地名や駅名などにアイヌの言葉で名付けられているのが多い
    のか、それはこういう先人達が、次の時代に残すべき文化の一
    端として刻んでいたのだ。新しく付けられた事。そのことを忘
    れるべきではない。アイヌの{正規の伝承者}ではないかも知れ
    ないけど、彼女の九十有余年の生涯をかけた貴重な体験を織り
    交ぜたアイヌに古くから伝わるお話の数々は珠玉の物語として
    受け止めるべきだろう。特に、下記のような言い伝えは、伝承
    されるべきではないかと思う。


--------------------------
 言い伝え によると、大昔アイヌが日本中に住んでいて、そこへ外国から
たくさんの人が入り込んできて、主に、日本の真中に住んでいたアイヌが
「混血して和人になった」ということです。アイヌが、ほんとうの日本人
の血統で、神代の時代の日本語はアイヌ語なのです。
--------------------------


 この伝承が、近代考古学や文化人類学が到達した結論と符合するのがお分かりだろうか?。
ワシが主張している、[異民族ではない]と言う主張もここにある。アイヌも又混血していることは、考古学上の発見から、ほぼ明らかなので、言い伝えの後半は学問上は間違っていると言えるが、それはどの伝承も自分を中心に(出雲神話や大和の神話とか)描かれるものだから、ちと割り引いて読まなければならないが、それにしても、前半は「的確な言い伝え」として信用出来るものである。言うなれば.アイヌの伝承の真偽にやっと学問が追いついたとも言えよう。

 つまり、アイヌ伝承も学問上も、次のように言えると言うことだ。

 超古代の日本(ひのもと)は北は樺太から南は台湾までの列島形状の島々に縄文人達が住んでいた。やがて年月を経て、この島々にやってきた人たちがいた。南から、北から。そして平和的か動乱的かはともかくとして、その人達と混血していった。列島中央部の人たちは弥生人となっていった。南の人たちもまた混血し、大陸に近い台湾はどうしても大陸中原の影響を受けざるを得なかった。北方の人たちはやがて元の圧力のもとに強い接触となり、そこでも混血が始まった。オホーツクや沿海州の人たちと。そして北海道樺太千島にアイヌとなった。それぞれの混血の時代が異なってはいたが、縄文の血を土台として、成立した諸民族であった。
これ以降. それぞれの道を歩む期間があったので 異なる民族としての意識を持ち それぞれの中での共属意識を持つこととなった。

 ワシの主張している超古代に於いては、同根の一民族として、それがあったと言う事が出来よう。ついでに言うと、ワシが(大和民族と言っても良い)ここでは日本民族と言う、と言うには理由がある。古代のこの列島には「日本」があったからだ。

 それは「にほん」とは呼ばずに「ひのもと」と呼ばれる国が.確かに存在した.からだ。
その国は、「倭」と合体(征服されたとか吸収されたとか言う表現はともかくとして)し、日本と名乗った。それにも関わらず、まだ「ひのもと」とされた国があった。
 北海道には、唐子・渡り党のほかに.日の本「ひのもと」と呼ばれる地域があった。それは史料にちゃんとある。つまり、元々の{日の本}の国が{倭}と合体するとき、それに加わらなかった日の本があったということなのだ。
 それはいつも東へ東へと後退しながらも。だから、この国が縄文の時代、確かに「日の本」と呼ばれる国があったことを意識するためにも、ワシは「日本民族」と呼ぶのだ。

 もちろん「日の本」と言わずに「日本=にほん」と呼ぶのは構わないから、「にっぽんみんぞく」とワシも言ってるけど。現在の「日本国」の日本民族ではなく、縄文時代を永く暮らした{一民族としての「日本民族」}なのだ。ワシのアイデンティティー(この表記で良かったっけ?)はここにある。
 いわゆる和人と称される人々は弥生の血が縄文の血よりも倍ほど濃いし、アイヌと称される人の血も、縄文の血よりも他から後の方が濃い というのは 十分推測される ところなので、そちらの方を重視するアイデンティティーもあって良いし、別に反対はしない。しかし、ワシのページでは、民族主義としてのものは「縄文」に於くこととする。
 ただ、何度も言うが、まだまだ「概念の組成作業中」なので、他に向かって主張できるほどの概念として固まっていないし、誤っている部分がないわけではない。ということで、しばらくは書き下ろすほどの記述がない。いずれ五年か十年位して、何とか書いてみたいものだ。


てなことで、ではでは。

...............................................................................


 産能大学の安本美典教授に依れば、下記のようにまとめることが出来るらしい。
 クマ送り儀礼(イオマンテ)は近世アイヌの文化体系のなかで、民族文化の核心として最も重要視されてきた文化要素である。クマ祭文化複合体ととらえる主張もある。クマの骨塚・祭壇は現在のところ擦文文化からは発見されておらず、アイヌ文化がオホーツク文化から継受したものとみられている。
また、近世アイヌの平地式住居チセも中央に長方形の炉があり、擦文式のカマドは消えて、オホーツク文化の影響が感じられるという。 衣服や器物に施されたアイヌ文様も、また隣接する北方諸民族のそれに類似していることが指摘されている。これらのことなどから、大陸的な北方の狩猟文化要素を受容・融合するなかで形成されたものであることが次第に明らかになってきている。のみならず、人間同士の混血も同時に進んだとみるべきだろう。


 また、早稲田大学の菊池氏も論文の中で下記のように言う。
「熊送り儀礼(イヨマンテ)は、アイヌ文化複合のまさに核心をなすものだが、こうした伝統はオホーツク文化の『骨塚』にはたどれても、擦文文化にはなぜか見られない。」とし、「現代アイヌ文化に特徴的な住居形式、葬墓制、ユーカラなど、擦文文化よりもむしろ、オホーツク文化圏の方に系譜をたどれる要素」が多いとの見解を示している。



 これら研究者によれば、ユーカラやクマ送り儀礼(イオマンテ)のような、近世アイヌ文化の中核のように思える文化要素が、オホーツク文化から継承したものとみられるというのである。
 つまり、彼らが「アイヌは異民族」と称する場合の「異なる」とは、縄文人という祖先を共有するところを重視せず、むしろ、北方種族(オホーツク文化人を含む)との文化的な混血、肉体的な混血の方を重視していると言うことになる。
 確かに縄文人を共通の祖先として、その後の展開に差違があるのなら「異なる」ものとして認識することも可能であろう。だが、それでは、彼らは「遅れてやって来た先住民」と言う事になることに気がついていない。


--------------------------------------------------------------------------------
 かつて北海道に平和に暮らしていた縄文人達の間に強引に割り込むようにして北方文化
のオホーツク人がやってきた。そしてそこに住んでいた縄文人を侵略し虐殺して自分たち
の文化圏をつくった。それが今も道北オホーツク沿岸部に残るオホーツク文化遺跡である。
 やがて彼らは縄文人達の婦女子を強姦し力づくで犯しまくって自分たちの子孫を残すよ
うになった。その子孫達は縄文人達を大量虐殺し、一人としての子孫も残さないくらいの
ジェノサイド戦争を敢行しつつ、道南を除く北海道全土を占有するに至った。そして彼ら
は北方(オホーツク)文化の色濃く反映した独自の文化地域・アイヌ文化を形成した。これ
は、今からおよそ七百年前(西暦十三世紀頃)のことであった。彼らは北海道をほぼ占有し
た勢いにのって、樺太そして黒竜江沿岸、沿海州へと侵略戦争を敢行し、当時大陸中国の
支配者であった元と鋭く対立するようになった。これは元及び明時代の記録にも残される
事となり、現在の史料研究により証されることになった。
 彼らは、北海道最初のジェノサイドの実行者達の子孫なのである。七百年前以前の平和
な縄文人達の子孫を一人残らず殲滅してからこそ、本州に広く展開する倭人達とは異なる
体つきとなったのだ。・・・
--------------------------------------------------------------------------------
 …と言うような、恣意的な(南京虐殺捏造派 のような)虐殺史観で語ることも出来ないわけではない。そして、これはいつしかウルトラ・ネオ・ナショナリストたちの利用する.お手前学説となりうる危険性がある。地政学がナチによって曲げられ利用されたように。
 
そうなっては(学問の恣意的な利用は)いけないのだ。

 学問というものは、恣意的な記述を許せばどのようにも利用の出来るものなのだから。大東亜戦争の時代を描いた左曲がりの歴史教科書を見ればこのことが明確に判るだろう。

 ワシが肉体的文化的な特徴よりも、文化人類学的な意味合いを強調し、同じ日本民族として、新しい民族史観を構築したいと願っているのも、理由はここにある。平和的な暮らしは、誰の願いでもある。だが、時として争い事は起きるし、家族以上の単位で位している場合には騒動が熱くなり戦争に発展する場合がある。それはどの民、どの時にもあったことなのだ。ただ{平和を享受していた、という歴史話}はない。オホーツク文化の痕跡が遺跡としてしか発見されないのなら、また縄文文化が遺跡以外からは発見できないのなら、それは子孫が絶えたためと言うほか無い。それが戦争の結果であればジェノサイドだ。北海道には、確かに縄文文化が、そして旧石器文化があったのだ。しかし、虐殺史観でそれを語りたいとは思わない。
 歴史は歴史観で語るものならば、ワシは民族史観で語りたいと思う。



ワシは民族定義を.

    共通の言語習慣等の伝統を共有し.帰属意識で結ばれる意識共同体

とします。


--------------------------------------------------------------------------------
    異民族見解の考古学的な研究成果が無いわけではないのですが
    疑問符も付くのです。そこで、当ページでは文化人類学上の見
    解である「帰属意識」の方を重要視します。「北海道チャシ学会」
    編の「アイヌのチャシとその世界」(北海道出版企画センター)に
    よれば、アイヌの民族としての成立は、およそ700年くらい前
    に求められるように推測されていて、これは、上記の考古学上の
    説とほぼ一致している。
-----------------------------------------------------------------------


 日本人の成立が縄文時代(ワシの推測では旧石器時代)からだとすれば、同じ祖先から枝分かれし、和人が弥生人・韓半島南部人との(人的・文化的)混血で形作られたように、アイヌは北方種族(オホーツク文化人を含む)との(人的・文化的)混血から形作られたものと推測される。
それゆえ、往々にして肉体的特徴に差異が見られることとなったわけであり、{元々は共通の祖先からである}という仮説にゆらぎはないのである。
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 参考までに言うと、シャクシャインの蜂起(寛文九年)を松前藩主の搾取に対する抵抗運動として述べられているのが一般的であるが、これは意図して流された風説であって、本来は(持てる)アイヌ対(持たざる)アイヌとの、交易により配分の再配分に関する争いから生じたのであり、その矛先をのちに松前藩に向け、和人対アイヌの図式にしてしまったのである。



いわゆるアイヌ民族というものは(近代になって)「作られた民族」であった。
(民族という概念自体が近代になって創造された概念なんだから、当たり前(^^;;)
だから民族として「先住」と言っても、それは近代に限られる。そうであれば、所謂和人達との闘争の過程が特徴づけられるべきであって、先住というものに「拠り所」を求めるのはいかがなものか。民族として異種に感じられるからと言っての謂われ無き差別の近現代の悲惨な事実を知ることは大切なことであり、それらを改善していく継続的努力が求められる。だが、 中世以前における先住については多くの疑問点がある事も認めるべきだと思う。



 コロポックル伝説というものは彼ら自身が道東に「侵略した(サヨク用語(^^;)」ことを表しているのではないか?。「蕗(フキ)の丈より小さい人間」というのは.道東に行けば実感できる。人間の背丈よりも高いラワン蕗(フキ)が自生しているのだから。彼らはそ〜ゆ〜蕗が現実にあると言うことを知らなかったから、蕗が大きいのではなく人間が小さいのだと誤認してしまった。(世界中の巨人伝説・小人伝説なんて大抵こんなもんさ)と言う事は、彼らにとっても{道東は未知の世界だった}。サヨク歴史捏造派の用語で言う「侵略」だったんだべさ(苦笑)。そこにあったオホーツク文化はアイヌ文化成立前夜に消滅しているんだよ。まさか和人が全滅させたとは言わないよね?

 近現代になってからの概念で過去を語ると誤ると思うがなぁ。侵略や謀略を中世以前の世界に当てはめる必要はないと思うよ。だから、アイヌについては近代以降についてのみ語るべきだと思うよ。そう言う先住権ではなく、近代における被差別とか謀略等について語った方が「アイヌ問題」というものを理解されると思うがなぁ。先住権を盾にとって語れば、彼らもまた{侵略者だった}と告白しなければならなくなるんだし。近現代における{差別と被害の歴史}を語るべきだと思う。そのほうがより多くの理解と改善がなされるであろう。

 同胞(同じ日本人、同じ日本民族として)の環境改善をされなくてはいけない。

 アイヌ文化というものは「交易の発達」によらなければ作り得なかった文化だった。狩猟民族と言っているのに何で「果実酒」ではなく、米を原料とする「酒」なんだか(笑)
 アイヌ文化を特徴づけるものは「移入された文化」であり、道内特有の内製したものではなかった。[オホーツク文化を「吸収した」ことによって作られたもの]であったと言わざるを得ない。


てなことで、ではでは

 なお、この問題は国内的に見てどうも左派・過激派の極端が多くて閉口しますが、

...............................................................................



まだ「概念の組成作業中」なの(^^;;

/Subject:民族は血筋ではない、帰属意識が大切なのだ  /Date:2000/12/30 20:01:23

           どもども m(__)m


 某所での会話の中で、どうしても引っかかるところがあって、よくよく読み直してみると、どうも彼らには共通しているところがあるようだ。

 それは日本民族、大和民族と言っても良い、我々の国の成り立ちについて誤解があるようなんだよね。どうも血筋というか血統的な繋がりのみに重点を置いているようなんだよ。生物学的な意味での血統としては、現段階では旧石器人達と縄文人達、弥生人達とは繋がっているともいないとも証明されているわけではない。しかしながら、歴史というものは生物学的な繋がりや地学的な領域で論じられるものではないとワシは思う。

 どう言うことかというと、現在の国境は現在にのみ有効なものであって過去や未来に対して有効性を主張出来るものではないのだから。だから、過去に於いて国境が著しく変わっていることは言うまでもないし、将来に於いて変更がなされる可能性はあるもの。

 また、血統的な意味に於いて民族をとらえようとするのは著しくその概念を縮小していることになる。民族とは血筋で表現されるものではないもの。家族の最低単位は夫婦にあることは言うまでもない。夫婦に同じ血筋を求めるのは違反だと言うのは理解されると思う。少なくとも三親等以内の場合は婚姻すら認められないのだからね。つまり、家族という民族の最低単位からして血筋はない。ではどこに構成要素を認めるのか、と言うと帰属意識に求める以外にない。自分は こ こ の 一 員 なんだという意識ね。

 どの時代のどこを見ても新たに加わる者を見て取れることが出来る。一族郎党という言葉からも判るように、血統ではなく帰属意識が大切なんだ。源氏や平家を考えれば判る。彼らの全部が全員血統として同じな訳じゃなかったのだもの、でも彼らは自分たちを一族郎党と認識していたし、また我々もそのように認識している。もちろん血の繋がりや地域の場所の共有がより強固な帰属意識を高めたと言うことを否定はしないし、時として一所懸命という言葉に代表されるような土地に繋がりを代表させている場合もある。が、それは派生的にその方が認知しやすいと言うことであって、基本はそれぞれの構成員の帰属意識であることは言うまでもないことなのね。
だから家族や民族に新たに加わる者達の血が繋がってないことが障壁となることはないの。そうじゃなけりゃ養子縁組という制度を何で発明したんだよ。養子という制度はその帰属意識を証明する制度であって、血の繋がりの代わりとするためのものではないよ。だから、神武天皇に見られるような入り婿という形は、民族として結合するために必要なことであって、婚姻そのものに対して必要なことではなかったのね。武力あるいは権力と言う力関係から言えば神武天皇の方が強大だったのは言うまでもないことなんだもの。それでも入り婿という形を取ったのは民族として合体するために必要な行為だった。ここに帰属意識という物理的ではないが、しかし基本として押さえておかなければならない概念という精神性を見て取るべきなのね。

 この基本を押さえておけば、何故我が国の天皇制が諸外国の王制とは違っているかが判る。諸外国では権力が権威と直接結びついているが為に、武力で制圧したものが権力の座に着き権威の裏付けとなった。それが千数百年前になってローマ法王が権威の座に着き欧州各国の王は権力の座に着くという分業体制が出来た。我が国は元々権力と権威とは分離していて天皇に権威があり、その時々の権力者が権力の座に着いていた。我が国の方がそう言う意味での文化は欧州より古くから実施していたんだよね。
 十字軍の遠征やその他の諸もの戦争責任を権威の象徴であるローマ法王に押しつけないで、時の権力者に責任を求めているべさ。それなのに我が国の制度を理解できなかった連合国側は未だに天皇に責任を押しつけようとしている。バッカじゃなかろうか、責任は時の権力者に付けるべきだよ、権威に押しつけてどないするんじゃ(苦笑)。

 歴史というものは歴史観で見るもの。そしてその歴史観は文化の連続性という単位で推し量るもの。そうすれば連綿として繋がる一筋の歴史が見えてくる。我が国の歴史は旧石器時代より連綿と繋がっているのだよ、もう何十万年という年月を重ねて。それなのに、旧石器時代人達は我々とは人類種が違うという莫迦な考えで否定する惚けが居るから困ったもんだ(苦笑)。

てなことで、ではでは

.................................................................................



Subject:愛国心について (自分流愚考(^^;;        Date:2001/04/19 08:34

           どもども m(__)m
to : all


-----「愛」という定義

 愛というものをまず「〜したい」という能動的なもの、つまり「愛する」と言うことが基本であり、「愛される」という形態はない、と考察する。対峙する双方が互いに相手を「愛する」という行為をすることが、端から見ると「愛し、愛されている」という相思相愛に見えるのであって、愛というものには「愛する」という行為のみがある。「愛される」という受動的な愛はないものと定義する。


-----そして「郷土愛」

 郷土愛というものは、上の定義から「自分が帰属していると意識する集団への愛」と定義出来る。すると、最小単位の帰属愛は家族愛に落ち着く。この家族愛は自然の広がりとして部族愛へと拡張出来る。我が国の部族愛としては関東武士団誕生による「一族郎党」という集団のものが顕著に観察出来る。そこには当然のこととして血族であるかどうかは意味を持たず、その一族郎党に帰属するかどうかと言う帰属意識が重要となる。また、この帰属意識は帰属する「集団からの認知」というものがあることにより達成される。このものは我々の一族であるという認知。これらのことから、拡張される最大の集団が「民族」であることは容易に思量出来る。

 ここまで考察すると、愛というものについて、次のように訂正する必要があったことを知ることが出来る。それは「愛の対象は人間である」と言うこと。我が郷土…と思い起こすものは自然環境の様々であることが多いが、その一つ一つの想い出はそこに暮らしていた時代の自分であり、自己愛を自然環境(山や川、海、草原、町並み…)に投影していることに気がつく。


-----結語の一

 そこで一応の結論として、帰属しているという「帰属意識」が「帰属する集団に対する愛」として発露するのが「帰属愛」であり、それは、家族愛、郷土愛と呼ばれるものになる。それは、地域を限定することを必要とせず、集団の存在が不可欠となる。だから、武士団や部族や民族というものはどこに離散しようともどこに引っ越ししようとも、存在する場を特定することなく集団が存在すれば存在し続ける。有名なユダヤ民族の例を持ち出さずとも理解されよう。民族集団の中にそれぞれの部族が存在してもしなくてもかまわないことも理解出来よう。複数の民族を包摂するより大きな民族集団が存在しうるし、また存在してきたと主張することも無理なことではない。それは人間集団のここの構成員による「帰属意識」が根底にあることと帰属する集団からの認知という作用が確認されればよいのだから。


-----そして「愛国心」

 対して、愛国心というものは「国家の成立によって生み出された疑似人間愛」であると定義出来る。それはより小さなものとしては「愛社精神」と言うものに探ることが出来る。これらは、どちらも「擬人化されたものに対する愛」と言うことにある。国家も会社も物理的に存在し、擬人化されていることが必要となる。つまり、国境が確定しそこに物理的な空間地域を確保している国の存在が必要であり、それが確保されていなくては国家は存在していないと認識される。会社も同様である。

 家族や民族の愛は物理的な空間の確保は必要としないのに対して、愛社精神や愛国心というものは物理的に存在するものへの愛であるところに特徴がある。法人でない会社はないし、国境を持たない国家はあり得ない。家族や民族はそのようにものを必要とせず、帰属している意識での繋がりで成り立っているから、一家離散・民族離散という物理的な離散に遭遇しても、家族・民族というものは存在しうるし存在する。会社が倒産し国家が消滅しては愛社精神も愛国心も存在していたという過去のみの記憶にしか存在することがない。



-----「郷土愛」と「愛国心」とは発露の形態、構造が異なる

 ということで、郷土愛の自然な延長線上に愛国心があるのではなく、異質なものであると言うことが出来る。愛国心というものは近代国家の成立によって生み出されたものであるのに対して、郷土愛(民族愛や部族愛・家族愛を含む)というものは近代国家成立以前の古代から存在し続けているものであり、人間の成立時より存在するものであると言える。

 単純に結論言えば、自然の人間に対する愛と擬人化されたものに対する愛かの違いがある、と言う事になる。だから、国家の枠を越えて民族愛は存在するが、国家の枠を越えた愛国心はない。日本民族としての意識は国籍を問わないけれども、愛国心は国籍に従属していなくては存在しない。在日朝鮮人の愛国心は日本に向けられてはいないが、朝鮮系日本人の愛国心は日本に向けられていなくてはならない。ワシが外国人の参政権付与に反対する理由はここにある。愛国心というものは出自(どこの民族・家族であったか)が大切なのではなく、帰属している国(国籍)が大切なのである。郷土愛というものは生まれ育った場所へ投影する自分の記憶(愛)が元となっている。


-------「近代国家」と「近代以前の国家」(近代以前には「国」はあっても「国家」はなかった)

 近代国家とそれ以前の国家の違いは、単純に言うと国境線の概念に行き着く。どういう事かというと、近代以前の国境線は「武力の及ぶ範囲」と言うことにある。だから、武力が低迷し対峙する方の武力が勝る場合には往々にして国境線は変更された。そこに侵略という概念はない。これに対して、近代国家国境線は「治世の及ぶ範囲」と言うことになる。それは武力による変更を認めない、よって侵略という概念が成立し、武力侵略らよる国境線の変更は悪となる。現代は近代国家群によって国際社会が形作られているから、武力侵略はもちろん悪であるといえる。
しかしながら、近代国家群だけではない時代のそれは必ずしも悪とは見なされない。大東亜戦争時における近代国家とそうでない国家群が存在した時代、我が国の満州や台湾への進出が我が国において悪とは見なされないのは、相手国に近代という概念が希薄であり、武力による国境線の変更が容易であるとされていたからに他ならない。事実、ロシアはバイカル湖を越え沿海州や樺太にまで触手を伸ばし、中国は満州やチベットにまで触手を伸ばしている。かの国に現在も近代という概念が存在するか疑問ではある(苦笑)。
武力の及ぶ範囲が国境線として認識しているから、チベットを平然と併合し、我が北方領土を占拠しているわけである。現在の国際間においては近代国家の概念が行き渡っているから、武力による国境線の変更はなく、それゆえ長く国連(連合国ユナイテッドネイションズ)と言う組織が成立している。国際連盟が短い生涯であったのは近代国家群だけで組織されていなかったからで、それが大戦を招いたとも言える。

 この近代国家の概念は、我が国の内部で「江戸時代にすでに生まれ育まれていた」ことは広く認識されるところであり、それは「藩」というものに見いだせる。藩は武力の及ぶところを国境線とはしていなく、治世の及ぶ範囲で区切られていた。その区切りを武力で変更することは認められず悪とされていた。
だから、明治維新以後速やかに我が国は近代国家へと変貌することが出来た。この近代と近代以前との違いを明確に認識出来ないと、愛国心というものも理解出来ないであろうとワシは思う。インターナショナルな人たちが愛国心に対して未知への不安から嫌悪感を持つのは、まさに近代という概念の欠如にある。欠如しているから、国家の枠を越えて勢い世界という荒唐無稽の国家観を作り出してしまっている。元々のそれを作った人たちに概念がなかったのはレーニンやマルクスを見れば判る。なぜなら「武力による変更」を是としているのだから。


-----「愛国心」は「国民の誕生」により発生した

 「武力による変更」が認められている時代の場合に、なぜ「愛国心」というものが成立していなかったかというと、いつでも変更可能は国境線をもって国家という意識を形作ることが出来なかったことによる。それは、武力の源泉である集団への帰属意識で賄われているから。国王に武力の源泉がある場合は国王への忠誠心となって発露する。そこに国民へというものはない。武力の源泉が国民であるという概念が成立していなかったから。
たいして、近代における国境線・国家というものは「治世の及ぶ範囲」であるから、その源泉にはどうしても国民・住民という存在が必要となる。ここにいわゆる市民という概念が成立する。市民という概念が成立すると、民主主義というものが成立することになる。個々の市民の集合として意識を待ちまとめる場合「投票」なり「議論」なりという審議が必要となるから。近代国家が民主主義を基本としているのには、こういう理由がある。
そして、治世の及ぶ範囲としての近代国家には、愛国心というものが作られてくる。作り上げている治世の集合としてまとまりある国境線の内部でそれは生まれる。武力の源泉に対する忠誠心ではなく、作り上げている治世のまとまりに対するものであり、それは物理的な国境線の中と言うことになる。
近代国家・民主主義・市民というものによって愛国心というものが成立しているわけで、けして俗に言われる封建的な力によって強制されているものではない。


てなことで、ではでは
(タイプミスが目立つけど(^^;;、)

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北海道ウタリ協会は、平成4年10月政府設置の新法問題検討委員会で、
新法の対象となる民族概念をどのように定義するのか、という質問に
対して、つぎのような意見を述べている。
すなわち 「民族の定義」については、
1)古くから北海道.樺太.千島列島を生活の本拠地にし、おもに
  狩猟.漁労.採集によって自然と共生し、固有の言葉、文化、
  生活習慣などを持ち、それぞれの子孫に受け継がれ現在に至っ
  ている歴史的事実のある集団であること。
2)アイヌ及びその家族であること,
と規定している。 (北海道ウタリ協会編『先駆者の集い』第60号,1993年)
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