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タイトルRe: 日本(ひのもと)民族についての考察
投稿日: 2004/07/15(Thu) 09:56
投稿者荒間宗太郎(旧BBS)
URLhttp://www8.tok2.com/home2/aramar88/
Subject:風土としての保守論(1)
From:管理人(A)
Date:2002/12/15 22:32
西部邁氏に反論する。

                         投稿者:無頼教師


恥ずかしいと書いたばっかりなんですけど、どうも見逃せなくて(笑)。

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 11月13日の産経新聞朝刊掲載の正論『「GHQ」史観を排すべし 米国の世界平定戦略に寄り添う奇観』における西部邁氏の主張に、私は強い違和感あるいは嫌悪感を覚えた。西部氏は公民教科書の著者でもあられる方だが、氏のエキセントリックな主張にいささか辟易とするのは私だけではあるまいと考え、あえて素人の愚論を対置し、読者諸氏の判断を仰ぎたいと思う。

 西部氏はこの「奇観」論文の冒頭で「今、保守派の論壇が奇観をさらしている。あの大東亜戦争の解釈をめぐり、中国や朝鮮や東南アジアに過度の負い目を感じるという意味での自虐史観を徹底的に批判しておきながら、最大の戦勝国アメリカの流儀にたいしては度外れに自虐的だということだ。 」と述べる。まず疑問なのが「自虐的」と称されていることが、いかなる事態を指すのかということだ。しかしそれよりも問題なのは、「自虐」という言葉の水準の問題である。この「奇観」論文のタイトルは「米国の世界平定戦略に寄り添う奇観」とあるのだから、現在の国際情勢並びにその国際情勢に対する日本の姿勢を議論するものだ、と一般の読者ならば想定するであろう。しかし「自虐」というのは新明解国語辞典によると「自分で自分を(必要以上に)いじめること。」とされている。いわば「自虐的」というのは自虐の性向を指すものであって、西部氏の議論を素直に解するならば、「日本はアメリカに対する場合自分を自分で必要以上にいじめている」ということにしかならない。こう書いてみると実に情けない主張だ。もし日本の姿勢を論ずるのであれば、自虐的ではない積極的な日本のあり方が述べられねばならないはずであるが、その答えが「単なる反米」であるとするならば、(そして実際そうなのだが)西部氏の真意は、前後左右もわきまえずただ反米を唱えればよいという反米念仏主義に帰することになるだろう。これはいわゆる「対米追従一辺倒」という主張と距離においてどれほど離れているのであろうか。この主張は宗教ではないとしても、果たして思想と呼びうるものなのだろうか。単なる私念(マイヌング)にすぎないのではないか。国内の教育問題を論ずるのであればともかく、「自虐的」という形容詞を軸にして、日本の国際関係における姿勢を議論する西部氏の態度は、氏が理性の人ではなく感情の人であることを推測させるにあまりあるものだ。外交を、国際関係を、個人の心情(あるいはルサンチマン)を基盤として議論することが、西部氏のようなキャリアのある言論人には許されるのであろうか。こういった議論は方法論として適切なのだろうか。あえて強調しておきたいのだが、私は感情の問題は無視しても良いと考えているわけではない。ただ感情のみを基礎として国家や国際社会を議論することの愚を指摘しているのだ。

せめて理性的に議論するならば、昨年のテロ事件以降、他の各国政府がどのような対応について言及はあってしかるべきであろう。各国の対応を比較検討した後に日本の対応が「自虐的」と形容するのが筋なのではあるまいか。残念ながら西部氏はそういった努力は放棄しておられるようなので、少し補ってみたい。

各国の反応の中で最も印象的であったのがロシアのそれであった。stratforの昨年の10月23日のすぐれた分析Putin's quest of the Westを下にしてロシア外交の大変換の跡をたどってみたい。結論から言えば、プーチンの対応は、少なくとも表面的にはほぼ一方的なベタ降りに等しいものであった。まず、小泉首相とは違って、プーチンは真っ先にワシントンにお悔やみの電話をかけている。プーチンが今回のテロ事件が自国に有利な事件になりうることを十分に認識していた証拠である。これをきっかけとしてアメリカに対してロシアは一方的な譲歩を続けている。まず第一に、アメリカ軍に中央アジア諸国の基地を貸し出した。以前であればいかなる勢力も中央アジアに入り込むことをロシアはよしとしなかったにも関わらずである。今回はタジキスタンでの基地の使用を促進すらした。第二に、アブハジアの分離運動をグルジアに対する牽制策として用いていたが、そのグルジアに対して平和維持軍の撤退、国連に処置を委託するという提案をプーチンは持ち出したのだ。その結果グルジアは驚喜し、アブハジアの独立派を恐怖にたたき込んだ。国連への処置の委託は従来は安全保障理事会ではロシアが拒否権を用いて反対していた。第三にウクライナに対する対応である。ウクライナはパイプラインから石油を抜き取っており、ロシアはそれに対して、8月ウクライナの経済的苦境を認め、その負債を30億ドルと認定していた。すぐに支払いは開始され、ウクライナはガスの転売をやめることを誓った。しかし10月4日のロシアのカスヤノフ首相の決定はロシア国民にとっては晴天の霹靂であった。ウクライナの負債の利子は予定の十分の一に削減され、負債も14億ドルに削減された。3年の支払い猶予期間が設定され、さらに年間50億立方メートルの信用を供与すると発表したのだ。これでウクライナはヨーロッパへのガスの転売が可能になった。さらに負債を企業負債に分類にしたために、モスクワは負債金額を受け取らない可能性が高い。第4にアメリカに対する譲歩である。NMDに対する対応では、従来であれば、アフガンでの協力の代償をNMDの変更に求めることができた。しかしプーチンはアフガンでの代償にNMDの撤回を求めないことを言明、11月のテキサスの会談で調整されることになった。NATOについては政治同盟化するのであればNATOの東方拡大に反対しないという姿勢を打ち出し、ロシアとNATOの関係緊密化を要望した。さらに2001年の初めには、パリクラブへのソビエト時代の負債の支払いを拒否していたが、10月11日に計画を前倒しして返済することをプーチンは発表した。そのほかでは、従来であれば生物化学兵器の成果を共有することをかたくなに拒否していたロシアはアメリカに炭疽菌のワクチンを提供し、キューバの無線基地の閉鎖を発表した。このキューバの無線基地はロシアのアメリカに対する情報活動の核とも言えるもので、この放棄はアメリカに対する非常に大きな譲歩であるといえよう。

こうならべてみるとロシアの対応が、ソビエト崩壊後最大の外交方針の転換であったことは容易に理解できるだろう。傍目にもこんなに譲歩して大丈夫なのかと思えるほどだ。しかし、注目すべきなのはプーチンの徹底さの度合いである。何が何でもアメリカ・ヨーロッパとの関係を修復しようとする執念が透けて見えるではないか。西部氏の気軽な反米に比べ、このような一連の譲歩策の重厚さは比較にもならない。stratforの分析はさらに次のように続けている。ロシアが西側の一員として位置付けられることを望んでいるとしても、彼の方針変更という戦略の美しさは、その深さにあるのではなくて、可逆性にある、と。キューバの無線基地の撤退をのぞけば、プーチンの政策はそのほとんどがリバーシブル(逆転可能)なのだ。例えばグルジアの場合であれば、アブハジアがなくても他に南オセチアやアドジャラといった分離主義者がいる。シュワルナゼにとって代わろうとする政治家にも事欠かない。つまり、アブハジアがなくてもグルジアを懲らしめる手段には不足しないのである。中央アジアの場合は、キルギスタン・タジキスタンはロシアが安全保障での唯一の勢力である。合衆国といえどウズベキスタンに勢力を拡大することはできない。ウズベキスタンの原油・天然ガスの輸出の12%はロシアを経由している。結論として、ロシアの許可なくアメリカは中央アジアに入り込むことはできないのだ。ウクライナの場合はそこまで露骨とは言えない。なぜならウクライナは公海へのアクセスを保持しているからだ。しかし市場ではロシアに依存しており、とりわけエネルギー消費量の80%はロシアに依存している。NATOの拡大、NMDの譲歩は、そもそもロシアが口を挟める問題ではないということがある。

結局のところ、プーチンはアメリカの成功に自国の将来をかけていなかったということになるだろう。アメリカが、ロシアの助力なしに、タリバンやビン・ラーディンの首をはねることができれば、ロシアは蚊帳の外に置かれることになる。この場合ロシアは不名誉な立場に追い込まれることになるだろう。それに対してアメリカが苦戦した場合には、ロシアだけが基地を提供した場合、アメリカに要求を出すことができる。

こういった政策の結果、プーチンが得たものは何だったのだろうか。IMFはロシアへの評価を高めた。早期の支払いは、ロシアの財政状況を改善するからだ。世界銀行は貸出額を引き上げた。アフガニスタンでの戦闘ではアメリカはロシアのインテリジェンスに依存している。それにたいしてアメリカも譲歩している。コンドリーサ・ライスはアメリカが中央アジアでロシアにとって代わる意志はないことを表明している。エバンス商務長官は、ロシアを一年以内に市場経済国家に分類するとしている。ロシアが得たものも大きかったのだ。このロシアの外交政策の大転換に「自虐」と称されるような感情的な軋轢が存在したであろうか。答えは明らかであろう。

長々と書きつづってきたが、これが外交というものだろう。このロシアに見られるように、外交とは純粋に計算の世界だ。では何を計算するのか。それは国益である。そして西部氏の頭には浮かびそうにないもの、またそれも国益だったのである。おそらく氏は日本にとっての国益とはいかなるもので、またそれを実現するにはどのような外交政策をとらねばならないかという問題に想像力を働かせる能力は持ち合わせておられないのであろう。すくなくとも正確で適切な情報の裏付けのある具体的な政策を主張するのではなく、外交に関して感情論を振り回すことは、無益どころか有害ですらある。(つづく)



西部邁氏はアメリカが左翼国家であることを指摘し、次のように述べている。

「この左翼国家による世界平定(パクス・アメリカーナ)をパクス・ロマーナになぞらえつつ歓迎する、それが我が国における保守派の傾きといえよう。帝政ローマにおける狂帝たちの出現、キリスト教徒たちの不服従、プレブス(自由浮浪民)たちの放縦、ゲルマン傭兵たちの反乱といった事実は、このなぞらえにあってあっさり無視される。これも、強者の平定にたいする弱者の屈従、という戦後日本人の性癖に由来するものといえよう。」

ここで問題になるのが、「パクス・アメリカーナをパクス・ロマーナになぞらえつつ歓迎する」「保守派の傾き」とは一体誰のことを指しているのかという点である。この点に関しては是非西部氏に指摘していただきたいものだと思う。むしろ、この文脈から推察するにローマ帝国と現在のアメリカ帝国を比較したいと考えているのはむしろ西部氏なのではないかと勘ぐりたくもなる。「強者の平定にたいする弱者の屈従」という部分からも分かるように、少なくとも西部氏の頭の中では古代のローマ帝国と現在のアメリカ帝国が二重写しになっている。しかし、私見では、現在のアメリカ帝国と比較されるべきなのはウイルソンならびにルーズベルトの野心的ともいえる新手の帝国主義である。新手の、と述べたのは、新たに植民地を獲得しようとしたのではなく、民族自決ということを唱えながらもイギリスやフランスの植民地を解体し、そのもとで国際連合、IMFといった国際機構でそれらを束ねていこうという野心的な試みであったからである。まだ19世紀の帝国主義列強諸国による植民地獲得競争のほうがまだ類似点が多い。率直に言って、ここでローマを引き合いに出すのは、その気になっているアメリカ人でもない限り、どこか間違っている。とはいえ、性急に判断を下す前に西部氏の挙げている歴史的事件を一瞥しておこう。
「帝政ローマにおける狂帝たちの出現」
これは、生前神化を要求するなど常軌を逸したふるまいが多く、暗殺されたカリグラ帝やローマ市大火にあたっては多数のキリスト教徒を放火犯人にでっち上げて焼き殺すなど暴政を続けたネロ帝などのことを指すのだろう。しかしこうした狂王の出現が、ローマに対する否定的評価につながるのだろうか。実際には、ネロの後、フラウィウス朝のドミティアヌスの専制政治を経由して、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウスといった五賢帝時代が訪れるのである。この時代はギボンによって「人類のもっとも幸福な時代」とたたえられていたほどである。ネロやカリグラは、ローマの黄金時代が幕開けするまでの幕間狂言であったとするほうが適切であろう。狂王が出現したからローマはだめだとするのは、短絡的すぎないだろうか。

「キリスト教徒たちの不服従」
これはキリスト教の原理からいえば、当たり前のことではないのか。むしろローマの側からすれば、ローマ帝国の精神的な部分をキリスト教に乗っ取られたという方がむしろ実態に近いであろう。ローマ帝国においては基本的に異教徒には寛容であった。その寛容さにつけいったのがキリスト教徒たちではなかったか。当然ローマの権威を認めないキリスト教徒は当初は弾圧されたわけだが、ローマの統治の原則に背いていたからである。このことだけを指してローマの統治の非人道性を主張することはできないはずだ。この件をローマのひどい統治の例としてあげる西部氏の歴史的センスはいかがなものなのであろうか。まあ、西部氏がキリスト教の方に愛着が深く、ローマをただけなしたいという意図なのであれば理解可能なのだが。

「プレブス(自由浮浪民)たちの放縦」
プレブスとはローマにおける平民階級のことである。わざわざ括弧付きで「自由浮浪民」と説明を入れている必要があるのか。当たり前のことだが、平民階級が常に自由浮浪民であったわけではない。これが何を指しているのか、どうもよく分からない。パンやサーカスを求め、無為に生活していたプレブスたちを非難したいのだろうか。歴史的に考えれば無為徒食をする人口さえも生むに至るほど、経済活動が盛んであったということではないのか。これを単なるローマのマイナス面とは言えないのではないか。

「ゲルマン傭兵たちの反乱」
ゲルマン傭兵たちが反乱を起こすのは、ローマの支配が非合理なものだったからなのだろうか。ゲルマン人傭兵が反乱を起こすのは、ローマの末期であるが、それはローマが弱体化していたからではないのか。それとも西部氏はゲルマン傭兵たちに何らかの正当性を見出しているのであろうか。あるいは見出したいのであろうか。

以上ローマ史のマイナス面として西部氏の主張する歴史的事件を考察してみた。結論として言えるのは、西部氏はローマ史に関しては本質的な点で決定的な無知なのではあるまいかということだ。そうでなければ、ローマ「帝国」に対する原因不明の憎悪が説明できないからである。そもそもローマとは軍事力を背景とする覇権国家の範疇から大きく逸脱した存在だった。共和制時代のローマは、最低限の防衛力とされた四個軍団を超える規模の常設の軍事力を持たなかった。共和制末期になればカエサルなどの下で事実上の常備軍ができるが、それも戦役終了までの話で、最高司令官と兵士の誓約関係の色が濃かった。帝政期にはいると、軍団の目標が攻撃から防御に変質した。内乱終結以降オクタヴィアヌスは50万人にも上った常備軍を、最終的には28個軍団16万八千にまで削減したのである。ローマの最盛期の一つともいえる帝政初期にこれだけの軍隊のリストラが行われていたのだ。ローマ時代は、過度の軍事力に依存しない平和な時代だったのだ。その意味で言うならば、アメリカの戦争を前提とした帝国主義とは対照的ではないか。

また、ローマは9月11日のテロのような事件が起こりにくい統治システムを取っていたということも、指摘しておかねばなるまい。そのことの最も良い例がカエサルによるガリア問題の解決である。ガリア戦記にも見られるように、ガリアは、カエサル率いるローマ軍と激しく戦った地域であった。しかしローマが内乱に苦しみ、その混乱がアウグストゥスによってまとめられる二十年弱の間、この地方では全く反乱らしきものは生じなかった。また、それ以降も反乱らしい反乱は起きていない。反乱を起こすのであれば、大きなチャンスの時期であったにもかかわらずである。これは第一にカエサルの解決が優れていたためであり、第二に時間がたつにつれてローマの文明がこの地にももたらされ、諸部族の生活水準が向上したためである。少々長くなるが『ローマ人の物語VIパクス・ロマーナ』(塩野七生)を引用してみよう。
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 カエサルは、征服された民族が反旗を翻すのは、民衆が自主的に蜂起するからではなく、民族の支配層が民衆を扇動するからであることを知っていた。そして、支配層が不満を持つのは、他国民に征服された結果、自分たちの権威と権力が失われるからであるのも知っていた。
 カエサルは、ガリア全土の全ての部族を温存する。根絶された部族は、一つとしてなかった。部族の温存ということは部族の根拠地の温存であり、部族の指導層の温存である。宗教も言語も生活習慣もすべて征服以前のままで続く。
 しかしそれだけでは、何十という部族間の抗争が絶え間なく、劣勢になった部族がライン川の東岸に住むゲルマン民族に助けを求めるという、ガリアの不安定の要因を取り除くことにはならなかった。それでカエサルは、四つの有力な部族に、全ガリア部族間でも指導的な地位を与えた。(・・・)カエサルを一度は追いつめたヴェルチンジェトリックスの属すオーヴェルニュ族でさえも受けたこの待遇くらい、カエサルの合理性と政治感覚の冴えを示すものはない。
 そして四部族の長には、これまた温存されたガリア全体の部族長会議、一年に一度開かれるこの会議の運営の責任も課された。四部族が勝手に独立して、覇を競い合うことにならないための策であった。
 こうしてカエサルはガリアの指導層の掌握に成功する。部族長の権力と権威の存続を認め、ローマ市民権を与え、有力な部族長には元老員の議席まで与え、ユリウスという彼の家門も大盤振る舞い、子弟達はローマに“フルブライト留学”である。(・・・)家門名を与えるということは、古代ローマでは「クリエンテス」関係を結んだということであり、日本でいう「のれん分け」に似た行為なのであった。
 しかし、カエサルのやったことはこれだけではなかった。民衆は自主的に蜂起することはなくても、不満の噴出なら自主的だ。そしてそれは、何よりもまず経済的な理由が火付け役になるのであった。
 共和制時代のローマでは、属州民には「十分の一税」とも呼ばれた直接税が課されるのが決まりだった。収入の十分の一を、安全保障費の感じでローマに収めるのである。属州民には兵役の義務はなく、軍団兵はローマ市民権所有者に限られていたからだ。
 カエサルは、収入の十分の一とて年によって税収が上下するこの属州税を、一定額に決めてしまう。ガリア全体で、年に四千万セステルティウスと決めたのだ。この額がどれほどの購買力を持っていたかについては第VI巻の408ページで述べたことだが、低めの査定額であったと断じてよいと思う。(・・・)
 (・・・)ガリア人の立場に立ってみれば、カエサルによる制覇後のガリアはどうであったろう。
 まず、部族間の争いは過去の話になった。そしてゲルマン民族の侵攻も、部族間の争いがなくなったことに加え、カエサルが二度もライン川を越えてやっつけてくれたおかげで、おそれる必要もなくなっている。その証拠に、カエサルに制覇されて以降のガリア民族は、狩猟民族から農耕民族に代わったと、アウグストゥス時代の地理学者ストラボンも書いている。
 略奪の心配もなく農耕に専念できるように変わっても、各部族内部の構成は依然と同じだった。部族の指導層の権威権力は、内政の自治から税の徴収に至るまで、公認の状態だ。そして何よりも税金が安かった。(・・・)
 これが、カエサル暗殺後のローマが内乱に没頭していた時期ですら、ガリアが平穏であり続けた理由である。研究者の何人かがあげる、カエサル個人への心酔だけで、十七年間も持つはずはない。
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 そして上に挙げた事情に、いうまでもないことだが、ローマによる道路建設といったハードウエア、ローマ法による支配といったソフトウエアが加わる。そのことによって勝者と敗者の関係が運命共同体に変わっていったのだ。
 誰が支配するのかということを問題にする民族自決の原則をひとまず無視すれば、これほど巧妙な統治があり得ただろうか。ローマの統治によってガリア地方(現在のフランス)は文明への参入を遂げたのだ。民生の向上につながる安定した統治とは、賞賛されることがありこそすれ、西部氏のように批判の対象にすべきものではない。その意味でローマは歴史的存在でありながら、また規範的存在でもあり続けているのではないか。例えば、現在のフランス人がローマ人の統治を野蛮で唾棄すべきものとかんがえているであろうか。そんなことがあるはずないではないか。帝国と聞けば、ローマ帝国を思い浮かべ、あたかもローマ帝国が「強者の平定にたいする弱者の屈従」という単純な文句で了解可能な非人間的な体制であったと夢想するクセは直された方がよいのではないか。とにかく現在のアメリカと古代ローマ帝国を混同するのはやめていただきたい。

P.S.いろいろ長々と書きつづってきましたが、素人の戯言にすぎません。西部氏の考え方を私なぞより遙かに理解しておられる方もおいでのことと思います。思い違いや勘違いも多々あると思われます。お手数ですが、そういった点をご指摘願えれば幸いです。それから、また別の角度からPart3が続く予定です。



:長谷川三千子氏の論文を読んで
                        :無頼教師



長谷川三千子氏の論文を読んで、違和感を覚え、書きためたものがありました。後でよく読んでみると、論理が飛躍しており、ひどいものでした。その修正版を投稿します。

長い忘却からの覚醒にむけて   

長谷川三千子氏の長谷川三千子氏の「『アメリカを処罰する』というメッセーヂが日本人に突きつけたもの」を読んで


 9月11日の事件は、あまりに衝撃が大きかったために、いかなる意味があったのか、未だにまとまった議論は見られない。事実のほうが先行してしまい、我々の方がすっかり取り残されてしまったような観すらある。しかし、誰しもが共通して心に思い描いたことはあるに違いない、このような事件は悪魔の所業である、ということだ。後世の歴史家は事件をどう評価するのだろうか。興味のあるところだ。その意味で、今年の2月号の「正論」に掲載された長谷川三千子氏の「『アメリカを処罰する』というメッセーヂが日本人に突きつけたもの」は、示唆に富み、興味深い指摘が見られた。同時に現代の日本が抱える典型的な問題も、作者も気づかぬところで図らずも明らかしているように思われる。すこし長くなるが、引用してみよう。

 「青空を背に煙を巻いて崩れ去るあのツインタワーの映像を見た多くの人が「創世記」のバベルの塔を連想したと述べているのは偶然ではあるまい。「創世記」の中に登場するバベルの塔の物語は、神が人間の傲慢と増長の罪をとがめて、人々の言語を乱し、塔の建設を止めさせた話として知られている。(・・・)この物語はヨーロッパの絵画の歴史の中でもしばしば画題に取り上げられ、その中には、十六世紀のアントニスゾーンの版画のように、天からのラッパの一吹きによってバベルの塔がガラガラと崩壊するさまを描いた作品まである。(・・・)こうした図像は、この物語を人々がどんなイメージで受け取ってきたかを正直に表現していると見ることもできる。そうした「図像的伝統」とも言うべきものを背景として、あの九月十一日のツインタワー崩壊の光景を眺めるならば、それが意味するところはあまりに明らかである。あの全世界に放映された映像は、言葉で語る以上に明瞭に「これはおごり高ぶるものへの神の処罰である」というメッセージを叫んでいたのである。世界中のテレビ局がこの映像を繰り返し、繰り返し、何度も映し出しているときに、アメリカ政府は突然、国内のテレビ局に、その映像をそれ以上放映しないように自粛を求めた。表向きの理由は、子供達が怖がってうなされるといけないからということなのであったが、その本当の理由は政府にもテレビ局にもよく解っていたはずである。つまり、このツインタワー崩壊の光景を繰り返し放映するのは、スポットコマーシャルで「アメリカは処罰された」と流し続けるようなものなのである。従って、これを規制するのはアメリカ政府としては当然の措置なのであるが、同時に、アメリカ政府は、この規制によっていわば自ら「このメッセージを確かに受け取った」と公式に告白してしまったのであった。(・・)この事件の実行犯達はすべてイスラーム教徒であり、彼らの聖典のうちには、ユダヤ教の「律法」(いわゆる旧約の一部)もそのうちに含まれている。つまり、イスラーム教徒もキリスト教、ユダヤ教の信者も、皆共通してこの「創世記」の世界を自らの精神世界の一部としているのである。言うならば彼らはこの「共通語」によってアメリカにメッセージを語り、アメリカ国民もまたこの「共通語」によってそれを受け取り、理解したのである。」氏の指摘は、旧約世界という共通した精神基盤の中で見事に対話が成立しているということにつきるだろう。この精神文化を前提にして考えるならば、「アメリカに天罰が下った」という表現は十分に成立するに違いない。長谷川氏のこの分析が人間の精神性、歴史性に踏み込んだ的を射た絵解きであることは、誰しも認めることであろう。

 つまるところ、この事件が提起している問題は、この神罰を下したのが人間であったという点にあったのではないだろうか。人は天罰の名のもとに人を裁けるのか、いやもっと正確に言えば、テロリズムによって大量殺人に及ぶことが許されるのだろうか。少なくとも宗教という観点から見て、こう言った大量虐殺を肯定するものはない。あるとすれば宗教の衣をまとった何らかのイデオロギーであろう。そのイデオロギーの別名こそ原理主義に他ならない。原理主義を一言で説明すると、「これしかない」と信じ込む心性であるといえるだろう。アメリカも「市場至上主義」という原理主義を信奉しているのだから、その意味でやはり今回の事件は原理主義vs原理主義の対立であったということができる。とはいえ、いかなる観点によっても、我々自身が原理主義の虜にならない限り、こういった大量虐殺は是認されないことは確かである。潮匡人氏も同じ号の正論で述べておられるように、イスラム教やキリスト教は、その経典による限りは、テロリストとは対極に位置する。なぜなら、最終的に悪を裁くのは人間ではなく、神だからである。ここで人間が神に変わって人間を罰しうると考えることこそ、人間の傲慢なのではなかっただろうか。

 しかしなんということだろう。長谷川氏の議論はここから奇妙な論理の飛躍を見せるのだ。長谷川氏は次のように述べる。「田久保氏も、ビンラーディンの発言に関して「非戦闘員を大量殺害したという点では広島・長崎の原爆は極めて許せない行為ですが、日米はあの時戦争をしていたのです」という言い方をしている。つまり、我々はどこまでも人間同士の戦争の次元に立つべきであって、神の立場から処罰を下すという態度は不健全である、という考え方である。こうした考え方は確かに健全なものである。けれども、このような健全な考え方が、一方では、戦後の日本にある思考停止状態を生み出した、ということもまた事実なのである。そしてその思考停止が、物事を事実に即して客観的に判定するかわりに、すべて感情の次元で処理しようとする、という悪癖を生んできた。」確かに戦後の日本にある種の思考停止とでも呼べる状態が存在していることは確かだろう。しかし、その忘却をもたらしたのは、果たして「健全な考え方」なのであろうか。少し慎重に長谷川氏の謂わんとするところを読みとってみよう。
整理すると

1.神の立場から処罰を下すという態度は不健全であるとする考え方は、確かに健全なものであるが、このような健全な考え方が、一方では、戦後の日本にある思考停止状態を生み出した。

2.その思考停止が、物事を事実に即して客観的に判定するかわりに、すべて感情の次元で処理しようとする、という悪癖を生んできた。

となるだろう。

 まず命題1について。この部分の思考の過程を補って考えてみたい。神の立場から処罰を下すという態度を不健全なものと考えるのであれば、原子爆弾も東京裁判も、戦時中・占領下の出来事として、その意義、価値について、思考停止に陥ってしまう、ということだろうか。原文になかった「意義、価値」を挿入したのは、原子爆弾が投下されたという事実を日本人ははっきりと覚えているし、その事実の確認の点で思考停止はしていない。むしろ、その意義を考察するという点で、思考停止に陥っているとするならば文脈的にも理解ができるからである。

 次に命題2を考察してみよう。その思考停止が、全て感情の次元で処理しようとする、という悪癖を生んできた、という部分は実によく理解できる。まさしくその通りと叫びだしたいほどである。しかし、ここからが問題である。物事を事実に即して客観的に判断するとは、歴史的事件の「意義、価値」を考察するということになるのだろうか。物事を事実に即して客観的に判断するとはどういうことだろうか。この場合は省察の対象が歴史であるわけだが、客観的な歴史という場合、少なくとも歴史的事件の経過とその因果関係を含むことになるだろう。もし歴史的事件の「意義、価値」を考察するということが、その事件に対して義憤を生じさせる、あるいは結果として生じさせるということだと考えるならば、この考察の内容は「アメリカは、こんなにひどいことをしたのだから、アメリカは我々日本人による神の罰を受けるべきだ。」ということになる。そうだとすれば、これはテロリストに対する心情的な傾斜としか見えない。これは、理性的態度といえるのか。神の立場から処罰を下すという観点に立たなければ、原子爆弾の投下についても思考停止が生じてしまうということなのか。歴史的事件の「意義、価値」を考察するという行為はやはり理性の枠内で行いきれないものなのだろうか。

 このような長谷川氏の主張には、納得しがたい。その理由は、「思考停止」という事態を長谷川氏が誤解していた点にある。日本人は、復讐心を忘れてしまったがゆえに、その意義も忘れてしまった、という主張は誤っている。思考停止という事態がなかったわけではないが、思考停止というよりは、むしろ思考の切り替えといった方が適切に思えるのだが、その思考の切り替えを生み出すに至った状況への認識が、長谷川氏には欠けているのだ。まず挙げねばならないのが、ウォーギルトインフォメーションプログラムなどに代表されるアメリカの占領政策によるものである。極東裁判はその頂点をなすものだろう。いわばアメリカによってアメリカに都合の良い正義を移植されたわけだ。そしてとどめが新憲法であったことは言を待たない。しかし、それだけが原因であったわけではない。日本人の側にも主体的な思考の切り替えに至る原因が存在した。それは第二次大戦における敗戦の真の原因が結局理解できなかったために、日本が戦前掲げていた大義に裏切られたという感情を日本人が持ってしまったということだ。全ての日本人がそのように都合良く考え方を変えたわけではなかったのだろうが、そう考えて、左翼に転向した知識人も多かったのではないか。戦後日本人が考案した敗戦の原因は、アメリカの物質力に負けたというものであった。科学技術に負けたとする観点もあっただろう。その後の日本の経済並びに科学技術の分野での発展は、この反省があったからこそと見るのが妥当だろう。

 日本人が思考停止に陥った原因が、アメリカの占領政策と日本人の失望によるものであったとすれば、テロリズムに啓発されて改めて日本人の復讐心に火をつけるという行為は、理性から遠ざかるという意味で、火に油を注ぐということになりはしまいか。改めて復讐心に火をつける前に、大東亜戦争のあり方というものを、そして近代日本というものを、客観的に見直す事が必要なのではないか。

 では、日本人はどう反省すればよいのだろうか。それはまず戦争のそもそもの大義には誤りがなかったということを確認することであった。戦争が戦われるのは、国益もしくは大義の衝突といった原因があるからであり、戦争の帰趨を決するのは、その戦力と戦略の巧拙による。近代史の経験が教えるのは、戦争に絶対的な悪も、善も持ち込んではならないという原則である。善や悪を持ち込んだ戦争は、人間性を逸脱した悲惨な戦争になるというのは、ヨーロッパにおける宗教戦争、フランス革命におけるバンデの聖戦、アメリカにおける南北戦争が十分に明らかにしてきたことである。アメリカは自国中心の国際秩序構築のためにこの原則をあえてやぶったのだから、歴史的にはもう少し非難されてもよい。一方で日本人の側からすれば、戦前の大義を信頼し続けることもできたはずである。しかし敗戦という圧倒的現実を前にして、それもかなわなかったのであろう。それに敗戦原因の無理解がだめ押しをしたのである。このように考えると、敗戦原因の戦略的分析こそが出発点でなければならなかったのである。

 敗戦原因の戦略的分析とは戦勝国の立場からみてこの戦争が如何に戦われたか、何が勝利の鍵だったのかということである。敗北した日本の側から何が欠けていたのかばかり議論したところで溝は永遠に埋めることができまい。たとえば日本軍の南インドシナ進駐が御前会議で決定されたのは、1941年7月2日のことであったが、英国はこの情報を6月25日には入手しており、7月7日の英国政府の閣議では、まだ実行されていない日本軍の行動に対する対応が協議されていたのだ。戦前の日本人に何らかの誤りがあったとすれば、冷静に国際情勢を分析し、情報を収集、それを外交に反映させるという地味ではあるが重要な努力を怠った点ではないだろうか。その意味で言えば、平沼騏一郎内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」と述べて総辞職したのは、噴飯ものでしかない。戦後は戦後で、日本国内は冷戦状況の下での米ソによる格好の情報工作の草刈り場であった。例えば、かつて一世を風靡した新左翼運動も、実際にはCIAによる左翼の分断工作であったことが、多くの証言から今や明らかになっている。しかも日本人はそういったサボタージュ活動にとんと無関心なのである。思考停止をいうのであれば、むしろ「健全な考え方」の欠如によって、生じたという方がむしろ実態に近いのではないか。やはり英米が如何に日本を敗戦に追い込んだのか、彼らの勝利の鍵は何であったのかということを理解することから、出発するしかないのだ。

 とはいえ、長谷川先生がこのような主張をされる動機も十分に理解できる。自らの正義を不当に貶められた人間にはかならず怨念が渦巻く、というのがこの世の常である。アメリカをうらむ怨嗟の声は尽きない。ある意味で今回のテロ事件もそうした怨念が物質化したともいえる。その中でアメリカは国が存続する限り、自らの正義を主張し続けるであろう。振り返って日本はどうか。そうした怨念じみた感情などは皆無である。この日本には荒涼とした精神の砂漠が横たわっているばかりだ。怒ることもなければ、嘆き悲しむこともない。ただなんとなく生きているといういわば精神の牢獄のような場所に成り果てている。日本は国家としても、その文明としても没落の縁にある。この衰退をなんとかおしとどめ、日本文明の復興を図りたいというのが、おそらく長谷川先生の真意であろう。

 しかし、日本文明の復興は、なによりもまず、理性の復興でなければならない。そして既にほとんど忘却されたとも思える、日本の大義の復活でなければならない。そのためには、歴史の再検討がなによりもまず必要なのである。「アメリカを処罰する」と唱える前に、我々にはなすべき事は多いのだ。
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