ゲームのミカタ

…真面目にゲームについて考えるコーナーです。つまらないかはともかく、 長くて堅っ苦しいので、暇な人だけ読んでください(>_<)。

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第二回 『現代美少女ゲーム概論T』

1.美少女ゲームとマルチシナリオ

 まず、ここでいう「美少女ゲーム」というのは、単なる「アダルトゲーム」 を指すものではなく、ときメモのようなアダルト要素のない「恋愛ゲーム」なども 含んでいる、というものである。それを確認したい。

 美少女ゲームには大きく分けて二つのタイプがあると思う。 一つは、マルチシナリオのもの。もう一つは、そうではないもの。 マルチシナリオの走りといえば、スーパーファミコンのRPG大作、 ロマサガ・シリーズであろう(これは勿論「美少女ゲーム」ではないが)。 そこから紆余曲折を経て、今や「『美少女ゲーム』と言えばマルチシナリオ」は、 さながら暗黙の了解である。 読者諸兄も、雑誌やウェッブサイトで「マルチシナリオ要素が少ない」という愚痴や、 不満を目にしたことはないだろうか。或いは、書いたという心当たりのある方も いるかもしれない。そのくらい、マルチシナリオというものは、今や 「美少女ゲーム」にはなくてはならない要素となっている。 今どきマルチシナリオではないのは、脱衣麻雀に代表されるような、 とにかく全員を攻略しまくるゲームくらいであろう。

 そもそも、何故マルチシナリオがこれほど定着したのだろう。 それはマルチシナリオが「美少女ゲーム」の性質と、切っては切れない関係にあるからだ。 考えても見て欲しい。 「美少女ゲーム」を手にした、ユーザーが最初の目標とするもの。 それは好みのキャラと結ばれたい、そのキャラのエンディング (或いはエッチシーン)を見たい、というものではないだろうか。

 以前はそうではなかった。一本筋の通ったシナリオがあって、 その過程でヒロインのキャラに見せ場があり、そこに「萌える」という形が一般的だった。 ところが、ご存知のように現代では非常にユーザーの嗜好が多角化している。 メーカー・ブランドは乱立し、老舗メーカーですら、その地位は安泰ではない。 内容を薄くしてまでして、10人以上のヒロインを乱立させた作品もあったし、 シナリオをハッピーエンド・サイドとダークエンド・サイドに分ける作品は未だに根強い。 メジャーになっているものでさえ、メインヒロイン3〜6人+αといったのが一般的である。 これだけヒロインキャラを乱立させて、マルチシナリオにしない、 というのは自殺行為である。

 しかし、マルチシナリオも一種の自殺行為ではないか、という懸念も否めない。

2.マルチシナリオはキャラクターを殺す

 シナリオライターにとって、マルチシナリオは屈辱である。 歴史に「たら・れば」がないように、大作とか名作とか呼ばれるものにも「たら・れば」は 存在しない。だからこそ、よりいっそう悲劇が際立つし、主役も輝きを放つ。 これがマルチシナリオだったらどうだろうか。 病気で死ぬキャラも、別のシナリオで助かるのならば、悲しみは半減する。 自分に不都合なシナリオには、目を瞑ればいいからだ。 こういうことを繰り返させるようでは、ユーザーの「人間性」すら殺しかねない。 人は「たら・れば」に強く憧れるからこそ、そしてそれが叶わないからこそ、 努力を重ね、時には悲しみ、喜びもするのだろう。 歴史としてもシナリオとしても、一大ドラマとなっている「新撰組」が好例である。 剣豪として隆盛した近藤や土方、沖田らがあれほど悲劇的な最後を遂げたからこそ、 そこに「たら・れば」がないからこそ、人々は憧れ、涙を流すのである。

 しかし、これはモノラルシナリオが大前提の映画やTVドラマ、戯曲、 アニメ、漫画、小説……そういったメディアだから自然と受け入れられるのである。 ゲームは違う。ユーザーがキャラクターを操作し、 自分の手でシナリオを進めていくことに醍醐味があるのだ。 その証拠に、ゲーム性を求めるとモノラルシナリオでは寂しい、という問題が浮かびあがる。 それが最も顕著に、避けきれないのが「美少女ゲーム」ではないだろうか。 かといって、安直にマルチシナリオに答えを求めるのも、「答え」とは思えない。

 Lair-softの「Angel bullet」は答えの一つを示唆していると僕は思う。 これは、完全にマルチシナリオの話である。 4人のヒロインがいて、それぞれに個別の敵、エンディングが用意されている。 ここまでは普通のゲームである。 ところが、メインヒロインの一人は、どんな選択肢を通ろうと、 全てのシナリオで死んでしまう。 当時はかなり落ち込まされたものである。 当サイトのレビューにおいても、 そのことを根に持って、評価を一段階下げたほどだ(笑)。 僕のレビュアーとしての倫理観は一先ず置いておくとして、 ここで重要なのは、それだけ「心を動かされた」ということだ。 もし、選択肢やパラメーターによって、彼女の命を助けられるものならば、 これほどまで感動することはなかったであろう。 僕がいいたいのはそこである。

 また、プレーヤーが操るクラウスは、どんな選択肢を通ったとしても 「マゾで変態でセクハラ魔王だが、根は真面目で決めるときは決めてくれる奴」 というパーソナリティを逸脱しない。 このように、主人公(=プレイヤーが操るキャラ)の性格がしっかりと立っている というのも、大きな要素である。 確かに、一般的な「このルートでは悪役になろう」「このルートは正義漢でいこう」 などと自由に役柄を作っていける主人公は、口当たりが良い。 しかし、そんなコロコロパーソナリティが変わる、 のっぺらぼうに感情移入してシナリオを楽しめるだろうか? 否、である。 この点から言っても「Angel bullet」は成功であった。

 これは「キャラもとりつつゲームもとった」という好例である。 しかし、現状ではやはり「萌えキャラ」を多数配して、それぞれに独自のルートを 与えるのが主流である。 これでは、ゲームは楽しくても、使い捨てのキャラが大量量産、大量廃棄され続け、 物書きの端くれとしても、いちファンとしても非常に悲しい。

 もちろん「Angel bullet」だけが決して正しい「答え」というわけでもないだろう。 ただ、一つ確実に言えることは、歴史上、 マルチシナリオから名キャラクターは生まれていない、ということだけである。 確かに、マルチシナリオでなければ、「美少女ゲーム」のゲーム性は極端に落ちる。 幅広くセールスしていかなければ、メーカー生命も危ない。 しかし、それでも僕は「答え」が量産されることを願ってやまないのである。 一人のゲーマーのワガママである。


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