ザックスはオレのことなんか忘れてしまって…それでも普通に生活している。
あの実験の日から時が止まっているのはオレだけで、ザックスはオレがいなくても何の不自由もなく過ごしている。
オレと出会う前に戻っただけ。オレの存在なんて、ザックスにとっては何の意味も持たないんだ。オレがザックスに依存しているだけで、ザックスは…。
* * *
その日の夜。翌日受ける講習の準備をしようと教本をカバンに詰めようとしたが、肝心の本が見当たらない。
「……?」
自室を手当たり次第探すが見つからない。どこに置いたか記憶を辿る。そして思い出した。ザックスの部屋に置いたままだ…。
取りに戻れば、ザックスと顔を合わせることになるかもしれない…。
どうしようか迷ったが、今の時間帯なら外に出ているか、部屋にいたとしても入浴でもしているかもしれない。不在であることを祈りつつ、寮を抜け出しソルジャー専用兵舎へ急いだ。
恐る恐る玄関のドアを開けると、ザックスは外出中のようで部屋の中はしんと静まり返っていた。それでも忍び込むよう音を立てずにリビングへ向かった。浴室も暗く使用している形跡はない。人のいる気配がまるでしなかった。そこまで確認してやっと息を吐いた。
リビングを見回してみると、部屋に残してきた私物が結構あることに気付く。様子を見てここに残した荷物を全て持って行こう。もうここに戻ってくることも…ないだろうから。
泣きそうになりながらリビングの本棚を探すが見つからない。おかしい。教本の類ならここに入れていたはずなのに。早くしないとザックスが帰って来てしまう。慌てて本棚以外にないか目を配らせる。
そしてソファの前にあるテーブルへ目を向けた。テーブルのラック部分にお目当ての本が入れっぱなしになっていた。
よかった…早く寮に戻らないと。
ソファに腰掛け、それに手を伸ばしたその時だった。
玄関から聞こえて来たドアの開く音。その瞬間、まるで石になれと暗示でもかけられたようにそのまま固まった。
どう…しよう……。
帰って来てしまった。
床を踏みしめる足の音と連動するように心臓が大きく脈打つ。
久しぶりに間近で見るザックスの姿。でも顔を見ることが出来ず、ザックスから視線を逸らした。
「…あれ?お前…」
思いがけない"来客"にザックスは呆けた声を上げた。
ここの合い鍵をくれたのはザックスで、自分がここに出入りしていたとしてもそれは咎められるようなことじゃない。それでも家主と居合わせてしまった空き巣のような、何とも気まずい雰囲気になる。
「あの、忘れ物、したから…取りに来ただけで…」
おどおどとザックスの様子を窺いながら話す。もう何年も会話を交わしていないようなぎこちない喋り方だった。
ザックスは必要以上に委縮するオレに大げさにため息をつくと、
「別に取って食いやしねえよ」
と不機嫌そうに言った。そしてオレの存在を無視するかのようにそのまま寝室へ向かった。
側を通り過ぎた時、ザックスからアルコールと微かに香水の匂いがした。…昼間、八番街で一緒に歩いていた女性と飲んでたのだろうか。女の人とはもう飲みに行かないと言っていたのに、ここのところずっとこうなんだろう。
やっぱりもう、ダメなのかもしれない。
ソファに座ったままそんなことを考えていると、開けっぱなしになっている寝室のドアに身体を預けながらこちらを見つめるザックスの姿が視界に入った。腕組みをしながらオレを舐めるように見つめている。早く出て行けということなのだろう。
用件を済ませてさっさと帰ろう…そう思いながら教本に手を伸ばそうとしたところで、突然声をかけられた。
「ルームメイトなんだよな、オレたち」
ザックスは寝室に視線を向けたまま話しかけて来た。あの時言われて咄嗟についたウソだけど、今更何の意図があってそんなことを聞いているのかわからなかった。
「ただのルームメイトなのに一緒に寝てたの?」
心臓に何かがグサリと突き立てられたような感じがした。
ザックスの視線の先にあるのは、二人で共用していたベッド。ここは元々ザックスがソルジャーになった際に会社から宛がわれた一人用の部屋で、当然寝室は一つしかない。そしてそこに備えられているのは大柄なザックスでも余りある大きさのセミダブルベッドが一台。
そこで同居していたというのであれば、どういう関係の人間が暮らしていたのかは子供でもなければわかることだ。
射抜くような視線を感じ、俯いていた顔を上げるとザックスが値踏みするような顔でこちらを見つめていた。
「お前ってよく見るとかわいいよな。…女の子みたいだし」
ずいとザックスがソファに近づいて来る。舌舐めずりをするその仕草がやけに淫猥で…。
―――怖い……。
思わずソファの上で後ずさりすると、迫ってくるザックスに端へ端へと追いやられ、ついに鼻先がつくくらいの距離を詰められた。
笑顔なのに怖かった。優しかった魔晄の瞳が妖しく光っている。まるで獲物を狙う獣のように。
「こ…来ないで……」
追いつめられた小動物のように逃げるオレにザックスが優しく囁く。
「何で逃げんの?」
「やだ!」
手の甲で頬を優しく撫でられるが、それがひどく心地悪くて手を払ってしまった。
「…冷てーな。オレたち"コイビト"同士だったんだろ?」
恋人同士だと言われればその通りだけど、肯定することが憚れた。だって今のザックスはオレの知ってる"ザックス"ではなかったから。
昼間カンセルさんが言ってた別人のようだと言ってた言葉の意味を今理解した。
「こういうこともしてたんだよな?」
「!?」
顎を捕らえられ、無理やり口づけられた。
「んっ…んー!んう!」
舌を差し入れられ、口腔内を掻き乱される。それはいつもしてくれたような甘く蕩けそうなキスではなく、全身が凍りつくような冷たいキスだった。
耐えきれずに差し入れられた舌に噛みつくと、ザックスは顔を歪ませて口を離した。
「っつ…」
眉間にしわを寄せ、あの冷たい瞳でこちらを見据えると、いきなり頬を叩いてきた。パンと破裂音が耳に響き、叩かれた左頬が熱を帯びて腫れあがる。
ザックスがオレの上に覆いかぶさり、両肩を掴んで自身の重みでソファに押さえつけてきたので、また殴られるのだろうかと身構える。
「な、なに…なにするの」
「いつもしてたことするんだよ」
―――犯される。頭でそれを理解するのがあまりにも遅すぎた。
「…っ!やだ!離して!」
身体を捩って抵抗するが、訓練を積んでいるとはいえ一般兵ごときがソルジャーの腕力に敵うわけもなかった。
「暴れんなよ。クラウド」
久しぶりに名前を呼ばれ…ぴたりと動きを止めてしまった。それに気をよくしたのか、ザックスが耳元に口を寄せて囁く。
「お前だってオレとするの久しぶりなんだろ?一緒に気持ちよくなろうぜ」
「やだ!やだやだぁ!!」
必死に逃げようともがくが、筋肉に覆われたザックスの身体はびくともしない。いい加減面倒になったのか、ザックスはオレの着ているシャツを力任せに破り裂いた。
「ひっ…ザックス助けてっ!」
喉が嗄れるほどに叫び声を上げるオレをザックスは静かに見下ろしていた。
「何言ってんだよ…ザックスはオレだろ?」
ちがう…ザックスじゃない……
「やだあ!!ザックス!ザックス…っ」
泣きながらそこにいない"ザックス"に助けを求めるが、目の前のザックスは残酷な笑みを浮かべたままオレを見下ろしていた。