昨日の倉庫整理の件は待ち伏せしていた連中のでまかせだったようで、後で上官になぜ警備の仕事をサボったとお叱りを受けた。
何があったか言うわけにもいかず、体調が悪くなって休んでいたとごまかして平謝りした。結局今日は休みのはずが、罰として午前中、本社ビルの警備をするよう言いつけられた。
その警備の仕事が終わる頃、カンセルさんがやって来た。カンセルさんと顔を合わせるのはザックスの部屋を去った日以来だった。
「まだ…思い出さないんだよな」
無言でそれを肯定すると、カンセルさんはオレの横に並んで壁に背を預けて話しを続けた。
「何かこう…違和感があるんだよな。記憶は戻ってるけど、前のアイツと違う気がして」
あれからザックスと話はおろか顔も合わせていないので何がどう違うのかオレにはよくわからなかった。
そうだ。戻ってきたあの日からザックスと一度も話していないんだ。
なぜこんなことになってしまったのだろう…。
あの実験さえなければ……。
するとまるでオレの頭の中を見抜いたようにカンセルさんが言った。
「オレさ、あの実験のことを教えてくれたヤツに話聞きに行こうかと思ってんだ」
「実験のことを?」
それは知りたくても知ることの出来なかった、全ての元凶だった。
「最初にお前に教えに行っただろ?あの時そいつから教えてもらったんだ。何か記憶を戻す手がかりでも聞けないかなって思って。…お前も来るか?」
「あの…それって誰なんですか」
カンセルさんは周りを警戒しながら耳元でこっそりと話した。
「…タークスだよ」
* * *
仕事を上がった後、八番街の外れにカンセルさんとやって来た。
社内で話すのは危険だが逆に街中なら話の内容がわかる者がいないだろうとタークスの縄張りであるそこでレノと落ち合った。
「よ。お前も来たか」
「この間は…ありがとうございました」
「まあそう畏まるな」
「え?何のことだよ」
一人だけ部外者になってしまったカンセルさんが何だ何だと騒ぎたてる。
「コイツが性質の悪い連中に絡まれてたから助けてやったの」
カンセルさんはこちらに向くとまさかまたかと言いたげな顔をした。
「…アランか?」
「あ、いえ…」
言い淀んでいると、レノが吸っていたタバコの先をカンセルさんに向けながら言った。
「先輩としてアイツを諌めといた方がいいんじゃないか?ちょっとおいたが過ぎるな」
「オレが言ってもなあ…。一応注意はしておくけど」
話がすっかり逸れてしまったが、閑話休題とレノが話を始めた。
まず始めに実験内容の詳しいところまではわからないと告げられた。
「化学部門の連中も口が堅くてね。ま、情報提供出来るほどのもんはないってのが正直なところだ」
その少ない情報から推察するにザックスは魔晄中毒一歩手前のところまで追い込まれたのだろうという。
聞き覚えのない言葉にオレは鸚鵡返しに聞き返した。
「魔晄中毒…?」
「その人間の持つ魔晄耐性の許容以上の魔晄を浴びると精神疾患を引き起こすことがある。ひどくなると廃人同然の状態に陥ってやがて死ぬ」
「は、廃人…」
「時々いるんだよ。ソルジャーになっても魔晄に耐えられなくなって精神やられちまうヤツがさ」
レノの淡々とした説明にオレも、そしてカンセルさんも顔色を青くした。
「ザックスはソルジャーの中でも飛びぬけて魔晄耐性が高い。化学部門の連中はそこに目を付けてあいつを選んだ。連中のモルモットにな」
どこか怒っているような、そんな口調だった。そして冷静さを取り戻す麻薬のようにタバコを吹かすと再び口を開いた。
「…記憶障害が残ったとはいえ、ああして五体満足で帰ってきたんだから大したもんだ。正直目を覚ましたと聞いた時は驚いた」
そこまでひどい状態だったなんて知らなかった。ザックスが意識を取り戻したのは奇跡に近かったのかもしれない。
…そのザックスを一人残して部屋を出て来てしまったんだ。
「戻って来てからずっと別人みたいな感じがするんだ。これも魔晄の影響だと思うか?」
カンセルさんの問いにレノは渋い顔をした。
「常人なら重度の魔晄中毒にかかってもおかしくないほどのことをやらかしたそうだ。人格への影響がないとは言い切れないだろうな」
「何て連中だ…」
頭がクラクラして来た。ザックスにどれほどひどい実験が施されたのか、想像もつかないし、想像したくもない…。どんなにつらい思いをしただろう。それなのに、やっとの思いで戻って来たザックスから目を背け、逃げてしまった。
あまりにも無力で弱い自分に涙が出てきた。
「この間話した感じだと、まだ覚束ないところはあるが、あらかた記憶は戻ってるようだな」
「ああ」
カンセルさんはレノに相槌を打つと、こちらをチラッと見た。
…オレのことだけ…思い出してないんだ。
実験からこれだけ経っても思い出さないなんて…もう頭からオレの記憶自体なくなってしまったんじゃないだろうか。そんな気さえしてくる。
「…お前、小さい頃に宝物を誰の目にも触れない場所に隠したことはないか?」
「え?」
俯いていた顔を上げて、レノの顔を見た。言っていることの意図がわからず、瞬きを繰り返していると、さらに続けて言った。
「まあつまり…大切な物は誰にも見つからない安全な場所に隠そうと思うものだぞ、と…」
「はあ…」
言わんとしていることは何となくわかった。回りくどくはあったけど、その気遣いがうれしかった。
けど、隠された場所からそれを見つけるにはどうすればいいのだろう…。その場所はザックスしか知らないのに。
「他のことは思い出してるわけだし…頭殴るとかすれば思い出さないか?」
「さあな…後でお前がやってみれば?ただし前にも言ったが下手に揺さぶり掛けるようなことは言うなよ。まだ完全に後遺症の心配がなくなったわけじゃないんだ」
「…クラウド、ザックスに直接会ってみないか?それが一番手っ取り早そうな気がするんだけど」
その瞬間、冷たい視線を投げかけるザックスの姿がフラッシュバックする。
何か行動を起こさなければこの膠着状態はずっと続くだろう。でも…再会した時にザックスから与えられた恐怖が蘇り、身体が震えてくる。
ザックスに怯えるオレにカンセルさんは無理強いはしないからと宥めた。
不意に、こちらの様子を見守っていたレノがぽつりとつぶやいた。
「実験の直前までお前のこと考えてたのにな」
「実験の日にザックスと会ったのか?」
「忠告しに行ってやったら惚気やがった」
「はあ…あいつらしいな」
二人から注がれる視線に思わず顔を下に向けてしまった。
「このままアイツを避けてても何の進展も…」
レノがそこまで言って話すのをぴたりと止めてしまった。何事だろうとその視線の先を追った。
「あ、ちょっ…」
レノの慌てた声を無視して後ろを振り返ると、ザックスの姿が目に飛び込んできた。建物の影に隠れているこちらには気付いてる様子はない。それに…女性と一緒に何か楽しげに話しながら八番街の大通りを歩いていた。どちらにしても気付きはしなかっただろう。
…二人から向けられる気まずそうな表情に居たたまれなくなった。
もう記憶は戻らない。戻るなんて期待しない方がいいのかもしれない。
いつ戻るかわからない記憶を頼りに生きて行く方がつらい。
ザックスと出会う前に戻るだけだ。
…そう言い聞かせても、すんなり受け入れられるわけがなかった。だってもう出会ってしまったのだから。
ザックスを知って、ザックスという人を好きになった事実は変えられない。一緒に過ごしてしてきた時間をどうして忘れることが出来る?
でも…ザックスの中からはもうなくなってしまったのかもしれない。
女性と楽しげに歩くザックスのどこにオレの記憶が残っているというのだろう。全てをリセットして、以前のザックスに戻っただけじゃないのか?
オレと出会う前のザックスになっただけ…。
ザックスはオレみたいに誰かに縋らないと生きていけないような弱い人間じゃない。オレがいなくたって、こうして普通に過ごしているじゃないか。
むしろ…いない方が……
もう何も考えたくない。
「おい、待て!」
「クラウド!」
二人を残してそこから走り去った。