どれくらい時間が経っただろう。あれから何をするでもなく、テーブルに突っ伏していた。
するとテーブルの上に置いてあった携帯が振動した。
のろのろとそれに手を伸ばし、着信ボタンを押す。掛けて来たのはカンセルさんだった。
「…はい」
『クラウドか?なあ、ザックスと何があったんだ?』
「…何って…」
『さっきエントランスで偶然会ったんだけど、様子が変で…』
「……覚えてました?」
『え?』
「カンセルさんのこと」
『あ、ああ。一瞬とぼけたこと抜かしたけど覚えてた』
「オレのこと、覚えてなかった」
『……なに?』
「ザックス、オレのこと誰だ?って…」
『お前のこと、覚えてないのか!?』
* * *
「一体どうなってんだ…お前のことは忘れるわけないって思ってたのに」
恥ずかしいことに話しているうちに電話口で泣き出してしまったオレのことを心配して、カンセルさんが電話を切った後わざわざこっちまで来てくれた。
そして先ほどザックスと会った時のことを話し始めた。
カンセルさんがエントランスで見掛けた時、ザックスは仲のいい受付の女の人と話していたらしく、しばらくその場で会話した後、快気祝いをしてくれるという女性たち何人かと連れ立って外へ行ってしまったそうだ。
「無理にでも引き留めればよかったな。あの時はケンカしたくらいにしか思わなくて…でもどうも引っかかってさ…」
そう申し訳なさそうに言っていたが、ほとんど頭に入って来なかった。自分を放って女性と連れ立ってどこかへ行ってしまうなんて、まるで以前のザックスに戻ってしまったみたいだ。女の人と遊ぶのは一切止めると言っていたのに…。
カンセルさんは床に座ったまま玄関をぼーっと見つめていたオレの肩をポンと叩いた。
「一時的なものだろうし、そのうち思い出すさ」
慰めの言葉も、今は空しい。
忘れられたことは変えようのない事実。
例えそれが事故のせいであったとしても、一度抉られた胸の痛みはそう簡単に癒えることはない。
「どうして、忘れちゃったんだろう」
独り言のようにそうつぶやくと、カンセルさんは気まずそうな表情を浮かべた。
「なあクラウド…これは事故なんだ。ザックスも忘れたくて忘れたわけじゃ…」
「他の人は覚えてるのに…どうしてオレだけ覚えてないんだろう…」
カンセルさんが何か言いかけてたけど、そのまま黙ってしまった。
わかっている。こんなことカンセルさんに言っても仕方がない。わかっているけど、吐き出さずにはいられなかった。
カンセルさんを覚えてて、なんでオレを覚えてないの?
受付の女の人を覚えてて、どうしてオレのことは忘れてしまったの?
モヤモヤと浮かんでくる女々しい思考に胃のあたりが気持ち悪くなってくる。
記憶喪失になってしまったザックスを責めてどうするというのだろう。カンセルさんの言うとおり、自分の意思で忘れようとして忘れたんじゃない。
それなのに…こんなのただの八つ当たりだ…。
自分で自分が嫌になってくる。
でもこのやり場のない気持ちをどこかにぶつけなければ、心が壊れてしまいそうだった。
ザックスに…会いたい。
でも…会うのが怖い。
「…なあ、オレから電話して戻ってこいって言ってやろうか?」
そんなことをすれば、また煩わしげな顔をしながら文句を言われるかもしれない。あの冷たい視線で一瞥する姿が脳裏に浮かび、戦慄した。
「…いい、です」
「本当にいいのか?」
言葉を返す代わりに頷く。意地ではなく純粋に会うのが怖かった。
でもここにいればいずれザックスは帰って来る。その時どんな顔をすればいい?
笑顔で出迎えることなど出来ない。それどころか、ザックスから出て行けと言われるかもしれない。
「オレ…しばらく寮に戻ります」
「え?何で」
「記憶戻るまでそうした方が、お互い変に気遣わなくていいだろうし…」
「……」
オレの恐怖を感じ取ったのか、それとも意地になっていると思ったのかはわからないが、カンセルさんは引き留めはしなかった。そして何かあったら連絡しろとだけ言い残し、部屋から出て行った。
オレも当面の着替えと必要最低限の物をカバンに詰めると逃げるようにザックスの部屋を後にした。