長かった夜がやっと明けようとしていた。
一人で寝るには幾分広いベッドの上で寝返りを打つと、窓の外を眺めた。
雲間から見える月はどこか怪しく光っていて…。
欠けた部分がまるで虫に食われたように何かに浸食されているようで、少し怖かった…。
* * *
昨日の夜はなかなか寝付けず、窓の外を見ながらウトウトしているうちに夜が明けてしまった。
何事もなければザックスは今日帰宅する…。
朝からそわそわしてしまい、気持ちが落ち着かない。気を紛らわす為に部屋の掃除を始めるが、普段からまめに掃除していたのでそれもすぐに終わってしまった。
ザックスの好きなものでも作っておこうかとも思ったが、生憎料理は得意ではないし、もしかしたら食欲がないと言うかもしれない。仮に食欲がなかったとしても、何か用意しているとわかったらザックスの性格上無理にでも食べてしまうかもしれない。変に気を煩わせるのも嫌だし、だったら余計なことはしない方がいい。
結局のところ何をしたらいいのかわからなくなった。
そうこうしているうちにもう午後になっていた。もしかして今日は帰宅できないのだろうか…。
そんなことを考えているとテーブルの上に置いてあった携帯がブルブルと震えた。誰だろうと手に取ろうとした時、玄関のドアが開く音がした。そのまま携帯をテーブルの上に戻すと、居ても立ってもいられず、玄関へと向かって走った。
――…ザックス?
前と後ろにピンと跳ねた黒髪が、切れ長の目が、長身で筋肉質な身体が目に飛び込んできた。
実験の後遺症だろうか。どこかボーっとした様子で玄関を見回している。見た目には家を出て行った時と変わった様子はないし、ケガもしていない。いつもと変わらないザックスの姿に涙が浮かんできた。
ザックスが帰ってきたら、ああしよう、こうしようと出迎えた時のこと考えていたが、そんなものは全て吹き飛んだ。懐かしい姿に脇目も振らず飛びついた。
「よかった…っ」
その厚い胸板に頬を擦り寄せ、無事を喜ぶ。
もう会えないかと思った。この数日間会いたくてたまらなかった。一人で過ごす夜が寂しかった。
ザックスを前にして伝えたい思いがまるで泉のように湧いてくる。一秒でも早くそれをザックスに告げたかった。
だけど。
頭の上から降って来た声の冷たさに、まるで石化の魔法を掛けられたかのように固まってしまった。
「お前、誰だ?」
……え?…誰…?
顔を上げると、そこにはひどく煩わしげな表情を浮かべたザックスがいた。
…目の前にいる人は本当にザックスなのだろうか。ザックスがこんな表情をしたところを見たことがなかった。少なくとも自分に対してこんな顔をしたことは今までない。
「何でオレの部屋にいるんだ?」
ザックスは何を言ってるんだろう。悪い冗談だ。今更誰だ、とか…。
こちらを見つめるザックスの表情は見る者を凍りつかせるような冷たさを帯びていた。どうしてこんな顔をしているのだろう。なぜいつものように笑いかけてくれないのだろう。
胸に溢れていた喜びは不安へ、その不安はやがて恐怖へと様変わりしていった。
考えたくない。
考えたくないが、今の事態を冷静に考えるなら、一つの予感しか浮かんで来なかった。
…先ほど届いたカンセルさんからのメールが、その予感を現実のものにした。
あのメールを開けたのはそれからしばらく経ってからだった。
From :カンセル
Subject:後遺症のこと
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昨日話した後遺症なんだけど…軽度の記憶障害があるみたいなんだ。
ところどころ抜け落ちてることがあるかもしれないけど、生活する上で最低限必要な記
憶はあるそうだ。神羅やソルジャーのこともおぼろげに覚えてるみたいだし、忘れてる
ことがあってもそのうち思い出すんじゃないかな。
お前しか覚えてないこともあるだろうし、しばらく様子見ながら支えてやってくれ。
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ザックスは"無事"に帰って来てくれた。
オレという人間の記憶を、どこかに落としたまま。