背後に現れたのは白衣姿の壮年の男だった。見覚えのあるその姿にザックスは身構えた。
「ネズミが一匹紛れ込んでいるな」
「宝条博士か…」
化学部門統括・宝条は口の端を上げて下卑た笑みを浮かべている。面白いモルモットが見つかった。そんな目をしていた。
「何のつもりかね。君のような脳味噌まで筋肉のような輩に化学への造詣があるようには見えんが?」
宝条の謗言など耳にも入らなかった。諸悪の根源が向こうからやって来たのだ。千載一遇のチャンスとザックスは詰め寄った。
「あんたがやったのか…?これは!」
ザックスはディスプレイを平手で叩いた。宝条は向けられる鋭い眼差しを物ともせず、そんなものがどうしたと言わんばかりに薄目で見やった。
「ふん。バカ者がジェノバ細胞を勝手に持ち出して何をしたのかと思ったら、まさかこんなことになるとはな」
「……?」
「ああ、おつむの悪い君ではそれを読んでも何のことか理解出来ないだろうな。原因はよくわからんが植え付けたジェノバ細胞が突然変異を起こし、被検体の肉体に変化を及ぼしたようだ」
宝条は顎をしゃくりながらぶつぶつと独り言を始めた。その口ぶりから察するに、今回の実験は宝条の主導ではなく、配下の研究員が勝手に行ったようだ。
「擬態能力を使って染色体を変質させたか…。これまでになかったケースだ。サンプルとしてはなかなか面白いが…」
統括である宝条であれば直接関わっていなくとも戻す方法を知っているかもしれない。ここは下手に出て元に戻る方法を聞き出すのが得策だ。
そうわかっていたが、宝条の吐いた言葉にザックスの中の何かが切れた。
「てめえ…人の身体を勝手に実験台にしておいて、何言ってやがる!!」
まるで他人事のようにクラウドをサンプル呼ばわりされたことで頭に血が昇り、ザックスは我を忘れて宝条の白衣を両手でねじ掴んだ。
「教えろ!クラウドを元に戻す方法を!!」
化学部門統括といえども肉体はただの人間。しかし今にも襲いかからん勢いのソルジャーを前にしても宝条は取り乱した様子もなく、淡々と続けた。
「さあな。そんな方法があるなら私が教えてもらいたいもんだ。…それよりいいのかね?『彼女』を放っておいて」
「な…なんだと?」
宝条はザックスの背後にある端末の画面を見ながらニヤニヤと笑った。
そして悠然とした動作でザックスの手を払うと、背後の端末を操作し、画面を遷移させた。
「ふむ…そろそろ『リユニオン』を始めるかもしれんな。すでに兆候があっただろう」
「兆候…?」
それが何を指しているのか、ザックスは見当がつかず、頭を巡らせた。
兆候とは何の兆候だ?元に戻る兆候?それとも…死か?
「と言っても所詮は欠陥品だ。放っておけばソルジャーどころか手近な雄を相手に交尾でも始めるかもしれんな…クックックッ」
宝条の下品な物言いにザックスは言いようのない不安を覚える。
そして追及することも忘れ、ザックスは研究室から出て行った。