翌朝、浅い眠りから覚めたザックスはベッドの脇に置いておいた携帯が点滅していることに気付いた。それはメールの着信を知らせるものだった。
横で眠るクラウドを起こさぬよう、ザックスは音を立てないようにしてベッドから脱け出した。
携帯を手に取り、メール画面を開くとまるで見た覚えのないアドレスからメールを受信していた。本文はわけのわからない文字が羅列されており、いたずらメールかと思って削除しようとしてふと気付いた。ある言葉が巧妙に隠されていることに。
リビングに簡単なメモを残し、ザックスは本社へと急いだ。目指す場所は高層フロアにある研究室。
実験資料などが保管されている部屋で通常は関係者以外立ち入り禁止となっている為、化学部門所属の研究員以外は原則入室は出来ない。しかし、朝来たメールに『研究室を調べろ』と書かれていたのだ。普通に見ただけでは気付かないように。
今回の事件のことを自分に教えるべく、いたずらメールを装って誰かが教えてくれたのではないか。
だが一体誰がこんなことを。もしかしたら自分を陥れる為の罠かもしれない。
そうも考えたが、このままでは何も解決しない。何とかして現状を変えたい。その一心でザックスはメールに一縷の望みを託し、研究室へ向かった。
* * *
社内に人が増えるのは大体朝の8時以降。今はまだ7時を少し過ぎたところで人はまばらだ。
例の研究室があるフロアも人はほとんどいなかった。社内の人間に見咎められぬように、ザックスは身を潜めながら時間を潰した。そしてある時間――先ほどのメールに隠して書かれていた時間きっかりに研究室の前に立った。
すると研究室のドアの施錠ランプが消え、代わりに解錠ランプが灯った。本来であれば入室を許されている人間のIDカードがなければ開かないはずだが、メールの送り主がその時間に合わせてセキュリティを解除してくれたのだろう。送り主が何の目的でこんなことをするのか疑問を抱きつつ、ザックスは細心の注意を払いながら中へと侵入した。
入ってみると、非常灯の淡い光だけが中を照らしていた。人の気配はしない。
入口から更に足を進めるとファイリングされた資料がところせましと並んでいる。資料のデジタル化が進められているものの、紙媒体での保管は今も行われている。
ザックスは直近の日付の資料を片っ端から見て回った。しかし事故のものと思われる資料はなかった。
そもそもあの事故のことを資料として残すだろうか。過去の事故についてもそうだ。隠蔽している事故をご丁寧にファイリングして正規の資料として保管などしないだろう。
ここに見切りをつけると、資料棚に背を向け、奥にある端末などが置かれているデスクへ向かった。デスクには何台かの端末機が置かれていた。その中にディスプレイの電源ランプが緑色に点滅している物があった。すぐさまスイッチを入れ、ディスプレイの電源を入れる。
すると黒い画面が切り替わり、テキストデータが映し出された。どうやら研究レポートらしきものを表示させたまま、画面の電源だけ切られていたようだ。
それはある実験についての報告資料で時系列で起こったことが打ち込まれていた。
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被検体:適性試験受験者C 年齢:16歳 家族:なし(一親等死去済み)
所属:治安維持部門 階級:上等兵
●XX月XX日
適性試験中に受験者Cへジェノバ細胞を移殖。
その直後に受験者Cの容態が急変した為、実験を中止。
班員撤収後、試験管理局へ通達。
実験中止より30分後、試験管理局より連絡あり。受験者Cの生存を確認。
受験者Cは第五医務室へ収容。
実験中止より1時間後、受験者Cの染色体に異常を確認、XY型からXX型へ変質した模様。
●XX月XX日
ソルジャー付添の元、受験者Cの医務室での看護解除及び退室を許可。
また総務部調査課へ受験者Cの経過確認を依頼。
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内容から先日の事故のことを記載した資料であるとわかった。
受験者Cとはクラウドのことだ。経歴が一致している。身寄りのない人間を狙っていたというのは本当なのかもしれない。
レポートを更に読み込むと、保留事項と但し書きされているテキストを発見した。
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●保留事項:
染色体異常がジェノバ細胞の持つ擬態能力によるものか、現在調査中。
また他者の記憶、思考の読み取り及び取り込みを行うかについてもソルジャーとの接触状況を
注視・観察し、調査報告を上げること。
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「思考の読み取り…?」
ザックスが更にレポートを読もうとした瞬間、背後に人の気配を感じ、後ろを振り返った。
振り返った先の暗がりに不気味な男の影が浮かんでいた。