会社を出るとザックスは繁華街へと足を向けた。
まだ日は高い。真っ直ぐ帰ろうとも思ったが、朝のことがあって帰りづらかったので少し遠回りしてから帰ることにした。
――仮に証拠をつかめたとしてもオレ一人の力じゃどうにもならない。何の意味もないことだ
クラウドは生きている。犯人を断罪することは出来なくとも、問い詰めて元に戻す方法を聞き出せる可能性はある。
一番の目的は誰がやったのかを表沙汰にすることではない。そんなことは二の次だ。クラウドを元の身体に戻せるのなら化学部門の人間に頭を下げてもいい。
ザックスは視界に入って来た自宅のマンションの前で立ち止まり、上層階を見上げた。
出がけの時のことが脳裏に蘇り、後ろめたい気持ちになった。
クラウドが不安な気持ちを自分に打ち明けたというのに、あの後顔も見ずに家を出てしまった。もしそれにショックを受けて、衝動的に家を飛び出してしまっていたら…。
急に心配になり、ザックスはマンションの自室へと走った。
勢いよく玄関のドアを開けると、その音に驚いたクラウドがリビングからやって来た。ザックスの姿を見止めると、クラウドは安堵した様子で出迎えた。ザックスも自宅に留まっていてくれたことにホッと胸を撫で下ろした。
朝のことは、元に戻る気配もなく、心細くなっただけだろう。元の身体に戻れれば、自然と前のような関係に戻るはずだ。
そんなザックスの思いに亀裂を入れるような出来事が起きたのはその日の夜だった。
* * *
朝に続いて夕飯の支度をするとクラウドが言い出したのでザックスは言うままに任せることにした。
メニューはカレーライスとサラダだった。
身体が女性になったからといって料理の腕が上がるわけでもなく。メインのカレーはルーを入れ過ぎたのか少々辛味が強く、上々とは言い難い仕上がりにクラウドもしゅんとした様子でザックスに詫びた。
「ごめん…」
「ま、ちっとばかし辛いけど、辛いの好きだからこれくらい食える食える」
そう言ってザックスが全て平らげるとクラウドは朝と同じ笑顔を浮かべた。
「…ザックス優しいね」
「お…オレはいつだって優しいだろ?」
戸惑うザックスを見ながらクラウドは静かに微笑んだ。
ザックスはクラウドから顔を逸らすと皿を持って一心不乱に食べた。
クラウドが変わったのではない。自分が変わったから、違和感を覚えているだけではないか。
意識しないようにすればするほど気持ちは抑えきれなくなっていった。
夕食の後、いつものように入浴を済ませ、ザックスがリビングで寝具の支度を始めようとしているとクラウドがおずおずと話しかけてきた。
「今日も…リビングで寝るの?」
「え?そりゃまあ…」
「ずっとベッド使わせてもらってるし…オレがそっちで寝るよ」
「バカ。体調悪いんだからそっち使ってていいよ」
「もうそんなに悪くないよ」
「いいから使えって」
譲り合っているうちにザックスは思わず声を張り上げてしまった。ハッと我に返ってクラウドの方を見やると寂しそうな表情でこちらを見つめていた。
「別にオレに気遣わなくていいからさ」
そう言いながら、ザックスはなるべくクラウドの方を見ないようにしてソファで寝支度を始めた。するとクラウドがザックスの側に寄り、ついとシャツの裾を引っ張った。
「ザックスも一緒にベッド使おうよ。それなら…」
「え…いや、それは…」
「と…友達だろ。ベッド一緒に使うくらい、普通だよ」
ここで断れば、それは『今のクラウド』を友達として見ていないことを肯定することになる。
その焦りから、ザックスは反射的に返事をしてしまった。
「あ、ああ。そうだな。じゃあそうするか」
* * *
クラウドに背を向け、ザックスは寝室のドアの方を向いて横になった。
起きていると余計なことを考えてしまう。早く寝てしまおう。そう思っていたが、背中に僅かな熱を感じ、ザックスは身体を強ばらせた。離れて寝ていたはずのクラウドが近くに寄って来ている。
そして段々近づき、遂にはぴっとりと身体をくっつけた。気付けば背中にかかる吐息に意識の全てを奪われていた。
なぜクラウドがあんなことを言い出したのか。
まるで自分の心の中を見透かされているようだった。クラウドを異性として意識し出している自分を。そして自分の気持ちと連動しているかのようなクラウドの変化にザックスも困惑する気持ちを隠しきれずにいた。
肉体だけではない。段々と女性が自分に見せる態度に近くなってきている。
そう、自分に好意を寄せる女性のそれに…。
やはり一緒に寝るべきではなかった。ザックスは背後に感じる甘い吐息に素直に反応を見せる己の身体に顔を歪ませる。
湧いてくる衝動が抑えられなくなってくる。全身を巡る血のように、それは一気に脳内を身体を支配していった。
――腕の中に抱き込みたい。唇を奪いたい。その身体を犯したい。
それでも、ザックスはじっと耐えた。
今のクラウドは自分と同じく正常ではない。
向こうから誘って来ているからといってここで本能の赴くままに行動すれば…クラウドが傷つくことになる。それだけは絶対避けたい。
長い夜が明けるのをザックスはひたすら待ち続けた。