病室に案内されたザックスはベッドの脇に据えられているイスに座り、目を閉じたままのクラウドを見やった。
外傷はない。ただ眠っているだけにしか見えなかった。身体の変化も布団を被っていてわからない。
先ほどまでの話は全部うそで、自分を騙す為に仕組まれているのではないか。ザックスの脳裏にそんな妄念が湧いてくる。ただの現実逃避だとわかっているが、目の前のクラウドは先日見た時と全く変わっていなくて。
不意にザックスがクラウドの額にかかる前髪を除け、そこを軽く撫でてやると閉じられていたクラウドの瞳がゆっくりと開いた。
「あれ…ザックス?ここ…」
「医務室だよ。身体しんどかったら寝てていいからな」
まだはっきり覚醒していないようで、クラウドは横になったままボーっとした様子で目だけを動かして辺りを見回した。そして医務室のベッドの上にいることを理解すると、なぜ自分がここにいるのか心配そうな顔をしながらザックスに訊ねた。
「オレ…何で…?」
「…お前試験中に倒れちまったんだよ」
ザックスの口から発せられた試験という言葉を聞き、クラウドは受験中の身であったことを思い出した。
「試験はもう終わった?や、やり直しは出来ないの?」
「そうだな…試験管理局に聞かないとわかんねえけど、難しいかもな」
「そんなあ…」
適性試験は年に二回しか行われない。今回の試験を逃すと次は半年先になってしまう。せっかく試験に向けて頑張って来たのに…とクラウドは頬を膨らましながら寝返りを打った。
その時、自分の身体の異変に気付いた。
「…?」
包帯か何かが巻かれているのかと思い、クラウドは布団の中で自分の胸元に手をやった。しかし包帯とは明らかに感触が違う。胸部そのものが僅かにふくらんでいる。
ザックスはそちらを向くことが出来ず、戸惑うクラウドから目を背けたまま固まっていた。そして決定的な違いを見つけると、クラウドは布団から飛び起きた。
「何で…何で?ど、どうして!?」
訳がわからず、クラウドはしきりに頭を振る。
なぜ目を背けた。こうなることはわかっていた。支えると誓ったのに、何をやっているのだ。ザックスは動揺するクラウドの方へ向き直ると肩を押さえながら声を掛けた。
「クラウド、今説明するから落ち着け。な?」
「いやだっ何で!?」
叫び声に気付いたドクターが後方に控えていたナースに指示を与えた。
「早く鎮静剤を」
「はいっ」
* * *
薬が効き、ようやく大人しくなったものの、クラウドはザックスに背を向けて横になったままだった。頃合いを見計らい、ザックスは動揺を与えないよう静かに語りかけた。
「試験中のこと覚えてるか?」
「あんまり…覚えてない…」
クラウドが意識を失う直前に何が起こったのか。はっきりしたことはわからないが、クラウド自身の記憶にも残っていないのは今は好都合だ。事実と異なる情報を告げてもそれを真実として植え付けることが出来るのだから。
「…お前、試験中に変な薬品被っちまったんだって」
「薬品?」
クラウドは必死に記憶を辿るが、倒れた前後の記憶がはっきりしないようで、ザックスの方へ身体を向けて素直に話を聞き入れた。
ザックスは内心胸を撫で下ろした。ここで疑われては話を先に進められないし、何よりクラウドの不安を煽ることになってしまう。
様子を見守っていたドクターが二人の元へやって来ると、先ほどザックスに口述した言葉そのままにクラウドへ伝えた。
「今開発中の新薬でね。女性ホルモンの分泌を一時的に活発にする効果のある薬なんだが、それが手違いで君にかかってしまったそうだ」
白々しさを感じながらもクラウドの縋るような視線を前にザックスも同調した。
「そう、そうなんだよ。そのせいで…こういうことになっちまったらしいんだ」
こんな話、どこまで本当のことかわかったものではない。本当のことなんて何一つわかっていない。それでもクラウドの不安を払拭してやる為にはこう話すしかなかった。少しでも動揺した様子を見せればクラウドが不審を抱く。ザックスは努めて明るい口調で話し掛けてやった。
「でさ、開発中だからどれくらいで効果が切れるかまだはっきりわからないんだってよ」
「じゃあ、オレしばらくこのままなの?」
もしかしたら一生このままかもしれない。そのことを自分の口からクラウドに伝えることなど出来ない。
「ん、まあ、そういうことだな」
「そう…なんだ」
身体に起こった異変の原因がわかり、クラウドも幾分安心した表情を浮かべた。しばらくすれば元に戻る。そう信じることで平静を取り戻したクラウドとは対照的にザックスは暗澹たる思いしか抱けなかった。
ドクターの言うように薬品の効果が薄まっていずれ元に戻ればいいが、そんな保証はどこにもない。ましてや薬品を被ったという事実さえ疑わしいのだ。否、これは絶対に嘘の情報だ。
結局のところ何も解決はしていないのだ。
何も知らないクラウドを騙すのは心苦しいが、今は仕方ない。
だがこの後どうする?何週間、何ヶ月とこのままの状態が続けば騙すことなど不可能だ。
何としてでも原因を究明し、元に戻してやらねばならない。現状は絶対的に情報が少ない。かと言って正規のルートで情報を得るのは不可能だ。今回のことは表向きにはただの事故として処理されている。ドクターから告げられた以上の情報を試験管理局が公表することはないだろう。
情報を得なければならない。どこの誰がこんなことをしたのか。そして元に戻る術を。