scene.9 別れの夜
兵舎の外、ザックスは例の巨木の側にあるベンチに座りながら紫煙を燻らせ、そこから見える自分の部屋の窓をぼーっと眺めていた。
どうかしてる。相手は天使だ。天使に欲情し…ともすればそれの赴くままに凌辱していたかもしれない。
こんな気持ちを抱くこと自体罪深いことなのだろうか…。
まだ、身体の奥が熱い。
しばしの間そこでボーっとしていると、誰かの気配を感じた。
「よ、何黄昏れてんだ」
顔を見なくとも声でわかる。クリスだ。アルコールの匂いが身体から立っているから飲み屋帰りなのだろう。隣に座って来たので顔を見ると少し赤い。声の調子からも酔っているのがわかった。
ソルジャーはアルコールへの耐性も常人より強いがクリスは元々アルコールに弱かったらしく、どちらかというと酔いが回るのが早い。
「オレさあ、この間見ちゃったんだよね」
「あん?」
「お前らが一緒に買い物してるところ」
"ら"ということは当然クラウドのことも見たのだろう。あえて突っ込まず、ザックスはそのまま煙草を吹かす。
「なんか、キラキラ輝いてんなあ、あの子」
「おー」
「お前がご執心になるのもよくわかるよ、うん」
酔ったクリスは輪を掛けて饒舌になる。お互い『冷ます』のにちょうどいいだろうとしばらく付き合うことにした。
「正直ロイドから話聞いた時ちょっと心配になってさ」
「…?」
「最近さあ、メンタルチェックの数値がヤバくなってるって聞いたから結構心配してたんだぜ?お前そういうの変なところで発散しようとするだろ。だから『あ、またか』ってな」
ミッション後に必ず受けるメディカルチェック。身体的には全く問題ないという検査結果なのだが、最近メンタルチェックで引っ掛かることがある。
魔晄は精神面への影響をもろに受ける。だからこそ肉体がいかに屈強な者であっても精神が脆弱であると判断されればソルジャーの適性はなしと判断を下される。
実を言うとミッション後しばらくは夢見が悪い時があったりする。いわゆるフラッシュバック現象までには至っていないが、ぐっすり眠りにつかない時にそういう夢を見る頻度が増えて来た。
―――そう、1stになってから。
そういう理由もあって、ミッション後の休暇始めはつい歓楽街へ遊びに繰り出してしまうのだが。
この間のミッションもひどいものだった。また嫌な夢を見るだろうと帰還中憂鬱になったものだ。しかし実際ここしばらくの夢見は悪くない。理由はわかっていた。クラウドがいるからだ。
いつの間にかクラウドの添い寝が当たり前になっている自分にザックスは苦笑する。
「まあ、ああいう子がお前の側にいるなら安心だなーと、こう思ったわけよ」
「……だなあ。一生側に置いておきてえな」
「そうすりゃいいじゃん。身寄りなくて拾ってやったんだろ?」
身寄りがないといえばないが、それはあくまで『ここ』での話だ。時が来ればいずれ…。
「いや…多分帰る場所、あるんだ」
「そんなの関係ねーだろー?お前の帰る場所はここだあ!ぶちゅーって引き留めればいいじゃん」
「…お前って結構ロマンチストだな。ムードもへったくれもないけど」
「ソルジャーって意外とそういうやつ多いと思うぞ。いやーな現実見てる分さ」
「かもな…」
この巨木に纏わる話が生まれたのも、そんなソルジャーによるものなのかもしれない。
* * *
オレ、クラウドに癒しを求めてたのかなあ。
ここ数日を振り返ってふと思った。
血で汚れきったオレにとって、まぶしいほど純粋なクラウド。違いすぎるから惹かれたのかもしれない。
でも…本当のオレを知ったらクラウドはどう思うだろう。
つい先だってのミッションも、神羅に背いたというただそれだけの理由で虐殺しろと命じられた。同じ人間を。
初めて人を殺したのは3rdの時。浴びた返り血の臭いと人を殺したという一種の興奮状態からその日は眠れなかった。
最初のうちは何かを怖れるように戦っていたが、そのうちそれが当たり前になってきて、作業をするように人を殺めるようになった。
そして気付いた。その行為自体を怖れていたのではない。その行為に何も感じなくなっていく自分自身を怖れていたのだと。それからだ。精神安定の数値が狂いだしたのは…。
しかし綺麗事を並べたとて、ソルジャーとして神羅に所属している以上は命令を受ければ例えそれが気乗りしない物であっても遂行せねばならない。それは重々承知している。
でも…果たしてクラウドは?
人を殺めて、それを生業の一つとしているオレを知ったらクラウドは……幻滅するだろうか。
それとも天使の名の元にオレを断罪するだろうか?
* * *
重い玄関の扉を開け、ザックスはリビングで静かに待つクラウドの元へ歩み寄った。
まずは先ほどのことを謝まらなければ…。
「クラウド…」
「おかえり、ザックス」
戻って来たザックスに安堵しながら歩み寄ると、ぽふっと抱きつくクラウド。近づくことすら拒否されるのではないかと気が気ではなかったが杞憂に終わった。
告げようと思っていた謝罪の言葉はどこかに失せてしまい、
「ただいま…」と返すと触れれば消えてしまいそうな華奢な身体を壊さないよう抱いた。
…この温もりが消えてしまったら、オレはどうなるんだろう。たった数日過ごしただけなのに、こんなにもクラウドに依存している。
ザックスは言い様のない不安に囚われた。
無言のままのザックスをを心配そうに見上げながら、クラウドはその頬を両手で優しく包み込む。
「ザックス、顔色悪いよ。…もう寝よ?」
「そう、だな」
ザックスは風呂沸かしてくると告げてクラウドの身体を離した。
入浴を済まし、ザックスがタオルで髪を拭きながらリビングに戻ると、先に風呂から上がっていたはずのクラウドが何も身に着けずに窓の外を見つめていた。
その姿があまりにも自然でザックスはしばらくボーッと突っ立った。ずっと隠されていた翼が背中からにょっきりと生えていたからかもしれない。
「おい、服…」
その声に振り返ることなく、クラウドはザックスに語りかける。
「ザックス…オレ、ここ知ってる」
「ん?」
「この街、見てたから知ってる」
「見てたって…何で」
「仕事」
…どういう仕事なんだ?
ザックスにはクラウドのいう仕事がどんなものなのか見当もつかなかった。
それ以上のことはクラウドは何も語らず、渡されていた寝巻に着替えるとザックスの手を取った。
「寝よ?」
「あ、ああ…オレはここで寝るからクラウドは向こうのベッド使っていいぞ」
と寝室を指す。するとクラウドは少し不満げな色を浮かべながらザックスを見つめる。
「…なんで?」
「え?なんでって…」
「一緒に寝よ。…いや?」
「あ、いやそんなことないけどさ」
さっきの今で一緒に寝ることに全く不安を抱かないのも天使のなせるわざか。
…こっちの理性が持つだろうか。それだけが心配だった。
そう。そんなことばかり気になってクラウドの様子の変化に気付くことが出来なかった…。
その夜、夢を見た。クラウドだ。天使の姿に戻ったクラウドが悲しげな顔をしてオレのことを見つめていた。
―――ザックス、オレ、思い出した
「…何を」
―――堕とされた理由
―――…行かなくちゃ
「どこに!?」
―――天界に…
「クラウドっ!」
翌朝、目が覚めると隣にいたはずのクラウドの姿がなかった。