scene.8 萌芽






 所用で本社を訪れていたザックスはその帰りに仲のいい受付嬢と久々の会話を楽しんでいた。
「そういえば、新しい彼女が出来たそうですね」
「ああ、今までの子の中で一番かわいいよ」
 しれっと惚気るザックスに受付嬢はまた始まったと肩を竦める。
「毎回一番だって言ってますよね」
「いや今度は本気で」
「それ前も言ってましたけど?」
「あれ?そうだっけ?」
「今度はいつまで続くんだか…」
「ひっでー」
 女癖がよろしくないことはザックスも自覚はあったが、こうも遠慮なしに言われてしまうとは。
 ザックスの拗ねた態度にクスクスと笑いながら、受付嬢はお詫びにと女性社員の間で密かに評判となっているシュークリーム屋を教えてくれた。
「サンキュ。うちの天使ちゃん甘党なんだ」
「はいはい。精々ご機嫌を取ってあげなさいね」
 エントランスを抜けて行くザックスに手を振りながら受付嬢は先ほどまでとは違った仕事用の笑顔へと戻っていた。


「ただいまー」
 ザックスが外出から戻ると玄関まで迎えに出てくれるクラウドがなぜか姿を現さない。
 寄り道して買ってきたお土産を一緒に食べようとザックスはリビングへ続く廊下を歩きながら部屋を見回す。
「ん?」
 トイレだろうかと視線を巡らせながらリビングまで歩いたところで、すーすーと寝息が聞こえてきた。ひょいとソファを覗き込むと、その上でクラウドが横になって微睡んでいた。
「…お昼寝中か」
 シュークリームの入った箱をセンターテーブルに置くと、ザックスは起こさぬよう注意しながらソファの前に腰を下ろした。
 どんな夢を見ているのだろうかと雛鳥の羽毛のようにふわふわと柔らかい薄小麦色の髪を撫でる。その幸せそうな寝顔にザックスは顔を綻ばせる。
 静かな時間が流れる。寝息に合わせて微動する唇を見つめながらザックスは自分のそれをそっと重ね、すぐ離した。柔らかい唇の感触が名残惜しい。たったそれだけのことなのに胸の鼓動は高鳴りっぱなしだった。
 するとクラウドが小さく身じろぎをしてゆっくり瞼を開けた。まだ半分寝ぼけてるようで、目をこすりながらすぐ側に座っているザックスをボーっと見つめる。
「…あ、ザックスおかえり」
「ただいま」
 クラウドがおかえりのキスを頬に落とす。事あるごとにされるそれにもう慣れ切ったもので、ザックスも自然に受け入れる。
「お土産買ってきた」
「なに?」
 ザックスはテーブルに手を伸ばすと保冷剤で少しひんやりしている箱をクラウドに渡してやった。受け取ったそれを開けると、クラウドは目を輝かせた。
「わあ、いい香り。これなに?」
「シュークリームっていうんだ。今お茶淹れてやるから一緒に食べようぜ」
 箱を見つめるクラウドの頭を撫でながらザックスはキッチンへと向かった。


 * * *


 クラウドがザックスのところに住むようになって幾日か経つが、相変わらずクラウドは堕天された理由を思い出さない。巨木の側に連れて行き、そこに倒れていたことを教えても打てば響くような反応を得られなかった。
 しかし別にそれでもいいとザックスは思うようになった。思い出さなければずっとここにいてくれるかもしれない。むしろ思い出さない方が…。
 そこまで考えて、それを願うのは自分に無垢の信頼を寄せてくれるクラウドに対する背信だと頭から振り払った。
 逆にクラウドはこちらでの暮らしに徐々に慣れて来ていた。おまけに外へ連れ出すようになったせいもあって、同僚に会うと例外なく新しい恋人と揶揄されるようになった。
 なるべくなら風聞の対象にしてやりたくないと考えていたが、問われればクラウドかわいさに誰彼構わず惚気っぱなしになっていた。

 そんなある日、ザックスはシネマ雑誌に載ってた話題の映画を見に八番街へ繰り出そうとクラウドを誘った。基本的に誘えばどこにでもついて来るし、むしろザックスとの外出を楽しみにしているようだ。
 上映時間までまだ余裕があったので映画の前に軽く食事か飲み物でもと八番街をうろついていると仕事中の悪友にバッタリ出くわした。
「よ、真昼間からデートとはいい御身分だな」
「こちとられっきとした公休だってーの」
「…で、その子が噂のかわいこちゃんか」
 悪友から隠すようにしていたクラウドがひょこっと顔を脇から覗き出すと会釈をした。
「こんにちは」
「こらまた…噂通り天使みたいだなあ」
 ほーっと感心しながら顔を近づけてクラウドを凝視する。それを遮るようにザックスがずいと二人の間に割って入った。
「つーかお前のとこまで噂いってんのかよ」
「タークス舐めんなよ。この程度の噂なんて朝飯前だぞ、と」
「…タークスは女子高生集団か?」
 ケタケタと笑いながらお互いを小突きあう二人をクラウドは不思議そうに見つめた。
 悪友――レノはタバコを取り出し火を点けると、目を細めてザックスとクラウドを交互に見つめた。
「…この間メンタルチェック受けただろ」
「ああ、一昨日受けて来た」
 メンタルチェックとは遠征後に受けることが義務付けられている健康診断の一つで、ミッションが終了し帰還した後、速やかに受診が義務付けられているメディカルチェックとは別に受けることとなっている。こちらはすぐに受ける必要はなく、ミッション終了から一週間以内に受ければよいとされている。メディカルチェックで身体を、メンタルチェックで精神の安定度合いを検査される。
「いい数値だったそうだぞ、と」
「え、マジか?」
 レノはふーっと紫煙を吹くと、もったいぶるように間を空ける。
「1stになってから一番安定した数値が出たみたいだ。…この間みたいな数値が出てたらメンタルケア行きだったかもしれないのに運がいいな」
「…マジかよ」
「誰かさんのおかげかもな」
 そう言い残すと、レノはひらひらと手を振りながら八番街の雑踏へ姿を消して行った。


 * * *


 夕刻になるといつもお決まりのことで、クラウドは空腹を訴えてソファで雑誌を読むザックスの背中に圧し掛かりながら夕飯をねだる。
 ここにいる間にクラウドも人間の食べ物を把握して来た。そうなると好みの食べ物もある程度見えて来る。辛い物は基本的にNG、甘い物が大好物。果物は元々天界で食べていたので大抵のものは好き。料理でいうとハンバーグやカレーといったいわゆるお子様受けのいいメニューが好みということもわかった。
「何食べたい?」
「えーと…前に食べたオム、ラウス?」
「オムライスか。そういやあれっきり作ってないな」
 冷蔵庫を覗いて見ると、卵に玉ねぎ、ハムなど材料は一通り揃っている。買い出しに行く必要もなさそうだ。
「じゃ、夕飯はオムライスな」
「うん」


「ごちそうさまでした」
 どこで身に付いたのか、クラウドは食べ終わるとペコリと頭を下げるようになった。
「お粗末さまでした」
 きれいに平らげられた皿を見ると作ったかいがあるというものである。
 この小さい身体のどこに入るのかというほどクラウドは食欲旺盛だった。出されたごはんも毎回残さず食べてくれる。
 不意にシンクへ皿を下げるクラウドに目を向けると、ケチャップが口の端にわずかに付いていた。
「おい、ついてるぞ」
「え?」
 キッチンから戻って来たクラウドの口元に顔を寄せ、自然な動作でぺろっと舌で舐め取った。…またやってしまったとザックスは軽く自責した。しかし、今度は『あの時』と違った。
「あ…」
 舌が触れた瞬間、クラウドは小さく声を上げて身体を強ばらせた。舐められた箇所を指でなぞりながらクラウドが熱を帯びた瞳でザックスを見つめ返す。
「クラ、ウド…」
 その時ザックスの中でずっと塞ぎ止めていた何かが音を立てて崩れていった。ザックスは性急にクラウドを抱き寄せると貪るように唇を吸った。これまで堪えていた分、余計に抑えが利かない。
 突然の口づけに驚き、頬を真っ赤に染めるクラウドに煽られ、行為をどんどんエスカレートさせていく。舌を割り入れ、その内を思うまま掻き乱す。口内を蠢く舌に翻弄され、クラウドは足をカタカタと震わせた。
 天使はこういうことをしないのだろうか?ウブな反応を返すクラウドを情欲の求めるまま押し倒しそうになる。
「んーっ…」
 息苦しさからザックスの胸をトントン叩くクラウドに我に返り、口を離す。怯えたような目で自分を見つめるクラウドに罪悪感がふつふつと湧いてくる。
「……悪ィ」
 理性が全て吹き飛ばないうちに止められてよかった。そのまま暴走してしまっていたらもっとあからさまに拒絶を示されたかもしれない。
「ちょっと頭冷やしてくる」
「あ、ザック…」
 呼びかけに応えることなく、ザックスは逃げるように自宅を出て行った。
 一人残されたクラウドはソファの上で膝を抱えるように座ると、ザックスが出て行ってしまった玄関の扉を切なげに見つめた。
「ザックス…オレ……」
 小さくつぶやくとクラウドは膝と胸の間に顔を埋めた。





material:月の歯車






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