scene.2 天からの贈り物






 ザックスはしばらくその『天使』を魂を抜かれたかのように見つめ続けていたが、正常に働いているとは言い難い脳内に一つ疑問がわいた。

 ―――なんでこんなところにいるんだ?

 すぐ側に立つ巨木に目をやる。
「…まさかここから落ちたとか?」
 まさかなあと頭を掻いたが、この木からではないにせよ、どこかから落ちたのだとしたら。見たところ傷は負ってなさそうだが…もしかしたらということもある。
 ザックスは『天使』の背中と膝の裏に腕を回し、その華奢な身体を抱え上げた。
「うお、軽っ」
 ザックスはなるべく揺すらぬように、しかし早足で兵舎のエレベーターホールへ向かった。この『天使』を誰の目にも触れさせたくない。そんな感情が我知らず浮かんできた。
 エレベーターの昇降ボタンをもどかしげに押し、上階から来るエレベーターを今か今かと待ちわびた。ものの数秒でエレベーターは一階についた。開くドアの向こうに誰もいないことにザックスはふうっと嘆息し、自宅のあるフロアボタンを押した。



 運よく(?)自宅に着くまでに誰とも遭わずにすんだ。
 ザックスは寝室のベッドに『天使』をそっと下ろすと、外傷はないか身体を見てみることにした。ケガをしてないか調べるだけだ。そう自分に言い聞かせるものの、どうにも背徳的なことをしているような気になって仕方がなかった。
「…本当に白いな」
 知り合いに雪国育ちのソルジャーがいるが、ここまで白くなかった。
 何というか、白さの質が違うと思った。何者にも穢されたことのない白。そうとしか表現出来なかった。

 一番心配された頭部は傷一つない。どうやら脳震盪を起こしているわけでもなさそうだ。
「あれ」
 胸元の布を肌蹴た時、ザックスは素っ頓狂な声を上げた。男のそれだったからだ。
「…女の子かと思った」
 瞳は閉じられているので表情を窺い知ることは出来ないが、確かに少年的な雰囲気を醸していた。しかし少女と言われればそれはそれで納得出来る。所謂中性的な容姿をしていた。
 さらにザックスは背中からにょっきりと姿を見せている一対の翼に手を伸ばした。人差し指と親指で片翼の端を摘むと、くいくいと目を覚まさない程度の強さで引っ張ってみる。…取れそうにない。
 今度は身体を乗り出して背中を覗き込む。
「…やっぱり生えてる?」
 衣服についている飾りではないようだ。もしこれがコスプレ用の飾りであればどこぞの風俗店から逃げ出して来た少年がたまたまたどり着いた兵舎の側で倒れていたのだろうとも考えられたが、そうではないことをこの翼がはっきりと主張していた。

 一通り確かめてみたものの、特にケガなどはしていないようだった。
 ザックスはふーっと安堵の息をつくとベッドの側にパイプイスを寄せて腰を下ろした。
 よかった。こんな綺麗な身体に傷がついてなくて…と心からそう思った。そして自然な動作で白い頬に手の甲で優しく触れた。すると少年の瞼がわずかに動いた。
「んー…」
「!」
 発せられた気だるげで甘ったるい声にザックスは感動を覚えた。想像を裏切らない、まさに天使の声だ。
 少年はベッドに手をつくとのろのろと上半身を起こした。寝ぼけたような顔で周囲をキョロキョロと見回す。
 ザックスはその動作をまるで石化の術を掛けられたかのごとく、それをただ見つめる。
「ここどこ」
 ぽつりとつぶやかれた声にザックスはぎくりと肩をすくめた。まるで捨て犬を家に連れ帰った子供が親にとがめられたかのように。
 自分はただ倒れていたいたいけな少年を保護しただけだ。そう自分に言い聞かせた。
「大丈夫か?お前外で倒れてたんだぜ」
 柄にもなく緊張した為か少し上擦った声になってしまった。
 くそ、泣く子も黙るソルジャークラス1stがなんて情けねえ声だよと一人毒づいた。
「……」
 ザックスの言葉などどこ吹く風といった体で少年はベッドサイドに座るザックスに無言でにじり寄った。そしてその絹のような白い手をザックスの顔に伸ばし、ペタペタと確かめるように頬を包んだ。
「ちょ、何…」
「…人間?」
 きょとんとした表情で首をかしげながら少年は語りかけた。至近距離でその無垢な顔に見つめられ、ザックスの心臓はドクドクと高鳴った。

(やべえ…オレその気があったのか?)

 自分でいうのも何だが、容姿には自信がある。その証拠に女に不自由したことはない。世間的に見て美女と称される女性と夜を共にした回数など数えたらきりがない。男に走るようなことはこれまでの人生で一度としてなかった。
 しかしこの顔に見つめられたら誰だってそうなるだろ!と誰に対する叫びなのかわからない叫びを胸の内で叫んだ。
 大きな双眸がザックスをじっと見つめる。サファイアを思わせる青々としたその瞳はまるで大海原のよう。ザックスは一瞬にして飲み込まれてしまった。
 ザックスの動揺など気にも留めず、少年は再度つぶやく。
「人間?」
「まあ、人間…だけど」
 ソルジャーってある意味人間じゃねえよなと思いつつ答えた。そして当然のごとく湧いてくる質問を返す。
「…お前は?」
「天使」
 間髪入れず返された答えにザックスは何も言えなかった。
 およそ現実離れした会話ではあるが、目の前に現実離れした容姿の『天使』が存在している以上、これが間違いなく現実なのだと納得せざるを得なかった。
「なあ、名前何てーの?オレザックスな」
「クラウド」
 意外にあっさり教えてくれるもんだ。天使ってのは文字通り浮世離れしてるのか。などと呑気に考えているとクラウドは突然思い出したようにつぶやいた。
「そうだ。オレ、堕とされたんだ」
「堕とされた?」
 ザックスは鸚鵡返しに聞き質す。
「うん」
 天使が堕とされるというと…やはり天界からだろうか。つまりはこの少年は堕天使ということか。その言葉の持つ背徳的な響きとあどけない表情を見せる少年が結びつかない。一体何をしたんだろう。
「なんで?」
「わからない」
 クラウドはふるふると首を振る。
「思い出せない」
(?? あそこに落ちてきたときの衝撃で忘れたのか?)
 ザックスが頭に疑問符を浮かべているとクラウドが服の端をくいくいとかわいく引っ張った。
「ね、思い出すまで、ここにいてもいい?」
「あ・ああ、もちろん…」
「ありがとう、ザックス」
 ニコリと微笑みかけるその表情に別に思い出した後もいていいよ――というナンパめいた言葉が引っこんでしまった…。

 まさに天使の微笑み、恐るべし。





material:月の歯車






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