『a foreign・・・』

(8)



「飲むか ミスター・ツツイ」
「いえ、結構です」
「・・・」

カルロがこのホテルにとってあったのは、やはりスイートルームのひとつであった。
広い広い応接間と、その向こうには やはりベッドルームとおぼしきエリア。
(あと もう2つは 部屋があるみたい・・)
蘭世も思わずきょろきょろと部屋を見渡してしまう。

この部屋に到着したカルロは、リラックスした雰囲気で スマートに三揃えスーツの
上着を脱ぐと それをさらりとコートラックへ掛けた。

広いスイートルームに、カルロと、筒井と、蘭世がいる。
その中でカルロの立ち居振る舞いはどちらかというと余裕で・・
リラックスした雰囲気を醸し出していた。
だが、筒井の険しい表情と、おびえる蘭世の想いで・・その広い部屋の空気は
泉の上に張った冷たい薄氷のように ぴん・・ と 張りつめていた。

(カルロ様は 筒井君のことを そして私のことを どう思ってるんだろう・・?)

・・やっぱり カルロ様は 私が筒井君とつきあっていると 思ってしまったのかしら・・

広い応接間の一角に、この部屋専用のバーカウンターがしつらえてある。
カルロはそこへゆったりと歩み寄り、ワインセラーに手を伸ばすと 中から
片手で赤ワインの瓶を取り出していた。

 「ランゼ 君は?」
「あ・・・はいっ 飲みますっ」
蘭世は慌ててYes・・と首を縦に振る。
カルロは黙って3つのグラスを並べ、飲むのを断った筒井の分を避けて
2つのグラスに まるでソムリエのように流れる優美な動作でワインを注いだ。
今この場にいる3人の事情を忘れてしまいそうになるくらい
蘭世はその動作の美しさに見惚れていた。

「どうぞ」
カルロが軽く促す。
蘭世がそのグラスを取りに行こうと無意識にカルロの元へ一歩踏み出すと
隣にいた筒井がその細い腕をぐいと掴んで引き戻した。
「きゃっ!」
それを見たカルロは眉をひそめる。
「何をおびえている? ミスター・ツツイ」
「僕が?どういうことですか!」
「そんなに私に彼女をとられるのが辛いのか」
「なっ・・!」
カルロのその挑戦的ともとれる台詞に、筒井はカッとなり顔が赤くなる。
だが、カルロの方は依然としてポーカーフェイスだった。
そして優美な動作でグラスの一つを取り上げるとそれを口に運ぶ。
「まあまあだな・・」
そんなワインの味に対するつぶやきすら 彼の口から零れる。
そして・・。
「お前が本当にランゼとつきあっていたかどうかは 私には関係のないことだ、ミスター・ツツイ。
だが・・私が戻ったからには 今日からはランゼには近寄らないで貰おう」
「カルロ様!」
(ああ・・!)
その言葉に 蘭世はこの一年の想いが全て報われるような気がした。
そして今の状況からも救われるような想いがする・・
思わず両頬に手を当て、目を潤ませてしまう・・

「良くそんなことが言えますね!」
だが、筒井は彼にかみつく。
「?」
「1年以上も彼女を放りっぱなしにして置いて、彼女がどんな想いで
 この1年を過ごしてきたと思っているんですか!」
「いいのよそんなのはもう、筒井君!カルロ様には事情が・・」
「蘭世ちゃんは黙っていて」
反論しようとする蘭世を、筒井は鋭く制した。
「しかも・・僕は知っていますよ、貴方にはイギリスに婚約者がいらっしゃるじゃないですか!」

”婚約者”
ああ、そういえば・・・
蘭世が忘れかけていたそのカードを 筒井はきっぱりとカルロにつきつけた。
その言葉を聞いて、カルロは静かに飲みかけのワイングラスをテーブルに戻した。
「・・なんのことだ?」
「とぼけてもだめです。僕はしばらくイギリスに出張をしていたんだ。
 その時にD社の社長令嬢との話を僕はいつもまわりから、そして
D社社長からも直接聞いていたんですよ」
「ああ、あれか」
「そうです。確か ナディアさんと いいましたよね!?」
「・・・!」
蘭世の胸が凍り付く。息が止まる・・
カルロは ”ああ、あれか”と、それを否定しなかった。
そして さすがに名前まで出てくると 一気に現実味が沸いてくる・・・

筒井は注意深くカルロの表情を窺う。
この事実を第三者から言われれば ポーカーフェイスのカルロにも
なんらかの表情に動きがあるはず・・・

だが、カルロは一瞬微笑んだだけであった。
「君には残念だが ミスター・ツツイ。その話はもう2年も前に先方に断っている」
「まさか!」
筒井は”この期に及んでカルロは何を”・・と驚く。
「それは嘘でしょう!去年ずっとD社の社長からずっと僕は聞かされて・・」
「D社ハウエル氏も随分熱心だったからな。私の不在を良いことにして噂をまき散らしたんだろう。」
不敵な笑みを カルロは筒井へと投げかける。
「ハウエル氏は私を噂で追い込もうとしていただけだ。」
「・・・・!」
筒井は言葉に詰まり・・・悔しげな、苦虫をかみつぶしたような表情になる。
「じゃあ・・・カルロ様は・・・?!」
「私は政略で結婚をする気など毛頭ない。神に誓ってその話はNOだ」
カルロは きっぱりと宣言した。
どう聞いても、その声には嘘偽りがあるようには思えない物だった。

カルロは蘭世の方へ悲しげな表情を向けた。
「だが・・確かに私はランゼに1年以上も辛い思いをさせた。それは私もすまなかったと思っている」
蘭世はそのカルロの視線を受けながら・・震える声で答える。
「もういいんですカルロ様・・わたし、貴方がどうして今まで連絡が取れなかったか 
もう知っているんです。 それに・・それに・・」
蘭世はまた感極まって涙を流し始める。
「貴方にまた会えた それだけで・・・もう・・・!」
泣き始めた蘭世へ カルロは愛おしげに目を細めて優しい視線を送る。
「これから私は今までの1年を補って余りあるほどランゼを愛するつもりでいる・・
 それをランゼが許してくれるならば」
「カルロ様・・っ!」
蘭世は思わずカルロへと駆け寄ろうと筒井の側から飛び出していこうとする。
「まだだよ」
「なんでなの筒井君! もういいかげんにして!」
再び筒井に冷たい声と共に引き戻され、さすがの蘭世も不快を隠せない。
「判ったよ ミスター・カルロ。降参だ」
言葉とは裏腹に、筒井の声は未だ挑戦的な色を帯びている。
「じゃあ、最後にひとつ聞いてみたいんだけど・・・」
「?」
カルロはどうぞ、というようなジェスチュアをする。
「もし、彼女と僕が もう身体の関係があるとしても、貴方の気持ちに変わりはないのですか」
「筒井君!」
蘭世の顔から 一斉に血の気が引いていく。
そして筒井の目にも、カルロの顔が一瞬不快の色に染まったように見えた。
そして、ふうっ とため息とも言えるような吐息をカルロは吐き出していた。
蘭世はカルロから 今の筒井の発言について何か問われるのではないかと思い 恐れ
思わず俯き ぎゅ・・と目をつぶる。
だが。
「ミスター・ツツイ、私は子供の恋愛ごっこをしているつもりはない。問題外だ」
「う・・・」
どうやらカルロは筒井の言った内容を不快に思うよりも、筒井がそれを引き合いに出したこと自体に
あきれているようだった。
その声は蔑みのような、あきれた様な雰囲気の色を帯びていた。
筒井も・・カルロにあっさり切り返され、さすがに自分の言動が恥ずかしくなったらしく口ごもる。
そして、カルロは少しからかうような口調になる。
「仮に君がランゼの寂しい想いを紛らわせることに手を尽くしてくれたのならば私は君に
 礼を言わなければならないな」
「違う!”紛らわせる”だって?!・・馬鹿にするな」
筒井は思わず怒鳴る。
「僕は・・僕は 本気で蘭世ちゃんが僕だけを見てくれたらと思って動いてきただけだ!それを
そんな風に曲解されるのはごめんだね!」
「そうか。」
カルロは再びグラスをワインで満たすとそれを手に取った。
「では、君がランゼに本気であると言うことは 認めよう。」
カルロはいちど乾杯・・とでもいいたげなジェスチュアでグラスをこちらへ向けて掲げると
くい・・っと 彼らしくもなく一気に飲み干した。
「そして・・私は堂々と 君から彼女を 奪うとしよう」
「このっ・・!」
(畜生!)
悔しさ半分、破れかぶれ半分。
筒井は思わずカルロに向かって駆け出す。そして彼の右頬に向かって拳を繰り出していた。
「きゃ・・!?」
蘭世は突然の出来事に驚き口元を手で抑え・・事態を見守る。
カルロはひらりと筒井の拳をかわすと、筒井の前で身をスッとかがめていた。
次の瞬間、筒井の”ウッ・・”といううめき声が聞こえ、彼は背中を丸めてその場にへたり込んでしまった。
カルロの拳が 鳩尾に一発 決まったらしい。
座り込んだ筒井が・・次は横へ ドゥッ・・と倒れ込む。
「カルロ様!」
蘭世は思わずカルロへと駆け寄る。
当然、蘭世は再会の喜びに酔いしれたい。だが、足下に倒れた筒井も気になる・・
「カルロ様・・あのあのっ・・筒井君は、大丈夫なの?」
「気を失っただけだ。」
カルロは一度にこっ と笑顔を蘭世に向けた後、突然 気絶した筒井の脇に腕を廻し
彼を移動させ始める。
「??」
部屋の中央へ筒井を横たえると、今度はドレッサーへ近づき、ダイニングにもありそうな
背もたれ付き椅子を引き寄せてきた。
そして、彼の手には 荷造り用らしい紐と、スーツケースベルトが一本。
(なにを するの??)

カルロは、非常に慣れた手つきで 筒井を椅子にどっかりと座らせ・・縛り付け始めた。
(えっ えええっ!?)

両足はそれぞれの椅子の足に左右一本ずつ、
胴体はスーツケースベルトで
手首は後ろ手に廻して やはり荷物の紐で
ハンカチを取り出して 猿ぐつわ。

続いて筒井のネクタイを首から抜き取ると・・それを目隠しに使う。
あれよあれよというまに、筒井は椅子にしっかりと固定されてしまった。

「カルロ様、やっぱりだめよこんなの!」
蘭世はにわかに不安が募りカルロへもの申す。だが、カルロの方は全く悪びれた様子がない。
「ランゼ。お前はひょっとしてこの男で困っていたんじゃないのか?」
「えっ」
突然の さながら探偵のようなカルロの正確な指摘に 蘭世は驚く。
「どうして それを・・・?」
「お前がおびえた顔でロビーへ逃げてくるところが 吹き抜けの3階から見えていた。」
「カルロ様・・・!」
「まるでストーカーから逃げてるみたいだった」
”ああ、カルロ様が 判ってくれていた・・・!”
ちゃんと、蘭世の様子を見てくれていたのだ。
少し前にカルロは3階へ到着しており、ただならぬ蘭世の登場の仕方に驚き、カルロは
下りエスカレーターを駆け下りてロビーへ降りてきてくれていたのだった。
「ま、ミスター・ツツイには軽くお仕置きというところだ。」
そう言ってカルロは悪戯っぽい瞳を蘭世に向けてくる。
蘭世は余りのうれしさに 再び涙腺が緩み出す。
そして。

「カルロ様っ・・・カルロ様あっ!」
飛び込むようにして 蘭世はカルロの胸へと抱きついていった。
そして、子供のように ひっく ひっくと声を上げて泣き始めたのだった。

「長い間 すまなかった・・・」

カルロも胸の中の蘭世を しっかりと両腕で抱きしめる。
泣きじゃくる声の合間に、蘭世が ”ずっと 会いたかった”と辛うじて囁くと
カルロも ”私も お前に会いたかった 忘れた日はなかった”と言葉を返してくれる。

そして、蘭世は ひたすら 涙 涙・・・

顔を見上げて、視線が絡み合うと・・お互いに吸い寄せられるようにして唇を重ね合わせる。
久しぶりの逢瀬に、夢中で深く舌を絡め合わせ口づけに酔いしれる・・・。
蘭世はやがて広い背中へと腕を廻す。
その広い背中の男らしさに蘭世は心をときめかせ、カルロも蘭世のなよやかな身体のラインに
両手を泳がせ陶然となる。
そして いつまでも、いつまでもと お互いを確かめ合うための 長い口づけは続いていった。

漸く気が落ち着き・・唇がそれでも惜しむようにゆっくりと離れていくと なお
銀色の糸が二人の唇をひとつにつないでいるのだった。


カルロは優しい瞳で・・だが少し悪戯坊主の光を宿して蘭世に提案をする。

「久しぶりに一緒に食事はどうかな? 勿論今からすぐに・・このまま」

「えっ !?こっ このまま・・!?」
蘭世はその言葉に驚いて目を丸くし筒井をちらっと見やってから・・カルロを見上げる。
(縛った筒井君を置いていくの・・!?)
冗談かと思ったのだが、どうもカルロは平然としている。
「勿論こいつは放置だ。この男には良い薬だ」
「ほんとに・・・・?」
(ほんとに 放置しちゃうの・・!?)
カルロの提案におろおろしていると、カルロはコートラックから上着を引き寄せ、
さらりと身に纏うと蘭世の肩を抱き寄せて さあ行こう とばかりに歩き始める。
それに釣られて蘭世も 足をもつれさせつつ歩み始め、一緒にその部屋を出たのだった。



つづく



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