『さて…』
ドラマも見終わって時刻は11時。そろそろ風呂にでも入るか…
タンスから着替えを取り出す。
この前みたいに翔と鉢合わせになるかもしれないので、洗面所に行く前に翔の部屋まで確認しにいく。
“コン、コン”
『翔、いるか?』
軽くドアをノックしてから呼びかけてみる。ここに翔がいるのなら安心だ。
『んだよ。なんか用でもあんのかよ?』
中からダルそうな声が聞こえる。大丈夫みたいだな。
『いや、今から風呂入ろうと思うから…』
『へ?…な、なんでお前と一緒に風呂なんか入らなくちゃなんねーんだ!
それに俺さっき入ったつーの! くだらないこと言うんじゃねえクズ!』
アレ? 何か誤解してる?…俺の説明が足りなかったか。
あれでも充分に意味が分かると思ったんだが…
『え、いやそういうことじゃなくてだな。ホラ、この前つうか一昨日風呂覗いちゃったじゃないか。
言っておくけどワザとじゃないぞ。それで、もうあんなことがないように確認しただけだ』
別に一緒に風呂に入ろうとかそんな大胆つうか変態なことを考えていたわけではない。
『な、なんだ。そんなことかよ…ま、まあな。俺も2度とあんなのはごめんだからな! もし今度やったら絶対ブっ殺す!』
うん、俺も次やったらブっ殺されると思う。ほぼ100%間違いなしに。さすがにこの歳で死にたくはない。
『それだけだ。悪かったな』
そう言って洗面所に向かおうとすると翔に引き留められた。
『ちょっと待てよ』
『何? なにか用事でもあるのか?』
だったら聞くが。別に急いで風呂に入らなくてもいいからな。
『用事ってほどのものでもないんだけどよ…まあ、なんつうかグチを言わせろ。
か、勘違いするんじゃねーぞ! 単に今は事情をよく知ってるのがお前だけってことだからな』
なんだ。そんなことか。そりゃいきなり女になったんだから、グチの1つや2つ言いたくなるだろう。
『うん、いいぞ。それぐらいなら喜んで聞こう』
『そうか…悪いな。最初に女になって学校に行ったとき、普段なら俺に目を合わせもしないような連中まで俺のトコ寄ってきやがってよ。
口々に可愛いとかなんだとか言うんだよ…』
うん。それは確かに翔は可愛いからな。まっとうな男ならお近づきになるたいと思うだろう。
『女だけじゃなくて男もいっぱい寄ってきてよ。今日も女子の制服着ていったら前よりもたくさん寄ってきやがって。
ウザいから怒鳴っても離れやしねえ』
確かにそんな感じだったな。稔もしかり、うちのクラスの連中もしかり。
『あいつらなんなんだよ…? 人が女に変わった途端、目の色変えやがってよ。マジきめえ』
『それは翔が可愛いからだよ。まあ、なんというか男の時の翔も格好良かったけど、やっぱり格好良くても男は寄ってこないだろ。
でも可愛いってのは別だからな』
いくら格好いい男でもそれだけで男に好かれるってのはないからな、普通。
『だ、だから別に可愛くなんかねーっての! ウザえな、ホント…
でも俺、思うんだよ。連中は俺の顔やら俺の体やらに興味があるだけで、別に俺のことなんかなんとも思ってねーのよ』
それは違う。それは違うぞ。
『その考え方は間違ってる。確かに今の翔は顔も可愛いし、体型もいい。
でもそれだけじゃないんだ。もし仮に本当にそれだけを見て翔とつきあってるのなら、そんなに寄ってきたりはしない、絶対に。
だからそれだけじゃなくて、翔の人柄…みたいなものもあるんだと思う。その、翔もけっこういいトコあるし…』
まあ、中には本当に顔とかしか見てない奴もいるだろうが、そんな奴はそれほどしつこくはない。稔は例外。
『そ…そんなもんなのかよ…』
ドアの向こうの翔がやや声を落としてい呟く。
『ああ、そんなもんだ。だからそう、深く考えなくていいと思うぞ。
もし、男に戻れるのなら(戻れないのだが)万万歳だし。仮に女のままでも俺はいいと思う。こんな無責任なこと言って悪いけど』
それに女のままなのだ、実際。だから翔には早くその好きな男とやらと幸せになってもらいたい。
『簡単に言うんじゃねーよボケ! ………でも、…お前が…戻らなくてもいいと…思うなら…』
怒られてしまった。ちょっと無責任な発言すぎたか……最後の方は声が小さくてよく聞こえなかったが。
『まあ、そんだけだ。グチって悪かったな。お前の意見なんぞ参考にもなんねーけど、俺の気が少し晴れたからよしってことにしてやんよ。
オラ、さっさと風呂でもんなんでも入ってとっとと寝ろ!』
そう言ったきり、ドアの向こうから声は聞こえなくなった。まあ、少し気が晴れて何よりだ。
言われたとおり俺も風呂に入って寝よう。
風呂からあがって部屋に戻る。ふ〜。サッパリした。
寝ようと思って携帯を手に取るとメールがきていることに気づく。どうせ…
「翔ちゃんとデートさせてくれお兄さん」
やっぱりな。はいはい削除削除。相変わらず懲りないというか、しつこいというか、根気強いというか…
だいたいお前は翔とまともに話したことないだろ…いや、俺が知らないだけで本当はあるのか?
まずないと思うが、もし稔が翔の好きな男だったらどうしよう? 俺は稔の兄貴になるのか
…絶対嫌だ。なにがあっても嫌だ。まずないとは思うが…
“積み上げた〜砂の城を♪浚う波に両手を広げ〜ては♪”
携帯を置いて寝ようと思ったら着メロがなった。電話か。こんな時間に誰からだろう?
『知らない番号だな…』
見たことのない番号だ。登録もされてない。勧誘とかそういう系か?まあ、とりあえずでてみるか。
『はい、もしもし』
『こんばんわ。悪いなこんな時間に』
こ、この声は…
『健さん…? お、お久しぶりです』
『おう、久しぶりだな。こうして話すのは2年ぶりぐらいか』
電話の主は健さん、須々木健さんだった。久しぶりに声を聞いた。
健さんは、まあ、簡単に説明すると母さんの元教え子兼友人だ。俺が小学生の頃に家まで母さんを訪ねてきて、その時知り合った。
それから出会うたびに遊んで貰ったし、いろいろとお世話にもなった。
『ええ、最後に会ったのが俺が中学3年時でしたから、それぐらいですね。それで突然どうしたんです?』
『今は高2だったけな。でかくなったな。今、仕事でこの町まで来ててな。久しぶりにお前の声が聞きたくなった。
それにちょっと訊ねたいこともあったんだ』
健さんが訊きたいことか…なんだろう?
に、しても仕事っていうとやっぱりアレだよな…健さんは一言で言うとすごい人だからな。
健さんぐらいだと思う。
「俺は、いつ、どこで、誰に、どんな風に、どのような理由で殺されようとも、文句をいうつもりは一切、ない」と心の底から言い切れるのは。
なにせ高校時代の異名が『静かなる狼』っていうぐらいだし…つうか母さんは『笑う雌豹』だったけ。
どこの戦地だよその学校…
『何ですか? 訊きたいことって?』
『ああ、実は人を捜しててな。背は180pぐらいで痩せ形。スキンヘッドで右頬に傷がある男でな。
名前は堀田史也って言うんだが。会ったこととかあるか?』
スキンヘッドで右頬に傷って…いかにもだなあ。
『すいませんけどないですね。また見かけたら知らせますけど』
『そうか。もし見かけても声なんて絶対かけるなよ。小物とはいえ、いや小物だからこそ、一般人には危険な男だからな。
無理に関わる必要はない。いや、むしろ絶対に関わらない方がいい。しかし、知らないか…分かった。ありがとうな。
しばらくこの町にいるつもりだから、もし困ったことでも会ったら遠慮なく知らせてくれ。役に立てると思う』
その危険な男とやらはこの町にいるみたいだな。
健さんはそいつを見つけたら町を離れるつもりなんだろう。
『いや、そんな悪いですよ…それにあまり困ったことは(あるけど)』
『ははは。まあ、遠慮するな。…今日の用はこれだけだったんだ。こんな遅い時間に悪かったな。先生によろしくいっといてくれ』
先生ってのは母さんのことだ。
『いえいえ。全然かまわないですよ。それじゃまた』
『おう、またな』
そう言って電話は切れた。そっか、今、健さんこの町にいるんだ。なんというか心強いな…
いや、別に何があるわけじゃないけど。