「──い」
なんだか揺れているような気がする。地震? まあいいや。震度5強でなければ問題はな──
「おーい、起きろー」
「──んぁ?」
ぼんやりとした霧が意識にかかって、いまいち現状が理解できない。薄いレースのカーテン越しに見ているように視界も悪い。
「おーきーろー」
肩を揺さぶられる。だんだんと脳が活動を始める。
「ん、なにか用?」
半無意識的に口が勝手に喋る。
人は、寝起きのときに「あと5分」とか反射プログラムを発動させるAIを持っていると思う。とても便利だ。
「『なにか用?』じゃないわよ。図書委員の仕事忘れたの?」
そういえばそうだった気がしないでもない。……というかこの目の前にいる活発そうな人は誰だったか…………図書委員?
あ、六条単(ろくじょうひとえ)だ。特別親交はないけど挨拶するくらいの仲。
例外なく誰とでもフレンドリーに振る舞え、あの委員長にも真っ向から立ち向かえる奇特な人。
「もしかして、いまもう昼休み?」
記憶が2時間目の数学からない。疲れていたとはいえ随分と眠りこけてしまったみたいだ。
「当たり前じゃない。さあいつまで寝ぼけてんの。さっさといくわよ」
有無を言わせず手を掴まれ無理やり立ち上がらせられる。
「ちょ、ちょっと待って。ぼくまだ何も食べて──」
「あたしもまだよ。図書室で食べればいいじゃない」
「それもあるけど、何か買わないと食べるものがな──」
「そんな時間ないし、あたしのを半分あげるわよ」
別に言い訳するつもりはなかったけど、ことごとく論破された。
後ろ手に掴まれ、揺れる肩までのツインテールのすぐ後ろを強制的に歩かされる。
市中引き回しの刑とでもいえばいいのか、情けない構図だ。
それを知ってか知らずか、彼女は無言で先をゆく。
そんなに図書委員の仕事を忘れたことを怒っているのだろうか。心なしか怒ったときに出る荒い鼻息も聞こえる。
掴む手にも力がこもっているし、いよいよ怒り心頭のようだった。
「あの……六条さん?」
「! なによ!?」
荒げた声。やはり完全に怒っている。振り向いた顔も湯気が出そうなほど赤い。
ちょっとした刺激で「ドガァ!」というオノマトペと一緒に噴火しそうだ。
「図書委員の仕事忘れて、ごめん。だから機嫌を直して、ね?」
ぼくなりの精一杯の笑顔を向ける。誤魔化しの意味を少なからず含ませて。
瞬間、六条さんの顔の赤さが一段階増して鮮やかになった。
しまった、逆効果だ。
天ぷら火災をどうにかしようと消化剤としてマヨネーズを放り込んでしまったようなやっちゃった感がぼくを襲う。
どう後始末をつけたものか。嵐が過ぎるのをただ待つしかないのか。
…………
でも、噴火どころか天変地異はなにひとつ起こらなかった。
ぼくの目に飛び込んできたのは、茹でダコもしくは茹でカニのように顔から首から足まで真っ赤に染まった六条さんの姿だった。
そのままぴくりとも動かない。弁慶の立ち往生を連想させる格好だ。
「六条さん?」
呼びかけにも応じない。焦点が定まってないというか、心ここにあらずというか、なんというか現実を見ていない感じがする。
何かの持病だろうか。例えば某半島特有の「ふぁびょん」とかいう風土病とか。
だとすれば保健室に連れて行くのが一番いい。そう判断して100年経った古時計のように動かなくなった六条さんを背負う。
(思ってたより、軽い)
ぼくと同じくらいの背丈なのに驚くほど軽かった。これなら力の弱くなったぼくでも保健室くらいまでなら運べる。
あえて障害をあげるとするなら、女の子を背負うというあまりない光景に好奇の目を向ける人があちらこちらにいることだ。
恥ずかしいけど、我慢しかない。
嫌な噂が流れないといいけど……。

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「失礼します」
本日2度目の保健室。今回は保健医がいることはわかっているので後を任せることができる。
「どうかした?」
保健医の指定席にいたのは校内で人気度が一番高い(といわれている)嘉神みなも(かがみみなも)先生。
美人でスタイルもいいとなればそれも当然で、見下ろす格好の今は谷間が…………
「あ、あの。急に動かなくなってしまって」
そんなことをしている場合でないと煩悩を振り払いながら説明する。
「じゃ、ちょっとそこにゆっくり寝かせて」
言われた通り嘉神先生に一番近いベッドの上に寝かせる。
ここにくるあいだに赤みは消え、もとの白い肌に戻っていた。静かに寝息を立ててさえいる。素人目にももう大丈夫だとわかった。
「どうしてこうなったかわかる?」
おでこに手をあてて熱を測ったり、脈拍を取ったりしながら聞いてくる。
「それがさっぱり……。あまりに突然だったので何か持病でもあるんじゃないかと思って連れてきたんですけど」
「そう。本人に聞いてみるまではわからないけれど、脈拍も心音も安定してる。少なくとも持病があったとは考えられないわ」
ほっと胸をなでおろす。
「あ、図書委員の仕事があるので、あとをお願いしてもいいですか?」
「それが仕事だもの」
特上の笑顔。これならこの学校の未婚の男性教諭が全員嘉神先生を狙っているという噂も信用できる。
生徒の中にもチャレンジしている人がいるとかいないとか。
「失礼しました」
「あ、ちょっと」
退室しようとして、不意に呼び止められた。
「なんですか?」
次に嘉神先生から発せられた言葉はぼくの予想を遥かに超えたものだった。

「なんでその服着ているの?」

「──!」
どくんと心臓が大きく波打った。
(バレた!?)
いや違う。別の意味で言ったか、特に何も意図してない、そう考えるのが自然だ。
ぼくは普通の男子生徒として振舞っていた。何の糸口もなくバレるわけがない。
膨らみだって普段のぼくを知らなければ微妙な差異なんか絶対にわかるわけがない。
「え、どこかほつれてますか?」
我ながら白々しいと思った。でも、その反応のほうがよほどそれらしい。
「そうじゃないわ」
嘉神先生は椅子から優雅に立ち上がり、ぼくに迫ってくる。ぼくは動けなかった。

「どうして男子の制服を着ているのかってことよ」

完全な看破。
「あなた、女の子でしょ?」
「違いますよ。ぼくは2−Bの半田陽。名簿見てもらったらわかりますけど、れっきとした男です」
本能的に最後の抵抗だと悟る。すぐに逃げられるように引き戸に手をかけ──
「これのどこが男の子なわけ?」
嘉神先生の指が合わせに沿い這うようにゆっくりと下る。ボタンがほとんど無抵抗にはずれてゆく。
3分の1まではずすと、その間にするりと手を滑り込ませシャツの上から胸を撫で回した。
「──ひっ!」
「もう一度聞くわ。どこが男の子?」
暗く静かな最後通牒。でももう反論はできなかった。
逃げようとする気力すらなくなり、妖しく光る先生の目を見ることしかできなかった。
今朝の誓いは半日も経たず瓦解した。
自分は負けた。それもあっけなく。
だったらこれ以上の抵抗は無意味だ。
諦めが心と身体を支配する。観念するしかない。
内側から鍵を閉められ、保健室は完全な密室になった。
ぼくは操り人形のように嘉神先生の言う通りに従う。
先生は患者用の椅子に座らせたぼくをしげしげと観察する。
「聞かせてもらっていいかしら。どうしてその服を着てるの?」
「…………」
ぼくは押し黙る。本当のことを言ったところで信じてもらえるわけがない。だったら喋らないでいることと同じだ。
「素直に喋ってちょうだい。秘密は必ず守るわ」
話さなければ、この質問が続くだけだ。そのまま解放されるとは思えない。
「…………実は、」
ぼくは話し始める。朝起きたらこうなっていたこと、原因はさっぱりわからないこと。
ただ、もうひとりの『ぼく』については話さなかった。
「そう、そんなことが。確かに名簿には『性別:男』とあるわね。でも、原因がなければ結果は起こらないものよ?」
「この話をそのまま信じてもらわなくていいです。ぼくだって信じられないんですから。それから質問……いいですか?」
原因だって話したところで『信じられない』範疇に含まれる。
だから信じる信じないはどうでもよかった。それよりも聞いておきたいことがある。
「どうしてぼくの身体のことがわかったんです? バレるようなことをしたつもりは全然ないんですけど」
「それはね……匂い、よ」
「匂い、ですか」
「そう。男の子と女の子は匂いが全然違うの。あなたは格好とは正反対の匂いがした。だからわかったの」
匂いで識別──まるで犬みたいだ。
それにしても匂いなんてそんなに違うものだろうか?
「いま、犬みたいだ、って思わなかった?」
「そ、そんなことはないですよ。でもそんなにはっきり違うんですか? だとすると嗅ぎなれてないとわからないんじゃ……」
「それはね」
嘉神先生がずいっと前に乗り出す。漂ってくる化粧とか香水の混じった大人の女性の香り。
「女の子の匂いをたくさん知っているからよ」
唇を塞がれた。嘉神先生の唇で。
「ん──!」
舌がぼくの口の中に押し入ってくる。不意打ちということもあって易々とぼくの口の中を蹂躙する。
先生の舌がぼくの舌を絡め、離し、絡めを繰り返す。そのたびに身体が熱くなっていくように感じた。意識もぼーっとし、力が抜ける。
ぼくはなされるままになっていた。
どれだけ時間が経っただろうか、くちゃくちゃと唾液を交換する音が静かな保健室に場違いのように響いている。ように聞こえた。


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