「ふぅ」
唇が離れる。ぼくの唇との間にぬらぬらと光る半透明の橋ができる。
「よかったわよ、陽くん…………いえ、陽ちゃん」
第三者がよくいう『中性的』な顔もあって、陽ちゃんと呼ばれることも珍しくない。
家族から呼ばれるのならまだいいけど、知り合ってすぐの人に呼ばれるとなると話は別だ。
その理由が「可愛いから」なら論外だ。ぼくの中で男を形容する言葉に「可愛い」はない。この顔がコンプレックスなのだから当然だ。
…………でも。
いまはそんなことは微塵も感じなかった。
「可愛い顔してるわよ、陽ちゃん」
むしろ自分を認めてくれた感すらある。何故かそう感じた。
「さあ、続きをしましょうか。女の子の愉しみを教えてあげるわ」
男なら誰でも虜にしてしまいそうな魔性の笑み。
赤ん坊のように軽々と抱きかかえられ、一番奥のベッドに横たえられた。カーテンがレールを滑り、独立した空間ができる。
「じゃ、脱がせてあ・げ・る」
心の底から楽しそうだった。ぼくはさっきの強烈なディープキスの余韻が残っていて何も考えられない。
着せ替え人形のように一枚一枚剥ぎ取られていくのをぼーっと眺めることしかできなかった。
「あら、そんなところに絆創膏なんか貼っちゃって」
シャツも脱がされ、ズボンも脱がされ、残ったのはトランクス一枚。半裸だ。
「ほら、天井を見て。鏡張りなのよ。元が男の子ならこの機会に女の子を知っちゃいなさい」
絆創膏が剥がされ、最後の砦のトランクスも剥ぎ取られ、完全に生まれたままの姿になる。
天井にはぼくに良く似た女の子が不安に表情を曇らせていた。
「ふふ、可愛いわよ。体つきのバランスもいいし、余分な贅肉もない」
そう耳元で囁く。離れ際にふうっと息を吹きかけられ、身体がびくりと震えた。
「まずはここね」
先生の白い両手が胸へと伸びる。冷たさに身体が強張る。でも別の感覚がやってきてそれらを打ち消す。
「うっ、ぁぁ……」
手は優しく揉みしだく。膨らみはささやかものなのですっぽりと手のひらに覆われてしまう。
「小さいけど弾力もあるし、いいおっぱいよ。きっと成長したらすごく綺麗になるわね」
まるでマッサージをするかのように強弱をつけて上下に左右に揉まれる。
「あぅ……」
何かしらの刺激が与えられるたび、口から自然と意味をなさない声が漏れる。
「可愛い声出すじゃない。感じてきた?」
感じる──気持ちいいことだというのは知識で知っている。でもそれがどの程度のものかは、
「わから……ない」
「そうよね、男の子だったら知らないわよね。じゃあ、教えてあげる。これが感じるってことよ」
「──! うぁぁあぁぁぁ!」
何が起きたのかわからなかった。突然雷が落ちてきてぼくの身体を隅々まで走り抜けていったとしか認識できない。
先端を指で摘まれていると理解できるのにそれから少し時間が要った。
「いい声……。これが『感じる』よ。気持ちよかったでしょ?」
うっとりとした表情でぼくを見つめる。
ぼくは無言で首を横に振る。こればかりは男として認められない。
「だったらこれで感じるはずよ」
また唇が塞がれる。息が荒くなっていたぼくの口は無防備に舌を受け入れる。
「うん……むぅ……ん……!」
舌がぼくのなかで暴れ回る。さっきと比べるとあまりに乱暴すぎる。
「ん! んんんんんんんん!」
再び身体の中でなにかが爆発する。状況が理解できないまま、2度3度と強烈な刺激が波となってぼくに襲い掛かる。
刺激が強すぎて処理範囲を軽く超える。
ぼくはただ刺激をそのまま受けるしかない。
「──!」
突如として爆発した何かがまるで歯車のように合致した。刺激の動力が伝わった先は、
「どう?」

「気持ち……いい…です」

快感だった。
それも男の時に感じた局所的なものではなく、全身の隅々まで行き渡ってまだ余る類の圧倒的な快感。
「それはよかったわ。……次はもっと気持ちよくしてあげないとね」
自然と頷いていた。もう男であるとか女であるとか関係なく、ただこの気持ちよさを味わいたい。それだけしか頭にない。
嘉神先生はぼくの下半身の横に移動させる。そこにあるのは当然、
「見ないで……ください」
下半身を見られ顔がかあっと熱くなる。
「ここも綺麗……。よかったわね、あなた完全に女の子よ」
「そんな……」
ある程度覚悟していたとはいえショックだった。専門家がそういうのだから、間違いないのだろう。
それでも「よかった」とは思えない。まだぼくは自分のことを『男』と思っている。
「毛もはえてないし小学生のみたいだけど…」
「ひゃっ!」
割れ目をなぞられた。
「しっかり濡れてる。すごいわ、こんなの見たことない」
半透明に光る液体を指に乗せてぼくに見せ付ける。興奮気味に語る嘉神先生の姿は狂気といってもよかった。
未知なることへの恐怖が湧き上がる。鏡の中のぼくは青ざめてさえいる。
「そんなに怖がらなくたっていいわ。さっきのなんか比べ物にならないほど気持ちよくなるんだから」
優しげな声音。でもその奥には獰猛な欲望が見え隠れしていた。狼は羊の皮をかぶっても狼にしかなれな──
「ひゃう!」
思考は突如打ち切られた。いや、打ち切らざるをえなかった。
先端のときとは本当に比べ物にならなかった。倍とも数倍とも思える快感の奔流は意識を簡単に押し流すほどに強い。
「まだ触っただけなのに、ちょっと敏感すぎるわよ」
「……そ…んなこと言われて……も…………あっ!」
快感が津波のように押し寄せ、身体中をそれ色に染める。間違っても波ではなかった。次から次へとやってきても全く引かないのだ。むしろ蓄積さえしている。
「指でなぞるだけもつまらないわね。味わっちゃおうかしら」
ぞくりと背筋が凍りそうなほど冷たい舌なめずり。逆光で顔はよくうかがえないけど血のように赤い舌が印象的だった。
それにしても、味わう……?
「きゃうあああぁぁぁぁ!」
その意味は頭ではなく身体で理解した。
舐められている。ぼくの。あそこが。なんで。こんな。すごい。なんで。
「あっ…う………あっ…あっ……はぅ!」
なんで。こんな。声が。出。なんで。これ。でも。気持ち。いい。
「美味しいわよ、陽ちゃんの蜜。愛液といったほうがいいかしら。知ってるわよね?」
ぼくは少しだけ首を縦に動かす。
「女性はね、感じるとこうやって愛液を分泌するの。でも陽ちゃんは少し感じすぎね。こんなに溢れ出してるんだから。もしかして淫乱なのかも?」
「ち、ちが……!」
違う。ぼくは。違う。絶対。
「やぁっ!」
生温かい舌がぼくの『中』に入ってくる。そのまま入り口付近を舐め回す。
もう何かされるだけで気持ちいい。身体も脳も溶けてしまいそうなほどに。
「あぅ……やっ……だ…だめっ!」
自分の中で何かが高まっていくのがわかる。それは例えるなら、水がぼくという風船の中を満たしてゆくのに似ている。
許容量いっぱいになれば何が起こるか。……怖いと思う反面期待もしている自分がいた。
水が満たされるにつれ、声がより高くなる。その声すら自分を高めてしまう。
「よだれまで垂らして感じて……それで淫乱じゃなかったら、世の中のほとんど女性は不感症じゃない。
まあいいわ、そろそろイきそうなようだし。仕上げは……ココ」
ぼくの快感の高まりを察知したのか先生はにやりと笑う。
「イっちゃいなさい!」
「──! やあああああぁああぁぁああぁあああぁぁぁあ!!」
瞬間意識が真っ白になった。これまで感じていたものを覆すような圧倒的な快感がぼくを貫く。
自分の声のはずなのに誰が別の人が叫んでいるように聞こえる。
力のこもっていた下半身から力の一切が抜け、何かが自分のなかから出ていく感じがした。
今ここが天国といえば信じてしまいそうなほど身体も心も充実している。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
ふと自分の呼吸の音で我に返った。
「どう、女の子の快感は?」
火照った身体にはまだ絶頂の感覚がありありと残っている。
「……よかった…で…す……」
頭で考えるまでもなく答えは決まっていた。
「最後のはとくに良かったでしょう。あれがクリトリスよ。女の子が一番感じるところ。……またやってほしい?」
それは悪魔の誘惑であり天使の祝福だった。
頷くと濃厚なキスをされた。今は何をされても気持ちいいとしか感じない。髪ですら触れられるだけで快感を覚えるかもしれない。
「今度は指でやってみようかしら」
「せんせぇ……はやく……やってください……っ!」
股間が疼いてしょうがない。早く刺激を。もっと快感を。求めるように腰をくねらせる。
「まずは……1本」
「ああっ!」
ずぷりと細い指が中に入ってくる。でもそれだけでは少し物足りない。何とか快感を得ようと下腹部に力を入れ指を中で挟みこもうとする。
「凄い締め付けね。でも1本じゃ足りないって顔してるわ。いいわ……2本目」
「うあっ!」
差し込まれると同時に指が前後に動き始める。抜き差しされるたびその動きが快感を呼び戻す。
「い……いい……です…それ……もっと…っ!」
「あらあら、男の子のくせに女の子みたいに喘いで」
そんなことはどうだっていい。些細なことだ。
いまはただ快感が、充足が欲しい。
「あん……あっ……あんっ……ぁ……うんっ!」
感じたものをそのまま口に出す。天井の鏡には快感に酔いしれる『女の子』が映っていた。
そのいやらしい姿に興奮する。途端に絶頂を近くに感じる。
「もっ、もう……! 何か……くる……っ!」
それに応えて指の動きが早さを増す。くちゅくちゅと聞こえる水音がぼくをさらに扇動する。
「さあイきなさい! そしていやらしく鳴くのよ!」
先生の指がぼくのクリトリスを圧迫する。
「だ……め……! い、いやあああぁあぁぁあぁああぁああああぁ!!!」
喉が痛くなるほど叫んで、ぼくの意識は暗い闇の中へ落ちていった。

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──キーンコーンカーンコーン

どこか遠くでチャイムの音が聞こえる。
海の中か雲の上か、なにかを隔てて振動の伝わりを妨害しているような、そんな感じの音質。
(? チャイム?)
まどろみのなか連想ゲームが始まる。
(チャイム……学校……チャイム…………授業!)
たどりついた言葉が引き金になり、一気に覚醒する。ベッドから飛び起き…………ベッド?
「お目覚め?」
パイプ椅子に腰掛けぼくを見つめていたのは嘉神先生だった。その姿は優美で気品すら漂っている。
「嘉神…先生…?」
「あんまり可愛い寝顔だったから、結局起こさなかったわ」
(寝てた? 保健室で?)
記憶の網を手繰り寄せる。
(確か昼休みに六条さんに連れられて図書室に行く途中、六条さんが突然倒れて、保健室に連れて行って、嘉神先生に身体のことがバレて、それから……)
顔から火が出そうになった。というか見えなかったけど出た。顔面ファイアー。
初対面に近い保健の先生と、よりにもよってあんなことまでしてしまった。羞恥を覚えるなというほうが無理だ。
「そうだ! いま何時ですか? 授業は?」
「もう放課後よ。授業を欠席することはちゃんと伝えておいたわ」
「ありがとう…ございます」
あのあと眠りこけてしまったぼくに対してちゃんとフォローを入れてくれたみたいで安心する。
もう放課後なら帰ってもいいはずだ。さっさと服を着て…………えっ?
「な、なんでこんなものを!?」
起きてからなにか胸周りが窮屈な感じはしていた。でも、これを着けていることは想定の範囲外だ。
「あら、女の子なら当然じゃない。下ともお揃いよ」
ぼくの胸には純白のブラジャーが着けられていた。言われて下を見てみると、その通り白の女物のパンツが。
視認したことで、お尻や前に完全にフィットし、それでいて少しも窮屈でない不思議な感じを覚える。
『あった』ときより安定感があるかもしれない。
「いくらまだ小さいからって着けないわけにはいかないわ。形が崩れてからじゃ遅いのよ。下だって女性用に作られたものをはかないと機能的にも衛生的にもよ くないの」
うろたえるぼくを冷たく諭す。
「でも、これじゃ家に帰れませんよ……」
もしこんな姿のぼくを家族に見られたら……。間違いなく大騒ぎになる。言い訳のしようがない。
「それは心配しなくていいわ。全て通達済みだから」
「え?」
……さらりと凄いことを言われたような気がする。全て?
「親御さんにも、学校の先生にも、あなたが女の子になったことを教えたの。大丈夫よ、みんな納得してくれたから」
「…………」
これは精神的ダメージが大きい。クリティカルヒットだ。再起不能まであと少し。
隠し通すはずが、いまや周知の事実となってしまっている。理想と現実にはもはや接点tがない。
明日からどんな顔して学校に行けばいいのだろう。
ぼくが何事もなかったかのようにいつも通りに振舞ったところで、周囲がいつも通りになるとは思えない。
……何も変わらなかったらそれはそれでイヤだけど。
「ショックなのはわかるわ。でもいつまでも隠し通せると思う?」
嘉神先生は放心するぼくをそっと抱きしめる。
「一言も相談せずに決めて、悪いとは思った。けれどこのタイミングでならあなたにとって状況は不利に動かない。
さ、これを着てお帰りなさい。今のあなたは誰が見ても女の子にしか見えないんだから変な目では見られないわよ」
元気付けようとしてくれるのはわかる。けど、いますぐに元気にはなれそうもなかった。
とりあえず家に帰って、何も考えずお風呂に入って、何も考えないまま眠りたい。
「ところで、どうやって説明したんです?」
ひとつだけ疑問が残る。こんなフィクションな話をどうやって納得させたのだろうか。
「『原因不明の奇病で女の子になりました』と言ったら、みんな『ああ、それなら仕方ないですね』と口を揃えて返事してきたわよ」
……心が広いというか、よく信じる気になると思う。
「だからそんなに深刻になることはないのよ」
「案外そうかもしれないですね」
口ではそう言ったけど、すべては明日の朝、みんなの反応を見ないことにはわからない。
奇異な目で見られることは間違いない。
そのあと受け入れられるか、疎外されるか──
(今ここで考えてもしょうがないか)
悪い未来を払いのけるように思考を打ち切った。


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