隆哉と圭一の視線がぶつかった。
「てっきり戻ってこないと思ってたぜ」
「……そんなことより、この状況を説明してもらいたいな」
隆哉がちらりとこちらに目をやった。
黒板の前に連れ出された僕らの服装にはあからさまな暴力のあとが刻まれてる。
そして、汚れた床に力なく横たわる真人……。
誰が見ても、異様な雰囲気だった。
「なに。お前がいないあいだに、残ったモンで調査を進めてただけさ」
「圭一、これは全部君がやったことなのか」
「グループの総意ってやつさ」
小馬鹿にした仕草で圭一は肩をすくめてみせた。
「まさか、外にいってる間にこんなことになってるとは。グループリーダーとして俺が甘かった……」
「へえ。ご不満かい? リーダー様としては俺らに鉄拳制裁でも加えるかい?」
圭一が挑発するように顎をしゃくるのを無視し、隆哉は真人を助け起こした。
「う……」
「しっかりしろ」
どこかまだ虚ろな目をした真人を、隆哉は椅子に座らせた。
「圭一。君たちも席に着け」
「ケッ。どこまでもリーダー気取りかよ」
「非常時にリーダーは必要だ。不満は後で聞く。いまは俺に従ってもらう」
静かだが断固とした口調で隆哉は言った。
薄ら笑いをはりつけたまま圭一は席に戻っていった。圭一の反応を見極めてから、健士と剛士もそれにならった。
あとは女性化した僕らだけが取り残された。
「すまん。俺が目を離したばかりに」
隆哉のおかげで助かったという思いと同時に、女として辱められた痕跡が隆哉の目に映ってしまうのが辛かった。
それは僕以外も同じだったと思う。
「黒部君のせいじゃないよ……」
俯いて智史が言った。
「君らも不安だと思うが、頑張ってくれ。なんとか元に戻す方法をみんなで探ってみよう」
「うん」
「ありがとう」
隆哉の励ましの言葉は、同時に今の時点では僕らが元に戻る方法など皆目見当もついていないことを意味していた。
「……服をなんとかしたほうがいいな」
白いシャツに浮き出た女の体のラインを無遠慮に眺められた気がして、カッと顔に血がのぼった。
「だが、まずは重要な話がある。君らも席に戻ってくれ」
隆哉に促されるまでもなく、圭一たちから自由になった以上、
こうして教室中のみんなに注目される場所に立っている理由はもうない。
僕らはそそくさと自分の座っていた席に向かった。ただ一人、荻野政をのぞいて。
政は、一瞬迷った後、圭一の席へと向かった。
「ヘッ……」
圭一は自分の隣の座席を足で乱暴に引っ張った。そこへ吸い込まれるように政は腰を下ろした。

ホームルームでも始めるかのように教壇に立った隆哉が教室の顔ぶれを見渡した。
「よし、全員いるな。みんなよく聞いてくれ。俺たちが校舎の外へ出てみて、分かったことがある。
学校を包むこの霧はただの霧じゃない。俺たちは──閉じこめられている」
そこで一旦隆哉は言葉を切った。
教室がざわついた。
何事もなく外の霧がひいて無事家に帰れる……そんな安易な希望がいま、否定されてしまったのだ。
「閉じこめられてるって?」
「この霧は人工の物なのか?」
「俺たち、いつ帰れるんだよ!」
誰かが口火をきると、みなが一斉に不安や不満を口に出した。
「──みんな静かに」
隆哉が強い語気でいうと、再び教室に静寂が戻った。
「俺たちが体験したことをありのままに話す。俺たちは校門を出て、駅へ向かおうとした。
ところが……結果的には、校門をくぐってすぐ目の前にあるはずの道路にすら辿り着けなかった」
どういうことなんだ……?
辿り着くも何も、学校の敷地に面した道路じゃないか。
「俺たちは校門をくぐってからまっすぐ濃い霧の中を、俺の時計で一〇分ほど歩いた。
その間、下の地面はゴツゴツした岩肌だった。行く手には何も見えなかった。
霧の向こうに、木も建物も何も見えなかった。
そして、回れ右して引き返そうとした途端、俺たちは校門に辿り着いてた。たった一歩でだ。
たっぷり一〇分は歩いたのに俺たちはどこにも辿り着けなかった。
……ひとつ断言できることがある。この現象は、常識で説明できるものじゃない。
分かりやすい言い方をするなら……これはいわゆる“神隠し”といわれるような超常現象だと思う。
もっとも俺たちは消失する側になっているが……。信じられないが、それがいまのところの結論だ」
今度こそ、わっと教室が騒ぎに包まれた。
「黒部、本当にちゃんと外調べてきたのか!?」
「なにかの錯覚とか、そういうことはないの?」
隆哉と一緒に外に出ていた連中が、神妙な顔つきで隆哉の言ったとおりだと保証してみせた。
あれこれの反応を黙って聞いていた隆哉は、おもむろに僕を指さした。それから純に女性化した五人全員を。
「突然性別が変わる現象なんて聞いたことがあるか? 繰り返すが、いま起きてることは常識じゃ説明がつかない」
やっぱり悪夢だ。
ただの悪夢と違うのは、腕の付け根に当たる胸のふくらみも、股間の喪失感もすべてがリアルだということだ。
そしてこの悪夢はたぶん、朝がきても終わらない。いや、この霧に包まれた世界にそもそも朝も夜もないのかもしれない……。

その後、隆哉の報告を確かめるために、何人かが校舎の外へ出て行った。
結果は、隆哉の言葉通りだった。皆一様に、キツネにつままれたような顔をして戻ってきた。
どんなに歩いても、どこにも辿り着けないのだという。
そして振り向いて一歩踏み出すと、もう校門に戻ってるのだ。
校門から出ないでグラウンドのフェンスを越えたりして外へ出ても、結果は同じことだったようだ。
つまり、僕らは不思議な霧によって、完全にこの学校に閉じこめられた状態なのだ。
無駄な試みが繰り返され、やがてグッタリと疲れた空気がみんなの間に広がった。
教室の時計は、いまが夜中の十一時だと告げていた。
けれど窓の外の世界はあいかわらず曇天のような曖昧な明るさを保っている。
こうなると誰もが受け入れざるを得なかった。学校ごと僕らが“異次元”に取り込まれてしまったということを。
「腹……減ったな……」
誰かがそう呟いたとき、僕の腹の虫も鳴った。腹が減るのに性別は関係ないということらしい。
食べ物は、ひとまず購買部の在庫でまかなわれることになった。
隆哉の指示で袋入りの菓子パンが一人一個配られた。
横で、さっき外から帰ってきた真人が疲れ切った表情で机に腰を下ろした。
ずいぶんと長い時間をかけて霧の外へ脱出できないかと粘っていたらしい。
「あの霧が幻覚かなんかを起こしてるかもって思ったが……目をつぶって走っても同じことだった」
「お疲れ。……これ、真人の分だから」
菓子パンの袋を真人に手渡した。
「ん……いらねぇや。食欲ない」
「食べなきゃダメだ、真人。無理にでも」
表面的には立ち直ってた真人だが、まだみんなの前で辱められたダメージは心身共に残ってるみたいだ。
菓子パンの袋を真人のかわりに開けると、一口分をちぎった。
それを真人の口に無理やりつっこんでやるつもりだったのだが、パンの欠片がポロリと手からすべり落ちてしまった。
パンはちょうどカッターシャツの襟の合わせ目から内側に転がり込んでしまった。
「あーあ。何やってんだよ」
「あっ……」
真人はひょいと僕の胸元に手を突っ込んだ。直後に真人もしまった、という顔になった。
胸のでっぱり……オッパイ……の谷間近くに真人の指が触れた。
くっ……。
ゾクッ、と伝わった不思議な感触に声をあげまいと僕は口をひき結んだ。
「あー、パン。いまパン、とってやるから」
うわずった口調で言い訳めいた言葉を口にする真人。
いまさら手を引っ込めるのも不自然で、あくまでパンの欠片を取ることにしたらしい。……それが間違いだった。
真人がパンの欠片をつまみ上げようとすると、それを嘲笑うように欠片は転がって、胸の谷間の奥へ落ち込んでしまった。
それを追って真人の手が潜り込んでくる。
「ちょっ……」
「パン! すぐ取るから! パン!」
あせってるせいか、真人の手はパンを掴めずに、その周辺で動き回った。
自分でそこに触れたとき、あるいは圭一に乱暴に揉まれたときの感覚とはまったく違っていた。
くすぐったいような、甘酸っぱいような。ゾクゾクとする気持ちよさがあった。
その刺激に敏感に反応して、胸の先端がキュッと熱くなった。
やわらかかった乳頭がコリコリとしこり立っていく。女の体の反射は、意志の力で止めることなんてできなかった。
ツンと尖った先端に真人の手が触れるのに時間はかからなかった。
真人の顔色が変わった。
オッパイに触れられて乳首を尖らせているのを知られてしまった……。
ようやく真人が潰れたパンの欠片を引っ張り出したとき、僕の顔は真っ赤にのぼせ上がっていた。
「悪い……」
「な、なにが……?」
せめてしらじらしく問い返すことぐらいしかできない。
平然を装うとしても、二つの突起がまだはっきりと浮かび上がっていて隠しようがない。
「ほんとに……女になっちゃったんだな……」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で真人が呟いたのが耳に入った。
女になってしまったのは、僕の意思じゃない。それに心は男のままだ。そう叫びたかった。
ジンと乳頭が痺れるような感じがまだ残ってる。
「ちょっとトイレいってくる……」
僕はそそくさとトイレの個室に駆け込んだ。
真人の手に撫で回された胸には、まだ切ないような疼きが抜けずに残っていた。
胸の半球を手で包み、ぎゅっと胸板に押し当てた。
疼きが甘く鋭い快感となって脳に送られた。
「ふ……ふぁぁっ……」
身震いして僕は喘いだ。
なんでこんなことをしてるんだろう……心は男のままなのに……。
ゆっくりと快感がひいていくと、たかぶりも醒めていった。
跡には罪悪感だけが残った。
どうして肉体の快楽に流されてしまったんだろう。
もうこんなことはするまいと誓って、僕は教室に戻った。
教室では、窓にカーテンを引いてるところだった。
時計を信じるなら、時刻は夜中の十二時過ぎ。
とにかく睡眠がとれるように、部屋を暗くしているのだった。


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