個室の中で僕はもう一度自分の服装を確認した。
女の体形で男子の制服を着てるから、あちこちで無理が出ている。
腰回りに比べて、無用なほど尻がまるく突き出てズボンのラインを崩していた。
どうあがいても、完全な女の体になっている以上、それを覆い隠すのには無理があった。
胸を見下ろすと、きれいな円筒状の乳首の形がくっきりとシャツの生地に浮かび上がっていた。
せめて肌着を下に着てこなかったことを僕は後悔した。
シャツを引っ張ってたるみをつくり、なんとか胸の形や乳首があまり露骨にみえないように調整した。
僕は生まれたこのかた男に興味を持ったこともなければ、オカマになりたいと思ったこともない。
訳の分からない現象に巻き込まれたからといって、女になった姿をこれみよがしに晒して回るつもりはなかった。
女になってしまって可哀相、などという目で見られたくはない。僕の本質は男なのだから。
女の第二次性徴を少しでも隠すように気を使うのは、不条理な変身へのせめてもの、僕なりのちっぽけな抵抗だった。
いよいよ覚悟を決めて個室を出ようとしたとき、誰かが個室の戸をせっかちにノックした。
「ヨシ、平気か? ずいぶん長いこと入ってるけど。やっぱり苦しかったりするのか?」
真人だった。なかなか戻らない僕のことを心配して様子を見にきてくれたらしい。
「そんなにガンガン叩くなよ。いま出るところなんだから」
なるべく低く抑えた声で言うと、ロックを外して戸を開けた。
「ああ、なんともなきゃいいんだ。中でブッ倒れたりしてるんじゃないかと思ってさ」
と真人は頭をかいた。
「この通り、ピンピンしてるよ」
「それならいいんだ。……でも、ちょっと顔が赤くないか?」
「なっ!」
オナニーの影響でまだ顔が火照ってたんだ。そう悟った途端、ますます顔に血が上った。
まさか真人のやつ、僕のしてたことに気付いて……?
「ほら、随分と赤い。やっぱ熱でもあるんじゃ……」
「関係ないって!」
額に手を当ててこようとする真人の手を払った。
親切のつもりが突然邪険にされて真人はポカンとしていた。
「あ、悪い……」
「いや、いいよ。俺もお節介だからな。ヘヘッ」
真人はこんなときだというのに、茶目っ気たっぷりに笑ってみせた。
「ヨシ……なんて言ったらいいかわかんねえけど、なんとかなるよ。すぐに外の異常気象も収まるよ」
「収まったとして、僕はこの姿で家へ帰ることになるのか?」
「大丈夫!」
真人はバンと僕の背中を叩いた。
「きっとなんとか元に戻る方法が見つかるって! 俺が保証する!」
「やれやれ。どこからその自信が出てくるんだ……」
「何かの力でヨシの体が変化したなら、その力を逆に使えば元に戻れるはずだろ」
「そんな曖昧な」
「……こんな風に学校に取り残されて、ワケわかんないことが起きてて……今みんな精神的に参って、凹んでるよ。
だけどさ、凹んでてもなんの解決にもならないだろ。
冷静に対処すればこの状況を抜け出して何もかも上手くいくって、そう信じて行動するのが一番じゃん。な?」
笑顔のまま淡々と真人は言った。
「楽天家の真人らしい意見だよ」
「ヘヘ、そういうこと。楽天家が人生で成功するらしいぜ」
真人が無理に明るく振る舞って僕を元気づけようとしていることはすぐ分かった。
真人だって本当は不安でしかたがないはずだ。
それでも他人のために明るく振る舞えるってことは、精神的に強くなきゃできないことだ。
そういえば真人は追い詰められた状況ではいつでもこうして無理にでも明るく振る舞うやつだった。
「教室いこうぜ。いまみんなで会議開いてる」
「ああ……」
僕はトイレを出る前に勇気を出して壁の鏡に目をやった。
鏡の中の僕は、まるで僕の双子の妹のようだった。そんな人物がいたとしたらの話だけど。
顔の基本的な造作は本来の僕そのものだ。それでいて、すべてが微妙に違う。
顔を形作るラインがすべてやわらかい曲線になっていて、ゴツゴツとした印象は微塵もない。
──僕は今の自分の顔がバラエティに出てくるごついオカマのようになってると思っていた。
よく見ると睫毛の本数と長さが増していて、かわりに眉が少々薄くなってた。
髪質は若干補足やわらかくなっていて、そのせいで少し茶髪めいて見える。
ものすごく意外なことに──世間的には水準よりちょっとだけ“可愛い”と言われるような顔立ちかもしれなかった。
だからといって少しも嬉しくないが。
鏡から少し離れて立つと、間違いようのない「男装の少女」が鏡に映った。
鏡に映る姿は、僕にとって屈辱以外のなにものでもなかった。
肩に手が置かれた。
「絶対、元に戻れる。戻る方法探すの、一緒に俺も探してみるから」
「……サンキュ。ガラにもなくあまり気回すなよ」
「俺はもともと気配り派なんだって」
「ハハ……」
2−Aの教室に戻ってみると、隆哉を筆頭に数人がタオルを顔に巻いた、
昔の過激派学生のようなスタイルになってた。
何事かと思っていると、真人が説明してくれた。
「さっき話し合いで決まったんだ。隆哉たちが学校の外の様子を見てくるって」
携帯やラジオなど電波に頼ったメディアで一切の情報が入ってこないので、
数人で外の靄の中へ出ていき、状況を確認してくることになったらしい。
「でも、核が本当だとしたら……」
眼鏡をかけた地味な顔立ちの女子生徒、須藤真紀が心配そうに隆哉の前に立った。
「昔、テレビ番組で核戦争をCGでシミュレートしたやつ見たことあるんだけどさ……正直、こんなだったか?」
隆哉は窓の外を指さした。
あいかわらず外には乳色の靄が立ちこめていた。
「核攻撃だったとして、この学校が無傷で残ってるってことは隣近所もそう大した被害は受けてないはずだよな?
少なくとも町ごと全滅するような被害じゃないはずだ。なのに、どうして人の気配がない?
車の通る音 もしなければサイレンひとつ聞こえてこない。
どんなに耳をすましても、あの靄の向こうからなんの音も聞こえてこないんだぞ!」
「それは……」
「学内の公衆電話も機能してない以上、残された手段は実地で誰かが外の様子を確かめるほかないんだ」
隆哉を先頭にした三人が、教室を後にしていった。
「ケッ。黒部のやつ、なんで偉そうに仕切ってんだよ」
隆哉たちの足音が遠ざかるのを見計らって、佐渡圭一は乱暴に近くの椅子を蹴った。
教室に残った皆がぎょっとして圭一を見た。
「佐渡君、乱暴なことしないで。隆哉に意見があるなら直接言えばいいじ ゃない!」
「うぜえんだよ、あいつは。チームリーダーだからって、関係ないことであれこれ俺たちに指図して何様のつもりだ」
「いまはそんなこと言ってるときじゃないでしょ?」
「女は黙ってろよ」
圭一にペッと唾を吐きかけられて、真紀は血の気の引いた顔で引き下がった。
もともと圭一は粗暴なところがあったが、異常事態のストレスで完全に『テンパった』精神状態にあるようだった。
「さっきから誰も話題にしたがらねうが……こん中にちらほら、
なぜか知んねえけど体が女っぽくなってるやつらがいるよな? どういうことなのか俺に誰か説明してくれよ」
教室の空気が冷たく沈んだ。
圭一は危険な目つきで教室にいる人間をかたっぱしから睨め付けていった。
「ニューハーフになってんのは……久住、瀬川……檜山……荻野……それに狩野か」
最後に僕の名前がやつの口に上った。
「俺の仮説を聞きたいか? こいつはテロなんだよ。アルカイダだかなんだかが日本に攻撃してきたんだと思う。
外があんなになってるのは、なんかの化学兵器のせいだな。今頃町は全滅で、生き残りは俺たちだけだろうよ。
一部校舎の中に入ってきた化学兵器の成分のせいで、抵抗力のなかったやつが化学成分の副作用で今みたいになってんだな」
「待って、圭一君。それじゃ説明がつかないことが多すぎる!」
智史──僕と同じ、運悪く(なのか?)女になってしまった一人だ──が、たまりかねたように圭一に反論した。
「町全体をこんなにするような化学兵器だったら、僕らはとっくに死んでるはずだ!」
智史の面影を残す少女が、か細いソプラノの声で反論した。
「あんだ? ニューハーフのくせに、一人前の口をききやがって」
圭一はつかつかと智史の前へ歩いていくと、いきなり智史の胸ぐらを掴み、
あまつさえカッターシャツを掴んで左右に引き裂いた。ボタンがちぎれとび、智史の上半身がさらされた。
「なに……を……」
「うるせえよ。こっちこい」
「うあっ!?」
圭一は無理やり智史の腕を掴み、引き寄せた。
よろけながら智史が席から引っ張り出される。
「離せ……!」
智史は髪を振り乱して抵抗するが、圭一は平然と抵抗する智史をひきずって黒板の前に立った。
「みんなよく見とけ。興味あんだろ? ほら……こいつの胸、本物の女みたいだぜ?」
「やっ!?」
圭一はすでに破れていた智史のカッターシャツをむりやりはぎとった。
僕のものより一回り大きい乳房がふるっと揺れて突き出された。
智史はあまりのことに、ただ口をパクパクとさせている。
「下のほうはと……へえ? やっぱり女になってるみたいだぜ!」
圭一は乱暴に智史の股間をわしづかみにして、そこに指を突き立てた。
「ヒ……ィッ!!」
智史はなんとか指を逃れようと爪先立ちになった。その状態でさらに容赦なく、
圭一はズボンのジッパーを開け、そこから指を突っ込んだ。
「あ……あ……」
智史の顔が歪む。
間違いなく、圭一の指は、智史の、少女の身体の大事な部分にめりこんでいた。
「や……やめなさいよ!」
それまで茫然と目の前の暴力を見守っていた真紀が震える声で制止した。
もちろんその制止は、圭一に笑い飛ばされただけだった。
「なにカンチガイしてんだよ。俺ァただ、身体検査してやってるだけだぜ、こいつに」
「そんな身体検査なんて……!」
「るせぇ。同じことされたくなかったら、テメェはすっこんでろ!」
一喝されると、もともとそれほど気の強いほうじゃない真紀は言い返せないでいる。
代わりにそのとき、僕の横で真人が立ち上がり、壇上の圭一に向かって殴りかかっていった。