020:刻印

印の子、その秘密。





「――さて、邪魔者もいなくなったことだし」
 ゾロとチョッパーが通路の奥に消え、本棚が元の場所にきっちり収まったと見ると、く れははソファを指し示した。
 サンジは無言で示されたソファに座る。
 同じように対面のソファに座ると、くれははその長い桃色の髪をかきあげた。
 その瞳に鋭い光が宿る。

「…若僧。いや、プリンス・サンジ」

 サンジは目を細めた。
「私は、セイです」
「誤魔化す必要はない。この《豪烈なる鬼女》くれはに、魔法の目くらましなんて無効 さ」
 前かがみになり、顔をサンジに近づける。その目は、セイを通り越してその向こうに あるものを見ていた。魔導で隠された、サンジの真実の姿を。
「…鬼女。そうか、“鬼の目”」
「その通り」
 サンジは苦笑した。ふわりと伸びた髪を軽く払う。
「聞いたことがあります。《豪烈なる鬼女》、“鬼の目”――魔法を破り、はね返す、破 妖の瞳を持つ魔女の話を」
「“神の目”のように強くはないけどね、まぁ便利なもんさ」
 くれはは身を引き、深くソファに体を預けた。
「その金髪、青眼。愉快な眉」
「愉快って…」
 少々げんなりしたサンジを他所に、くれはは淡々と言葉を続けた。
「それに、前髪で隠した程度ではダメだね。一目で分かっちまうよ、その神の印は」
 サンジはそっと左眼を押さえた。今は魔法で隠されているはずのそこには、星神フォ ルテューナの印が刻まれている――選ばれし“印の子”である証しが。
「そんな特徴を持ってる若僧なんざ、この世にただ1人…プリンス・サンジくらいなもん だ」
 くれはは溜息をつき、片手で額を押さえた。
「バラティエが滅びた時、あんたが黒竜めに連れ去られたって聞いて、どれだけヒルル クが嘆いてたことか。あいつはゼフと仲が良かったからねぇ…」
 サンジは俯いた。ずっと昔、幼い頃、この都市を訪れたときの思い出がよみがえる。


 たいそう珍妙な格好のヒルルクという男は、ドラム随一の魔導科学者と言われてい た。 魔導科学とは、精霊の力を真なる言葉によって操る“魔法”を、人工の機械と融 合させる研究のことである。
 その最先端で研究を続けていたヒルルクは、義父に連れられてドラムを訪れた幼い サンジに、様々な物を見せてくれた。
 その時、彼はあの庭園をサンジに教えてくれたのだった。


「――とても、いい人でした」
「はっ、馬鹿なだけさ」
 しばらく二人の間に沈黙があった。
 先にそれを破ったのは、くれはだった。
「帝国を逃げ出したって聞いたが、本当かい」
「ええ。まあ何とかここまで来れました」
「本当によくもまあ……さすがは歌い手、と言うべきなのかねぇ。仲間はあの魔獣と、 手配書の3人か」
 サンジが頷くと、くれははトントンと肘掛を叩きながら言った。
「そいつらは知ってるのかい、あんたが“印の子”だってことは」
「みんな知っています」
「だけど、肝心なことは教えていない。そうだね?」
 サンジは顔を上げた。
 探るような目が、くれはに向けられる。 
「…私は“鬼の目”を持ってるし、魔導科学者だ。だから、“印の子”についても色々と 調べてみたんだよ。そうすると、いろいろと面白いことが分かってきてね」
 くれはは1つ深く息を吸った。

「“印の子”は、多くの場合、身体のどこかしらに病を持っている。歴史上記録されてい る“印の子”の殆どがそうだ。…そして多くの場合、みんな若くして死んでしまう」

 サンジは無言だった。
 けれどその視線はさまよい、それが全てを物語っていた。
「――そう、死んでしまうんだ。神の印は多くのものを“印の子”に与える、と思われて いる。“印の子”のいる国は栄える、とも言われている。けれどそれで“印の子”が幸せ になるかというと、そうではないように思えるんだよ…。…神の印は、まるでそれらの 代償と言わんばかりに、“印の子”の命を吸い取っていくように思えるんだ」
 くれはは目を細くした。
「…あんたは、どうなんだい?」
 “鬼の目”のきつい視線を真っ向から見返して、サンジはゆるりと笑った。
 それは、肯定の笑みだった。
「…確かに、誤魔化す必要はなさそうだ」
 両手の皮手袋を外すとテーブルの上に置き、手のひらを上に向けて見せる。
 くれはは眉をひそめた。
 サンジは続けて、今はブーツにしか見えない、あの特殊な靴を脱ぐ。
 くれははソファから立ち上がった。
 テーブルを土足で踏み越え、サンジの手をまじまじと見つめる。
 さっと顔色が変わった。
 続けて足をテーブルの上に引っ張り上げ、少々乱暴にズボンを捲り上げる。
「…いつからだい」
「昔から。多分、拾われたときにはもう」
 事も無げに答えたサンジに、くれはは目を剥いた。
「あんた、これで旅を続けてるのかい!?」
 くれはに見えるその足は、白く、細かった。足だけではない。袖を捲り上げた腕も、服 を上げさせた腹も、全てが痩せて、白すぎた。
 白を通り越して、紫に変色している個所すらあった。
 くれはが軽く足の白い個所を押してやると、そこは長いこと紫色になった。触れれば 冷やりと冷たく、そして異様に固くすら感じられた。
 …そう、まるで陶磁の人形のように。
「今のところ、支障はないし、まだ腕も足も動くんでね。体力的にも問題ない」
「馬鹿をお言い。これは…人形症じゃないか!」
 サンジは微笑んだ。
「勿論、知ってるさ。昔、ドラムに来たのは、その治療法がないか調べるためだったん だからな。…でも、ヒルルクに言われたよ。今のところ治療法はない、不治の病の1つ だって」

 ――人形症。
 手足の先から徐々に皮膚や筋肉が硬化していき、最終的には心臓にまで硬化が達 し、人形のようになって死んでいく病の呼び名である。
 治療法は発見されておらず、硬化した手足を切り落としても病の進行は止まらない。 さらに、病状が悪化するにつれ、発熱、嘔吐、目眩などが頻発するようになる。手足も 動かなくなっていくため、本来ならばとても旅などできる状態ではない。
 感染症ではないということは分かっているが、感染している事が発覚すれば、普通 は治療院で進行を遅らせるため安静に過ごすことが求められる。そうでなければ、 弱っていく体は様々な合併症を引き起こし、ずっと早くに…死ぬことになるのだから。

「あんた、とっくに旅なんてできる体じゃなくなってるよ。もう、手足の異常だけじゃない んだろう?」
「…あぁ。最近とうとう肺に来たらしい。歌い手としちゃ、そろそろ限界かもな」
 クレハは大きな大きな溜息をついた。
「馬鹿者が。それを仲間は知ってるのかい」
 サンジは目を伏せた。
 ひょっとすると、聡いナミは気付いているかもしれないが、はっきりと告げたことはな い。もちろん、他の2人にも…ましてやゾロには告げられない。
 サンジは、今の状態がとても気に入っていた。ナミを誉め、ルフィから肉を守り、ウ ソップと軽口を叩きあい、……ゾロと色々な話が出来る、そんな今が。
 けれども、人形症のことを告げてしまえば、優しい彼らはサンジを心配せずにはいら れないだろう。どうしたって態度は変わるだろうし、旅をやめようと言われるかもしれな い。
 サンジはそれが嫌だった。
 ――俺はみんなを信じてないのかもしれない。
 ふとよぎった思いに、サンジは小さく小さくため息をついた。
 その思いは、サンジの心の奥底にゆらめく黒い靄に吸い込まれ、それを少し大きくし た。
「あたしは魔導科学者で、医術士じゃあないけどね。それでも分かる。長生きしたけ りゃ今すぐ旅をやめな。この都市じゃなくていいから、どこか静かな田舎の町で安静に 暮らすべきだ」
「それは、できません。別に長生きもしたくないですし」
 静かに答え、サンジは再び手袋と靴を装着し始めた。
 くれはは眉をしかめ、テーブルの上に仁王立ちになった。
「そうまでして何処へ行くんだい」
 サンジは顔を上げた。
 “神の目”が、まっすぐにくれはの“鬼の目”を見上げる。
「――神の地、清浄の青、オール・ブルーを目指してる」
 くれははダン!と机を踏みつけた。
「オール・ブルー!? あの西の果てにあるっていう伝説の楽園かい!? ありゃ伝説だろ、 実在は…」
 す、と立ち上がり、サンジは首を横に振った。
「そう。実在するかどうかは分からない。それでも、探してみたいんだ」
 一瞬、セイの姿が途切れ、そこにはサンジが立っていた。
 青と緑の瞳が遠いオール・ブルーに向けられる。
「俺にはもう時間がない。もって、あと…一年」
 サンジは淡々と言葉を紡いだ。
「“契約”で保たせてきたけど、もう無理だ。もうすぐ俺は俺でなくなる。そうなる前に、 どうしても行きたいんだ」
 くれはは苛立たしげにサンジを見下ろしていたが、不意に背を向けて机から飛び降り た。
 先刻ゾロを通した通路を再び開く。
「…我が侭だね」
「我が侭だな」
 サンジが微笑むと、くれはは天井を仰いだ。
「まったく、アタシの周りの男はみんな我が侭な奴ばっかりだ!」
 ゾロを呼んできな、そう言ってくれははサンジの背を蹴り飛ばした。


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