019:玉石
見極めるのは難しい。折角の和やかな雰囲気を邪魔されて腹が立ったゾロは、剣呑な表情で振り返った。
途端、「それ」はものすごい勢いで伏せた。
「お、お、オレ食っても美味くねぇぞ!」
真白な花はそれほど背丈が高くない。せいぜいサンジの膝下、ゾロの脛あたりまで だ。
本人は隠れたつもりだっただろうが、その小さいけれど立派な角と、頭に被った桜色 のシルクハットは、花の間からしっかり顔を覗かせていた。
「お、おま、お前なんて全然怖くねぇぞコノヤロー!」
何か喋るたびに、それらがちょろちょろと左右に揺れる。
「……おう、そうか」
ゾロが低い声で唸るようにそう言ってやると、帽子と角が一緒になって飛び上がっ た。
「ほほほほほホントだぞホントにここ怖くないんだぞ!!!」
「くぉらゾロ、あんまりイジメんな」
呆れたように言って、サンジはその帽子に向かって歩き出した。
「ここここっち来んな、動くな、そこで止まれ!」
必死の言葉を右から左へ聞き流し、サンジは帽子の1セルトほど手前まで進んで立 ち止まった。
「あっれ、テメェひょっとして…」
「や、やるか!?」
ピョコリと立ち上がったのは、トナカイだった。
いや、トナカイの少年だった。――正確に言えば、少年は《獣の民》だった。《獣の 民》は、人と獣の姿を併せ持つ、古き血の民である。人の姿にもなれれば、獣の姿に もなれるという特徴を持ち、通常同じ特徴を持つ者たちで集合体を形成している。
この少年は、半獣の姿をしていた。
頭にはピンクのシルクハットと、琥珀色の綺麗な角。体を覆うフサフサした薄茶の毛 皮は、強風に煽られて波打っていた。真ん丸な黒い瞳に少しの勇気とたくさんの怯え を滲ませて、笑う膝を何とか真っ直ぐ保とうとしている。
「お、やっぱりそうか」
サンジは顔を綻ばせた。キョトンとしたトナカイ少年を、無造作に抱き上げる。
その途端、トナカイ少年は思い出したように暴れ出した。
「うほぁー!!!!!! 喰われるぅぅぅう!!!!!!!」
「喰わねぇよ! ったく、人の話聞かねぇあたりそっくりだな」
「なんだ、知り合いか?」
花を踏まぬよう踏み石の上を歩きながら、ゾロが問うた。
「おわぁー!!! でででデカイのが来たぁぁー!!!」
暴れるトナカイ少年を抱き上げたまま、サンジは首を横に振った。
「いや、コイツとは知り合いじゃねぇ」
「じゃ誰と」
「ヒルルクってぇ面白いオッサンとだ」
《ヒルルク》という名を聞いた途端、トナカイ少年は暴れるのをピタリとやめた。
恐る恐るサンジを見上げ、真ん丸な目をさらに丸くして尋ねる。
「お、お前、ドクターを知ってるのか?」
「おう! 友達だぜ」
「本当か! 本当にドクターの友達なのか!?」
「ああ。その桜色の帽子、あのオッサンの真似だろ? ん? いや、もうジイさんか?」
トナカイ少年はぶるぶると震えていたかと思うと、突然堰を切ったように泣き出した。
「おいセイ、あんまりいじめんな」
「いじめてねぇよ! …参ったな」
2人は盛大に泣きじゃくるトナカイ少年を前に、頭を抱えた。
トナカイ少年はサンジの腕を小さな蹄のついた手で握って離さない。
仕方が無いのでサンジはトナカイ少年を地面に下ろしてやり、あやすように背中をぽ んぽんと叩いてやった。
見下ろして立っていたゾロも、自分の膝丈ほどまでしかない小さな――ゾロが少々 大きすぎるのだ――トナカイ少年に目線を合わせてしゃがんだ。
するとわあわあと泣きじゃくっていたのが次第に静かになっていったので、サンジは 懐から白い布を取り出すと、涙と鼻水でグチャグチャになったトナカイ少年の顔を拭い てやった。
トナカイ少年はしばらくしゃくりあげていたが、やがて落ち着いたのか、恥ずかしげに 帽子を目深に被った。
「…ごめん」
「何で謝る」
ゾロが問うと、少年は飛び上がってサンジの後ろに隠れた。…ただし、なぜか頭だけ 隠して体の方はゾロに丸見えという状態だったが。
「逆だろ」
2人の人間に同時につっこまれ、トナカイ少年は慌てて向きを変えた。
「で、てめぇは何だ」
トナカイ少年は面白いくらい飛び上がり、ゾロをギロリと睨みつけたが、今ひとつ迫力 がない。
「まったく、テメェは顔が怖いんだからもう少し愛想良く喋る努力をしろ」
デコピンのおまけ付きでそう言われて、ゾロはぶすっとした顔であさっての方向を向 いた。
「俺はセイ。で、お前さんの名前は?」
少年は妙なポーズのまま答えた。
「お、オレはチョッパー。トニートニー・チョッパーだ!」
「…強そうな名前だな」
ゾロが呟いた途端、トナカイ少年…チョッパーは飛び上がった。
「うひぃ喰われるー!!!!」
「だから喰わねぇっての!」
「まぁまぁ落ち着け。チョッパー、こいつは見た感じ凶悪極まりないが、中身はただの 方向音痴剣士だ。名前はゾロ。なんならマリモでもいい」
「マリモはやめろ」
「じゃあ筋肉」
「普通にゾロでいいだろうが!」
「それじゃ面白くねぇだろ!」
2人は同時に立ち上がり、胸倉をつかみ合った。
「面白さを求めてるわけじゃねぇだろ!」
「人が折角和ませてやろうとしてんのに文句言うな!」
「あんなので和むか!」
「和め!!!!!」
2人を呆然と見上げていたチョッパーは、サンジに怒鳴られて一瞬身を竦ませたが、 数秒してクスクスと笑い出した。
「…ほぉら、和んだろ」
「今のは力押しじゃねぇか」
とはいえ、折角チョッパーが笑い出したのだ。2人はにらみ合いをやめ、再びチョッ パーの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
それに気付くと、チョッパーは恥ずかしそうにモジモジしながらサンジに尋ねた。
「ええと、セイさん。どうしてドクターのこと知ってるの?」
「ああ、昔この国に来たことがあるんだ。その時に。で、オッサンは今何処だ? 良 かったら会わせてくれねぇか」
「…え?」
チョッパーは固まった。
怪訝に思ったサンジは、チョッパーの顔を覗き込んだ。
「…あ、あの、セイさん。…知らない、の?」
「え?」
「ドクターは…」
「死んじまったよ、あの馬鹿は」
ゾロは思わず刀に手をかけていた。
声の主の気配にまったく気付いていなかったのだ。
ゾロの背を冷たい汗が滑り落ちた。
1つ上の階層、4セルトほど高さのあるそこから両手を腰にあてて堂々と立っていた のは。
「ドクトリーヌ!」
「よう、若僧ども。ハッピーかい?」
引き締まったボディラインを強調するルウ皮のスーツに、夜目にも鮮やかなショッキン グピンクの白衣を引っさげた…
老婆だった。
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