017:雷鳴
そは闇の中の影、音無きノイズ、全てを呑み尽くす者。紫の閃光が縦横に空を切り裂く。
その一瞬に浮かび上がったのは、漆黒の長衣に包まれた細い肢体。男とも女ともつ かぬその身体は、まるで動きを封じるかのごとき多数の鎖を纏いながら、しかし軽々と 優雅に動いた。
黒曜石の天井と床、そして一定間隔で立ち並ぶ柱。それ以外は何も無い部屋の東 側に立ち、その人物はくすくすと笑っていた。
若い声である。
張りがあり、聴く者を惹きつける滑らかで通りのよい声であった。
けれどもそこから性別を判断する事はやはり難しい。まるでどちらでもあり、どちらで もないような、そんな不思議な声でその人物は呟いた。
「…面白い」
雷鳴轟く空を見上げ、それは楽しそうに笑う。
邪気の欠片も無いゆえの悪意に満ちた笑顔。
漆黒の長い髪を、抜けるように白い手がかきあげる。顕になったのは、まるで彫刻の ように端整な表情…作り物めいた、けれどもどこか歪んだ美しい顔。
「確かもう時間が無いんだったね、サンジ」
ゆっくりと振り返り、部屋の中央に向かって手を伸ばす。
途端、そこに変装した姿で仲間たちと笑いあうサンジの幻像が浮かび上がった。半 透明ではあるが、鮮明な幻像である。
「そんな顔で笑ったりして…君は相変わらず自虐的だ」
可笑しそうにまた笑う。
幻像が、その隣で仏頂面のゾロを映し出した。
「《忍び寄る者》に聞いたよ。君、こういうのが好みだったの」
相変わらず、ゾロはサンジの服を着ていた。腰の3本刀、その微細な傷までも幻像 から見てとれる。
「ロロノア・ゾロ。あの村の生き残り…そうだね、《鷹の目》?」
柱の一つの影がぐにゃりと歪んだ。それは床から剥がれ、奇妙な出で立ちの人間を 形作る。
その影が口を開いた。
「その通り」
「ちょっと過去を覗いてみたけど、中々興味深い仔だね」
「…」
幻像から目を離さず、影に背を向けたまま独り言葉を続ける。
「君を探してるんだって?」
「ああ」
「あれは玩具かい? 『ひまつぶし』の」
「…」
「そんなに怖い顔しなくても、ボクは人の玩具を取ったりしないよ」
――壊すのは、好きだけど。
小さく呟いて、クスクスと笑う。
そのとき、幻像にルフィが割り込んできた。
金髪碧眼になってはいるが、その笑顔に変わりはない。
それを見た途端、その人物の表情が豹変した。
憎々しげに幻像を睨みつけ、唸る。
「…放蕩息子めが!」
すると、まるでその声が聞こえたかのように、ルフィがついと顔を上げた。
…視線が真っ直ぐぶつかり合う。
次の瞬間、幻像は弾け飛び消えてしまった。
「…御大」
影が冷静に名を呼ぶ。
「…《鷹の目》、《紅蓮竜》の居所は把握しているな?」
「ああ」
凄まじい怒りに表情を歪ませたまま、御大と呼ばれた人物はようやく振り返った。
「奴に《破妖の黒》を絶対に近付けるな。《災火の黒》もだ」
「…御意」
短く返事を返し、《鷹の目》と呼ばれた影は再び元に戻っていった。
「《破妖の黒》め…! 調子に乗りおって…」
荒々しく吐き捨て、雷鳴轟く空を見上げる。
「ヤツさえいなければ、もっとサンジと遊べると言うに…」
しばらく腹立たしげに佇んでいたが、不意にその表情が明るくなった。イタズラを思い ついた子どものような――悪意に満ちた微笑み。
部屋の中央に、再び幻像が浮かび上がった。
“セイ”の姿になったサンジと、なにやら打ち解けた様子で言葉を交わしているゾロの 2人が映し出される。
「《鷹の目》の玩具とボクの玩具。これで遊べるじゃない」
幻像の中のサンジは、ゾロと楽しげに会話している。
「君は、大分ロロノア君が気にいってるんだね」
甘く囁き、自らの身体に巻きついた鎖をいじる。
「なのに、肝心な事は、内緒にしてるんだ。そういう所、可愛いね」
鎖は端が見えない。
柱が作る影と一体化して、闇に溶けている。
「ねぇ、サンジ。幸せの絶頂から転落した君はとても綺麗だったよ。…もう一度、見た いなぁ」
伸ばした手は、幻像のサンジの胸元をすり抜けた。
すると、サンジは不快そうに眉をひそめた。まるでその感触が伝わったかのように。
「そのためにはまず幸せになってもらわなきゃね。ロロノア君かなり鈍そうだから、思い 切った事件が必要かな」
くすくすと笑いながら、鎖の一つを緩く引き上げる。
ずるずると鎖は影から這い出してきた。
ぽたり、ぽたり。
影が雫となって滴り落ちる。
「どうやら時間もないようだし、《忍び寄る者》も動くようだし」
漆黒の瞳が細く歪む。
それはまるで狂気に満ちた三日月。
けれどその右目に刻まれているのは、紛れもない神の印。
――サンジと同じ、刻まれし者。
「やっぱり、血が必要かな」
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