016:夜風
大切なのは見た目じゃなくて中身とは言うけれど。「いい、ゾロ。間違っても、本名で呼ぶんじゃないわよ?」
「…おう」
「私はナミじゃなくて“カレン”」
「…おう」
「オレはウソップじゃなくて“ギルバート”。別にギルでもいいぜ」
「…おう」
「おれ“ユーグ”な〜」
「…おう」
「で、俺は“セイ”ってわけだ。…おい、聞いてるか?」
「…おう」
「ゾロ、テメェはそのまんまでな。賞金かかってねぇだろ?」
「…おう」
灰青色の長い髪を揺らし、サンジは腹を抱えて笑った。
「変装だぁ?」
「そうよ、変装」
それは、幾度目かの休憩時。
ドラムへの入国について話し合っていた時のことだった。
ナミの口をついて出た「変装」という言葉に、ゾロは眉をひそめた。
「何でそんな」
「あら、忘れちゃったのかしら? 私達は賞金首よ。そのままじゃ入国なんてとてもじゃ ないけど出来ないもの」
ゾロは、それもそうかと納得する。と同時に、新たな疑問が湧いてきた。変装とはどう するのだろうか。カツラにツケヒゲ…それはいくら何でも怪しすぎる。
「じゃあ、もうやっちゃいましょう! お願いしますナミすぁん」
「そうね、じゃあみんなそこに立って。あ、ゾロ、アンタはその辺で座っときなさい。邪魔 だから」
やたらに刺々しい言い様だと思ったが、この一団内では、魔女に逆らうとどうやらと てもマズイらしい…ということを何となく察知していたゾロは、黙って少し後ろに下がっ た。
それを確認すると、ナミは杖をトンと地面に突き立てた。
彼女の頭より高い位置にくる宝珠に手を添え、半眼で空を見つめる。
「alivesti “usoppu”」
呪文自体はとても短かった。
けれどもそれは非常に複雑な動作と共に唱えられたので、実際はとても長い時間が かかった。
杖先の宝珠をウソップに向け、空中に幾つも文字を書いていく。
夕闇の中、ほのかに光る宝珠が文字を描く軌跡はまるで蛍が舞うように幻想的だっ た。
その光がふわりと大きく広がった次の瞬間…
そこにいたのは、中肉中背、黒い天然パーマの髪に長い鼻の青年ではなかった。
盛り上がった筋肉、褐色の肌。赤味がかった茶色の短髪に厳しい顔つき(無精ヒゲ まではえている)の中年男性だった。
「はい、出来上がり!」
「うほっ、これこれこの筋肉!」
声まで外見相応の低くしゃがれた声に変わっている。
唯一、服装だけはそれほど変っていなかった。着込みすぎな気もする防具の類はそ のままで、けれども体格が大きくなった分違和感無く鎧が装着できていた。
ウソップ袋はどうなったかというと、代わりに同じサイズの盾がそこにあった。
ゾロは呆然としていた。
同じ手順を踏んで、ルフィも“変装”を行なった。
早くも見慣れた漆黒の髪が明るい金茶色に染まり、同じく黒かった瞳が深い緑色に 染まっていく。
彼の場合、体格にほとんど変化は無かった。まったくと言っていいほど着けていな かった防具が少し増えたぐらいで、装備品もほとんど変わらない。
ただ、彼の場合、髪の色が変わっただけでまったく別人に変わり果てていたので、 余計な“変装”は不必要なのだろう。
「ど〜だ、ゾロ? すっげぇだろ〜!」
声も変わっていない。
ゾロは相変わらず呆然としたまま、どうにか首を縦に振った。
続いてサンジ、ナミも“変装”を開始した。
ナミは、まずその特徴的な橙色の髪が暗褐色に変化し、さらには背の中ほどまで伸 びた。夜色のミニスカートは黒のロングワンピースに変わり、頭には同じく黒いフードを かぶっている。魔女というよりは占星術師といった出で立ちだ。心なしか背も伸び、落 ち着いた大人の女性といった感じである。
一方のサンジは、劇的に変化していた。
夕闇にも明るい金髪が、見る見るうちに灰青色に変わっていく。あっという間にその 長さはナミと同じほどまで伸びた。しかも、ふわふわとかすかにウェーブがかってい る。瞳は青から茶色に変わり、ぐるりと巻いていた眉毛は跡形も無い。肌の色も、それ までの抜けるような白さから、健康的な肌色に変化している。足を護っていたブーツは 姿を消し、代わりに腰の両側に短刀を1つずつ下げている。マントはそのままだった が、それまでの格闘家といった外観が、剣士といった出で立ちに変貌した。
「ま、こんなものかしら?」
「どんな姿になっても、ナミさんは変わらずお美しい」
ナミの声は、普段の彼女の声と比べて数段ハスキーになっていた。サンジの声も変 わるには変わっていたが、ただ、聴く者を惹きつける「声に潜む何か」だけには変化が なく、その点では声が変わったようには感じられなかった。
ゾロはようやく声を絞り出した。
「だ、誰だ!?」
その後。
ゾロは、サンジたちの変装後の名前や、都市に入ってからの注意点を事細かにナミ ――もといカレンに聞かされたが、4人の変化に驚き過ぎていてほとんど右から左だっ た。
どうにか「これは魔法の力によるものだ」ということを認識できたのは、ドラムの堅固 な城壁と、入国用の門がはっきりと視認できるようになり始めた頃だった。
魔法でここまで変わるものだとは、ゾロはまったく知らなかった。
完璧に別人に見える。
声まで変わっているのがすごい。
目を凝らしてみるが、どう見ても別人だ。
恐る恐る、サンジのふわふわした髪に手を伸ばしてみる。
…感触まである。
「ん、なんだよゾロ」
そう言って振り返ったのは、サンジではない。
ゾロの知らない誰かだ。
「…いや」
短く応え、ゾロはもう一度それぞれの名前と職業を思い返していた。
ナミ=カレン。占星術師と薬師を兼ねる。
ウソップ=ギルバート。重騎士。
ルフィ=ユーグ。拳闘士。
サンジ=セイ。剣士。
散々注意されるまでも無く、本名と偽名を間違える事はないだろう。目の前にいるこ の人々は、ゾロの見知った一団とは別団体にしか見えないのだから。
ところが、4人が会話を始めた途端。
「なあセイ、腹減った〜。肉食べたい、肉ー!」
「ちょっと、あんまりお金ないんだから節約してちょうだいよ!」
「テメェ絶対保存食に手ぇつけんじゃねぇぞ、分かってんだろうな」
「なぁ、保存食亜空帯に入れんのやめねぇ? 持ち歩いてる方が守れそうな気がすん だよなぁ」
喧喧諤諤。
それはどう聴いてもいつもの彼らの会話で。
――中身は変わってねぇんだ。
ゾロはそれに少し安心した。
冷たい夜風が吹く頃、5人はドラムの入国管理門に到達した。
堅固な城塞都市は、巨大で頑丈な白陽石で造られた城壁に囲まれている。都市の 四方に開かれた門を閉じてしまえば、生半可な軍隊では太刀打ちできまい。
まるで絶壁のようなその城壁の最下部に、ぽっかりと口を開けた小さな門。
物珍しさも手伝って、一行はしきりと周囲を見回していた。
もっとも、ナミだけは入国許可証をもらうために真面目に管理官と質疑応答していた が。
城壁の厚みは30セルト以上はあるだろう。門から街まで続く長いトンネルは、一定 間隔で設置されたランプの光を受けてきらきらと白く光った。表面は非常に滑らかに削 られており、触れると冷たくつるりとした感触が心地よい。
ルフィはその壁を見た途端、なにやらとても嬉しそうな表情でそれをペタペタと叩き始 めた。
「おいユーグ…ってヨダレ拭けよ!」
サンジが慌てて飛び退く。ルフィはピタピタと壁を叩きながら、満面の笑み+ヨダレで 振り返った。
「…うぅまそぉおぉう」
「待て待て、この石の何処が美味そうなんだよ」
今や巨漢となったウソップがいつもの調子で突っ込む。
じぃっと壁面を眺めていたゾロがぼそりと呟いた。
「…もしかして豆腐か」
3人の視線がゾロに集中する。ゾロは思わずあとずさった。
「よく知ってんなぁ、ゾロ!」
「ああ、俺の村でも作ってたからな」
「へぇ! そりゃ本当か? じゃ、作り方も分かるか」
「一応は」
「よし教えろ、俺が作ってやっから! …っていうかテメェが作りゃいいんじゃねぇか」
「はぁ!?」
サンジは「なぁ、そうだよな」とルフィとウソップに同意を求めた。当然、2人に異存が あるはずもない。
「食いてー!!! トーフ食いてー!!!」
「ゾロが手料理…ぅぷぷっ」
「おい、俺は作り方は知ってるが…」
「ここは一つトーフで料理勝負といくか!」
ちなみに。
ここはトンネルの中である。
当然、大きい声は反響する。
「ィやかましぃ!!!!!!」
ズドンガゴンバギンドガン。
「すいましぇん」
全員分の入国許可証を持ったナミに頭部を一撃ずつ殴打された騒々しい男4人衆 は、すごすごとその後に従ってトンネルを抜けた。
トンネルの出口はもうすぐそこだ。
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