正しい誕生日プレゼントの選びかた

ランガの課題

 ふと顔を上げれば壁に下げられたカレンダーが目に留まった。

 そうか。もう四月も半ばだ。

 春分からゴールデンウィーク直後にある梅雨入り前の、気候的に一年で一番快適なその時期を〈うりずん〉と沖縄では呼ぶ。今はちょうどそんな季節だという。

 月末になればゴールデンウィークに突入する。学生も社会人も、祝日が集中しているその辺りに、旅行やレジャーを楽しんだりする。

 そうは言ってもランガの母親は、仕事柄その手の休みとはあまり縁がない。母子揃ってまとめて休みを取ることは難しい。

 そしてゴールデンウィーク明けあたりから鬱陶しい梅雨に突入し、ランガのもっとも苦手とする高温多湿の沖縄の夏と格闘することになる。想像しただけでうんざりする。

 暦はゴールデンウィークの間、家族親族行事で忙しいとのことだったが、ハーリーを見物しに行こうとランガを誘ってくれた。ハーリーは沖縄伝統行事で海の安全を祈るレガッタに似たボート競技の祭りだ。

 まあ沖縄に住んでいるんだから、一度くらい話のタネに見ておいてもいいんじゃね? と暦は言った。五月三日から五日の三日間にわたって開催されるから都合のいい日を連絡してくれるという。

 五月か、五月……。あれ? 何か肝心なことを忘れているのではないだろうか。

そこで、ランガは滅多に確認したりしないスマホのカレンダーアプリを慌ててチェックした。

 五月一日の欄にケーキのスタンプ。

 あ……。

 そうだった。五月一日は、あの人の——愛抱夢の誕生日だ。

 愛抱夢の誕生日には何かをプレゼントする予定だったのだが、ぼんやりしているうちに、誕生日はすぐそこに迫っていた。

 今まで愛抱夢から一方的にもらっているばかりだった。それは花とか小物だったり、物ではなく食事やなんらかのイベントだったこともある。お礼をした方がいいだろうかと悩んでいたら、母親である菜々子が感謝の気持ちを込めてグリーティングカードを送ることを提案してくれランガはそれに従った。

 そんなカード一枚に、あの人は大喜びしてくれた。なぜそんなに感激していたのか、とても不思議だったのだが、何ごとにつけ基本オーバーアクションな人だからで、あまり考えないことにした。

 ただ、菜々子はこんな助言もつけ足していた。

「カードだけではなく、誕生日とか特別なイベントのときは、そんな高価でないものを贈っておいたら」と。


 母親のアドバイスはとてもありがたかったのだが、いざ何かプレゼントを探すとなると、どのようなものを選んでいいかわからない。

 三日ほど悩んで、本人にさりげなく「誕生日に何か欲しいものある?」と訊いてみたのだが、とても自分にはプレゼントできないようなものを要求された。速攻で「無理」と返したら、「冗談だよ。君がくれるものなら、たとえ浜辺に落ちていた貝殻ひとつでも嬉しい」などと言い出す始末。きっと揶揄われているのだろう。訊かなきゃよかったと後悔した。

 そうやって何も決められないまま、その日はどんどん近づいてくる。まさか、こんなに大変なこととは。

 ランガは、ショッピングサイトで色々物色してみたりもした。

〈男性がもらって嬉しい誕生日プレゼント〉などというキーワードで検索し、アンケートランキングを参考にすることを試みたが、どれもこれもそれなりに収入がある社会人が、恋人や親族に贈る逸品という印象だった。

 時計とか財布とか——多分、安いものなら買える。でも、あの人は高級ブランド品ばかり持っている。もちろん安物を贈ってしまっても、喜んでくれるだろうことはわかっている。

 どうしたらいいんだろう。まさかバースデーカードのみって訳には、いかないだろうし、まだ学生の自分が使える金額は高々知れる。

 ランガは途方に暮れた。

 誕生日プレゼントを選ぶなんて簡単なことだろうと高をくくっていた。完全に甘くみていた。

 ランガはブンブンブンと首を強く振った。

 何を難しく考えているのだろう。えいっ! って決めてしまえばいい。なぜならあの人はたとえ何をあげても喜ぶのだろうから。浜辺に落ちていた貝殻ひとつでもいいと言っていたではないか。金額ではない。気持ちだ、気持ち……と自分に言い聞かせてみた。

 それでも……と思う。

 趣味が悪いと思われたくない。なんでこんなものを? などと呆れられるのはいやだった。もし変なものをあげてしまって、ほんの少しでも幻滅させてしまったらどうしよう。がっかりさせたくない。

 どうしたんだろう。今までこんなこと——誰かにどう思われるかなんて気にしたことなかったのに。

 堂々巡りの思考の中、ランガはテーブルに突っ伏して頭を抱えた。

 頭がぐるぐるする。

菜々子のアドバイス

 鍵を開け玄関に足を踏み入れた瞬間、食欲をそそる匂いがした。

 そういえば息子が夕食の準備をしてくれると言っていたことを多い出す。

「ただいま」

「おかえり、母さん」

「いい匂いね。チキン焼いたのかしら?」

「うん。ソースはレトルトだけど」

「十分よ。ランガは先に食べてくれた?」

「食べた。母さん座っていて、温めてくる」

 菜々子は椅子に座りテーブルに並べられたランガの手料理に目を輝かせた。チキンもサラダも味噌汁もとても丁寧に盛りつけられている。

 チキンを口に運べば思わず笑みが溢れた。

「ジューシーだし皮もパリパリして香ばしくて美味しいわ。ランガもだんだん料理の腕が上がっていくわね。昔はオムレツくらいしか作れなかったのにね」

「少しずつ慣れてはきたけど、もう少しレパートリーを広げたいなって思っている」

 微笑みながら菜々子は食事を食べ進めていった。

「ご馳走様」

 出された料理を綺麗に平らげ、口元を拭きながら顔を上げればランガと目が合った。表情が暗い。何かあったのだろうか。

「浮かない顔ね」

「あ、うん」

「悩みごとでもあるの? 無理に話さなくていいけど」

「別に話しても構わないよ。もうすぐ誕生日の人がいてプレゼントが決まらなくて。あまり日にちないのにって焦っている」

「誕生日の人? いつもお花とか色々くださる方からしら?」

「そう。母さんに言われたようにカードは送っていたんだけど、五月一日が誕生日なんだ。そこで、その日くらい何かプレゼントしたいと思ったけど、何を選べば良いのか、見当もつかないんだ。なんでも持っているような人で、それも全部高そうなものばかりだし。俺が今更あげたところでもっと良いもの持っているだろうしって思っちゃうんだ」

 菜々子は「どんなものでも喜んでくださるかたでしょうけど。そうね……」と首を少し傾げた。

 確かに息子にしてみれば、かなりの難問だろう。お祝いのプレゼントはそのものに価値があるのではなく、ものに込められた気持ちだ。相手を思いやる心と幸せを願う思いが伝わればいい。

「それなら、お花にしたら?」

「花?」

「そうよ。今までランガに花を贈ってくれた方なんでしょう? それならお花が好きなんじゃないかしら」

「そっか、確かに。その発想はなかった」

「お花なら予算に合わせそれなりの見栄えにしてもらえる。あと、できればわざわざ花瓶に生けるなんて手間かけさせないよう、そのまま飾れるタイプのアレンジメントにしたらいいと思うわよ」

「アレンジメント?」

「ええ、花瓶がなくても大丈夫で元々籠とか容器に入っていて、そのまま飾れるブーケというのかしら。最初から見栄え良く生けられていて、結構長持ちするのよ」

「えーと」

 想像できないのかランガは眉を寄せ難しい顔になった。口ではうまく伝えられない。実際に見た方が早いと菜々子はスマホを取り出し、検索して写真を見せた。

「こんな感じよ。花瓶にわざわざ移さなくても、そのまま飾れるから受け取った方も楽よ」

「へえ、これいいね。フラワーショップに注文すれば作ってくれるのかな」

「予算を言えばその範囲でね。でも花はあなたが決めないとダメよ。せっかく差しあげるのですもの、あなたがその人のことを思ってどの花がふさわしいかイメージして、きちんと選んであげて。その気持ちは伝わるから」

「うん、そうする」

「誕生日はいつなの?」

「五月一日」

「あら、スズランの日ね。確かその日の誕生花はスズランだったはず」

「スズラン?」

「〈lily of the valley〉のことよ。世話になった人にすずらんを送るって、フランス系のかたが言っていたわね」

「へえ、じゃあスズラン入れておいた方がいいかな?」

「あればね。でも無ければ無いでいいのよ。今の季節らしい花にすれば」

「ありがとう。母さんに相談してよかった」

 ランガはすっきりした笑顔を見せテーブルの上を片づけはじめた。

 菜々子は食器を洗う息子の後ろ姿を見つめる。

 なんだかんだ言って成長したと感じる。

 人とコミュニケーションを取ることが苦手だった息子。カナダでは家族以外の他人と親しく接することはできなかった。沖縄に来て、暦くんと無二の親友となりスケートという新しい趣味に夢中になって、それをきっかけに多くのスケート仲間と親交を持てたという。

 その中に、ランガを特別気にかけ、よく花やプレゼントをくれる人がいる。スケート仲間であるのは間違いないらしい。それでも、どういう関係なのか今ひとつ理解しにくい。

 特に秘密にしようという感じはないのだから、後ろめたいことはないのだろう。それに、ポイントポイントで息子は相談してくれるのだから大丈夫だと思えた。自分はまだ息子に信頼されている。母子の関係は悪くはない。それならばあまり詮索はしない方がいいだろう。

 それでも、その人に会ってみたいと思う気持ちがないと言えば嘘になる。

 食器を洗い終えたランガが振り向きエプロンを脱ぎながら言った。

「ねえ母さん。その人、母さんに会いたいって言っているんだ。色々仕事もあって今すぐは難しいけどって」

「母さんもちょうど会いたいと思っていたわ」

「うん、必ず」

シャドウのプロ意識

「いつもありがとうございます。お気をつけてお帰りくださいね」

 店先で客を見送る。一時的に客は途切れ店内は静かになった。

 地元民に愛されている花屋『チューリップ』。スタッフの比嘉広海ことシャドウは、客がいないタイミングで、生花や鉢植えのメンテナンスをこまめに行う。しゃがんで冷蔵ショーケースを覗き花や葉が傷んでいないかチェックしていた。

 来客の気配に振り向いた。

「いらっしゃ……え?」

 そこに珍しい客が立っていた。いや客ではないかもしれないが。

「こんにちは、シャドウ」

「ランガか。どうでもいいが店の中でシャドウはやめてくれ。俺ひとりだからいいようなものだが」

「つい癖で、ごめん」

「今日はひとりか? 相方はどうした」

「暦ならこれから会う約束をしている。それより誕生日に贈る花が欲しいんだ」

「暦の誕生日なのか?」

「違うよ。誕生日は別の人。花が欲しいのは五月一日で、夕方取りに来ようと思っているんだ」

「どんなのが欲しいんだ?」

 えっと、と言いながら彼はスマホを取り出し何かを確認している。

「花瓶に生けなくても、そのまま飾れるブーケ? って母さんが言っていたかな」

 母親から頼まれたというところだろうか。

「アレンジメントかスタンディングブーケだな。手間がかからないし殺菌剤や栄養分の入ったゼリー状のものに生けられているから意外に長持ちもする。五月一日に用意しておけばいいんだな」

「うん、お願い。予算は……このくらいのボリュームで、このくらい?」

 と、通販サイトのブーケをスマホで見せてきた。

「まあ、そんだけあればもっと見栄えがいいものができるぜ。花はこっちで見繕えばいいのか?」

 どうせ花には興味ないだろうと気を効かせたつもりだったのだが、ランガは首を横に振った。そして意外な言葉が返ってきた。

「俺が選ぶ」

「おまえがか?」

「うん」

 こいつに花を愛でる感性があるのか? と疑問に思う。

 初めて愛抱夢とビーフしたとき、あの当店自慢の最高級豪華赤バラの花束を受け取っても、表情ひとつ動かさなかったやつだ。淡々と「どうも」だけとは。うちで作った花束なんだぞ。誰が手渡そうが花に罪はない。その迫力と美しさに心動かされないなんておかしいだろう。

 でも、まあアドバイスくらいはしてやってもいい。

「ひととおり見て、気に入った花があればそれをメインにするから言ってくれ。ブーケやアレンジメントに適しているかどうか教えてやる」

「わかった。そうだ、スズランは入れたいんだけど」

「なるほど。確か五月一日の誕生花だったな。了解した」

 ランガはひとつひとつ、じっくりと花を見て回っている。青い瞳が真剣な光を帯びていた。

 おや? これはビーフ前のこれから真剣勝負に挑もうというときの目つきに似ている。シャドウは接客で多くの客を観察してきた。それゆえ知っている。花に対して特別の思い入れのない、義理や女性受けがいいからという軽薄な理由でブーケをプレゼントしようという連中は、そこまでの熱心さはない。真摯に花と向き合っている人は、見ればわかる。今のランガはそれだと思えた。

 少し見直してやらないでもない。

 ひとつずつ丁寧に店内の花を見ていき、やがてある花の前で立ち止まる。目を逸らすことなく、しばしその花を凝視していた。

 ややあって彼は「この花……バラ? とは違うよね?」と質問してきた。

「それはシャクヤクだ」

「シャクヤク?」

「気になるみたいだな」

「すごく綺麗。なんだろう。他の花と違って見えるんだ」

 こいつ、ひょっとすると花の美しさを受け止める感受性は少しくらい持っているのかもしれない。いいところに目をつけていやがる。

 ちょうどシャクヤクが旬を迎えていた。日本全国津々浦々、花屋のこのシーズンいち押しはシャクヤクだと言っても過言ではない。花びらは幾重にも重なり艶やか、それでいて光を透かしてしまいそうに薄くレースのように繊細。

 魅入られたように花を見つめるランガにシャドウは、目を細めた。

 ウインドウから差し込む光に白い頬が透ける。白いシャクヤクの花びらとイメージが重なった。雪色の少年——いや、少年というには失礼か。暦もだが最近ふたりともめっきり大人びてきていた。もっとも喋らせれば、ランガも暦まだまだガキだが。

 シャクヤクから目を離そうとしないランガに声をかけた。

「どうやら一目惚れってやつだな。その感覚は大切だぞ。おまえ花を見る目案外あるのかもな」

 ランガは顔をシャドウに向けた。

「そうなの?」

「ああ、そのシャクヤクは入荷したばかりの初物だ。一年中あるバラと違って、四月の終わりから六月の頭くらいまでしか店頭に並ばない、季節限定の花だからな」

「それって、今の季節らしい花ってこと? そういう花を選ぶようにって言われていたからちょうどいいのかな」

「ああ、シャクヤクもスズランも今の季節だけだ。ちなみにスズランの花言葉は『再び幸せがおとずれる』でシャクヤクは『恥じらい』『慎ましさ』だ。俺たちスケーターには似合わない言葉だろ?」

 ランガはクスリと笑った。

「そうだね。それと、とてもいい匂いだ」

 ランガは再びシャクヤクに視線を戻した。決まりだ。

「そうだろうさ。香りの良さも売りだ。今ちょうど店頭にはないがスズランも香りが良くて有名だ」

「そうなんだ」

「それではスズランとシャクヤクでアレンジメントかスタンディングブーケ作るでいいな」

「できそう?」

「ああ、問題ない。スズランは白だが、シャクヤクの色はどうする? 赤、ピンク、淡いピンク、白があるぞ」

「花の色で何か特別な意味とかある?」

「意味というか、心理効果が違うと言われている」

「へえ、シャドウって詳しいね」

「花のプロなんだから当然だ。それよりシャドウはやめてくれって言っているだろうが」

「そうだった。ごめん」

「簡単に説明すると、赤は元気になる色だ。少し目を覚まさせ興奮させる。ビーフ前に最適だ。ピンクの花は部屋に置くとリラックスできて優しい気持ちになるからストレスの多い人向けだ。白は、色々なしがらみをまっさらにリセットしてくれて、正直な気持ちになる……と言われている」

「それなら」と、ランガは一輪一輪、指差した。

「これとこれとこれがいいかな」

 明るいピンクとごく淡いピンクと純白のシャクヤクをランガは指定してきた。

「理由は?」

「なんとなく。ストレス多そうな人だから、部屋に飾るのなら赤よりピンクかなって思った。これでカッコよくできるかな?」

「おう任せておけ! 今更だがシャクヤクは花開かせるタイミングが難しいんだ。硬い蕾の状態で出荷され、店内で開かせちょうどいい頃合いで店に並べる」

「え? そんな難しいの大丈夫?」

「もちろん問題ない。久々に俺さまの腕が鳴るぜ」

 シャドウは腕を持ち上げると、グイッと肘を曲げ力こぶを作って見せた。

「色々アドバイスしてくれてありがとう。助かったよ」

 ランガはほっとしたように微笑んだ。

 シャドウから比嘉広海に切り替え、仰々しく頭を下げ、締めることにした。

「それでは、お客さま、五月一日のご来店をお待ちしております」

「ありがとう、シャドウ。楽しみにしている」

「だから、Sネームで呼ぶのやめろと言ってんだろうが」

 一瞬でシャドウに戻ってしまった。

「いけない。暦との約束に遅刻する。俺行くね。じゃあ」

 ランガは出口に向かい手を振った。

 通りを走って行くランガの背中を見送って、シャドウは壁に掛けられた時計を確認する。そろそろ店長が戻る時間だ。


 それにしても誰の誕生日なのか。最初は、ランガの母親に頼まれ注文しにきたと思い込んでいた。それが会話を進めていくうちにランガが自分でプレゼントするのだろうことに気がついた。あくまでも自分で花を選ぶことにこだわったのだから。

 花と向き合うランガの面持ちは真剣そのものだった。相手を深く思い、どのような花を贈ればいいのか、イメージの中で一生懸命探したのだろう。なんというか、いじらしい。今まで知ることのなかったランガの一面を見たような気がした。

 では、誰に? と気にならない訳ではないが、自分はプロのフラワーショップのスタッフだ。客のプライバシーを詮索するような、ど素人ではない。そのうちわかるときが来るだろう。今は「ご注文ありがとうございました」で十分だ。

愛抱夢の誕生日

 五月一日は愛之介の誕生日だ。

 愛之介がまだ初等教育を終える前まで、忙しい父に代わって誕生日パーティなるものを伯母たちが主催していた。多くの客が招待されたが、あれは伯母どもが自分の作品を見せびらかし自慢するためのものだった。

 自分達が教育し躾けてきた神道愛之介が。いかに優秀に育ち、神道家の跡取りとして相応しいかをただひけらかすためだけの。

 バイオリンやピアノの演奏や英語でのスピーチを披露する。礼儀正しい挨拶と綺麗な言葉遣いと優雅な食事のマナーをそつなくこなす優秀な子供に、皆が感嘆する。

 招待客たちは口々に伯母たちを賞賛した。

「なんて優秀に育ったのでしょう。将来が楽しみですね。やはりお父様の跡を継がれることになるのでしょうね。これも叔母君お三方の教育が素晴らしかったからですね」

「まあ、お上手ね。私たちの力なんて。愛之介さんがもともと優秀で才能豊かだったのよ」

 伯母たちは一応謙遜していたが明らかにポーズだけだ。

「お誕生日おめでとうございます」と招待客たちは次々と祝いの言葉と歯の浮くようなお世辞とともにプレゼントを差し出してきた。愛之介も礼儀正しく感謝の言葉を口にして笑顔でプレゼントを受け取った。多分高価なものだったのだろう。ところが、まったくと言っていいほど記憶には、残らなかった。

 パーティの翌日、「お誕生日おめでとう」と忠がこっそり渡してくれたスケートグローブは、嬉しくて嬉しくて、その色からあしらわれたデザインポイントまで今でも鮮明に覚えているのに。

 子供心に理解していた。このパーティの主役は神道愛之介ではなく、三人の伯母たちだということを。


「愛抱夢の誕生日を祝いたい。会える? 誕生日当日が無理だったらあなたの都合のいい日に」

 ランガからの嬉しい申し出に、五月一日の夜なら会えるよと、返事をした。

 できればもっと早い時間から会えればよかったのだが、当日の昼に知り合いの結婚式に招待されていた。しかも結婚式場のホテルは東京。幸い午前中スタートだということで、何らかのアクシデントからの遅延がなければ夕方には那覇空港に到着できるはずだ。

 神道愛之介の誕生日に結婚式を挙げるとは、無粋なカップルだとは思うが仕方ない。披露宴の時間帯が午後でなかっただけ良しとしよう。


 幸いにもフライトは順調で定刻通り那覇空港に着陸してくれた。愛之介は、国内線ターミナルにあるタクシー乗り場へ足早に向かう。忠にはランガを迎えに行くよう言いつけてある。そろそろ別荘に着いている時間だろう。安心させようとタクシーの中からメッセージを送った。

〈もう別荘かな? 今、那覇空港からタクシーに乗った。あと少しで到着するから安心して。お腹空いたら何かあるものつまんでいて〉

——〈今着いたばかり。待っている〉


 タクシーが別荘の前に停車した。支払いを済ませるまでの時間すらもどかしい。玄関まで走りドアを開ければ、ランガが出迎えてくれた。

「お帰りなさい。お疲れ様」

「ただいま。ようこそランガくん」

 顔を合わせるなり、ランガは訝しげに愛之介の頭のてっぺんから足のつま先まで視線を流していった。

「ん? 何か変かな?」

「その格好と、その荷物は?」

「ああ、日本の結婚式は大抵こんな感じだよ。礼服なんだ。男はほぼ全員同じ格好をしている」

「ふーん、制服みたいなもの?」

「確かにそんな感じかな。日本は同調圧力が強くてね。あとこの荷物は〈引き出物〉だよ」

「フキデモノ?」

「いや、〈フ〉じゃなくて〈ヒ〉だ。〈ヒキデモノ〉。結婚式の招待客に配られるお土産みたいなもの。こっちの箱はバームクーヘンらしい。あとは無難な食器や小物などのが配られるんだけど、最近はカタログで渡される」

 会話を続けながら靴を脱ぎ部屋に入っていく。清々しく優しい香りがした。使用人がルームフレグランスでも置いたのか? それにしてはわざとらしくない自然な匂いだ。

「へえ、日本の結婚式って面白いね」

 礼服を脱ぎハンガーに掛けた。

「こっちは面白くも何ともない。悪いけど先に汗を流してくる。全身ベタベタなんだ。食事はそれからでいいかな?」

「大丈夫」


 シャワーを浴びてさっぱりしたらやっと気分が落ち着いた。ラフな服に着替え、部屋に戻れば、巨大なブーケを抱えたランガが立っていた。

「愛抱夢。お誕生日おめでとう」

「ありがとう。ランガくん」

 受け取れば爽やかな芳香がふわりと立ち上がった。部屋に入ったとき感じた香りの正体はこれだったのか。

「なんて美しいんだ。豪華で素敵なブーケだ」

 ランガはほっと安堵したような笑顔を見せた。

「本当はね、花ではないプレゼントを用意しようと思ったんだけど、何にしていいかわからなくて。愛抱夢って欲しいものは何でも持っていそうだし。それで母さんに相談したら、そういうときは花にしたらいいって言われて。なんか工夫がなくてごめん」

「そんなことはない。こんな嬉しいプレゼントは生まれて初めてだよ」

「大袈裟だな。それ花瓶に移さなくてもそのまま飾っておけるよ」

「それは助かるよ。気が利くね」

「俺じゃなくて母さんがアドバイスしてくれた。あ、でも花はちゃんと俺が選んだ。ほんとうだよ」

 ランガは身を乗り出しムキになって、自分が選んだ花だということを主張した。

 ブーケに目を戻した。シャクヤクとスズランだ。この花を選んだのはランガなのか。思わず目尻が下がり口元が綻んだ。第三者から見ればとんでもなく締まらない顔をしていたに違いない。

「そうか。君の見立てなんだね。見事な大輪のシャクヤクだ。本当に君は素敵なセンス——〈great taste〉の持ち主だね」

 ランガは、はにかんだように微笑んだ。

「愛抱夢、花の名前知っていたんだね。俺は知らなかった。フラワーショップにある花、どれがいいか、ひとつひとつ全部チェックした。それで、その花がどうしても気になって目が離せなかったんだ。最初バラかと思ったんだけど、よく見たら違っていて、シャドウがシャクヤクという花だって教えてくれたんだ。バラは一年中店にあるけど、この花は短い間しか売っていない今の季節らしい花だって、シャドウからもすすめられた。あなたの誕生月の短い間しか咲かないのなら、どうしてもこの花をあなたに届けたいなって」

「そうだったんだ。それと、この可愛らしい白い花はスズラン——〈lily of the valley〉だね?」

「うん、それも今のシーズンだけで、五月一日の誕生日の花だって母さんがが教えてくれたんだ。それで入れてもらった」

 ブーケは、明るいピンクと淡いピンクと白いシャクヤク、そのシャクヤクとシャクヤクの間から可憐なスズランが覗く。スズランは五月一日の誕生花、つまり愛之介の誕生花だ。それは知っていたのだが、この清楚な印象と自分のイメージがあまりにもかけ離れていると我ながら思う。

「おっと、つい話し込んでしまって悪かった。食事にしようか。お腹すいただろう?」

「うん、すごく」


 タイミングがタイミングなので豪勢なディナーというわけにはいかなかった。カジュアルなメニューだったがランガは満足してくれたようだ。

 食事をしながらお互いの近況報告など他愛もない雑談をした。

 ランガはゴールデンウィーク中に赤毛とハーリーを見物しに行くのが楽しみだという。あと彼の母親が愛之介に会いたがっているとも。

 ランガの母親には、色々——状況的にも自分の気持ち的にも——整理をしてから会いに行こうと本気で考えている。


 デザートを彼と自分の前に置いたとき、ランガがふと言った。

「あなたは、俺が何をあげても、きっと同じように喜ぶよね」

 何か引っかかるものがあったのだろう。

「そうかもしれないね。金で買えるものなら、欲しければいくらでも自分で手に入れることができる。プレゼントは何であっても君が僕のために一生懸命、考え悩んでくれたんだって思うと、その時間がたまらなく愛おしい。その時間は金で買えるものではないんだ。だからそんな顔をしないで」

「俺、変な顔していた?」

「まあね。それでも、これ以上考えられないくらい最高のプレゼントを君は選んでくれたんだ。意図せずにシャクヤクとスズランという特別なもをね。君は僕を悦ばせる天才かもしれないな」

「どういうこと?」

「スズランは僕の誕生花だって君はお母さんから聞いて知っていたよね? ではシャクヤクはどうかな? シャクヤクって、二月八日——君の誕生花なんだよ」

 ランガは驚いたように目を丸くした。

「嘘。知らなかった」

「何も知らない君が、無意識に僕の誕生花と君の誕生花を選んでしまった。運命を感じるよね。ところでシャクヤクの花言葉知っている?」

「シャドウが教えてくれたかな。なんかスケーターに縁がない言葉だとか言っていた」

 確かに、そうかもしれない。

「なるほどね。『恥じらい』『慎ましさ』だよ」

「愛抱夢って、びっくりするくらい花言葉詳しいよね」

「そこまでは詳しくないよ。君のことだからと、ひととおり調べたから知っていたに過ぎない。そうでなかったら調べようとも思わなかったさ」

 当然だ。他の連中の誕生花、以前に誕生日だって知らないし興味はない。

「シャクヤクの花言葉は、俺の誕生花だったから気になって調べたってこと?」

「もちろん。それでもっと詳しく調べている。シャクヤクの色ごとにそれぞれ花言葉があるんだ」

「え? そうだったの?」

「ピンクは、はにかみ」

「はにかみ?」

「内気な感じで恥ずかしがったり照れたりすることかな」

「日本語難しい。じゃあ白は?」

 唇の端がニッと吊り上がる。

「秘密」

「何それ? 教えてよ」

「教えない」

 ランガはムッと口を尖らせスマホを持ち出した。ここで調べようといいうのか。今はさせない。

 腕を伸ばし、さっとそのスマホを取り上げた。

「ちょっと!」

 ランガは指を伸ばすが届かない。

「せっかくの誕生日。ふたりきりで過ごしているのにスマホいじりかい? 野暮はダメだよ」

 椅子から立ち上がったランガは、愛之介の前に歩み寄り「返して」とスマホを取り返そうとするが当然死守した。諦めが悪い。

「明日の朝には返してあげる。それまで預かっておくよ」

 彼の腰に手をまわし、グイッと引き寄せる。密着した身体を片腕で固定し、スマホを背後にあるチェスト引き出しに入れダイヤルを回しロックした。「あー」と不満げな声が聞こえた。

 そのままランガをぎゅっと抱きしめる。

 しばらくジタバタしていたが諦めたのかランガの手が背中にまわされた。話題を変えよう。

「ねえ、ランガくん、覚えている? 君、誕生日のプレゼントに何が欲しいかと僕に訊いてきたよね」

「訊いたけどさ。あのときは本当に何にしていいかわからなくて困っていたんだ。それなのに、あの返事だ。訊かなきゃよかったと本気で後悔した。絶対に無理なもの要求してくるんだから。俺を子供扱いして揶揄ったよね」

 どうやら根に持っているらしいのだが、それは誤解だ。

「とんでもない。子供扱いもしていなかったし揶揄ったつもりもなかったんだけどな。うん、まあ君なら半分くらいは、そう受け取ってしまうだろうと想定はしていたけどね。僕は本気だったんだよ」

 そうだ。あのときランガに「欲しいものある?」と訊かれて「プレゼントは君がいい。僕のものになって」と答えた。瞬時に「無理」と、あまりにも迷いなく返され、少しへこんだ。戸惑いながらも「どういう意味?」などと確認くらいしてくれるかと期待していたのだが甘かった。結局「君のくれるものなら貝殻ひとつでも嬉しい」などと誤魔化すしかなかった。

 ランガは少し身体を離して愛之介の深紅の虹彩を覗き込んだ。

「本気だったの? ちょっと待って」と混乱を隠せず、青い瞳が左右に揺れ動いていた。程なくして「どう考えても無理でしょう? だって俺は俺のものなんだから誰のものにもならないよ。それは生まれてから死ぬまで変わらない。それとも俺、また日本語よくわかっていなかった?」

 困惑と不安が入り混じったような眼差しを愛之介に向け、ランガは答えを待っている。吸い込まれそうな氷の青。この子は本当に真っ直ぐだなと思う。

「いや、何も間違っていないよ。君の言うとおりだ」

 ランガの言ったことは正論で大前提だ。

「なのに本気だった?」

「そうだね」

 ん? とランガは首を傾げ。それからしばらく黙ったまま考え込んでいるようだった。やがて何らかの落としどころが見つかったのか、顔を上げ愛之介を真っ直ぐ見据えて言った。

「なんだかよくわからなかったけど。今日は愛抱夢の誕生日で特別の日だから、いいよ。一日だけなら」

 思いがけない申し出に頬が緩む。

「では、今夜だけ君は僕のものだ」

「あのさ、それっていつものやることと違うようになるの?」

「ん? いや何も変わらないかな」

「え?」

「気持ちの問題だよ気持ちのね」

 自分のものであれば永遠に手の届くところに置いておくことができる。そんな子供じみた理屈で言ってみただけだ。ただそれだけ。

「何それ?」と呆れ顔でランガは目をしばたたかせた。やがて諦めたのか、ため息をひとつ落として「仕方ないな」と愛之介の首にするりと腕をまわした。

 唇に熱く湿った吐息がかかる。軽く触れるだけのキスをして彼は微笑んだ。

「改めて。〈Happy birthday, Adam.〉」

「ありがとう、ランガくん。君からのプレゼントは遠慮なくもらっておくよ」

 彼を抱く腕に力を込め、より身体を密着させ目を閉じる。布地越しに伝わる穏やかな体温を、腕の中に閉じ込めた筋肉の弾力と柔らかさを、唇をくすぐる水色の髪の感触を、しばし堪能した。


 いつもと変わらない、どころかいつも以上に大したことはしなかった。

 明日の夜のビーフが楽しみなどというスケート談義で盛り上がり、ただベッドの上でじゃれあって遊んだ。まるで二匹の仔猫のように。そうこうしているうちに、ここのところ睡眠不足が続いていた愛之介は、珍しく睡魔に襲われ、当然ランガも一日の生活リズムに逆らうことなく、さっさと瞼を閉じようとしていた。どちらが先に眠りについたかなんてわからない。おそらくほぼ同時のタイミングだったのだろう。

 まあ、そんなものだ。

 それでも自分よりほんの少しだけ小柄なランガを腕の中にすっぽりと包み込めば、何とも言えない多幸感に全身が満たされる。そして安らぎの中で深い眠りへと落ちていった。


 久々の熟睡だった。夜明け前にうっすらと目が覚めた。空は白みはじめているのだろう。カーテンから薄ぼんやりとした光が漏れていた。かたわらのランガはまだ夢の中だ。そのあどけない寝顔に愛おしさに胸が熱くなる。

 ふと甘く涼やかな香りが鼻腔をくすぐるのを感じた。目を凝らせば薄明かりの中スタンディングブーケのシルエットが視界にあった。

 シャクヤクとスズランが放つ香気は、出しゃばることなく綺麗で透明感がある。

 そういえば、シャドウが気を利かせてシャクヤクの品種名のメモを入れてくれていた。中でも純白のシャクヤクの名前が印象的だった。メモには〈深山の雪〉と書かれていた。

〈深山の雪〉——雪か。

 目が覚めスマホを取り返したランガは、白いシャクヤクの花言葉を調べるのだろう。花言葉を知ったとき彼は、どんな反応を見せてくれるのだろうか。それは少し怖くもあり、とても楽しみでもある。

 ランガの水色の髪を撫で、そっと口づけた。


 ねえ、ランガくん。白いシャクヤクの花言葉はね。

 ——『幸せな結婚』——

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