猫と遊ぶ

「愛抱夢、この子すごく慣れているね」

 愛抱夢との早朝デートでのスケートのあと、食事を終えて公園を散歩した。そこで一匹の猫に出会った。成猫に近いサイズだったけれどまだ子猫と言っていい。野良猫のようだが人懐っこく、ランガから離れようとしない。

 その猫と戯れつつ振り返れば、愛抱夢はベンチで脚を組み微笑みながら手を振った。

「ランガくんは猫が好きなの?」

「猫も犬も、動物は好きだよ」

「ペットは飼わないの?」

「うちのマンション、ペット飼えないから」

「そうだったね」

 日本のマンションのほとんどがペット不可だ。ペットを飼いたければペット可のマンションを探さないといけないのだ。それに今はまだ自分も母さんもペットを飼う余裕はないことをランガは知っている。

 そういえば愛抱夢は、猫と遊ぶランガを眺めているだけで、こちらに近寄ろうとはしない。猫が嫌いなのだろうか。

「愛抱夢は猫が苦手?」

「どうしてそう思ったの?」

「さっきからこっちへ近づこうとしない。アレルギーとか?」

 愛抱夢は困ったように笑った。

「アレルギーはないけど、まあ、あまり得意じゃないかな。ちょっとしたトラウマがあってね」

 ランガは立ち去ろうとする猫にバイバイと手を振って、愛抱夢の隣に再び腰をかけた。

「トラウマ?」

「子供のころ色々あってね」

 ふーんと、ランガは青い瞳をキラキラとさせて愛抱夢に顔を近づけ覗き込んだ。気になる。この人にも弱みがあるのだろうか。猫が怖いとか、ちょっと可愛いかもしれない。

「何があったの?」

「聞きたいの?」

「聞きたい」

「他の人に言ってはダメだよ?」

「言わない」

 なんか、ワクワクする。

 じゃあ、と彼は話し始めた。

「僕の家では、スナック菓子、駄菓子の類は食べさせてもらえなかったって話をしたことあったよね?」

「うん」

「ある日、忠が小さなボトルに入ったラムネ菓子をこっそりくれたんだ。見つからないように食べてって」

「ラムネ菓子?」

「ああ、そういえばカナダにはないかもしれないね。あとで買ってみようか。ソフトな粉っぽいキャンディって感じかな。甘くて酸っぱいんだ」

「うん、食べてみたい」

「多分そんな美味しいものではなかったんだと思う。でも当時の僕には神道家の大人たちが絶対に食べさせてくれない味で、宝物みたいに感じた。毎日少しずつ、一日、二粒か三粒って決めて大切に食べていたんだよ。もちろん隠れてだけど」

「それと猫とどういう関係が?」

「ああ、そうだね。その頃はまだ猫が苦手とかなかったんだ。人懐っこい野良猫とかいると隠れて遊んでいた。その日、忠にもらったラムネ菓子がポケットにあることを思い出して、猫に分けてあげることにした」

「猫が、そんなもの食べるの?」

「口元に持っていってやったんだけど、食べようとしない。遠慮しているのかと思って」

「猫が遠慮?」

「僕が直接食べさせてあげることにした。口を手でこじ開けてラムネを入れてやったんだ。喜んでくれると思ったんだけど……」

 この人、何を言っているんだろう。

「猫が喜ぶ……わけないよね?」

「そうなんだ。唸り声を上げながら、すごい勢いで引っ掻いてきて、猫はどこかに行ってしまった」

「それが、トラウマ? 引っ掻かれたくらいで?」

「普通トラウマになるだろう。引っ掻かれたのはどうってことなかったんだ。ただ、あのラムネ菓子がどれほど大切なものだったか。その貴重な菓子を分けてあげたのに、食べてくれなくて地面に落ちて無駄になってしまった。子供心にもうすごいショックだった」

 トラウマになったって、そこ? とランガは内心突っ込んだ。災難だったのはむしろ猫だったのではないだろうか。

「猫だって好きでもないもの口に入れられて、迷惑だったんじゃないかな」

 愛抱夢は、そのときの小さな自分に戻ってしまっているのか、どうも言っていることが子供っぽい。

「あの猫は、純真な僕の気持ちを踏み躙ったんだ。僕の優しい好意になんという仕打ちだと思ったよ。僕は大いに傷つけられた」

 大袈裟な、とランガは絶句する。前々から芝居がかった大袈裟な人だとは思っていたけれど子供の頃からそうだったのだと理解した。こういうのを『三つ子の魂百まで』とか言ったっけ?

「子供のやることなんだ。猫も少しは考えてくれればいいものを」

 そう言い終えて愛抱夢はランガを見る。困惑した顔を向けるランガを見て、さすがに気まずくなったのか「この話はこれで終わりだ」と軽く咳払いをした。

 そしてベンチから立ち上がり「さて、ではラムネ菓子を買いに行こうか」とランガの手を引いた。

 ランガは、唖然として愛抱夢を見つめたまま腰を上げた。

「もしかして、愛抱夢ってバカだったの?」

 反射的に口走ってしまって、慌てて口を手のひらで押さえた。

 しまったと思う。心の中でこっそり思うだけのはずだったのに声にしてしまった。

 そして二人、なんともいえない空気の中しばし見つめ合っていた。